早くからFFレイアウトの有効性を見出し、日本の自動車業界をリードする立場まで成長したホンダ。
「マン・マキシマム・メカ・ミニマム」という、居住性を最大限に生かすコンセプトを打ち出したのは
3代目シビック・通称「ワンダーシビック」であった。
このパッケージングを実現するためには、エンジンが横置き出来るFFが有利。ワンダーシビックは
これまた名機と呼ばれた「ZC」エンジンを搭載し、NAでありながら130psという、卓越した運動性能を得た。
しかし、シビックはあくまでも大衆車。ある程度の実用性を確保する必要性があり、当時現役であった
ライバルのAE86に水をあけられていた。そこでホンダは、シビックの兄弟車「バラード」にホットなスポーツ
クーペ、バラードスポーツ・CR−Xを誕生させた。これがFFスポーツ伝説の始まりであった。
基本的なシャーシはシビックと共用であるが、フロントドア部から後ろは完全独立設計。テールゲートは
高く跳ね上げられ、フロントシートの居住性をアップさせながらドライバーズポイントを車体中央に設計。
また俊敏なフットワークを得るため、ホイールベースをシビックより約200mmも短縮。軽量化のため
各部には樹脂製パーツを多用した。エンジンはシビックと同様にZCエンジンを搭載し、PGM−FIで
効率的に出力制御。当時このクラスでは珍しかったDOHCエンジンは甲高いエキゾーストを上げて
タコメータはいとも簡単にレッドゾーンに飛び込んだ。
そんなCR−Xは、シビックのモデルチェンジとともに二代目「サイバー」へとモデルチェンジしたのは、
昭和も終わりに近い1987年のこと。「バラード」の名前は取れ、CR−Xと完全独立車種となった。
上段が前期(1987〜1989)、下段が後期(1989〜1992)。
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基本的なパッケージは先代と同様、ショートホイールベース。セミリトラクタブルから固定式に変わった
ヘッドライト周りはより精悍さを増し、リアゲートには「エクストラウィンドゥ」と呼ばれるガラスエリアを設置。
アップテールで後方視界が妨げられるのを防ぐ処置であったが、より一層の個性を得た。
また特徴的なのは「グラストップ」。上面ルーフの殆どがガラスとなり、抜群の開放感を得ることができた。
エンジンは先代同様「ZC」が搭載されたが、後期型には世界初の可変バルブタイミング機構を持つエンジン
「B16A」が搭載された。NAで160psを発生するこのエンジンは、高回転カムに切り替わる5000rpmから
怒涛の加速力を見せつけ、ターボ付と思い違いをするほどパワフルなものであった。
1992年の三代目「delSol」が登場するまで、FFスポーツの雄としてその地位を不動のものとしたCR−X。
AE86と並ぶ日本を代表するライトウェイとスポーツとして、今もなおスポーツカーファンの心に刻まれている。