名前で呼んでよ!






 日野森あずさは気になっている。

 それは些細なことかもしれないが、あずさにとっては大問題である。

 そしてそれは今も彼女の目の前で起こっている。

 「前田君、ちょっとこれなんだけれど……」

 「解りました、かたして置きますね涼子さん」

 「耕治く〜ん、今日は早く帰って飲むわよ〜!」

 「今日”も”でしょう、言葉間違ってますよ葵さん」

 「耕治お兄ちゃん、また美奈の勉強見てくれませんか?」

 「いいよ、美奈ちゃんのお願いじゃ断れないよ」

 「耕治ちゃん、この服似合ってるかな?」

 「つかさちゃん、お店でコスプレは止めようよ……」

 「耕治さん、あの今度の休みにバスケしませんか?」

 「下手でも良ければつき合いますよ、早苗さん」

 「おにいしゃん、こんちわ〜」

 「こんにちわ、前田さん」

 「いらっしゃい、かおるちゃん、春恵さん」

 「耕治君、留美とドライブしようよ〜?」

 「あの、仕事中に無理言わないで下さい留美さん」

 「耕治君、ちょっとここベタ塗って欲しい……」

 「他のお客様が迷惑しますから止めて下さい、美樹子さん」

 「耕治、早く倉庫整理しようよ」

 「嬉しそうな顔で言うなよ、潤」



 ぴきっ。

 がたん。

 つかつかつかつか。

 とんとん。

 「何、日野森?」

 ぱん!

 「いって〜、何するんだよ日野森!?」

 顔を叩かれ怒る耕治をあずさは顔を真っ赤にして上目使いで睨む。

 「ど、どうしてあたしだけ名字で呼ぶのよ!?」

 「はあ?」

 そうです、実はキャロットの中であずさだけが耕治に名前で呼ばれていなかったのです。

 それは二人がつき合うようになってからも変わらなかったのです。

 でも、あずさにとってはとても重要なことです。

 目の前のあずさの表情を見てそのことに気づいた耕治は、笑顔になってそっと耳打ちをする。



 「それはね……今しか”日野森”って呼べないからかな……」



 一瞬訳が分からずぽかんとしたあずさだったが、次の瞬間耳まで真っ赤になって俯いてしまう。

 「だめ?」

 耕治が優しく聞くとあずさは瞳を潤ませて呟く。

 「馬鹿……でも、それならいいよ」

 「よかった」

 そう言って耕治はあずさを抱きしめる。

 そこには幸せいっぱいのあずさが、満面の笑顔で耕治の腕の中にいる。

 めでたしめでたし。



 おわり