タッカーのエッセイ其の一****************************************************************
「ルパン・ザ・サードの歌」
その昔、俺がまだ小学生だった頃の話。旧ルパンの再放送を4才年下の弟と観ていた。
(当時はいわゆるパートUはまだ無かったので旧ルパンなんて言わなかったけど)
オープニングのテーマ曲「ルパン・ザ・サードの歌」を聴いた弟は元気よく「ルパンです〜う」と歌うんです。
幼い日にあの歌を聴いた人は、そう聞こえた人いるんじゃない?
まあそれはともかく、
小学生とはいえルパン三世をLupin The Thirdっていうと何となく知っていた俺は
弟に「ルパンです〜う」じゃなくて「ルパン・ザ・サード」って歌っているんだよっと教えてあげると、
「え〜うそだ〜、ちがうよ〜ルパンです〜うだよ!」と自信タップリ。
そうなんです。小さい頃って、みんな、何においても自信があるんだよね。
夢もでかいし。夢… 夢か… 俺は映画監督になるのが夢だったなー。
これある時期はかなりマジだった(なんとも…)
話を戻すけど、小さい頃ってなんであんなに自信があるんだろう…。
自分の前に無限の可能性があるのを幼い心が感じ取っているのかなぁ。
でも、成長していくにつれ“現実センサー”の方がパワーアップしちゃうんだろうね。
これって本当の意味での成長なんだろうか?
自信もだんだん小さくなっちゃて、人から間違いを指摘されたりしたら
「えっ、あっそうなの…」なんてたじたじとうろたえちゃう。
そんな小さい頃の自信たっぷりが、懐かしく羨ましく思えるのは歳とったせいかな。
本当の意味での成長ってなんだろう?
頭と躰ばっかりデカクなる事じゃないよね。
自分自身の今までを思い起すとなんかガッカリする。
でもね、もしかしたら今でも自分の前にかなりの可能性が本当は開けているんじゃないのかな。
それを感じ取る心が現実センサーに邪魔されて顔を出せないでいるのかもしれない。
だからって“一所懸命”とか“努力”とかを自分にも他の人にも押しつける気はサラサラ無いんだな。
人生はもっと楽しいもんだよって思うから。
すばらしいものを感じ取る心を信じて、でも気楽にいこうよ。
その方が楽しいんじゃない。
そこの暗い顔をしてるあなた!
大きな声で歌ってごらん。
「ルパンです〜ぅ。ルパンです〜ぅ。」
(Takker 1999.8.28)