探索



 小高い丘の上に古びた館があった。

 近くに住む人達は『化け物屋敷』と呼び、誰も近づかないという館。

 その『化け物屋敷』は夕陽を受け、血のように赤く染まりながら長い影を地面に落としていた。

「辛気くせえ館……」

 館の前でぽつりと呟く影が一つ。

 十代の半ば頃と思われる少年だ。

 風を受けて揺れる柔らかなウェーブのかかった黄金色の髪と、エメラルド色の瞳の持ち主である。

 顔立ちは整ってはいるのだが、不満げに歪んでいるために多少割り引かれて見えてしまっていた。

「夜な夜なむせび泣きの声が聞こえる……ねえ。変な趣味の奴らが集まっていかがわしいことでもやってんじゃねえの?」

 少年はぶつぶつと不平たらしく呟く。

 よく澄んだ耳に心地よく響く声だが、それを聞く者はここにはいない。

 しかし声がいかに美しかろうが、言葉の内容はまったく美しくないので、聞いてもあまり良い気はしないだろう。

「まったく……もう夕方じゃねえか。さっさと調査してレポート仕上げないとな」

 少年はこれでもれっきとした魔術師で、名をティリンスという。

 身にまとったローブに刻まれた魔術学院の紋章が、彼が魔術師であることを表している。

 しかもこの年齢にしてかなり上級の資格を持っており、『天才』として名前もかなり知れわたっている。

 しかし、『天才』だろうが何だろうが、調査したレポートは提出しなければならない。

 そもそも、この館を調査することになったのも、修行と称した息抜きだった。

 少しの間学院から抜け出したいと思っていた時、タイミング良く危険度がそれほどないと思われる館の調査という仕事が舞い込んできたのだ。

 希望者が募られ、迷わずティリンスは名乗りを上げた。

 学院から少し離れていたいだけなので、この館を調査したいという気はまったくない。

 だが、調査しないことには仕方ないのだ。

「さて、行くか」

 ティリンスは半ばあきらめたように、ドアに手をかけた。







 アイオライト魔術学院。

 ミキスナ大陸の中心にある魔術都市アイオライトと同名の学院。いや、その都市自体が魔術学院と言うべきだろう。

 いくつもの区画に分かれており、学生寮から食堂や雑貨屋などの立ち並ぶ区画まで様々である。

 大陸中でも両手の指で数えられるほどしかいない、『魔導師』の称号を持つ者もすべてこの学院に集っている。

「……最近はぶっそうだなあ」

 中年の魔術師が今日届いたばかりの報告書を見ながら呟く。

「どうしたんですか?」

 お茶を運んできた若い魔術師が問う。

「イフェイオ村の近くで、全身が干からびた死体が最近いくつか発見されたそうだ」

「干からびた……ですか。もしかして……。あれ? でも、イフェイオ村の近くに誰か調査に行ったような……」

 その誰かとは、もちろんティリンスのことである。







 ギギ……ィ……と嫌そうな音をたてて扉が開く。

「暗いな。明りをつけとくか」

 ティリンスは一瞬、精神を集中させて手のひらから光を生み出すと、それを天井へと浮かばせて部屋全体を照らす。

 浮かび上がったのは、これといった特徴のない広いだけのホールだった。階段と、正面と左右に二つずつドアがある。

「それじゃ、正面は……」

 正面の右のドアを開けてみる。

「……倉庫か」

 またドアを閉め、今度はすぐ左のドアを開ける。

「……ここは台所かな?」

 かまどらしき物と、その上に大きな鍋がある。

「中身はからっぽか」

 鍋の蓋を開けて呟くと、またホールに戻っていった。

 その後も色々と部屋を見て回ったが、これといった物は見当たらず、ごく普通の屋敷としか思えなかった。

「じゃあ、二階に行くか」

 ティリンスはまた明りを作り出し、それを先行させて階段を上っていく。

「……ん?」

 階段を上り終えるころ、右の方から風が流れてきた。

「何だ? 化け物か?」

 ティリンスは嬉しそうな声をあげ、右の方に走っていく。

 どうやらバルコニーの扉が開いているらしかった。

 そしてそこに人影が見えた。

 もうすでに暗くなっているので、まだぼんやりとしか見えない。

 ゆっくりとティリンスは近付いていく。

「美しい満月だ……」

 涼しげな声がした。

 バルコニーに立っている人影である。

 背の高い後ろ姿しか見えないが、どうやら黒いマントを羽織っているようだ。

 髪も黒いので全身が黒く、この薄暗さでは見えにくいが、片手にはグラスを持っているらしい。

「満月は明日だよ」

 ティリンスが指摘する。

「……たいした違いはない」

 きまり悪そうに言うと、人影が振り向く。

 浮かび上がったのは、なかなかに整った顔立ちの、年の頃なら二十半ば程度の青年だった。

 月明りの下、その黒い瞳が真紅に輝く。

 背筋が凍り付くような冷たい視線だ。

「……っくしゅん!」

 その瞬間、ティリンスがくしゃみをした。

「いやあ、夜になると冷え込むなあ。もう少し厚着してくればよかったかなあ」

 鼻をこすりながら呟く。

「…………」

 黒ずくめの青年は茫然と立ちつくす。

「どうかした?」

 ティリンスは何くわぬ顔で尋ねる。

「ふ……ふふ。この館に自分から来てくれるとはな。見ればなかなかに美しい少年ではないか。今宵は君の血で乾杯しようか」

 黒ずくめの青年はさわやかな笑みを浮かべてそう言った。

 その犬歯が牙のように長く、尖っている。

 ティリンスは全身がむず痒くなり、表情が強張るのを隠せなかった。

「……精神異常者か……」

 ぽつりと呟く。

「誰が精神異常だ! 私こそは暗黒の貴公子。闇の頂点に立つ者。その名も偉大なるヴィールディルゼだ!」

 マントをひるがえし、気取って高らかに名乗りを上げる。

「はあ? ビルゲルゲ? どっかの怪物みたいな名前だな」

「違う! ヴィールディルゼだ!」

 ヴィールディルゼと名乗った青年は大声で叫ぶ。

「あ、そう」

 ティリンスはつまらなさそうに返事をする。

「ふ……最近は美しい少年の血など飲んでおらんな。だが、今日の獲物は申し分のない美しさ。後の楽しみも倍になるというもの……」

 うっとりとそう呟く。

「なんだ、変態でもあるのか」

「だっ・誰が変態だ!」

 ヴィールディルゼは大声で否定する。

「後の楽しみって、拷問か? いかがわしいことか? どっちにしろ変態じゃねえか」

 ティリンスは淡々とそう言う。

「……美しい顔と声のわりに、言うことはまったく美しくないな……」

 ヴィールディルゼはあきれたように呟く。

「ほっとけ」

 ティリンスはふてくされたように言い返す。

「でも、さっきから美しい美しいって、いったい何なんだ。やっぱり頭おかしいんじゃねえか?」

 ティリンスの言葉にヴィールディルゼはグラスを傾け、鼻で笑う。

「ふ……しょせん、凡人に私の崇高なる考えは理解できんようだな。いいか、そもそもだな……」

 ヴィールディルゼが自分に陶酔しながら話している間、ティリンスはおとなしくしていると思ったら、突然剣を抜いて斬りかかった。

 完全に不意をつかれて、ヴィールディルゼはよけることもできず、ティリンスは素早く二度、太刀をあびせる。

 グラスが落ち、割れる音とともに血かワインか、真っ赤な液体がしぶきとなって飛び散る。

「ぐっ……な・なんだ!」

 ヴィールディルゼの形相が怒りで恐ろしげに歪む。

「お前、ヴァンパイアだろ」

 ティリンスはもう一度剣をヴィールディルゼに振り下ろす。

「いかにもそうだ」

 ヴィールディルゼが取り出した短剣によって、ティリンスの剣が受け止められる。

「だったら、生かしちゃおけねえ。俺の血を吸おうなんていう奴はな!」

 短剣から剣を引き、またヴィールディルゼに振り下ろす。

「貴様、魔術師だろう! 何故剣を使う!? 魔術師なら魔術師らしく戦え!」

 ティリンスのローブに刻まれたアイオライト学院の紋章を見て文句の声をあげつつ、ヴィールディルゼが身をかわす。

「そんなの人の勝手だろっ!」

 また斬りかかるが、短剣で受けられた。

「魔術師は野蛮な事は好まぬものだろうが!」

 ヴィールディルゼが短剣で斬りかかるが、それをティリンスは軽くかわす。

「そんな了見の狭い事言うなんざ、器の小さい証拠だ! こういうおっさんにだけはなりたくないもんだな!」

 この言葉に、ヴィールディルゼの動きが一瞬止まる。

 その隙に、ティリンスの剣がヴィールディルゼの肩を切り裂く。

 血がティリンスの顔にしぶきとなってかかる。かなりの出血にもかかわらず、ヴィールディルゼは微動だにしなかった。

「……ふ、ふふ……おっさんだと……? そこまで言うのなら、本気を見せてやる!」

 相手を射抜かんばかりに睨み付け、ヴィールディルゼは短剣で斬りかかろうとする。……しかし。

 カラン……。

「……あ?」

 短剣はヴィールディルゼの手を離れ、床に転がった。

「……それが、本気?」

 ティリンスはあっけにとられながらも、ぼそっと尋ねる。

「う……い・いや! これはただの余興だ! 私の真の力を見よ!」

 ヴィールディルゼはその鋭い牙をむきだして、ティリンスの首筋に噛みつこうとする。

「うげっ!」

 心底嫌そうな声を発し、ティリンスは素早く横に身をかわす。

 ヴィールディルゼはそのままティリンスを擦り抜け、バルコニーの手すりに顔面から突っ込む。

「……真の力、ねえ……」

 ティリンスが呟く。

「ふ……ふふ……。この程度が私の力だと思われては困るな……」

 鼻から血を垂らしながらヴィールディルゼは冷たい笑みを浮かべる。

 人間、ああはなりたくないものだなとティリンスは心から思った。

「さあ、我が奴隷となるがよい!」

 ヴィールディルゼの黒水晶の瞳が妖しく真紅に輝く。

「……それが何か?」

 まったく平然としてティリンスは答える。

「なっ・何故きかん……私の魅了が……」

 茫然とヴィールディルゼは呟く。

「魅了の視線? ああ、そういやヴァンパイアにはそんなのあったっけ。あいにく、俺に眼力系統は効かないぜ」

 ティリンスは剣を構えなおす。

「ふ……ならば!」

 ヴィールディルゼはバルコニーから身を踊らせる。

「あ……飛び下りた」

 ティリンスが駆け寄ってみると、一匹の蝙蝠が夜空へと飛び立っていこうとしているのが見えた。

「あれだな……逃がすものか!」

 蝙蝠の動きを見据えたまま、ティリンスは精神を集中させ、手に火の球を生み出す。

 そして狙いをつけて投げ付ける。

「ぎっ!」

 火球を後ろから当てられ、焦げた蝙蝠が紙のようにひらひらと落ちてくる。

 ぺちゃ、という情けない音がしてバルコニーの床に落ちたまま、蝙蝠は動かない。

「よしよし。くたばってるな」

 ティリンスは蝙蝠を調べて呟く。

「太陽の光に当てなきゃな。朝まで待つか」

 ティリンスは蝙蝠の側に座る。

「あ、そうそう。念のため……」

 近くに落ちていたヴィールディルゼの短剣を持ってきて、蝙蝠に突き立てる。

「これでよし、と。さてレポートでも書くか」

 そのままティリンスは蝙蝠の側で、明りをつけながらレポートを書くのであった。







「ふわぁ〜あ……」

 翌朝、ティリンスは眠い目をこすりつつ魔術学院に戻った。

 灰を入れた小瓶をレポートと一緒に提出する。

「ヴィールディルゼ? 倒した? 一人で?」

 驚いた表情の導師の言葉にティリンスは頷く。

「ヴィールディルゼといえば、漆黒のヴィールディルゼのことだろう? かなりの力を持つヴァンパイアのはずだが……」

 小瓶の蓋を開けながら導師が言う。

「そうは思えませんでしたけど……」

 ティリンスの脳裏に浮かぶのは、鼻血を出して気取っていたヴィールディルゼでしかない。

「……ともかく、これは凄いことだぞ。お前はすでに『魔導師』並みの魔力を持っているとは評判だったが、まだ若すぎるということで見送りになっていた。だが、今回ヴィールディルゼを一人で倒したとなれば……」

 そこで一端、言葉を区切る。

「……とにかく、今は休め。全部、後からだ」

 導師の言葉にティリンスは頷いて、自分の部屋に戻っていった。







「魔導師……か」

 自分の部屋に戻り、ベッドの上に寝転がるとティリンスは宙を仰ぎながら呟いた。

 『魔導師』といえば、魔術師として最高の称号である。この称号を持つ者は二桁といないのだ。

 わずか十五歳でそれを手にする可能性があるのだ。普通、もっと浮かれそうものだが、ティリンスの表情は憂欝そのものだった。

 ベッドに横になったまま、目を閉じて胸の銀のペンダントを握りしめる。

「エリスタ……俺がもし『魔導師』になったら……もっと有名になったら……お前は気付いてくれるかな……エリスタ……」

 喉の奥からしぼり出すように、かすれた声で呟く。

 思い出すのはいつも、数年前に生き別れた弟のことだった。

 魔法を習ったのもすべて、弟を捜し出すため。今、生きているのも、弟と会う日のため。

「お前が現れてくれなければ、何もかも……虚しいだけだ……エリスタ……俺のかわいいエリスタ……」

 そのまま眠りの世界に落ちていく。







 ――数日後、史上最年少の『魔導師』が誕生した。

 大変な快挙として、その名は響き渡った。

 しかし、弟は現れなかったという。





あとがき

 実はこれ、高校時代に書いた話を少し変えたものです。
 文章の手直しがほとんどないあたり、成長の無さを実感させられました。
 ティリンスの最後のセリフは、どう考えてもブラコン兄ちゃんです。
 続く・・・のかなあ・・・?



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