「ひーちゃんだったんだ……」
「しきちゃん……はっ、すみません志貴さま」
「しきちゃんでいいよ」
「で、でも……」
「ね、翡翠?」
「あ……はい」
手を取り合い見つめ合う二人の心にはあの日、幼き頃の夕方になるまで一緒にいたことが浮かび上がっていた。
「いよ、熱いよ〜お二人さん」
「いいね〜、俺も昔を思い出しちまったよ」
「ホント、幸せそうで良かったよ」
「これなら天国の二人も安心だな」
「良い報告が出来るな〜今夜は飲むぞ!」
口々に喜びを露わにする商店街の人に囲まれて照れながらも志貴と翡翠は笑顔でみんなの言葉に答えていた。
そんな幸せな雰囲気から取り残されている三人の女の子たちの顔には苛立ちと焦りの混ざり合った表情が今の
彼女たちの心中を正確に表していた。
「な、なんか異様に盛り上がっているにゃー……なんで?」
「あ、なんか万歳三唱までしていますけど?」
「……に、兄さん……あっ」
「どうしたの妹?」
「なにか?」
何かを思い出そうとして秋葉は目を閉じて心を集中させる、そして口からこぼれるように声が漏れた。
「しきちゃん……ひーちゃん……くーちゃん……ああっ!?」
「え、え、なになに?」
「秋葉さん?」
突然、拳を握りしめ目尻つり上げて今までの表情と一変した秋葉は自分の家に向かって全速力で走り始めた。
「ちょ、ちょっと妹、どこ行くのよー!?」
「ま、まってください秋葉さん!?」
「なんて事!? 私ともあろう物が迂闊だったわ……なんで気が付かなかったのよ!!」
「なになにー、説明してよー、妹」
「わたしもお願いします、秋葉さん」
「謀ったわね、琥珀ーっ!!」
走りながら起用に会話をする三人は、道行く人をなぎ倒しながら一目散に今回の黒幕の元へ目指した。
洗脳探偵 翡翠 brainwasher-hisui
最終話「思い出は懐かしくて」
「どうぞ」
「お邪魔します」
久しぶりの事務所に帰ってきた翡翠は志貴を招き入れると、小さいキッチンでお湯を湧かしながら
慣れない手つきでお茶の用意をした。
「うん、懐かしいや……昔良くここに来たよなぁ……」
子供の頃を思い出しながら見回していた志貴の耳に、きゃっと言う翡翠の悲鳴が聞こえたのでキッチンの方に
行ってみると、流しでやかんが湯気を出してひっくり返っていた。
「大丈夫翡翠? 火傷してない?」
「あ、だ、大丈夫で……!?」
翡翠が指先を隠して誤魔化す前に志貴はその手を取って流し始めた水の中に突っ込んだ。
「ほらっこんなに赤くなっているのに……うそはダメだよ翡翠?」
「ご、ごめんなさい……」
赤くなった指先より、志貴に後ろから抱きしめられる格好になった翡翠は、恥ずかしくて真っ赤に染まった
顔で黙り込んでしまう。
だが、次の志貴の行動で俯いたまま目を大きく開いて驚いてしまう。
「し……」
「ごめん翡翠、今まで忘れていて……」
空いている手で本当に翡翠を後ろから抱きしめて、志貴は目を閉じて優しく耳元で謝る。
「本当に、ごめん……」
「………」
暫くそのまま無言だったけどゆっくりと目を閉じた翡翠は、志貴の言葉に答えるように自分を抱きしめている
志貴の手に、そっと自分の手を重ねて小さいけどはっきりした言葉で呟く。
「わたしも、忘れていました……でも」
そして顔を上げた翡翠は微笑みを浮かべて、重ねている志貴の手を軽く握る。
「思い出してくれたから……それで充分です」
「許してくれるの、翡翠?」
「わたしも許してくれますか、志貴さん?」
「うん」
「はい」
迷うことなく、満ち足りた表情で志貴と翡翠はお互いの思いに言葉を返した。
「………すん」
「翡翠?」
「あ、何でもないです……」
抱きしめていた腕の力を緩めてくるりと自分の方を向かせて赤く染まった頬に手を添えると、
ゆっくりと涙に濡れた翡翠の顔を上げる。
「み、見ないで……ください……」
「泣かせちゃったね、ごめん」
「違います……嬉しいから……すん」
「翡翠……」
目を閉じたまま静かに涙を流しているけど、微笑んでいる翡翠のその小さく開いた唇に志貴は
気持ちを込めて自分の唇を重ねた。
ふれ合うだけの、子供のようなキスを交わしてすぐに離れた二人は、照れていたけど見つめ合い幸せな気持ちに
包まれていた。
そんな二人の事が頭からすっぽり抜けてしまった秋葉は、全速力で自分の屋敷まで走っていった。
ばーん!
「琥珀ーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
玄関のドアを乱暴に開けてまっすぐ居間の方に行き、やはり思いっきりドアを開けると肩を怒らせて進んだ。
そしてそこには待ちかまえていたように、優雅に午後のお茶を楽しんでいた琥珀が笑顔で秋葉を見つめた。
「あら、秋葉さま、どうかなさいましたか?」
「琥珀、あなた知っていたのね、すべて!」
「あはー、気が付きましたか……でもどうしてお解りになったのですか?」
「兄さんと翡翠が商店街に行った時、懐かしい呼び方をしていたからよ!」
「なるほど……」
「昔からあなたはそうよ! 私が兄さんと遊ぼうとすると、翡翠と一緒に現れて兄さんを連れて行ってしまった」
「んー、そんな事も在りましたっけ?」
「すっとぼけるんじゃないわ……そう、いつも翡翠と兄さんを二人っきりにし向けていたわね!」
「くすっ、そこまでお解りなら隠す必要も有りませんね」
琥珀は持っていたカップをテーブルに置くと、立ち上がり秋葉に向かって淡々と語りだした。
「初めて秋葉さまが事務所に来た時わたしは思いました……鴨がネギしょってやって来た、と」
「なんですって……」
「そして秋葉さまの依頼を聞いた時、わたしは心の中に秘めていた在る計画を実行しようと思いました」
「まさか、計画って──」
「はい、ご察しの通り翡翠ちゃんと志貴さんを昔のようにくっつけてあげようと……そして計画は順調に進みました」
「くっ……」
歯ぎしりをして琥珀を睨む姿はとてもお嬢様と呼べる物では無かったけど、怒りに我を忘れかけている秋葉には
些細な事でどうでもよかった。
そんな秋葉の様子を楽しむように琥珀は笑顔のまま、話を続けた。
「おかげで翡翠ちゃんも志貴さんも惹かれ合って……本当に感謝しています、秋葉さま」
丁寧に頭を下げる琥珀に秋葉は今にも掴みかかろうとしたが、琥珀はどこ吹く風と気にも留めずに話を続ける。
「そしてわたしの計画も、翡翠ちゃんが上手くいけば何の問題も無しに達成できます」
「やっと本音が出たわね、琥珀の目的は遠野家の乗っ取りなんでしょ?」
「いいえー、それは単なるおまけですよ」
「えっ、それじゃあいったい何を……」
「あら? 気が付いているとばかり思っていたのですが……いいですか秋葉さま、翡翠ちゃんと志貴さんが
結婚したら翡翠ちゃんは秋葉さまの義理の姉になるんですよー」
「そ、そんなこと言われなくたって──!? ま、まさかそれが本当の狙いだったの、琥珀!?」
「ふふふっ、そうですよ……秋葉さまが思っている事がわたしの目的です」
「くぅ〜」
と、そこまで話が進んだ所ですっかり蚊帳の外にいた二人が口を挟む。
「ちょっと妹、訳解らないんだけどー」
「そうですね、説明が欲しいです」
しかし、琥珀の思い通りになりつつある現実に、さすがの秋葉も悔しさで唇を噛みしめているだけで、
アルクェイドとシエルに見向きもしなかった。
「お二人にはわたしが説明しましょう、でもそのまえ立っているのも何ですからお座りになってください」
琥珀が勧めると戸惑いながらもソファーに座ると、琥珀は紅茶を入れて二人の前に差し出した。
「どうぞ」
自分でも座り直してカップを持つと琥珀は美味しそうに一口含んだ。
それに釣られてアルクェイドとシエルも紅茶を飲んだが、それを見ていた琥珀の口元が僅かに歪んだことに
気が付く事は無かった。
「お休みなさいお二人とも……くすっ」
「「えっ?」」
ガチャン。
「はっ」
その音に怒りに震えていた秋葉は自分を取り戻すと、テーブルの上で転がったカップとソファーで気持ちよさそうに
寝ている二人を見て、琥珀が何をしたか悟って再び怒りの眼を向けた。
「琥珀、このままただで済むと思っていないでしょうね?」
「あはー、どうなるんでしょうか?」
「こ、このっ──」
秋葉の手が自分を掴もうとしたら、琥珀は気にせず嬉しそうに話す。
「でも良いんですか?」
「なにがよっ!」
「今頃、翡翠ちゃんと志貴さんがどうなっていると思います?」
「な、な、なんですって!?」
「二人っきりで思いを告げた恋人同士が、次は何をするんでしょうねー」
「あ、ああっ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?」
「充分時間も経ちました……またまたありがとうございます、秋葉さま♪」
「あうあう……」
「あー、そう言えばもうすぐこう呼べますね……秋葉ちゃん、って」
琥珀の時間稼ぎにまんまとしてやられて秋葉は、気が抜けたようにその場にへたり込んでしまった。
そして振り返り窓の側に行き庭を眺めている琥珀は、幼い頃から思っていた事が現実になった実感を
噛みしめていた。
「さあ、今日はお目出度いですから、夕飯はとびっきりに豪華にしちゃいましょう♪」
こんなに自分の思い通りに事が運んだ爽快感は、琥珀の顔に恍惚の表情を浮かべさせていた。
日も暮れて街灯が灯りだした頃、仲睦まじく翡翠は志貴と手を繋いで歩いていた。
二人とも特に何も話していなかったが、握りしめた手と赤く染まった微笑みから幸せな空気がそこにあった。
ゆっくりと、自分の歩幅に合わせるように歩く志貴と顔を合わせる翡翠は嬉しそうに見つめ返す。
この初々しい恋人たちの間に確かな絆が見えたと、誰もが思うであろう。
漸く門の前に来た時、志貴は足を止めて翡翠の顔を見つめる。
「翡翠」
「はい」
「お願いがあるんだけど……いい?」
「わたしに出来ることなら……」
「あれ、やってくれないかなぁ……」
「えっ」
「ほらっ、昔俺に良くやってた事だよ」
「あ、もしかして……あれですか?」
「うん!」
「あ、あの……その……」
「だめ?」
「………」
ちょっと恥ずかしがって困ったような翡翠の表情に、志貴は思わず軽くキスをしてしまう。
ちゅっ。
「し、志貴さん!?」
「大丈夫、笑ったりしないからさ……だめ?」
キスのせいで真っ赤になりながらも志貴の目を見つめると、白く細い指先を目の前の愛しい人に向ける。
少し戸惑いながらも、翡翠はゆっくりと指先をくるくる回し始める
そして彼女は幼き日を思い出して新しい約束を交わす。
「あなたを、恋人です」
「うん」
志貴は頷きながら自分を指している手を掴むと、そのまま引き寄せて翡翠の体を抱きしめる。
見つめ合った二人は、確かな絆を感じながら静かに目を閉じて、深く長いキスを交わす。
地面に伸びた二つの長い影が、いつまでも一つに重なりあっていた。
白い月は祝福するように、ただ淡い光を優しく二人の恋人たちに降り注いでいた。
「あなたを、犯人です!」
くるくると回した綺麗な指先を相手に向けて、口にするのは馴染みの決めゼリフ。
いきなり現れて冷静に状況を判断するクールな表情と、メイド服姿のいかした女の子。
どんな難事件もあっさり解決する彼女の名は、翡翠。
そして知っている者たちは、そんな彼女を敬意と親愛を込めてこう呼んだ──。
『洗脳探偵翡翠』
次回予告(大嘘)
秋葉もうらやむらぶらぶカップルになった翡翠と志貴の前に現れる一人の女性。
それと時を同じくして現れた神出鬼没の怪盗に街は恐怖に包まれる。
「久しぶりね、元気だった志貴?」
「せ、先生……」
再会した二人は遠き日の思いを馳せる。
「そんな翡翠、誤解だよ!」
「わたしは……信じていたいです、でも志貴さんは何も話してくれない」
些細なすれ違いに、翡翠と志貴の間に不安の影が差し込む。
「今がチャンスにゃー、志貴はわたしの物だよー」
「あなたの好きにはさせません、遠野くんはわたしの恋人になるんです」
そんな二人の様子に、お笑いコンビは我先にと志貴を物にしようと動き出す。
「兄さん、私が優しく慰めてあげますわ……だから私だけを見てください」
「これは何とかしないといけませんねー」
落ち込む志貴に優しく接して既成事実を作ろうとする秋葉と、今や遠野家の影の支配者となった
琥珀は策士のプライドを掛けてこの事態にのぞむ。
志貴との関係に悩みながら、怪盗相手に苦戦する我らが洗脳探偵翡翠に訪れる最大の危機。
傷つき精神的に追いつめられた翡翠に、恋も犯人も捕まえることが出来るのか!?
「志貴さんは、渡さない」
「諦めなさい、志貴は私が連れて行くわ……大事なパートナーとしてね」
次回、「洗脳探偵翡翠2」 〜戦慄のブルー〜
「あれ、わたしは? わたしの紹介は?」
忘れてました、ごめんなさい。
「ひっどーい、わたしってやっぱり薄幸の美少女なんだ〜」
終わり。