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Charles X (シャルル10世)

Charles XはReimsで戴冠式を行ったおそらく最後の王でした。在位は1824-30年。彼の人生はフランスの自由主義革命に翻弄されました。

                                   ブルボン朝
フランス革命   1798 -------------- ------------

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                    ナポレオン戦争
ウィーン議定書 1815 -------------- ------------
                    Louis XVIII    ウィーン体制
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                    Charles X
七月革命       1830 --------------
                    Louis Phillipe
二月革命       1848 -------------- ------------
                                   第二共和制

1798年のフランス革命はフランスの自由主義革命の最初の一撃でした。当時の国王Louis XVI (ルイ16世) と王妃Marie-Antoinette (マリー・アントワネット) がギロチンで処刑されました。Marie-Antoinetteのセリフ「パンが無いならケーキを食べればいいのに」は有名です。

やがて、Napoléon (ナポレオン) が登場し戦争を起こします。各国で王政を廃止したナポレオン戦争は、革命の輸出でもありました。また、1800年にフランス銀行を設立します。銀行の設立とはすなわち産業革命です (1694年イングランド銀行、1882年日本銀行) 。

Napoléonが敗退すると、その戦後処理と反革命の世界秩序、ウィーン体制が構築されます。各国で王政復古が行われます。フランスも例外ではありませんでした。革命で処刑されたLouis XVIの弟、Louis XVIIIが即位します。制限選挙制に逆戻りするなど反動的な政治が行われました。

Charles XもLouis XVIの弟で、Louis XVIIIの死後、王位を継ぎます。政治運営に困ると、国民の関心を逸らすためアルジェリアを侵略し、植民地化しました。兄弟は革命のときには祖国を捨てて亡命しており、亡命貴族たちを率いていました。各勢力の反感を買い、七月革命によって廃位されます。そして再び亡命しましたとさ。

七月革命はかの有名な絵画、Delacroix (ドラクロワ) の"La Liberté guidant le Peuple" (「民衆を率いる自由の女神」)の題材となりました。革命ではLouis Phillipe (ルイ・フィリップ) が即位し、王政はもうちょっと存続します。

王政が廃止されるのは1848年の二月革命です。Napoléonが興した産業革命がLouis Phillipeの治世で進展し、労働者階級が生まれ、彼らが選挙権を求めて革命を起こしたのでした。再び普通選挙制が実現し、フランスの自由主義の戦いは最終的な勝利を収めます。そして、これによってウィーン体制は崩壊しました。