運命の流れが一巡りした時
〜グロールフィンデル〜
恋 人-27-

 その日の午後。
 柔らかな陽光の中、テラスで続けていた書き物の手を止め、一息吐く。
 休憩の誘いを兼ね、レゴラスとエステルの様子を見に行く事とした。
 二人が弓の練習をしている森へ向かうと、エステルが矢を放った音がする。
「あー、ダメだったー」
 矢は、的のすぐ手前の草原に突き刺さっていた。
 その矢をエステルは拾いに行く所だった。
「でも、最初と比べると、随分巧くなりましたよ」
 指南役のレゴラスが、戻って来た彼を、両手を広げ、穏やかに笑って迎える。
 それこそ、私には見せた事の無い笑顔。
 彼もこんな風に笑えるのかと安堵したと同時に、私の胸がチクリと痛む。
「あ! グロールフィンデル!」
 歩く私に気付いたエステルが、声を上げた。
「そろそろお茶にしては如何ですか?」
 にこやかに笑ってはみたものの、上手く笑えなかった。
 私の誘いを受け、エステルは嬉しそうにレゴラスの手を取った。
「練習は如何ですか?」
 道すがら、私がそう尋ねると、二人の間を歩く小さなエステルは少し困った顔で、指南役の顔を見上げた。
 教え子の顔を見て、レゴラスが代わりに答える。
「少し教えただけですが、七割程当たる様になりましたよ」
 彼はそう言って、笑いながら教え子の頭を撫でた。
「エステル、レゴラスはエルフの中でも特別な弓の名手ですからね。今の内にしっかり教えて貰うと良いですよ」
「はい!」
 エステルは元気良く返事をした。
 テラスでお茶を飲む間、レゴラスは邪気の無い笑顔でエステルと談笑していた。
 人間の、しかもこんな子供に嫉妬するなんて大人気ないと、自分に何度も言い聞かせてみるものの、不愉快な気分には変わりは無かった。 レゴラスがエステルの事を気に入った事は、傍目に見ても明らかで、あのエルロンドでさえ、隣りで夕食を摂っていた私に耳打ちをして来た程であった。
 やはり私の予感は的中してしまうのだろうか。
 それから不安を抱いたまま五年の歳月が過ぎ、エステルは思春期を迎えていた。
 姿も少年から青年へと変わりつつあり、精神的にも難しい年頃となっていた。
 しかしレゴラスとは、良き師弟であり、友人でもあったのだ。
 それ故、私の中で例の心配事は、取り越し苦労だったのだと、すっかり安心し切っていたのだった。
 その関係が脆くも崩れ去る日が来ようとは。
 夜も更けた頃、一人寝の寂しさを紛らわそうと、アスファロスを駆って月を見に行く事にした。
 裂け谷の外れの小高い丘の上から、青白い十六夜の月を暫く眺め、再びアスファロスに乗り、裂け谷へ帰る。
 そして、厩舎から私室へ戻る途中、何者かが前を横切った。
「…エステル?」
「グロールフィンデル…」
 バツの悪そうに、私を見つめてくるのは、エステルだった。
 頬を赤く染め、目は潤んでいる。唇を噛み締め、夜着の胸元を押さえた姿は、普通では無い。
 何かから逃げて来た様なその姿は、初めてレゴラスを抱いた時の彼を彷彿とさせた。
 まさかと思い、エステルが来た方向――レゴラスの部屋の方を見遣ると、扉の壁に凭れ掛かり、肩から落ちた夜着を直すレゴラスの姿があった。
 彼は私と目が合うと、いつもの様に小首を傾げながら、ゆっくりと口角を上げて笑い、部屋の中へと消えて行った。
「エステル…?」
 居た堪れなくなった彼は、その場から逃げ出してしまっていた。
 予想だにしていなかった出来事に、私の心は動揺し、どうする事も出来なかった。


←BACK NEXT→