■ ■ ■ ■ ■ ■ butterfly By-Toshimi.H ■ ■ ■ ■ ■ ■
楽しい夕食も済み、旅の仲間達が寝静まった頃。
眠りを必要としないエルフは、その場を離れた。
不寝番時以外の夜は、ほとんど仲間の元にはいない。
裂け谷を出発した初日の夜。「私は眠りを必要としないから、見回りの役を引き受ける」、と彼・レゴラスは言ったのだった。
しかし彼はこの時間を利用して、可能な限り水浴びに出掛ける。勿論、見回り役を買って出たのだから、武器一式は手にしている。そうは言っても、仲間内から文句の一つも出ないのは、レゴラスのエルフとしての超人的な五感と戦闘能力を皆が認めているからに他ならなかった。
この日も野営地から、散歩をするには調度良い距離に川が流れている為、レゴラスは旅の汚れを落としにやって来た。
「彼の気が知れないね!」
レゴラスは結ってある髪を解きながら、一人ごちる。
『彼』とは勿論、アラゴルンの事だ。
他の仲間達は、もっと早い時間に交替で、ここへ訪れている。
衣服を全て脱ぎ、それを洗うと(生活感丸出しでスマヌ)、手頃な木の枝に引っ掛ける。これで乾く間、存分に水浴びを楽しめる。
月を映す川面に、足を入れる。
寒暖の感覚を持たない肌に、川の流れは心地良かった。
歩を進め、川の中央辺りまで来ると、その深さはレゴラスの胸まで達する。
一度潜り、頭まで浸かると、勢い良く川面から飛び出る。
「気持ちい〜♪ これだから止められないね!」
そのまま川の流れに身を任せて、満天の星空を眺める。
流れは速い方ではないから、ゆっくり泳ぎながら、自然と一体になる。それだけで、充分休息になった。
不意に立上がり、充分水を吸った金髪を束ねて、水気を搾りながら振り返る。
「黙って覗いてるなんて、趣味が悪いですよ、アラゴルン」
「覗いてるつもりは無かったんだがな」
バツが悪そうに姿を現したのはアラゴルンだった。
レゴラスは優雅な動きで泳いで岸に向かい、足を川底に付けると、月明りの中に、その均整の取れた美しい肢体をさらけ出す。
恥ずかし気もなく、堂々たる態度に、見ている方が目のやり場に困ってしまう。
「お前な…、前くらい隠せ」
思わず赤面して、それを誤魔化す為に手で顔を隠し、目を逸らす。
しかし当の本人は、まるで意に介していない様で…。
「どうして? それに腰布一枚持って無いのに、どうやって隠すんです?」
再び髪の水気を搾りながら、エルフの王子はそう言いのけた。
「そんな事を言いに来たんですか?」
暇人ですね、と微笑しながら足許の岩場に、一糸纏わぬそのままの姿で腰を下ろす。
「違う…」
「それじゃ、やっぱり出刃亀」
レゴラスは膝を抱いて、小首を傾げながらアラゴルンに笑い掛ける。
「そんな所に突っ立ってないで、こっちで座ったらどうです?」
アラゴルンは溜め息を吐くと、勧められるままに、レゴラスの横に座る。が、間を置いて。
「俺はただ、見回りでたまたま通り掛かっただけだ」
「…ふぅん、そう。だったらついでに綺麗にしてったら?」
「この寒い中、水浴びなんかしたら凍え死んでしまう」
「だったら、私が暖めてあげますよ」
レゴラスは、ニヤリと笑った様に見えた。しかしそれは気のせいだった様で、穏やかな微笑を浮かべていた。
「そういうお前は、寒くないのか?」
そう言うと、着ているロングコートを脱ぐと、レゴラスの肩に掛けた。
「そのままじゃ風邪をひくぞ」
視線を合わせようとしないが、明らかに赤面しているのが判る。
「エルフが風邪を?」
エルフが病気になどかからない事は知っているはずなのに。おかしくて、でも心配してくれるのが嬉しくて、笑いが込み上がってくるのを堪える。
「でも…ありがと」
コートを抱き寄せ、満面の笑みをアラゴルンに向ける。
滅多に口にしないレゴラスの感謝の言葉に、驚いて彼に目を向けるも、これまたお目にかかれない笑みを直視出来ず、再び目を泳がせる。
「あなたの匂いがする」
「そりゃ悪かったな」
先程のレゴラスの「綺麗にしてったら?」の言葉を思い出して、憮然と答える。
「いいえ、違いますよ。私の身体が、あなたの匂いに包まれてる、って事ですよ。確かに綺麗にして欲しいですけど、このコートにはあなたの過去の苦労が、全てが染み込んでる」(←レゴ匂いフェチ?)
アラゴルンはそれに答えず、顔を背けると「火を起こしてやる」と言うと、薪を拾いに森の中に消えてしまった。
レゴラスはつまらなさそうに溜め息を吐くが、悪戯を思い付いた子供の様に笑うと、アラゴルンのコートを持ったまま再度、川の中に入って行った。
程なくして、彼が帰って来たのが見えた。
辺りを見回してる所を見ると、自分を捜しているのか。
「アラゴルン! ここですよ!」
肩まで水に浸かり、手を振る。
「俺のコートは!?」
まさか探していたのはこのコート?と、何か釈然としないものを感じる。
「それもここです」
プカプカと浮かびながら、コートの袖を振ってみせる。
「返せ!」
レゴラスが腰を下ろしていた岩の上から、コートの持ち主は叫ぶ。
「嫌です。私を捕まえたら返してあげます」
そう言って、軽く手を振ると、川の中に頭から身を沈めた。
しかしアラゴルンは直ぐに追い掛ける様な事はせず、小悪魔なエルフが水中から現れるのをじっと待ち、水面に目を凝らす。
長い時間が経った様に思われたが、エルフが現れる気配が一向にしないので、流石に心配になって来る。
目を盗んで、川から上がったか? 反対岸まで見渡せるここから、見つからない様に岸に上がるのはまず不可能だろう。
まさか溺れて? 最悪な結果が脳裏を横切る。
自分から潜っておいて、そんな間抜けな事をするレゴラスではない、と思いつつも、こんなに息が続く筈がない、と心配になる。
ブーツを脱いで裸足になると、川の中に入って行く。
凍る様な冷たさが、中に入る事を躊わせる。が、今はそんな事を感じている場合ではないのかもしれない。
「レゴラース!!」
膝まで浸かった所で、彼の名を呼ぶが、当然と言うべきか返事は無い。
仕方無くもう少し深みまで進み、意を決して水中へ潜る。
夜の闇で視界は悪いが、水は澄んでいた。
全神経を集中して、レゴラスの気配を探る。後は僅かに差し込む月の明かりと、手探りで捜すしかなかった。
水中から見る月明りは、初めて見る光景で酷く幻想的に見える。
その中に僅かに、だがはっきりと見えたのは、紛れも無く水中を漂うレゴラスの金髪。
そちらの方に急いで泳いで行くと、向こうから右手を掴まえられた。
引き寄せられて、首にレゴラスの左腕が回され、美しい顔が目の前にある。
ゆらゆらと川の流れに漂う金髪。
幼い頃に読み聞かせて貰った御伽話に出て来た人魚は、こんな感じなのかもしれない。但し、目の前にいる人魚は男で、不老不死の命を持ち、おまけに欲しいものを手に入れる為には、手段は選ばないという、最悪な性格の持ち主だ。
レゴラスの顔が近付き、唇同士が重なり合う。
目を閉じ、アラゴルンは足の生えた人魚の裸体に腕を絡ませ、細い腰を抱く。だが、何度キスし合おうと、身体を重ね合わそうと、二人が結ばれる事は決して無い。
――あの御伽話の様に。
それは同性である事。
種族が違う事。
お互い求めているものが違う事。
アラゴルンはこの旅が無事に終われば、人間の王となり、アルウェンと結婚する。そしてレゴラスは純血のエルフ故、魂は常に海を求め、やがては海を渡りヴァリノールへ向かうのだ。
唇の向きを変えると、端から空気の泡が漏れて行った。
それを防ぐ様に、深く深く口付け、口腔内で舌を絡ませ合う。
やがて流石のアラゴルンも息が続かなくなり、レゴラス共水面から顔を現す。
腕を首に回したままのレゴラスは、何と腹立たしい事に、愉快そうに笑っている。右腕には件のコートを抱き締めて。
「あぁ、捕まってしまいましたね。なかなか来てくれないんだもの…」
悪びれた様子も無く笑うレゴラスの言葉を、アラゴルンは怒気を含んで遮る。
「お前! 俺がどれだけ心配したか!」
アラゴルンの冷えきった指先は、レゴラスの顔に張り付いた髪を横へ掻き揚げ、その掌で頬を包む。
「…俺を試すのは止してくれ」
一瞬、呆気に取られた顔をしたレゴラスだが、アラゴルンの口調が和らぐと、優しく微笑み返す。
「あなたを試したつもりはありませんよ。でも…心配してくれたんですね」
長い時間冷水に浸かっていても、ほとんど体温の変わらないエルフの頬から、アラゴルンの指先の冷たさが伝わる。その冷え切った右手を取り、レゴラスはその指先に唇を寄せる。
その笑みと行為に毒気を抜かれて、ホッとしたところで、水の冷たさが身に染みて来た。
「寒い! 上がるぞ」
アラゴルンはクルリと背を向けて、水を掻き分け岸に向かって行く。
「待って下さいよ」
ザバッという大きな水音と共に、レゴラスは後ろから抱き付く。
「抱き付くな! 放せ!」
「イヤです」
レゴラスはワザと体重を掛け、アラゴルンを引き止めようとする。
「レゴラス! 風邪をひいてしまう」
「もう! 仕方無いですね。でもこのままで居させて下さいね♪」
身体から力を抜くと、アラゴルンの広い肩に頬を寄せ、目を閉じると完全に身を預ける。
耳元でレゴラスの呼吸が感じられる。後方から聞こえる水を跳ねる音は、彼がそのしなやかな足をバタつかせているからなのだろう。
本当にこのエルフは、無邪気なのか計算高いのか。
俺の目の前で優雅に舞って、心を翻弄する色鮮やかな蝶の様だ、と思った。
この世の空に舞う、どんな蝶より気紛れで、誰もが密かに手に入れたいと狙う美しい蝶。
その美しい蝶は毒を持っている。――それは激しいまでの独占欲。
だが自らは籠の中で住む事を好まず、気ままに花を探し続けている。
俺はその毒を知っているから、蜜の無い草の振りをし、蝶が通り過ぎるのを待つ。
「レゴラス、そろそろ立て」
足を川底に付き、急いで先程拾って来た小枝に火を着ける。
悴んだ手では、なかなか火が点かずアラゴルンは苛立った。
置いてきぼり状態のレゴラスは、大事そうにコートを抱え、ゆっくりと岸へと上がる。
「おい、レゴラス。それ、搾っておいてくれ」
火で暖を取りながらアラゴルンは、着ているものを脱ぎ、丁寧に水を搾ると、レゴラスと同じ様に手近な木の枝にそれらを掛けて行く。
「出来ましたよ。あなたの場合、何も無いよりは、これくらい羽織っていた方が良いかもしれませんね」
焚き火に手を翳し、寒さに震える人の子に、レゴラスは彼のコートを手渡す。
エルフのバカ力で搾られたコートは、驚く程に水気が無くなっていた。
それを肩に羽織る。
「レゴラス、お前も座れ」
アラゴルンが焚き火を掻き混ぜた途端、燃えている木が音を立ててはぜた。
「そんな風に立ってて貰っちゃ、こっちが困るし…」
ここでアラゴルンは一呼吸置く。
「それに二人の方が暖かい」
チラリとレゴラスに目をやり、ほら、と腕を上げた。明後日の方向を見ているのは、照れている証拠か。
レゴラスは思わぬ申し出に、満面の笑みを浮かべ、彼の腕の中に身体を滑り込ませ、フフと笑った。
アラゴルンの鎖骨部分に顔を寄せ、腕を首に絡ませてしがみ付く。
肩を抱くと、その甘える様に擦り寄せるエルフの妖艶な肢体は、酷く華奢に感じられた。
芯まで凍えた身体には、普段、いくらか体温の低いこのエルフの身体さえも暖かい。
これも蝶の舞の一つか。
その羽を羽ばたかせる度に舞う鱗粉は、肺肝に入り込み、甘美で切ない誘惑へと誘(いざな)う。
妖艶で美しい蝶の姿は、例え雑草であっても、目を、心を奪われずにはいられない。
ピクリと動いたレゴラスの長い指が、首筋をなぞった。
「やだ、くすぐったい」
レゴラスの身体が見動く。
無意識の内に、彼の生乾きの髪を一房、指で絡め取り、それをクルクル弄んでいたらしい。その毛先が肌に触れて、「くすぐったい」と彼は言ったのだ。
「あぁ、済まない」
レゴラスの額に掛かった金髪を指でそっと払うと、そこに口付けを落とす。
長い睫を持つ瞼がゆっくり開かれ、碧い双眸が現れた。
視線が合う。
羽に瞳を持つ蝶は、敵から身を守ると言うが、この蝶の瞳は獲物を捕らえて放さない。
何度見ても、吸い込まれそうになる。
「…アラゴルン」
レゴラスは首筋に触れている指先を、頬へと滑らせる。
肩を抱くアラゴルンの腕に力が籠る。近付く唇を享受する為、僅かに顎を上げ、薄らと唇を開く。
啄む様な口付けを交わしながら身体を抱き締められ、体重を掛けられると、アラゴルンの背中に回す腕に力を込める。
そして身体を横たえられた。
「レゴラス、暖めてくれ」
「えぇ、喜んで」
アラゴルンはレゴラスの首筋に顔を埋め、レゴラスは与えられる快感に、甘い声を上げた。
こうなったのは、成り行き上の偶然なのか。それとも、全て彼の思惑通りなのか。
腕の中で声を上げ、行為を受け止める姿からは窺い知る事は出来なかったが、ただ言える事は、この美しき蝶は、アラゴルンの心の一部に入り込んだのだ。
フロドやアルウェンとは違う、この甘美で切ない誘惑で。
「アラゴルン…もっと、もっ…と下さい…」アラゴルンが目を覚ますと、麗しのエルフの姿はそこには無かった。
服が掛けてあった木の枝にも、彼の服は無くなっている。
体温はすっかり戻っていたから、風邪をひく心配は無くなったが、あれだけ愛し合った後で、人が眠っている間にさっさと一人で戻って行かなくても、と少し彼の気ままさに怒りを覚える。
レゴラスが改めて火を焚いたのだろう。焚き火にはまだ火種が残っていた。
いつまでも裸のままでいる訳にはいかないので、行為の痕跡を落として身支度を整える。
そこへレゴラスが戻って来た。
その右手には兎が二羽。左手に自分のではなく、アラゴルンの弓矢が握られている。
「あぁ、起きましたか」
「それは?」
アラゴルンはベルトを締めながら、顎で兎を指す。
「これですか? 食料兼裏工作ですよ。あなたの手柄にしてあげますから」
アンドゥイルの横に、手にしているものを全て置く。
前屈みになった為、まだ結ってない金糸の様な髪が顔に掛かり、レゴラスはそれを気だるそう掻き揚げた。
その何気ない仕種でさえも、舞の一つなのか。
「髪は結わないのか?」
「結いますよ。ただ、一人ではやれないので、いつもサムに手伝って貰っているのですよ」
レゴラスは自分の弓矢を拾い上げると、それを背負う。
「サムに? それは知らなかった」
「彼は手先が器用ですからね。それに彼にちょっとした相談事があるんですよ」
企みを隠した笑みをアラゴルンに向けると、「お先に」と野営地へ戻って行った。
――間もなく夜が明ける。
昨夜、殆ど寝てません。朝5時近くまで、こいつを携帯に打ち込んでいたからです。時間を忘れて、打ちまくっていました。 |