夜の十二時。

 大きな屋敷の塀を軽々と飛び越えて、一つの影が夜の街に溶けていった。

 軽快な足取りはかなり速く、短いスカートから伸びた綺麗な足が月明かりに照らされ白く浮かび上がる。

 猫よりもしなやかに、長い髪をなびかせてわき目もふらずに彼女は走り続ける。

 無表情な顔はまるで人形の様に感じられるが、その瞳には強い意志がはっきりと光り輝いていた。

 やがてスピードを落とした彼女が、一軒の家の前で立ち止まった。

 握りしめた拳を胸に当てて暫く彼女はその家を見上げ眺めていた。

 そしてゆっくりと一歩一歩ドアに近づいて呼び鈴をそっと押した。

 ぴんぽ〜ん。

 程なくしてドアを開けて中から一人の少年が姿を現して、そこにいた彼女を見て微笑みながら出迎えた。

 「よお、セリオ」

 「こんばんわ浩之さん、夜分失礼します」

 「気にすんなって」

 「はい」

 普段の言葉使いと違い、嬉しそうに返事するセリオの顔は確かに微笑んでいた。







 Through The Night







 出会いは偶然、でも今はそれが当たり前な関係。

 感情表現の機能を持たないセリオの中で何があったのか、それははっきりと解らない。

 でも今ここにいるセリオは目を細めて嬉しそうに微笑む。

 夢でも幻でもない。

 それは恋する乙女の、愛しい者に見せる取って置きの笑顔。

 メイドロボじゃない一人の女の子の笑顔。

 そしてセリオ受け止めた少年、藤田浩之。

 出会ったときから普通の女の子のように接して、最初は戸惑う様な反応していたセリオだったが、

 今の彼女にはそれが浩之の優しさなんだと理解できた。

 人間だろうがロボットだろうが彼の態度は全然変わらない。

 知らず知らずの内にセリオのメモリーに浩之の事がどんどん蓄積されていった。






 いつしかセリオにはプログラムとは違う、一人の女の子と変わらない心が確実に存在していた。

 開発者の人たちもいろいろと調べてみたが、解析不明で終わった。

 「別にいいんじゃないかな? セリオも女の子なんだからね」

 責任者の長瀬主任は何でもないようにさらりと一言だけそう言った。

 ほかのみんなも内心そう思っていたので、そのまま何もせず彼女の事を見守ることをした。

 セリオもそんな人たちに感謝しながら普段はメイドロボらしくあまり感情表現を見せず、

 迷惑が掛からないように振る舞っていた。

 「全く、もっと自由にしたらいいのに……でもそーいうところも可愛いんだけど♪」

 一応セリオのマスターであり、彼女の親友でもある来栖川綾香は楽しそうに話していた。

 余談だが、先を越された彼女はしっかりと浩之を狙っていたりする。






 「浩之さん」

 「ん? なんだセリオ?」

 「いえ、呼んでみたかっただけです♪」

 「そっか」

 「はい」

 リビングのソファーに寄り添うように座ってこちらを向いて微笑むセリオの肩を抱き寄せると、

 浩之は不意に唇を奪う。

 瞬間、驚いた表情をするセリオだがすぐに瞼を閉じると浩之の背中に腕を回してしっかりと抱きしめた。

 二人だけしか居ないこの場所で、セリオは誰はばかる事無く素直に自分の気持ちに従って浩之と逢瀬を楽しんだ。

 浩之は気にしないが、自分が人間とは違うと理解しているセリオは大好きな人に迷惑を掛けたくないと思い、

 深夜のわずかな時間だけこうして甘えていた。

 「なあセリオ……」

 「なんですか?」

 「今度デートしようぜ?」

 「えっ、で、でも……私はメイドロボ……」

 「セリオ」

 浩之はセリオの体を力一杯抱きしめると髪を撫でながら諭すように耳元で囁く。

 「いいんだよ、そんなに気を遣わなくても……」

 「ひ、浩之さん……」

 「確かに何か言う奴もいるかもしれない……だけどな、そんな事はどーでもいいんだよ」

 「で、でも……」

 「セリオ、大切なのは俺達の気持ちなんだぜ?」

 「気持ち……」

 浩之は腕を解いて体を話すと、セリオの目を見つめながら自信たっぷりに笑いそして言った。

 「世界中に自慢したいんだぜ? 俺の恋人はこんなに可愛い奴なんだって♪」

 「浩之さん」

 浩之の言葉を聞いたセリオは大きく目を見開いてしまい、すぐに涙が溢れてきてぽろぽろと涙の滴がこぼれ落ちた。

 「なんだなんだ、俺の彼女は嫌なのか?」

 俯いて顔に手を当てて頭を何回も横に振るセリオは、涙を拭うと自分が出来る精一杯の笑顔で浩之を見つめる。

 「嬉しいんです……そう言って貰えて本当に嬉しいんです」

 「あ〜よかった、泣くほど嫌だったらどうしようかと思ったぜ……」

 「もうっ……そんな事在りません!」

 そう言いながらセリオは元気良く浩之の胸に飛び込むと、顔を擦り付けて嬉しそうに甘えだした。

 「ずっと、ずっと浩之さんの事が好きです」

 「そっか……じゃあ何も問題ないな?」

 「はい」

 「よ〜し! それじゃ今度の日曜日、デートしような!」

 「はい、浩之さん♪」

 セリオはそう答えて心の中にあった迷いが無くなると、今度こそ思いっきり甘えて時間が来るまでずっと浩之の

 温かい腕の中で過ごした。






 「あっ、そうだ! セリオっ」

 「はい、何でしょうか綾香様?」

 いつものメニューをこなして一息入れている時に、スポーツドリンクを一口飲んだ綾香が思い出したように

 タオルを持って側にいるセリオに話しかけた。

 「ごめんね〜すっかり忘れていたんだけど……」

 「あの……それでどのような事でしょう?」

 「あのね、明日の日曜日に研究所の方に来て欲しいって、研究所の長瀬さんから電話が在ったの……」

 「明日ですか?」

 「うん、そうなの……うっかりしていたわ、ごめんねセリオ」

 「いえ……解りました、明日研究所の方に行って来ます」

 手のひらを合わせて自分を拝むように頭を下げた綾香を見て、いつもの様に応えるセリオだったが内心は

 かなり落胆していた。

 今日もいつもの時間に屋敷を抜け出して浩之の家に向かうセリオ足取りは、ゆっくりでそして重かった。

 せっかく浩之がデートに誘ってくれたのにそれを断らなければならない、そう思うだけで気持ちが重くそれが

 セリオの足を遅くしていた。

 それになんと言っても浩之に済まない気持ちで心が苦しくて仕方がなかった。

 ぴんぽ〜ん。

 「よおっセリオ!」

 「こんばんわ、浩之さん……」

 「……ん?」

 いつもならすぐに家の中に入るセリオが、返事をしただけで俯いて一歩も動かず立ちつくしている事に違和感を

 感じた浩之は、黙って彼女の手を取ると中に入るように促した。

 リビングに入りソファーにセリオを座らせると、浩之は横に寄り添ってそっと肩を抱き暫く何も喋らなかった。

 浩之の肩に頭を預けたままセリオは目を閉じて触れている場所から伝わる温もりを感じていたが、

 瞼を開けると浩之の横顔を見つめて話し出した。

 「あの、浩之さん……」

 「明日のデートは中止かな?」

 「ど、どうして?」

 「うん、なんて言うか……好きな女の子の事は解るって言うのかな?」

 「あっ……」

 「さっき家に来た時のセリオの雰囲気からそうかなって」

 「すみません、明日研究所の方に行かなければならないので、その……」

 「いいって、それよりそんなに悲しい顔するなって……なっ?」

 「は、はいっ」

 ちょっと乱暴に髪に毛をくしゃっとされたけど、セリオはその浩之の思いやりが嬉しくてやっと微笑んだ。

 「よし! それにデートはまた今度にすればいいじゃないか」

 「はい、そうですね」

 「そうそう、なんて言っても好きな女の子にはいつも笑顔でいて欲しいなぁ〜」

 キザなセリフをさらっと言ってちゅっと素早くセリオの頬にキスをすると、彼女の顔は真っ赤に染まった。

 「そんな顔も可愛いぜ、セリオ♪」

 「も、もうっ浩之さんっ」

 「いてっ、いててて〜っ、許してくれ〜セリオ〜」

 「嫌です」

 ぽかぽかと浩之を叩いて抗議するセリオの顔は怒っているようだったけど、でもすぐに心から嬉しそうに笑っていた。






 来栖川研究所HM開発課。

 メイドロボを世に作り出した大元がここで在り、そして今HMX−12とHMX−13と言う最新試作型の

 最終チェックを行っていた。

 その内、HMX−12”マルチ”はメイドロボらしくない、でも人間らしい感情表現を持ち合わせていた。

 同じく、HMX−13”セリオ”はサテライトサービスにより多種多様な能力を発揮できる仕様だった。

 そして中でも開発スタッフが力を注いだのが、メイドロボに「心」を持たせる事に他ならなかった。

 特にマルチは狙い通りというか人間の女の子と変わらない表情を見せて、スタッフ達にも可愛がられていた。

 しかし同じ心を持っていたセリオには感情表現の機能が無く、その分サテライトサービスを利用できる為かなり高機能な

 メイドロボになっていたが、何故か最近の彼女はマルチと変わらない表情を見せるようになった。

 「う〜ん、これは凄いな……」

 セリオから得られたデータに目を通しながら、メイドロボの生みの親でもある長瀬は感心していた。

 「長瀬さん、こうなる事予想していたのですか?」

 「いや〜いくら何でもそこまでは解らないよ」

 「そうするとセリオの心をここまで成長させたものって?」

 「あ〜それは決まっているさ、女の子を一番変えてくれるものと言えばやっぱり”恋”だろう」

 「恋ですか?」

 「そうだよ、しかもセリオの相手はかなり良かった……もっとも親としては複雑なんだけどね、恋人の出現は」

 「それはそうですけど……でも、やっぱり嬉しいですよ我々としては」

 「うむ、藤田君に感謝しないとな」

 セリオに付き添って来ていた綾香はその二人のやりとりを聞いた後肯くと、検査台に乗って眠っているセリオに声を掛ける。

 「まさかあなたに先を越されるとは思ってもいなかったわ……でもね、セリオ」

 綾香は不敵な笑顔を浮かべると、セリオの手に自分の手を重ねて宣言した。

 「まだまだこれからよ? 私だけじゃない、ほかにも浩之が好きな女の子がい〜っぱいいるんだからね!」

 「負けませんよ、綾香様」

 顔を自分の方に向けて微笑むセリオに綾香は一瞬びっくりして、思わず一歩下がってしまう。

 「セ、セリオ? あなた起きてたの?」

 「いえ、今起きたばかりです」

 「本当に?」

 「さあ? どうでしょう♪」

 「セリオ、あなたって……」

 「はい、綾香様?」

 綾香はにま〜っと笑うと寝ているセリオの上に乗っかって、その頭を抱きしめた。

 「本当に可愛くなったわね、でもそれでこそ私のライバルよ!」

 「ライバルですか?」

 「そうよ、だからこれからは正々堂々浩之にアタックするから……よろしくね!」

 「綾香様……」

 「なに、セリオ?」

 抱きしめられている腕を解いて検査台から起きあがりしっかりと立って目の前にいる綾香に微笑みかけると、

 セリオは胸を張ってはっきりと言った。

 「受けて立ちます、綾香様」

 「むっ、かなりの自信ね?」

 「だって私は……」

 「私は?」

 先ほどの綾香のように不敵な、それでいて愛し愛されている一人の女の子の笑顔がセリオの顔に浮かんだ。






 「浩之さんに愛されていますから」






 「ふ〜ん……それじゃ今夜は私も行ってもいいかなぁ、浩之の家に?」

 「えっ、どうしてその事を?」

 「一応これでも格闘家の端くれなのよ? 夜中に足音忍ばせても解っちゃうんだよね、これが……」

 「あ、あうあう……」

 「あら〜、さっきの自信はどこに行ったのかしら?」

 「そ、それは……」

 「さ〜てと、早く帰ってシャワーでも浴びておこうかな〜♪」

 「だ、だめです、綾香様!」

 ニヤニヤしながら歩き出した綾香の後を真っ赤な顔したセリオが慌てて後を追いかけて、なにやら一生懸命

 綾香に話しかけていた。

 「なるほどなるほど、藤田君はモテモテらしい……」

 長瀬は恋のライバルと話している自分の娘に、がんばれよと心の中でエールを送った。

 これから起きるいろんな事がもっともっと娘の心を育ててくれるの感じて、長瀬は一人満足そうに肯いて

 ぬるくなったお茶を啜った。






 おわり