詠美様の華麗なる日々








 ちゅんちゅん。

 ベッドの中で寝ていた男女の内小柄な女の子の方が、目を擦りながら静かに抜け出すとキッチンにいって

 コーヒーメーカーのスイッチをパチンと入れて用意する。

 その間に彼女はシャワーを浴びて汗を流してさっぱりする。

 大きめなTシャツを着てエプロンを着ける頃には、ぽこぽことお湯の沸く音とコーヒーの香しい匂いが辺りに漂い始めた。

 「コーヒーはこれで良しっと、後はトーストと目玉焼きかな?」

 パンをトースターに入れてタイマーを捻ると、フライパンを用意してコンロに火を着けて油を少々入れる。

 「さて今日は上手くいきます様に……」

 こんこん、ぱかっ。

 じゅ〜。

 「よし、後は蓋をして3分待つだけね」

 卵をフライパンに落として蓋をしたら、今度は焼き上がったパンにバターを塗って皿の上に置いた。

 コーヒーもお揃いの大きなマグカップと小さなマグカップに注いで小さい方にだけミルクをたくさん入れる。

 「どうしてこんなに苦い物を平気に飲めるのかしら?」

 などと疑問に感じながらもフライパンから目玉焼きを皿に移して、テーブルの上に置く。

 「今日は完璧ね、これならあいつも満足するわよね」

 腰に手を当てて胸を反らしながらうんうんと満足そうに笑みを浮かべて、テーブルの上に並べられた朝食を眺めた。

 ぎゅっ。



 「おはよう詠美、今日は上手くいったみたいだね」



 「か、和樹?」

 後ろからいきなり抱きしめられて一瞬ビックリしたが、それが大好きな和樹だと気づくとそのまま体を預けて

 寄りかかった。

 「な、なんで起きてきちゃうの? せっかく……」

 「俺が毎朝詠美にしている様にキスして起こそうとしたのか?」

 「そ、その……うん」

 「それは悪かったな、なんか詠美が楽しそうに動き回っているのが可愛くってつい抱きしめたくなったから」

 「うん……嬉しい……」

 「それじゃ、改めておはよう詠美」

 「おはよう和樹っん……」

 首を曲げて後ろで抱きしめている和樹といつもの様にキスを交わす。

 そこには恋人同士のあま〜い世界が二人を優しく包んでいた。

 「和樹」

 「何、詠美?」

 「大好き♪」

 「俺も詠美が大好きだよ」

 「えへへ、嬉しい〜」

 詠美の心は温かく気持ちいいもので幸せ一杯な時を過ごした。






 「お〜い、詠美」

 「むにゃ……えへへ……」

 「詠美ちゃ〜ん、朝だよ」

 「ふみゅぅ……」

 「しょうがないな……まあ、幸せそうに眠っているから起こすのも可哀想か」

 「ん……」

 「さてと、朝食でも作るかな……」

 起こすのを諦めた和樹は今日も自分で作るしかないと頭をかきながらキッチンに

 向かって欠伸をしながら歩いていた。

 「さてとコーヒーは良いとして詠美はココアかな? それともミルク一杯に入れたミルクティにするか……」

 そんな事を呟きながらここ一年ですっかり家事が身に付いてしまった和樹だった。

 そしてテーブルの上に最後の皿を置いた時に、詠美が体にシーツを巻いた姿で現れたかと思ったら和樹が

 用意した朝食を見て、瞳を潤ませて今にも泣き出しそうになった。

 「おはよう詠美」

 「ふみゅ〜ん……やっぱり夢だったのね」

 「どうした詠美、何いじけているんだ?」

 「だっ、だってだっていつも和樹が作っちゃうんだもん、ふみゅう」

 同棲を始めて一年が過ぎたけど、詠美は料理その他家事がちっとも上達しなくて和樹は仕方なく瑞希に

 教わって今ではそこそここなす様になっていた。

 もちろん最初は詠美もがんばっていたのだが、勉強と同じくなかなか進歩が少なくてさすがの瑞希も

 さじを投げるほどの才能の無さっだった。

 だから詠美は夢の中でしかさっきの事が実現しそうにもなかった。

 和樹は詠美の側に寄ると頭を抱え込むように抱きしめてその耳元で優しく囁いた。

 「いいじゃないか、俺がそれでも良いんだから」

 「でも、でもでもそれじゃ……」

 「そんなの良いじゃないか、俺は詠美が好きなんだから……」

 「ふみゅ〜ん、それでもやっぱりぃ〜」

 「ほらほら、せっかく作ったんだから温かい内に食べような」

 「う、うん」

 抱きしめていた詠美の顔を上に向かせて朝のキスをしてあげると、詠美も嬉しくてすぐに微笑むとテーブルに

 着いて和樹の用意した朝食を食べる事にした。

 そして一口食べた詠美はスプーンをくわえたまま和樹の顔をじーっと見つめた。

 「ん? どうした、美味しくなかったか?」

 「ち、ちがうの! また美味しくなったからぁ……ふみゅう」

 「はいはい、ありがとう」

 「ううっ、やっぱりあたしも覚える!」

 「そっか、でも瑞希も諦めたぐらいだからなぁ……」

 「か、和樹に教えて欲しい……駄目?」

 上目使いで自分を見る詠美に優しく笑いかけると手を伸ばして頭を撫でてあげた。

 「本当に詠美は可愛いなぁ」

 「もうっすぐ子供扱いするんだから〜」

 「まあ俺でいいんなら後で教えるからとにかく食べよう」

 「うん、約束だからね♪」

 「OKです」

 そうして二人の楽しい朝食の時間はあっという間に過ぎていった。






 「よし、まずは目玉焼きから始めるとするか?」

 「うん、やってみる!」

 良く熱したフライパンに油を引いてそこに卵の殻を割って落とすだけの筈なのだが、

 詠美の手の中でグシャッと割れた卵は殻ごとキッチンの床の上に落ちた。

 「ふみゅ〜ん」

 「あのな、両手で上手く割れない奴がどうして片手で割ろうとするんだ?」

 「だってぇ……上手く割れるはずだったんだもん!」

 「ん、なんだそれ?」

 「だから、夢の中では上手くいったんだから〜!」

 夢で上手く出来たから現実でも出来ると思うのは浅はかで有ると詠美は全く思ってなかった。

 「夢は夢だ、だけど現実はこれだ」

 「ふみゅ〜ん」

 和樹は真顔で床を指さすと、詠美は卵の残骸を見てすぐに涙目になっていじけてしまった。

 「こら、いじけるんじゃない! 一度ぐらいでなんだ?」

 「だってだってぇ〜」

 「さあもう一度、ゆっくり焦らずにやってみろ」

 「う、うん、がんばってみる」

 「よし」

 和樹に励まされた詠美は再び卵を掴むと今度は慎重に両手を使って卵を割ってみた。

 ぱかっ。

 じゅ〜。

 今度はちゃんと割れてフライパンの上で卵が焼け始めたので、詠美は後ろで見守っていた和樹に抱きついた。

 「できたできた〜! 私にもできたよ、和樹!」

 「ほら、ちゃんと出来たろう、詠美だってやれば出来るんだから」

 「うんうん」

 抱きついたままの詠美の頭を何回も撫でて、和樹は誉めて上げたが彼女の後ろにあるコンロの上のフライパンを

 見てちょっとだけ苦笑いをしてしまった。

 「なあ詠美……」

 「なになに和樹? 次もどーんと任せてよ!」

 「フライパンから目を離すと大変だぞ」

 「ほえ?」

 和樹に言われて振り返った詠美の目の前には、目玉焼きの成れの果てである真っ黒な炭の固まりがあった。

 「め、目玉焼きがぁ〜……ふみゅ〜ん」

 がっくりと肩を落とした詠美の小さな体を背中から抱きしめると、和樹は耳元で励まして上げた。

 「負けるな詠美、大丈夫! 次はきっと上手くいくって……」

 「うん……うん、あたしがんばる、がんばるから……」

 和樹がいつでも自分を応援して見守っていると感じた詠美は今度こそはと気合いも十分にコンロの前に立った。

 「よし、その意気だ」

 元気が出た詠美は再び卵を掴むと、ちゃんと割ってフライパンの上に落とした。

 そして今度はフライパンから目を離さないでじっと見つめていた……。






 それから数分後、綺麗に焼けた目玉焼きがテーブルの上の皿に載っていた。

 「今度こそできたぁ〜!」

 「ああ、ちゃんとした目玉焼きだぞ」

 「ねえ和樹、あたし偉い? 偉いよね?」

 「おう、偉いぞ詠美!」

 「そうよね、このあたし大葉詠美様に係れば目玉焼きなんて朝飯前よ!」

 さっきまでとは打って変わって大きな声で高らかに笑う詠美を見て、和樹はそれを微笑ましく見つめていた。

 「全く……こう言うところが可愛いから困っちゃうんだよなぁ……でも」

 和樹はそう呟いて詠美の肩に手を置いてこちらを向かせると、次の試練を与えることにした。

 「なに和樹?」

 「それじゃ次はこれだ」

 米櫃から出した米を目の前に差し出すと、詠美はそれを両手に持って首を傾げた?

 「なにこれ?」

 「お米だ、それを水で洗って電気釜にセットしてみるんだ」

 「まかせてまかせてぇ〜」

 受け取った米をざるに入れると、詠美は水を出して側にあった洗剤を手に取り掛けようとした。

 ぺしっ。

 「いったぁ〜い、なにすんのよ!?」

 頭を叩かれた詠美は振り返って、涙目になりつつ恨めしそうに和樹を睨んだ。

 「お前今何をしようとした?」

 「なにってお米を洗おうとしたんだけど……」

 「ばか、どこの世界にお米を洗剤で洗う奴がいるんだ!」

 「ふ、ふみゅ〜ん」

 「泣いても駄目! 水だけでいいんだよ」

 「ふみゅ」

 和樹に言われた通り水だけでお米を洗い出した詠美は、次にお釜に米を移して電気のスイッチを入れた。

 「ふふ〜ん、これでいいんでしょ?」

 自慢げにその小さな胸を反らして和樹に宣言した詠美だったが、和樹が苦笑いをしているのが気になった。

 「な、なによ、なにか変だった?」

 「詠美、お前水はどのぐらい入れた?」

 「えっ、水って……あれ?」

 和樹は黙ったまま電気釜の蓋を開けると、詠美を手招きしてその中を見せた。

 「あのな……こんなに水を入れたらどうなると思う?」

 「……分かんない、ふみゅ」

 二人が覗いているお釜の中は今にも溢れ出しそうなぐらい目一杯水が入っていた。

 うるうるした瞳で唇を噛んでいじけている詠美の頭を和樹は軽く叩くと苦笑いのまま呟いた。

 「まだまだだな、詠美」






 「ふみゅ〜ん」






 おわり