1906年春 本結果
欧州情勢 1906年春
独が北海に進出
昨年秋英にベルギーを奪われた独が北海に進出した。北海は英海軍が巡回していたが、軍上層部の腐敗により効率的な防衛が行われず、退却した。
独政府は「友邦国ベルギーへの侵略行為に対する報復」とコメントしている。
露領ワルシャワ陥落
国力不足のため軍を解体せざるを得なかった露。このため首都モスクワなど重要都市の防衛軍までもが解体されたのであるが、このようにして防衛軍がいなくなったワルシャワに対して独が侵攻、これを制圧した。ワルシャワには昨年も独と墺が侵攻したが、謎の宇宙人(日本からの特殊部隊という説が有力)の暴走により双方とも撤退を余儀なくされていた。
露がスウェーデンに侵攻
昨年セントペテルスブルグ・モスクワを奪われ、さらに今春ワルシャワまで奪われいよいよ後のない露であるが、先日独領スウェーデンに侵攻した。命令書の不備により支援行動がうまく行われなかったものの、独の防衛軍はすでに撤退しており、占領に成功した。
伊の軍事行動がことごとく失敗
1903年後半に行われた
工作部版PBeMディプロマシー公式ルールの変更に伴い、各国で使用される命令書の書式が変わり、それに伴う混乱が軍司令部・前線で起きている。この書式変更にもっとも悩まされているのが伊である。
伊は、1904年より対伊重要防衛拠点である仏領マルセイユに対して執拗に攻撃をかけているが、命令書の不備によりスペイン南岸からの支援が受けられず失敗。以後も同じような失敗を繰り返している。「3部隊も投入しておいて1都市落とせないとは何事か」「2年間も命令書不備を続けるとは明らかな反逆」との声が挙がっており、伊軍部は命令書・命令伝達路の見直しが必要であろう。
土が西方へ拡大の兆し
長らく続いた墺との抗争も一段落したように見える土であるが、最近の軍事行動より西方へと勢力を拡大しようとしていることがわかった。
まず、伊と墺とで抗争が起きている墺領トリエステへ軍を送り、同国軍の支援の下これを制圧した。また、エーゲ海からイオニア海へと進出。イタリア半島も視野に入れているようだ。
西方だけではなく、国力不足により軍が解体され防衛軍のいなくなったセヴァストポリを巡って墺との戦闘も行われた。
このように大規模な拡大を見せる土に対して各国の動向が注目される。
行動結果 1906年春
今回、イギリスは反逆ポイントの蓄積により行動不能・全待機でした。
また行動の結果、Nthの英海軍、Ionの伊海軍に退却の結果がでました。後退先指示書の結果、Nthの英海軍はEdiに退却しました。Ionの伊海軍は後退先指示書が送られてこなかったのでランダムに退却先を決定、Tynに退却しました。
イギリス
A Bel hold ○
F Eng hold ○
F Lon hold ○
F Nth hold ×→Edi
フランス
A Bre hold ○
A Mar hold ○
F Gas Mid 無効
ドイツ
A Ber move Pru ○
A Mun move Kie ○
A Pru move War ○
A Swe move Den ○
F Den move Nth ○
F Hol supp German(F Den move Nth) ○
F Stp(South Coast) hold ○
ロシア
A Nwy supp Swe 無効
F Fin move Swe ○
F Ska supp Swe(Russia) 無効
イタリア
A Pie Move Mar ×
A Ven Move Tri ×
F Lyo Supp Mar(A Pie Move Mar) 無効
F Ion hold ×→Tyn
F Por Supp Spa 無効
F Spa Supp Mar(A Pie Move Mar) 無効
オーストリア
A Bud move Ser ○
A Gal move Rum ×
A Mos move Sev ×
A Vie move Tri ×
トルコ
A Alb supp Turkey(A Ser move Tri) ○
A Con move Bul ○
A Rum supp Turkey(F Bla move Sev) ×
A Ser move Tri ○
F Aeg move Ion ○
F Bla move Sev ×
F Gre supp Turkey(F Aeg move Ion) ○
各国勢力図 1906年春