「……はい?」 思わずロードナイトは間の抜けた声を出してしまった。 魔界中枢部の万魔殿。その中でも、さらに最も奥深くに存在する魔界帝王の私室という場所に呼ばれてのことである。 すでにそこにはそうそうたるメンバーが集められていた。 武官、文官、それぞれの高位の者たちがすでにおり、それに文官最高位の宰相ロードナイトが加わる。 これから重要な軍事会議でもあるのだろうかという有様だ。 だが、そのような中にあって魔界帝王の発した言葉というのは、 「そろったね。じゃあ、みんなでカードゲームでもしようか」 というものだったのだ。 すでにこのような事態には慣れているはずの皆も、宙を仰いだり、ため息をもらしたりしている。 「……仕事がまだ大量に残っているので、抜けさせて頂きたいのですが……」 最初のショックから立ち直り、ロードナイトはそう切り出す。 「ふーん、別にいいよ。あ、そういえば、宰相が5歳のときなんだけどさ……」 「申し訳ありません、ぜひやらせて下さい」 昔話をしようとした魔界帝王の言葉を遮り、ロードナイトはあっさりと服従の意を示す。 自分の幼い頃を知っている相手にはかなわない。何せこの相手には、自分が生まれた頃からの弱みを握られているのだ。 部下の前で幼い頃の、おねしょをしただの鼻水をたらしていたなどというような恥を暴露された日には、宰相の権威も形無しである。 「そう? じゃあ、他に抜けたいっていう者は?」 魔界帝王が周囲を見回すが、当然ながら名乗り出る者はいない。 「いないようだね。それじゃあ始めようか」 そう言いながら浮かべたのは、紛れもなく魔界最高位の悪魔の微笑みだった。 始めは順調だった。 このままだと、一位、もしくはそれを逃したとしても上位からはずれることはないはずだった。 「革命!」 この一言さえなければ。 それまでの手が全て覆される一手だった。 カードゲームに必要なのは戦略である。いかに手持ちのカードを使っていくかという先を見越した行動。 だが、それ以上に必要なのは運である。 「これで終わり。ええと……宰相がビリだね。じゃあ、罰ゲームは宰相だよ」 結局、ロードナイトが最下位となり、罰ゲームを押しつけられてしまった。 しかも、その罰ゲームの内容は当然ながら頭を抱えたくなるものだった。 「大丈夫、衣装とかの準備は全部整えてあるから。何の心配もしなくていいよ」 やたらと楽しそうな魔界帝王の声を、どこか遠くから響いてくる耳鳴りのようにロードナイトは聞いていた。 そして、彼は知らない。 ――この場の者たちが全てグルで、結末が仕組まれていたことを。 ほっかむりを被り、首にタオル、そして背中には大きな荷物。 どこからどう見ても、下々の行商にしか見えない姿だ。 「やっぱり宰相は元がいいから、何を着ても似合うね」 上機嫌な魔界帝王。 「……嫌味……ですか……?」 反対に沈み込んだ行商人――中身は公爵位を持ち、魔界において全ての文官を束ねる立場にある宰相ロードナイトである。 「嫌だなあ。僕は、宰相の美貌と着こなしぶりを褒めているんだよ。ここまで見事に着こなせる者は、魔界広しといえどもそうそういないよ。自信を持っていい」 「…………」 それが嫌味でなくて何なのだとは思ったが、言えばまた何倍にもなって返ってくるのだろう。ロードナイトは俯いて、文句は心の中だけに留めておくことにした。 「さて、それじゃあ実際に行ってもらう場所だけど、くじを引いて決めよう。大丈夫、どこも選りすぐりの名家ばかりだから、買い物をするお金が無いなんてあり得ない。安心して行商に行けるよ」 選りすぐりの名家ということは、自分の顔を知っている可能性が高いということではないか。つまり、恥が大きくなるということだろう。ロードナイトはさらに奈落の底に落ちていく気分だった。 「さあ、くじを引いて」 楽しそうに魔界帝王がくじを差し出す。 もう何を言おうが無駄だと悟り、ロードナイトはからくりのようなぎこちない動作でくじを引いて魔界帝王に渡す。 くじを受け取った魔界帝王は、くじに書かれた文字をじっと見る。 「……いいところを引いたね。公爵家、しかも階級付きの武官のところだよ。ちなみに息子も公爵位を持ち、こちらは文官だね」 魔界帝王の言葉を聞き、ロードナイトはさらに深い奈落の底に落ちていくのを確信した。 その条件に当てはまる家は、ひとつしか知らない。 「そう、きみの実家だよ」 行商人が打ちひしがれた様子でとぼとぼと歩いている。 「いや……いつも飛びまわっているような両親が、そうそういるはずがない……そうだ、きっとそうだ……」 ぶつぶつと虚ろな声で呟く。 ロードナイトは希望的観測によってどうにか己を保ち、実家への道を歩む。 父親はいつもふらふらと遊び歩いているし、母親は母親でまたあの家にはなかなかいない。そっと野菜を置いてくればいいだけのことなのだと自分に言い聞かせる。 そして、とうとう実家の前にたどり着いた。 すると―― 「あら? 誰かしら?」 シルクのドレスに身を包んだ、銀髪の美女が館の中から出てきた。気品にあふれたその姿は、優美な仕草の中にも威厳があり、まさに女王と呼ばれるにふさわしい。 その姿を見て、ロードナイトの顔が青ざめる。 この美女はロードナイトの母親、ロサ・リカルディーなのだ。 「どうかしたか?」 続いて、館の中から出てくるその姿を見て、ロードナイトは一瞬、意識を失いかけた。 ダークブルーの髪に紫色の瞳を持つ、美貌の優男――ロードナイトの父親である。 何故、よりにもよって両者ともそろっているのだと、ロードナイトはとにかく何かを呪いたくなった。 「……何をやっているのかしら?」 いくらほっかむりとタオルで顔を隠そうと、息子を見間違えるはずもない。 ロサ・リカルディーの声は冷ややかだった。 「宰相というのは、そんなに暇なのかしら?」 にこやかな笑みを浮かべて、ロサ・リカルディーは言う。だが、目は笑っていなかった。 「何だ、そんなにすることがないんだったら、早く言ってくれよ」 こちらは爽やかな笑みを浮かべ、ちょっと待っていろと言って館の中に戻り、ややあって大量の書類を抱えて出てきた。 「ほら、これをやろう。することができて嬉しいだろう?」 どさりとロードナイトの手に書類が圧し掛かる。 冷ややかな母親の眼差し、腹立たしいほどに爽やかな笑顔を向ける父親、そして重たい書類。全てがロードナイトの心を抉る。 しかし、罰ゲームは終わらない。 野菜を売りつけなくてはいけないのだ。 「あの……野菜を……」 ぼそぼそとした声でロードナイトは呟く。 「え? もっと書類を? いや〜悪いな、ここにはこれしかないんだ。でも城にはまだあったかもしれないな。後でお前の執務室に届けておくよ。なぁに遠慮することはないさ。可愛い息子の頼みだものな」 平然と言ってくる父親に殺意がわく。 ここで殺せたらどんなにすっきりするだろうと、どす黒い感情がわきあがってくる。 「いいかげん、執務に戻ったらどうかしら? こんなところで油を売っている場合じゃないでしょう」 冷酷な母親の言葉。 「いえ……だから野菜を……」 どうにか野菜を売りつけなくてはと、ロードナイトは頑張って口を開こうとする。 「ああ、そうだよな。書類を渡したんだから、当然この後は執務だよな。後からきちんと新たな書類も届けるから、安心して執務に取り掛かるといい」 父親も畳み掛けてくる。 「……だから……」 「早く戻りなさい」 「……野菜……」 「何だったら送っていってやろうか?」 「…………」 まったく話を聞いてくれない両親に、もう駄目だとロードナイトは諦めた。 書類という新たな荷物により、来たときよりもさらなる重荷を抱えて、ロードナイトはとぼとぼと引き返していったのだった。 その後、当然ながら罰ゲームを果たせなかったロードナイトは更なる罰ゲームを受けることとなる。 とある宮殿の前で野菜を売りつけてくる男の姿が、多数の目撃者により確認されたのだった。 |
あとがき Fabula Fortunaの使命「行商人」とリンクしています。 かわいそうな行商人のお話です。 両親は罰ゲームのこと知っています、多分。 復旧作業中に書きかけのこのお話を見つけたのですが、日付は2005年でした。 最後の方が未完だったので、ちょこちょこ付け足して載せてみました。 |