■ ■ ■ ■ ■ ■ 千の涙と万の星 by SUZUME ■ ■ ■ ■ ■ ■
そもそもの発端は一体何だったんだろうか…?
隣で眠る人の髪を撫でながら、ぼんやりと考えて居た。
表で鳥が泣いている、…もう直ぐ、朝らしい。
泣き顔が辛い…。
護れるのか、俺が…?
それ以前に、俺は人に縋られる程、強いのだろうか…?
色々な思いが頭を巡る。
安らかな寝息を聞きながら、髪を撫でて居る内に、再びうとうととし始めた。
ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!
けたたましく、近所迷惑な位、チャイムが鳴り響いた。
枕元の時計に視線を移すと、短針と長針が揃って1を差して居る。
『誰だ…?』
着替えの時間は60秒弱。
再び鳴らされたチャイムと、玄関を叩く音。
『喧しい!』と怒鳴りたくなる衝動を抑えて、ツォンは玄関のドアを開けた。
「はい。…レノか、何だ?こんな時間に…」
「如何しても預かって欲しいモノがあるんですけど…」
「俺に?俺でなきゃ駄目なのか?」
ツォンから見える限りでは、レノがそんな大層な荷物を持っている様には見えなかった。
「はい。駄目ですか?」
「それは何だ?」
「預かって暮れるか、暮れないかの返事が先に欲しいんですけど…」
「物によるだろう?」
苛立たし気に髪を掻き揚げ、ツォンはレノの様子を伺う。
「変なモノじゃ無いですよ。今、リーブさんが持ってますし…」
「リーブ?一緒なのか?」
「そうですよ。預かって頂けます?」
「お前じゃ無く、リーブの判断か?」
「まぁ、同意したんで、そう言う事にもなりますかね」
うーんと暫く考えたツォンは、玄関のドアを、レノを招き入れる位に開けた。
「リーブが同意したんなら、預かっても構わんだろう。入れ」
「…俺、信用無いんですね」
ぽつりと呟いたレノの言葉を無視して、顔を出してリーブの姿を探す。
「リーブ?」
名を呼んで初めて、リーブの姿を捕らえたツォンは、リーブを招き入れた。
「済まんな、ツォン」
「いや、構わんさ。…預かり物って、ひょっとして…」
「そうですよ。だから、言ったでしょ?リーブさんが持ってるって…」
「持ってって…。ま、とにかく中へ」
「詳しい事は俺達にも判らなくって…」
「最初、俺とルードとイリーナで飲んでたんですよ。イリーナが帰った後、リーブさんが店に現れて…。暫く三人で飲んでたんですけども、途中でルードが帰ったんです」
「…で、ルードが帰った後にルーファウス様が現れた。と?」
ルーファウスをツォンのベッドに寝かし、三人は立った儘、話をしていた。
「いや、レノに店を変えようと誘われて、外に出たんだ。後少しでレノの言う店だって時に、ルーファウス様が路地から飛び出して来て…。ルーファウス様の御自宅なんて俺もレノも知らないし、俺の家は遠いし、レノのマンションは、ルーファウス様が泊れる様な状況じゃ無いらしいし…。だから此処に…」
「瞳、覚ましたら聞いといて下さいよ。幸い明日明後日土日ですし、2日酔いになってるでしょうから、看病とね」
「悪かったな、こんな遅くに…」
玄関に向かいながら、リーブはツォンを振り返った。
「いや、構わんが…。強いて言うなら、最初からお前がチャイムを鳴らして欲しかったな」
「…だから、俺ってそんなに信用無いんですか?」
「無い」
靴を履き、振り返ったレノの言葉を一蹴して、ツォンは時計に視線をやる。
釣られた様にリーブとレノもツォンの視線を追った。
チャイムを押してから、30分が経っている。
「こんな時間から、リーブの家迄って帰れるのか?」
「…本社に仮眠室もあるしな。何とかなるさ」
「俺のマンション来ます?歩いて帰れますよ?」
自分を指差し、レノはにこっと笑った。
「………。…遠慮しとくよ」
「折角の好意を…」
「お前の処に行ったら、また…」
「また…?」
途中で切ったリーブの言葉を、繰り返してツォンが問い掛けると、リーブは慌てて否定する。
「だ…。あ、いや、何でも無い」
「だったら、甘えれば良いだろ?」
「ほらぁ、ツォンさんも言ってるでしょ?決まりですね」
「えっ?いや、俺は…」
まだ否定を続けるリーブをずるずると引き摺って、レノは去って行った。
「さてと、…ソファーかな」
ルーファウスに自分のベッドを明け渡したツォンは、玄関に鍵を掛けながら今夜の寝床を考えた。
きしっ、きしっと床が軋む音がする。
一度目のそれで瞳を覚ましたツォンは、音を立てている人物が一人しかいないと気付く。
「ルーファウス様?」
ツォンの横を擦り抜け、夢遊病者の様に台所へと進むルーファウスを追い掛ける
「………」
月明りに照らされたルーファウスの髪が、一層黄金に輝く。
「ルーファウス様、如何なさいました?」
「………の」
「済みません、何とおっしゃられましたか?」
ツォンの言葉に何の反応も示さず、ルーファウスはふらふらとツォンに近付く。
否、ツォンの脇を通り、ベッドへと向かっている様だった。
仕様が無しにルーファウスに着いて行ったツォンは、ベッドに腰掛けるルーファウスの側へと寄る。
「ルーファウス様、もう少し御休みなさいませ」
それにも黙った儘で、ルーファウスはじっとツォンの顔を見詰める。
「ルーファウス様?」
名を呼ばれ、すっと立ち上がったルーファウスにツォンが一歩退いた。
「…母様がいない」
ぐいっとツォンの腕を引き、ベッドへと倒れ込む。
突然の事にツォンがバランスを崩し、ルーファウスのなすがままになっていると、ルーファウスはツォンの上に覆い被さる様にして、再び口を開いた。
「ツォン、母様がいないんだ。どんなに探してもいない…」
「ルーファウス様、彼方の御母様は…」
其処迄言い掛けて、ツォンはふと口を噤んだ。
「…ツォン。母様がいないと寂しい…」
『二日酔いが如何とか、レノが言ってたっけ?』
「綺麗な髪…。母様の髪も綺麗だったって…」
髪を掬っては手からさらさらと零す。
「ツォン、寂しいんだ…。…慰めてよ」
「…ツォンが側に居りますから、もう御休み下さい」
「側に…?」
「はい」
「いやだ」
ツォンのシャツのボタンに手を掛け、ルーファウスが首を振った。
「近くに…、もっと近くに…」
ゆっくりと近付いて来た赤い唇が、ツォンに触れる。
自分が好きな、可也きついウォッカの味が、ルーファウスから伝わって来た。
「ルーファ…」
言い掛けたツォンの言葉を遮る様に舌を絡めるルーファウスの手が、シャツのボタンを外し終える。
露になった胸元に手を滑らせ、ルーファウスが繰り返す口付けを甘んじて受けて居たツォンに、静かな声が降り注ぐ。
「ツォン」
「はい…?」
「お前は何処にも行かないよな?母様みたいに居なくならないよな?」
「何時迄もお側に居ります」
「じゃあ…」
言い掛けてルーファウスはすっと起き上がった。
ベッドの横に立ち、白い肌を露にして行く。
布擦れの音がツォンの耳に届いた時、ルーファウスはシャツ一枚を羽織った姿だった。
自分の手を自分の肩に滑らせ、ルーファウスはシャツを開けて行く。
「抱いて…」
「ルーファウス様…?」
「ツォン、側に居て暮れるんだったら、…抱いて」
ぱさっとシャツを下に落としたルーファウスの裸体を、月の光が怪しげに浮かび上げて居る。
ベッドの上に座った儘、動けないで居るツォンの服を剥ぎ取り、ルーファウスはツォンの首筋に唇を押し付ける。
つっと舌が生き物の様にツォンの首筋を這い、耳元へと上がる。
甘えた吐息がツォンの全身を刺激し、燻る欲望に火を点けた。
「ツォン」
耳朶を軽く食みながら名前を呼ぶルーファウスの手が、ツォンのズボンの中へと入る。
再びベッドに押し倒され、ツォンの髪が枕の上に広がった。
「ルーファウス様」
ツォンの髪に口付けるルーファウスは名を呼ばれ、視線をツォンへと移す。
「抱いて暮れないの?」
不安気に揺れ動く瞳にツォンは性欲を押さえ付ける限界が近い事を知った。
「…どんな事をしても良い。どんな風に抱いても良い。ツォン。側に居て暮れるって証拠を見せて…」
赤く濡れたルーファウスの唇に、ツォンの髪が纏わりついて居る。
黄金に輝く髪に、過ぎる位の透明な肌。
酷く不釣り合いに銜えられた黒髪が、ツォンの理性を谷底へと突き落とす。
潤んで見えるルーファウスの深いブルーを称えたグリーンの瞳が、怪し気に揺れて、口元に浮かべられた哀し気な笑みを見た瞬間、ツォンの食指はルーファウスへと延びて居た。
そもそもの発端は一体何だったんだろうか…?
母を亡くした子を我が子の様に慈しみ、その子が大きく成長してから、…その子を愛してしまった事が、全ての発端だろう。そんな事は判り切って居る。
「鳥の声…?朝か…」
「う……ん」
ツォンの腕の中で、ルーファウスが縋り付く様に声を上げる。
よく見ると瞳の端が濡れて居た。
「参ったな。…こんなに泣き顔が辛いなんて…」
一人言ちてツォンは、ルーファウスを抱き締めた。
この人がこんなに誰かに縋るなど、思いも寄らなかった。
何時も堂々とした王者の風格で人を従え、風さえも避けて通る様な雰囲気のこの人が…。
いや、むしろそうであるからこそ、頼る手が欲しかったのだろう…。
酔わないと自分を出す事が出来ないこの人を、護れるのか、俺が…?
それ以前に、俺は人に縋られる程、強いのだろうか…?
色々な事がツォンの頭の中を駆け足で通り抜けて行く。
安らかな寝息を聞きながら、髪を撫でて居たツォンは、再び眠りを貪り始めた。
「…ツォ…ン…?」
直ぐ側にツォンの寝顔が在った。
自分を護る様に包み込む腕と、細くは有るが引き締まった胸に顔を埋めて、安心しきって眠って居た事に、ルーファウスは言い様も無い感情に襲われた。
「ルーファウス様?お目覚めですか?」
本の微かにしか動いて居ないのに、ツォンはルーファウスが目覚めた事に気付き、瞳を開ける。
「ツォン…?何故此処に居る?俺は…?」
「矢張り覚えておいでになりませんか。実は昨夜遅く…」
レノやリーブから聞いた事を一通り話し、ツォンは一旦言葉を切った。
「こう言っては何ですが、ルーファウス様はあまりお酒にお強い方では…」
「煩い!…俺にだって飲みたい時は有るんだ」
「お供位…」
「ひ・と・り・で!飲みたかったんだ」
怒り意気にツォンに怒鳴り付け、ぷいっとソッポを向いたルーファウスに、軽く溜め息を吐いてツォンは服を拾い上げた。素早く服を身に付け、立ち上がったツォンは、明後日を向いた儘のルーファウスに声を掛ける。
「…朝食の用意をして参ります。服を着て、顔を洗ってから、リビングの方にどうぞ」
それだけを言うと、ツォンはさっさと部屋を出て行った。
「…人の気も知らないで。ツォンの莫加」
唇を指で触れ、ぼんやりと覚えて無い振りをした事を思い返す。
そうしなければ、自分の気持ちを気付かれそうで…、何より恥ずかしさで死にそうになるから…。
「ルーファウス様、まだ此方にいらしたんですか?早くお顔を…」
部屋の入り口から名を呼び、動かないルーファウスの元にツォンが歩み寄る。
「ど、如何なさったんですか!?ルー…」
ぱたぱたと勢いよく零れ落ちる涙に、ツォンは言葉尻を切った。
「…ツォン」
「何処か痛みます?何かお辛い事でも?」
俯き、何も答えず唯首を横に振るルーファウスに、ツォンは首を傾げるしか無かった。
「ツ…」
TELLLLL、TELLLLL、TELLLLL、TELLLLL、TELLLLL、
突然鳴り響いた電話のベルに、ツォンはルーファウスを気にしながらも部屋を出て行く。
「はい」
『ツォンさん?おはようございます』
全ての元凶を作ったその声に、ツォンは無言で電話を切り掛ける。
『ちょ、ちょっと待って下さい。リーブさんに代わりますから…』
「始めからリーブに掛けさせろ」
漸くレノに対して発した声は、溜め息混じりの冷たい物だった。
『俺の家の電話を、どうぞと言われたからって、使う人ですか。ツォンさん宅ですよ、掛ける先は…』
「それもそうか。何の用だ?」
『ちょっと待って下さいね。リーブさん…』受話器の向こうでリーブを呼ぶ声が聞こえる。
昨夜のリーブの動揺。レノの声の調子から見て、ツォンは何と無く二人の関係を悟った。
『…ツォン?』
「ああ、如何した?こんな朝っぱらから…」
『ルーファウス様が気になって…。何も無い?』
「………。…お前になら良いかな。実はな…」
淡々と二人が帰った後からの事、そして今ルーファウスが泣いて居る事を話すツォンに、リーブは深々と溜め息を吐く。
「…で、リビングにどうぞって部屋を出て行って…。なかなか出て来ないから如何したのかと覗きに行ったら…」
『泣いてたって?お前にはその原因が判らないって?』
「如何したって聞いたって首振るだけだし…」
『莫加か、お前は…。鈍感にも程が有るぞ』
電話の向こうのリーブの声に混じって、レノの笑い声が聞こえた。
「莫加って…」
『本当はお前が気付いた方が良いんだがな。…ルーファウス様の気持ちってお前には判らない?』
『それ以前に、ツォンさんのルーファウス様に対する気持ち聞いた方が良いんじゃ無いです?』
「俺の、気持ち…?」
リーブからぱっと受話器を取り上げ、レノがツォンに声を掛ける。
『以前ツォンさん、俺に好きな人が居るって言ってたじゃ無いですか。ルーファウス様じゃ無いんですか?』
いきなり核心を突かれ、ツォンは沈黙した。
『だったら、自分の好きな人の気持ち位汲み取るべきですね』
「しかし…」
『しかしも何も無いでしょ。ルーファウス様の好きな人も判らない人は、一生悩んで、好きな人泣かせて、悔やみながら人生送って下さい』
ガチャっと乱暴に切られた電話をツォンは何時までも握り締めて居た。
「ルーファウス様の、好きな人…?」
確かに今迄側に居るだけで、ずっと触れたいと願って居た。
抱きたいとも思わない事は無かった。
「…あの人の気持ち?」
まさかルーファウス様が自分を好きで有る筈が無い…。
「…ツォン」
どきっとして振り返ると、シャツだけを羽織ったルーファウスが、裸足の儘で立って居た。
「ルーファウス様…」
握りっ放しの受話器を置き、ツォンは体ごとルーファウスに向き直る。
「あ、リーブからで、ルーファウス様の具合は如何だと…」
「ふ…ん」
くるりとツォンに背を向け、再び部屋に入って行ったルーファウスを追い掛け、ツォンも部屋へと足を踏み入れる
「ルーファウス様、朝食は…」
「いらない」
「では、何かお飲み物だけでも…」
「いらない」
ベッドに向こう向きで座って居るルーファウスに近付き、ツォンは溜め息を吐いた。
「一体何をそんなに怒って…」
「ない!」
「しかし…」
「お、お前の所為だろ!」
ばっと振り返り、ツォンにクッションを投げ付けたルーファウスは、矢継ぎ早に言葉を綴る。
「お前の所為だ!俺の気持ちなんか何時も何時もお構いなしに!俺がお前の視線に気付かないとでも思ってたのか!俺が神羅の社長の息子だから?次期社長だから?お前は潔く身を引くって!?莫加にするのも対外にしろよ!」
息を弾ませ、ツォンの胸倉を掴んだ儘のルーファウスの瞳に、じわっと涙が浮かび上がった。
ぱっとツォンから手を離し、ごしごしと瞳を擦るルーファウスの手を止め、ツォンが涙を拭う。
「擦ってはいけません。赤く腫れます」
「触るな!」
「………」
「…本当にお前は気付かなかった?リーブやレノが気付いた事に、お前は本当に気付かなかった?」
黙った儘のツォンにルーファウスがそっと唇を寄せる。
「これでもまだ判らない?」
潤んだ瞳が自分の姿を映し出し、それを涙で揺蕩わせて居る。
「ルーファウス様…」
ずきんと心が痛んだ。
「…彼方の事は、大概判ったつもりで居ましたが、まだまだ私の判らない事だらけだったんですね。…本当に私なんかで宜しいんですか?」
静かに、包み込む様に抱き締めると、ルーファウスはツォンの背に手を回した。
「お前で無いと嫌だ。お前しかいらない…」
「ルーファウス様。ひょっとして昨夜の事…」
「全部、覚えてる。…俺は路地から飛び出したんじゃ無く、彼奴等と一緒に飲んでたんだ。飲み過ぎて自分で立てなくなって、意識迄失って此処に連れて来られたのは本当だし、リーブ達が言った事も本当だぞ。俺の家、知らないし、リーブの家は遠いし、レノのマンションは可也散らかってる。今ごろリーブが片付けてるだろうけどな」
「彼奴等…」
「怒るなよ。俺が頼んだんだ。お前があまりに鈍感だから…」
社長たらしめたる肩の荷を下ろし、安心しきった歳相応の笑顔を、ルーファウスは浮かべる。
初めて見たそんな顔を、ツォンは呆然と見詰めた。
「何…」
言い掛けたルーファウスを、ツォンは力いっぱい抱き締めた。
「彼方を、この命を懸けてお護り致します。永遠にお側に…」
「当たり前だ。お前が俺から離れたいと言っても、放してなんかやらないからな」
ぎゅっと抱き付き返し、ルーファウスは再び笑った。
表の鳥達は、高くなり掛けた日に影を探し、二人の為に入れられた珈琲は飲まれる事無く、幸せな空間の中で、冷たく覚めきって居た。