■ ■ 天の羊 by Suzume      


ふわりと温かい手が頬に触れた。
「……ン」
誰かに優し気に名を呼ばれた気がする。
ー俺は死んだのか?それともー

白い、一面の白い壁が瞳に飛び込んで来た。
「…………」
病院?、にしては回りに一切の音が無く、静まり返った空間が広がって居る。
「…?」
枕代わりのクッションに覚えの有る髪の匂いが染み付いて居る。
「瞳、覚まさはりましたぁ」
思わず笑みが漏れる位、可愛らしい声が隣の部屋に向かって発せられた。
「ご気分どうですかぁ?」
ー此奴は確か、リーブが作った試作品(プロトタイプ)のケット・シー…。感情が入ってしまったから一号機には使えないとか、何とか…。何故此処に?ー
ケットがぴょいとリーブに飛び付くと、ツォンは漸くケットが此処に居る訳を知った。
「気分は?」
「…悪い。最悪だ」


「リーブさん、包帯買って来ましたよ。あれ?瞳覚めてるんですか、ツォンさんの…」
「ああ、有り難う。ツォン、起きれる?」
「此処は…?」
リーブはがさがさと袋から包帯を取り出し、包帯を替える準備をする。
「レノのマンション」
レノと二人掛かりでツォンを起こし、熱いお湯で絞ったタオルで汗を拭き取って行く。慣れた手付きでテキパキと包帯を替え、パジャマを着せたリーブは、ゆっくりとツォンを寝かせた。
「説明は後でちゃんとしてやるから、今は寝ろ。熱も大分高いし…」
「………」
「駄目だ」
ツォンとリーブのやり取りに首を傾げたケットが、こそっとレノに近付く。
「僕、分からへんのですけど…」
「ツォンさんが、説明が先だ。古代種の神殿は?リーブさんが、駄目だ」
「何で分かるんですかぁ?」
「さぁな。伊達に部長や部下やって無いからじゃ無いか?」
「???」
首を傾げるケットを抱き上げ、レノは微かに笑った。
「いい加減にしろ!」
「まだ、やってたんですか?そんなもんこうすりゃ良いんですよ」
右手でケットを抱いた儘、レノは左掌をツォンに向けた。
「俺、『ふうじる』のマテリア、付けっ放しなんですよね」
辺りが薄ぼんやりと光ったかと思うと、ツォンは暖かな光に包まれ、その意識を手放した。

「ツォン?ふ…ん、タークスの主任か。私はルーファウス神羅だ。宜しく頼む」
ー大人ぶってる子供ー
第一印象はそれだった。黄金の髪を掻き揚げ、自分の事を私と言う。典型的な『背伸び』だとツォンは思った。
一流と言われる大学を出て、超一流と言われる企業に入った。
其処で何故餓鬼のお守りだと、ツォンはこの部屋に来る途中の廊下で考えて居た。
しかし出会った瞬間、自分の中で何かが頭を擡げた。
ーこの感覚はなんだろう…?ー
疑問を抱きながら、ツォンはひとまず退室した。
それから何年後の事だったろうか。
出会って此方、ずっと胸に隠して有った思いを抱いた儘、アイシクルロッジへの出張の供をする事となった。
普段はリーブがして居るのに仕事が立て込んで居て、とてもお供など出来る状況では無いらしい。
「リーブ、…っと、ツォンか。つい、癖で…」
「はい」
「アイシクルロッジの進出計画を何か聞いてるか?」
「いえ、私は何も存じません」
「そうか。…しかし寒いな」
ミッドガルの様な温暖な気候に育てられたこの方は、寒さに可也弱いらしい。
「申し訳ありません、気付きませんで…」
すっと自分のコートを脱ぎ、ふわりとルーファウスに羽織らせたツォンは、それを返そうとするルーファウスの手を止めた。
「私は寒さに強い方です。彼方のお体の方が大切です」
にこっとツォンに笑い掛けられたルーファウスは、赤くなりつつある顔を見られたくないが為に、くるりと背を向けた。それと同時に、有り難うと言えない自分に少し腹が立った。
「…日が暮れそうですね。宿に向かいましょうか」
「ツォン!」
叫んだものの何を言って良いか分からなくなって居るルーファウスに、ツォンはそっと手を差し延べる。
「御足元、お気を付け下さい」
言った側からツォンの胸に突っ伏せる様に足を滑らせたルーファウスを、ツォンが慌てて抱き留めた。
「お怪我は?」
「無い」
「では、参りましょうか」
宿に向かう途中、ルーファウスは後ろを歩く男を、気配だけで見詰めた。
ーこの男は俺を何だと思ってるんだろうかー
「ルーファウス様、お寒かったでしょう。先にお湯を頂いて下さい」
「んっ」
適当に生返事を返し、ルーファウスは風呂場へ向かう。
湯船に腕を掛け、其処に顎を乗せてぼんやりと曇り硝子を見詰めて居ると、突然誰かの影が過ぎった。
「ルーファウス様。お着替えの方、此方に置かせて頂きます」
「なぁ、ツォン」
ルーファウスの呼び掛けに硝子一枚隔てた場所に居る男が、その動作を止める。
「何でしょう?」
「お前は何だ?」
「………。…はっ?」
無理も無い返事にルーファウスが勢い良く湯船から立ち上がる。
「お前は私の何だ?」
「…彼方は副社長で、私は一介の部下です」
その返事にルーファウスは、胸が痛んだ。
ーこの痛みは何?ー
「…ルーファウス様。お食事の用意が出来たそうです。では、私はこれで…」
ぱたぱたと音を立てそうな位に、水滴が滴り落ちる。
とくん、とくんと響く鼓動を、ルーファウスは無理やり、上せた所為だと片付けようとした。

食事も終わり、各々眠るだけと言った時間に、ツォンはさっと湯浴みを済ませた。
部屋に戻り、煙草を銜えながら、氷の入ったブランデーを窓辺へと運ぶ。
「…一面の星空だな」
窓辺に腰掛け、ゆっくりと煙を燻らせながら、グラスを口へと近付ける。
コンコンと誰かが戸を叩いた。
「鍵は開いてる」
無愛想に答えたツォンは、静かに開いた扉から覗いた人物に一瞬恐縮した。
「失礼致しました。まさかルーファウス様とは…」
「いや、構わない。…今良いか?」
「結構です。どうぞ」
グラスをテーブルに置き、慌てて煙草を揉み消そうとするツォンをルーファウスが止める。
「消さなくても良い。お前が煙草を吸う所なんて、初めて見た」
後ろ手にこっそりと部屋の鍵を締め、ルーファウスはツォンに近付いた。
「彼方のお側では一切吸わない様にして居ります」
「何故だ?」
「煙草を吸いながら話すのは失礼ですから…」
「ふぅ…ん。なぁ、ツォン」
ツォンの前を通り過ぎ、窓枠に手を掛けて夜空を見上げたルーファウスは、その儘の体勢で呼び掛けた。
「はい」
「私の…、いや、…俺の何だ?お前は」
「申し上げました通り、部下ですが?」
短くなった煙草を灰皿に押し付け、ツォンは首を傾げた。
「そうだけど、違う。俺が聞いてるのは…、そうじゃ無いんだ。何て言ったら良いか、分か…」
ふと振り返ったルーファウスは、思わず途中で言葉を切る。
長い、少し湿った艶やかな黒髪を掻き揚げるツォンが、シャツの開けた部分から覗く胸が、如何仕様も無く『良い物』に見えた。ブランデーに口付ける『良い物』が、ルーファウスは無性に欲しくなった。
「…分かった、かも知れない」
ブランデーを取り上げ、テーブルの上に置くと、ルーファウスはツォンに手を延ばした。
「ツォン、瞳を瞑って見て…」
言われた通りにツォンが瞳を閉じると、ルーファウスは恐る恐る唇を近付けた。
キスと呼ぶには烏滸がましい、掠る程度の口付けにツォンは驚き、瞳を開ける。
其処には月の光に映し出された『極上品』が瞳を閉じ、側に居た。
「なっ…」
二の句が告げないで居るツォンに、今にも泣き出しそうな『極上品』が、首を傾げる。
「…嫌?」
嫌だなどと言う事が有るものか。
「何故…?」
「この感情が何か分からない。でも、ツォンが欲しいと思った。駄目?ツォンは俺が嫌い?部下だから側に居る?」
小さな子供の様にツォンに問い掛けるルーファウスを、ツォンは愛しいと思った。
「…私は、出会った当時から、彼方が欲しかった。しかし口にすると、部下としてですら側に居られなくなる」
「ツォン」
少し背伸びをする加減で、唇を近付ける。
サラサラと優し気な手が黄金の髪を撫で、無意識の内に腰に手が回された。
「本当に良いんですか?」
キスをすると止める事が出来ない。
「良い。俺をツォンの…、ツォンだけのものにして…」
甘えた声が吐息に混じって、ツォンの唇に掛かる。
軽くキスをしながら、ルーファウスを抱き上げたツォンは、そっとベッドに下ろした。
「…ツォン」
啄む様な甘いキスから、全てを求める位に深いキス迄。頬から耳へと唇を滑らせるツォンの腕を、ルーファウスが怯えたようにぎゅっと掴んだ。
「力を抜いて下さい…」
耳元で囁かれる低い声に、ルーファウスが身を震わせる。
シャツが開けられ、指が滑らかな肌を行き来すると、急激にルーファウスの鼓動が早くなって行った。胸の突起を軽く嘗め上げながらも、ツォンの手がルーファウスのズボンへと延びる。
「あっ…はぁ…」
漏れる声にルーファウスが頬を赧らめると、ツォンは喉の奥でくすりと笑った。
「素直に声を上げて下さい。…ルーファウス様」
「や…ぁ、恥ず…かし…」
「恥ずかしがる事は無いですよ」
一度軽くキスをして、ツォンは胸元から腹部へ、腹部から足へと舌を滑らせる。
露になった白い足に口付けをして、ツォンはルーファウス自身に触れた。
「や…!」
びくっと大きく体を震わせ、ルーファウスはツォンの髪を掴む。
自分自身を口に含むツォンの長い髪を、一束だけ握り締め、ルーファウスは未悶えた。
「力を抜いて…」
「…んっ、ツォ…ン」
身震いした後、放たれたものを飲み下し、ツォンは顔を上げた。
頬を真っ赤に染め上げ、息を弾ませるルーファウスに優し気に微笑むと、ツォンはルーファウスにキスをした。
「夜はまだこれからですよ」
きゅっとツォンに縋り付き、ルーファウスはツォンに口付けを強請る。
「ルーファウス」
初めて呼び捨てにされた名前を噛み締め、ルーファウスは一層強くツォンに抱き付いた。

ー擽ったい…。何?ー
夜中にふと瞳が覚めたルーファウスは、自分の置かれた状況が一瞬把握出来なかった。
「…ツォン」
誰かの腕枕…。守る様に回された手と、側で眠る誰かの吐息。
「………。…幸せって、こんな事を言うのかなぁ?」
ぼんやりとツォンの寝顔を見詰め、ルーファウスはツォンの髪に触れた。
ふと、ツォンのグリーンブルーの瞳がルーファウスのアイスブルーと視線を合わす。
「何がですか?」
「ううん。今迄こんな風に寝た事って無かったから…。腕枕とか、俺を抱き締める腕と直ぐ側に在る吐息。…幸せってのはこんなかなぁ、って…」
「私の方こそ…。愛してます、ルーファウス様」
「ベッドの中で様は止めて暮れ。ルーファウスで良い」
視線を合わせ、はにかむ様に微笑み合う二人は、ゆっくりと唇を合わせた。
「ルーファウス…」
「ツォン、愛してる」
再び唇を重ねて、ツォンは窓の外に瞳をやった。
「そう言えば、此処の星を見ましたか?」
「うん、見た。凄い星だな」
「…以前に聞いたんですが、空の星達を星と呼ばずに別称で呼ぶ種族が居たそうです。その呼び方が妙に印象的で…」
「忘れられないと?何て呼ぶんだ?」
「・・・」

瞳の前が真っ白になった。あの瞬間、私は死んだと思った。
「…此処は?」
「私の家です」
「私…?リーブ?」
「はい。あっ、まだ起きられては行けません。傷は深いです。ケアルも一度に掛けられない位、体力が落ちてます。安静にして居て下さい」
ケアル、ケアルラ、ケアルガは自らの体力の範囲内で自己修復を助けると言う作用が在る。故に著しく体力が落ちて居る場合は、逆に命取りになるとリーブは以前教えて暮れた。
ケアルすらも掛けられないのか、と思いながらルーファウスは天井を見詰めた。
「覚えてらっしゃいますか?ウェポンの襲撃の事…」
「ああ。…死んだと思った」
「…星が出てますね。空の星達の別称、知ってますか?」
何処かで聞いた話だと思った。
「ツォンに教えたのはお前か、リーブ」
「お聞きになりましたか」
じわりと目頭が熱くなった。
ベッドサイドの椅子に座るリーブは、それに気付かない振りをして、話を続ける。
「その民族特有の呼び名で知る人は殆ど有りません。…その民族は『生まれ変わり』と言うのを信じては居なかったそうです。その代わりに『人は死んでも再び帰って来る』と信じられ、その遺体はミイラと言う形で保存されたとか…。まっ、それは如何でも良い事なんですけどね」
誰かが玄関を開ける音を聞いたリーブは、静かに立ち上がった。
「欲しい物は有りますか?」
「………。…無い」
シャッと軽快な音を立て、リーブはカーテンを開けた。星空が広がって居る。
「本当に無いんですか?彼方の欲しい物を何でも差し上げる事が出来ますよ?」
「…本当に?」
「本当に」
深く頷きながら、リーブが何かを含んだ笑みを浮かべた。
「…あれ」
「はい」
「俺に取っての『・・・』が欲しい」
「良く星の別称を覚えてらっしゃいましたね」
子供を撫でる様に、リーブがルーファウスの髪を撫でる。
「はぐらかすなよ。何でも暮れるって言っただろ」
「はいはい。…レノ、中に…」
カチャッと開いた扉の向こうから、レノの赤い髪が見えた。その向こうに…。
「リーブさん。連れて来ました」
「ご苦労さん。ルーファウス様、御所望のものです」
流れる黒髪がルーファウスの瞳に飛び込んで来た。
レノとリーブに促される様にゆっくり、ゆっくりと部屋に足を踏み入れる男を、ルーファウスは見詰めた。
「ツォン!」
ぐっと肩を押さえ付けられ、ルーファウスはベッドに押し戻される。
「ルーファウス様。欲しい物を差し上げる絶対条件は、『安静』です。お忘れ無く…」
リーブがルーファウスとツォンの間を阻み、声を放つ。
「ツォン、お前もまだ傷は癒えていない。分かってるな?」
「ああ」
ツォンの返事に、リーブがすっと立ち上がる。ぽんっと肩を叩いてリーブはツォンに耳打ちした。
「限界は10分。それとお前、ルーファウス様に取っての『星』だと…」
笑いを噛み殺しながらレノと共に出て行ったリーブを、ツォンは一度振り返った。
「ツォン、本当にツォン?」
後ろからの声にツォンはすっとベッドに向き直る。
「そうです。私もあの意地悪な部長に助けられました。傷が深かったので、今迄ずっとレノのマンションに監禁状態だったんですよ」
動かし難い手を動かし、ルーファウスはツォンの髪を一束握った。
「助けられた時、夢を見ました」
「…俺も今、夢を見てた。ツォンに初めて合った時と…」
静かにツォンがルーファウスに近付く。
「彼方を初めて抱いた時の、星の話を…」
ツォンはルーファウスと深く唇を重ね合わせた。
「『天の羊』の話をした夜の事を…」
二人の声が蕩ける位に重なり合うと、夜空の満天の『天の羊』が瞬きもせず、優し気に二人を包み込んで行った。


BACK