「幸せになれるおまじない」
「朝〜朝だよ〜朝ご飯食べて学校行くよ〜」
相沢祐一の朝はこの妙に間延びして、今にも眠りそうな目覚まし時計に録音された声で起こされる。
「ふあぁ〜さて、名雪も起こさないとな……」
寝起きの良い祐一は素早く学校の制服に着替えると隣の部屋に向かった。
どんどん!
「おい名雪! 起きろ、学校に遅刻するぞ!」
もちろんそのぐらいでは起きないと知っている祐一はドアを開けて中に入る。
部屋の中でぐっすりと夢の中にいる眠り姫……。
祐一のいとこでつい最近恋人になった少女、水瀬名雪。
今も幸せそうにカエルのぬいぐるみ、ケロピーを抱きしめて一向に起きる気配がない。
それに今までは部屋中にあった目覚まし時計が無くなっていた……なぜか?
「おい名雪、起きろって! 遅刻するぞ?」
「くー」
「全く、俺がするまで起きないつもりか……仕方ないなぁ」
寝てると目が一本線になるキュートな名雪の顔をそっと祐一は手のひらで包み込むようにすると、
そこにある唇にキスをして上げる。
ちゅっ。
「うにゅ? おはよ〜祐一♪」
「お前なぁ……タヌキ寝入りじゃないだろうな?」
「えっ、何の事? 祐一がキスして起こしたくれたなんて知らないよ〜」
「このっ、やっぱりそうなのか!」
「くー」
「誤魔化すなっ!」
名雪は祐一の体に腕を回して抱きつくと、すりすりと顔を胸に擦り付けて甘えだした。
「あのな〜もう時間が無いんだぞ?」
「あのね……もう一回その……キスしてくれたら、目が覚めるよ」
「本当だな?」
「うん、きっとだよ」
「……分かった、これっきりだぞ?」
「うん」
覚悟を決めた祐一はさっきよりも深く長くキスをしていると、だんだんと二人してベッドに倒れ込んでいった。
祐一も頭の中が熱くなってきて自分の行動が止まらなくなってきた。
「祐一さん、名雪、そう言う事は夜にした方が宜しいと思いますよ」
朝からその気になりかけたそんな二人に言葉を掛けたのは、いつの間にか部屋の外から中の様子を窺っていた
この家の主で名雪の母、水瀬秋子だった。
「あ、あのっ、こ、これはその……」
「おおおおか〜さん、おおおはよ〜」
いちゃいちゃしていた所を見られて耳まで真っ赤になった祐一と名雪に、秋子は手に持っていた物を二人に
手渡した。
「あの、これ何ですか秋子さん?」
「うん、教えておか〜さん」
「二人はまだ学生ですからちゃんとしなきゃ駄目です、だからこれからはそれを使って下さい」
秋子が微笑んで言った事にいち早く気づいた祐一は絶句した。
「ね〜祐一、これ何なのか教えてよ〜」
「あ、ああ、これはな……」
耳元で囁かれた祐一の言葉に首まで真っ赤になった名雪の頭からは湯気が出ていたかも知れない。
「おおおおおか〜さん! なななななんで知ってるの!?」
「ふふっ、企業秘密です」
この家で誰が家事をしているか考えれば自ずと答えが分かるのだが、動揺している祐一と名雪は気が付かなかった。
何とか学校まで後一歩と近づいた二人は、走るのを止めて歩き出した。
「全く、名雪があんな事言うから……」
「祐一だってなかなか止めなかったくせに〜」
「そうか、そんな事言う奴にはもうしてやらん」
「う〜ひどいよ祐一」
「明日からは遅刻していくんだな、名雪」
「嘘つき」
「はぁ?」
祐一が名雪の方を向くと大きな目を潤ませて見つめていた。
「私を一人にしちゃうんだ……ずっと側にいてくれるって言ったのに、嘘なんだね」
「おい、それを今持ち出す方のか名雪?」
「じゃあ……ずっと側にいてくれる?」
祐一の顔を覗き込むように名雪が首を傾けると、祐一はそっぽを向きながらしぶしぶ肯いた。
「一応、約束だからな……」
「一応じゃないよ〜、祐一」
「はぁ……分かった、ちゃんと約束したからな」
「うん、ありがと〜祐一♪」
「良くやるわねあなた達、こんな通学路の真ん中で……」
ぎゅっと祐一の腕に抱きついて甘えていたら、後ろから香里があきれた顔で声を掛けた。
「お、香里おはよう」
「香里、おはよ〜♪」
「あんた達人の話聞いてる?」
「「何を?」」
「はぁ〜聞いたあたしが馬鹿だったわ……」
「うん聞いてたよ香里、私達が羨ましいって言ったんだよね〜」
「……相沢君、苦労してるのね」
「まあな、いろいろと・・・」
「二人とも何か酷いこと言ってる〜?」
そんな名雪の呟きをさらりと交わして香里は祐一と話し出した。
「なるほどね……今日も遅刻しないと思ったらそう言う訳だったね」
「ああ、全く朝から名雪がベッドに押し倒すほど積極的で困っちゃって……」
「わわっ、なんて事言うんだよ〜祐一!?」
祐一のセリフに耳まで真っ赤にして祐一の口を両手で塞ごうとしたが、それを交わすと歩き出した。
「はいはいごちそうさま、それじゃ先に行くわよ」
香里も名雪にそれだけ言うと祐一と一緒に歩き出した。
「う〜二人とも、置いてかないでよ〜」
慌てて祐一を追いかけるとその腕にしがみついて歩き出した。
き〜んこ〜んか〜んこ〜ん。
授業が終わって放課後になった教室で帰り支度を始めた祐一に名雪がニコッとしながら声を掛けた。
「祐一〜、これからどうする?」
「名雪……知ってて聞いてるんだろう」
「うん、知らないよ」
「お前なぁ……どうしても俺に言わせたいんだな?」
「私、祐一の事信じてるよ」
「はぁ……名雪、イチゴサンデー食べに行こうか?」
「うん、もちろんだよ」
期待通りの言葉を聞いた名雪は嬉しそうに微笑むと祐一の手を引っ張って外に連れ出そうとした。
そんな祐一の背中に香里と北川が声を掛ける。
「全くここまでいちゃいちゃされると何か言うのも馬鹿らしいわね」
「そうだな、水瀬さんがここまでオープンだったとは知らなかったよ」
「おおっ、ちょうど良かったそこの二人も一緒に行こうぜ?」
名雪とデートだとばれているのに往生際の悪い祐一が振り返りながら二人を誘った。
「冗談言わないでよ、馬に蹴られて死ぬのはイヤよ」
「同感だな、それに美坂はこれから俺とデートなんだ、なっ美坂……ってあら?」
自分の横にいたはずの香里は、いつの間にか反対側のドアから出て行きかけて手だけ振って帰ってしまった。
「がんばれよ北川」
「お、大きなお世話だ!」
「う〜……祐一早く〜」
「分かったから引っ張るなって名雪!」
そして熱々の二人が出ていって残された男は一人呟いた。
「誰か僕に優しくしてよ」
「けっぷ」
「だから三つは食い過ぎだって言っただろう?」
「そんな事無いよ〜、けっぷ」
「はぁ……夕御飯食えなくても俺は知らないからな……」
「大丈夫だよ〜、けっぷ」
何がどう大丈夫なのかと横を歩いている名雪の笑顔を見てたら、幸せそうだからまあ良いかと思う祐一だった。
結局家に着くまで祐一の腕に捕まったままなのは言うまでもなかった。
「ただいま」
「ただいま〜お母さん」
家のドアを開けて中に入るとキッチンの方から秋子が二人を出迎えた。
「お帰りなさい二人とも、後少しで夕御飯ですから……」
「うん、お腹空いたよ〜」
「名雪、お前なぁ……」
「ん? どうしたの祐一?」
さっきまでお腹一杯で可愛いらしいげっぷをしてたくせにと思う祐一を、不思議な顔で名雪は首を捻っていた。
それから程なくして夕御飯となったのだが、結局名雪は全部平らげてしまった。
「名雪、太っても知らないぞ」
「う〜それって意地悪だよ、祐一」
「事実だろう」
「う〜」
「まあまあ祐一さん、名雪ったら今がとっても幸せだから許して上げてね」
「でも秋子さん、イチゴサンデー三つ食べて更に夕御飯お代わりするなんて・・・」
「それは確かに大食いですけどね……」
「う〜お母さん、何かそれって誉めてるの?」
「元気があって良いわねって言う意味よ、名雪」
「まあいわゆる子供って言う事ですか?」
「ん〜そうとも言いますね」
「二人とも酷いこと言ってない?」
「全然、ホントの事しか言ってないぞ、ねえ秋子さん?」
「了承です」
「う〜やっぱり酷いこと言ってる気がするよ〜」
ぷ〜とほぺったを膨らませる名雪を祐一と秋子が声を合わせて笑ったのでますます膨れる名雪だった。
その後祐一は早めに風呂に入ってから部屋でくつろいでいると、ドアをノックして名雪が入ってきた。
「祐一、まだ起きてる?」
「おう、まだ眠くないぞ……ってお前はもう眠そうだな」
「うにゅ……くー」
「言ってる側から寝るな!」
そう言って立ったまま寝ている名雪のつるつるしているほっぺたを左右に引っ張った。
「ん〜結構延びるなぁ……面白い」
「う〜人の顔で遊ばないでよ〜」
「ごめん、悪かったな名雪」
「やだ、許さないよ祐一」
珍しく真面目な顔で睨む名雪に祐一はちょっと腰が引けてしまった。
「あ〜そんなに怒るなよ、ごめん名雪」
「……私の言う事聞いてくれたら、許して上げるよ」
「なんだよそれ?」
その質問に無言のまま顔を心持ち上げて名雪は瞼を閉じた。
「名雪、それって……」
名雪の求めている物が分かると祐一は一瞬苦笑いをしてそれからそっとキスをして応えて上げた。
ちゅっ。
「ありがとう、祐一」
満足したのか嬉しそうに笑うと祐一に抱きついて甘えだしてしまった。
「なあ名雪、どうしてそんなに……そのキスをしたがるんだ?」
「うにゅ?」
「こらっ寝る前に答えないともうしてやらないぞ?」
「それはね……幸せになれるおまじないだからだよ♪」
「名雪……」
「ねえ祐一……今日ね……このまま一緒に寝てもいいかな?」
「襲わないならな」
「くー」
「っておい? もう寝てるじゃないか……まあいっか……」
抱きついたまま寝ている名雪をそっと抱き上げてベッドに寝かせると、おでこにお休みのキスをして上げた。
すると寝ているはずの名雪は幸せそうに微笑んだのを見た祐一は自分も寝ると一言呟いた。
「お休み名雪」
祐一の腕に抱きしめられている眠り姫は一番お気に入りの場所で、幸せそうに微笑みを浮かべていた。
おわり