セントウルS優勝時のニフティニースニフティニース
牝 鹿毛  1987年5月25日 千歳 社台ファーム産

12戦7勝 主な勝ち鞍 関屋記念 セントウルS

レイズアネイティヴ Native Dancer
Raise You
ニフティアンドニート Vigors
Haleallah

 弟 ニフティダンサー(七夕賞)<父ノーザンテースト>
 弟 マチカネプルターク<父ベリファ>

 松山軍団陰の立役者の一人が、竹原啓二J。
 吉永正人Jの華やかな活躍に隠れて目立たぬ存在であったが、彼の引退によって表舞台へのチャンスがやってきた。
 乗り数こそ少ないが、連対率は常に一流Jに匹敵する3割をキープ。
 そこに現れたのが、彼の代表的お手馬、スピード豊かな名牝ニフティニースであった。

 デビューは4歳の夏の福島、90年7月1日4歳未勝利ダ1000m。
 当然経験馬相手となったが、道中4番手追走から直線抜け出し1着。
 520kgあまりの巨体とスピードは注目の集まるところとなった

 2戦目は7月15日新潟4歳上500万下ダ1000m。
 一度叩かれて楽に2番手を追走したが、テンデステキの2着に終わる。

 続けて新潟に参戦、8月4日の出雲崎特別ダ1200m。
 竹原Jは負けられないとばかりハナに立ちそのまま押しきり1着。

 8月25日三国特別芝1200mでは、初の芝へ挑戦。
 やはり、そのスピードは芝でこそ生きるものであった。
 2番手を楽に追走して直線抜け出し快勝!

 中山に戻って9月29日オータムスプリント芝1200mでオープン馬に挑戦。
 竹原Jは慌てず中団を追走、徐々に進出してG前ヒダカハヤトを半馬身押えて3連勝達成!

 勇躍西下して10月28日京都スワンS(GU)芝1400mへ。
 しかし揉まれてしまい見せ場なしの8着に終わる。

 立てなおして再び競馬場に現れたのが、91年7月14日新潟のBSN杯芝1200m。
 得意の新潟を思い出したのか、久々でも3番手からG前マイネペルレを2馬身突き放して快勝。

 休んでも勢いが衰えないことを証明して向かえた8月4日関屋記念(GV)芝1600m。
 初距離や重馬場も何のその、竹原Jは引っ張りきりで3番手の外を追走。
 安全策で外を回ったが、スピードに乗って直線に入っても手応え十分。
 ビーバップを3馬身突き放して念願の重賞制覇となった。

 秋の大レースを目指してステップに選んだのは9月8日中京セントウルS(GV)芝1200m。
 3番手の内を楽に進んで、直線も最内を突き、ハスキーハニーを首差振り切って1分7秒9のレコード勝ち!
 しかし、脚部不安が出て肝心の秋シーズンを棒に振ってしまった。

 92年秋漸く復帰したが、セントウルS(阪神芝1400m)5着、オータムスプリントS(中山芝1200m)3着と不振。
 休養前の勢いはなくなってしまった。

 岡部Jに依頼して最後のレースなった11月7日根岸Sダ1200mでシンガリ負けを喫してそのまま引退。

 巨体馬ゆえの脚部不安に泣いたが、まだまだ大きなタイトルを獲得できる可能性を感じさせたレース振りであった。
 生まれ故郷にもどって繁殖生活を送っているが、いつの日か母を彷彿させるような豊かなスピードで押しまくるような産駒が現れ、母が出走さえかなわなかったGTを制覇してくれる日を夢見て止まない。 

 戻る