花も嵐も踏み越えて・・・富山からソウル経由八代・大牟田への道 Do you know the way to Yatsushiro & Ohmuta from Toyama via Seoul? (前編:風雲ソウル金浦空港編)
※前編がつまらなくなったら、先に後編読んでもいいよ。(by やなさん) なお、本編は長文につき、途中に数ヶ所ジャンプポイントを設けておりますが、他のページへのジャンプ移動を ご希望の方は、ブラウザの戻るボタンでメニューに戻ってからジャンプして下さい。(by 管理者) 1/13〜1/14に、韓国ソウルでの仕事の帰りに九州・熊本県の八代たいふ〜んファミリーと、 福岡県の大牟田コバリアファミリーのメンバーを訪ねてきました。 1.ことの始まり そもそものことの始まりは、昨年(2000年)の秋頃、越中富山・多国籍民宿のおやじホーマー から「最近、九州方面のBBS(インターネット掲示板)が面白いんだ」と聞かされたことに始まり ます。そこで「八代たいふ〜んファミリーのホームページ」を覗いてみると、交流記録あり、 メンバーの写真あり「へぇ、結構面白いじゃん」。 BBSには、ホーマーや「富山米刈り〜なツアー」(ホーマー家が借りている田んぼの稲刈り。 でもホーマーは農家ではではありません。あれ、何て言うんだっけ? 田植えと稲刈りだけ やって、あとは農家が面倒見てくれるやつ。富山県氷見市にある棚田)に来てくれたMike@愛知 も投稿していて親しみやすそう。「え〜い、俺も入っちゃおう」と、丁度カウンターが2400 (たしか・・・)の切り番だったのをいいことに「富山のやなさんで〜す。切り番でした〜」と 初投稿した、というわけです。 普通なら、それで終わり、というか、まあBBS上のおつきあい、ということになるんですが、 このBBSはちょっと違ってました。この掲示板の常連(になったばかり)の、福岡・大牟田コバ リアファミリーのメンバー、レミーが「やなさんって、あの"やなさん goes overseas"の やなさんですか?」というレスを載せたのです。それに対して、ホーマーが「正解です」と 答えたので、あ、こりゃ何か言わないとまずいかな? と思って「本人です」と書き込んだん ですが、まさか北陸限定(内容的にも)の"やなさん goes overseas"が海(関門海峡)を渡って、 九州まで行っているとは、思いもしませんでした。 その後、レミーや八代たいふ〜んファミリーのメンバー・ちゃまたちが「やなさ〜ん」と BBSで呼んでくれるので、いつしか「たいふ〜んBBS」の常連になってしまいました。だいぶ、 あばれました。というより、たいふ〜んに巻き込まれていた、というのが実態です。 したがって、わたしの意志ではありません(な〜にを、ずーずーしい!)。 ちょうどその頃、八代たいふ〜んファミリーの主催で、熊本・芦北合宿が準備されていま した。やっぱり「米刈り〜なツアー」にも来てくれたリンダ@東京や、センフー@神奈川、 洞鈴@横浜たちが合宿に行く、ということでBBSが盛り上がっていました。そして合宿終了後 の参加者の感想が、またすごかった。「へ〜、八代ってそんなにすごいんだ〜」。 ちゃまに頼んで、合宿の資料を送ってもらいました。お礼はアメリカ出張時に買ってきた 「ビーフジャーキー」を送る、ということで。その「虎の巻」がすごい。「1.羞恥心は家 に置いてくるべしっ!」といった調子。いままでこんな「合宿虎の巻」なんて、見たことない。 ますます、どんな人たちなのか、会ってみたくなりました。 2.八代に行きた〜い 1994年に富山に来て以来、わたしはずっと横浜のメンバーで、富山では長らく「居候」 でしたが、昨年(2000年)の10月から正式に富山・小杉ザイエッツファミリーのメンバーに なったので、今まで以上に富山の地理的条件(本部から遠く、隣県のファミリーからも遠い) が気になっていました。でも、「米刈り〜なツアー」でも分かったように、こちらから 出かけていけば、向こうからも来てくれます。そしてその時には、新しいSADAや、ことばや、 元気や、もろもろのものを(時には食い物も)持って来てくれます。夏に来てくれた中国の人 たちや、秋にステイしてくれた韓国の大学生たちもたくさんの思い出や、ことばを残して くれました。これからの富山のヒッポは、積極的に外の世界(他県のファミリーやメンバー とか、外国人とか)と交流する努力をすることなしには、ヒッポを今以上に楽しくすること が難しいのではないか、またそうしないと、いつのまにかヒッポがヒッポ的でなくなって しまうのではないか、と考えるようになっていました。やっぱり、地方のファミリーに とっては、地域間交流はどうしても必要だ! なあんて、かっこいいことを書きましたが、要するに「八代に行ってみた〜い! 八代や大牟田の人たちに会いた〜い!」と思うようになっていた、というだけのことです。 根は単純〜。 3.行くか? 行けるか? 最大のチャンス! でも微妙な状況 とは言っても、そうそうお金も暇もあるわけではありません。富山から八代を往復すれば、 飛行機を使って6万円くらいかかってしまいます。でも、JRでは時間がかかり過ぎてだめ。 それにJRの運賃だってそう安くはありません。 ちょうどそんな時(2000年末)のことです。仕事で韓国出張の話がありました。2001年の 1月にソウルで仕事がある、という話。まだはっきりしないが、どうやら1月12日(金曜日) になりそう。そうすると、出発は1月11日(木)、帰国は1月13日(土)になります。 土日は基本的に休みですから、会社へは1月15日(月)の朝に出社すればOKです。 一方、八代たいふ〜んファミリーは土曜日の午後2時半〜4時半の時間帯。 米刈り〜なツアーの時、県外から来るメンバーに東京・名古屋−富山間交通データを 多数提供して「多国籍民宿トラベル企画部」と呼ばれたわたしです。交通情報と行動企画 はお手のもの。 「ソウルを8:40の大韓航空KE783便に乗れば、釜山経由で福岡空港着11:20。 入国審査・通関に15分、国際線ターミナルから福岡市営地下鉄の駅まで、 よく分からないが10分くらいとして、博多駅まで地下鉄10分、これで博多駅発 12:05の特急『つばめ11号』に乗れば、八代駅着13:43。飛行機が少し遅れても 空港から博多駅までタクシーを飛ばせば列車に充分間に合う。たとえ12:05の 『つばめ11号』がだめでも、13:05に出る『つばめ13号』に乗れれば、14:42に 八代に着けるから、ファミリーにほんの少し遅れるだけで済む。 これなら八代に行ける!」。 という結論を出しました(まるで西村京太郎の世界?)。もしかしたら、本当に行ける かも知れない。期待は大きくふくらみます。最大のチャンス! 富山への戻りは・・・福岡−富山便は出発が早すぎて、日曜日にあまり九州に いられないなぁ。第一、天気が悪いと冬の富山空港はすぐ欠航してしまいます。 何かいいルートはないかなぁ? おっ、あった。福岡発18:00小松行きエアー ニッポン750便。この便なら、1/14(日)は目一杯九州にいられるぞ。 でも、何と言ってもソウルへ行く目的はお仕事です。予定変更は当たり前。 まだ、どうなるか分かりませんから、この段階ではまだ、八代のメンバーに 「行くよ」とは言えません。レミーと、ザイエッツファミリーのフェロウの シェリー(ホーマーのジェナです)と、ちゃまにだけ、「もしかしたら、 うまくいったら」と何重にも条件をつけて「行けるかも知れない」と連絡しました。 「まだみんなには内緒ね」と何度も釘を刺しておいて。 4.よし、行こう! 年も明けて新世紀を迎えましたが、決行のX-dayはもう目の前です。 1月9日に最終確認し、OK! ソウル出張は予定通り、11日出発、13日帰国の 日程に決定しました。但し、本当に13日に帰国できるかどうかは、12日中に仕事 が終わるかどうかにかかっています。でも、それは自力で何とかするっ。 あとは気迫だ。 よしっ、行こう! 飛行機の予約を入れました。 1/13ソウル発福岡行き大韓航空KE783便、予約OK! 1/14福岡発小松行きエアニッポン750便、予約OK! 今はインターネットですいすい予約が取れるから、楽ですね。 おおっといけない。 1/11関西空港発ソウル行き大韓航空KE724便の予約を忘れとった。 これを取らなきゃ何一つ始まらない。よし、予約OK! 1月10日、会社でソウルでのお仕事の準備をしながら様子をうかがっていましたが、 夕方近くになっても変更の連絡は入りません。でも、この待ち時間は精神衛生上、 まことによろしくありませんな。外見は平静を装っていても、心臓はばくばくいってます。 よし、大丈夫だ。いろいろなところのBBSに「韓国経由、八代へ行きま〜す!!」を投稿して 会社を出ました。これ以上会社にいるとやばいですから。準備もあるし。 家に帰ると、レミーから「福岡空港へ迎えに行きます(多分)」のFAXが入っていました。 また、これまでのレミーやちゃまのメールから、どうやら八代と大牟田のファミリーが 両方で歓迎してくれそうな様子。詳しいことは教えてくれないのですが、でも、やっぱり うれしい。もうすぐ九州のみんなに会える! これはもう、後には引けません。何が何でも 八代へ行かなくちゃ! ファイティン! キウンネヤジっっ! さて、行くとなったのはいいけれど、だいたいわたしは紙芝居とか、新作SADAとか、 おみやげになるものはなんも持っていません。え〜いっ、それは今さら考えてもどうにか なるものじゃない。現物のおみやげはソウルからのキムチとのりでいいとして、 あとは全力で多言語でぶっ飛ばしちゃおう。ほかに方法ないもんね。 いまさら飾っても仕方がない。ありのままの自分を受け入れてもらうしかないっ! そのかわり、9年間のヒッポ活動の全てを団子に丸めて、ぶちかましてやるっ! (と言うわりには、団子が肉団子くらいの大きさしかないのが、悩みの種・・・) あ、そうだ、新作SADA「ふるさとは未来に(金沢合宿2000バージョン)」があったな。 あれを作って、金沢合宿に行けなかったわたしに教えてくれた富山と北陸の仲間たちに 感謝! 5.出撃 出発、というより出撃、ということばがぴったりな気分。1月11日早朝、富山を出発。 お天気はまあまあ良いし、今日は飛行機も大丈夫そうです。木曜日は富山−ソウル便 がない日なので、JRで関西空港へ行き、大韓航空でソウル入り。これはいつもの ルートですんなりです。それにしても、ソウルはむちゃくちゃ寒〜いっ! 午後3時だというのに、氷点下7度です。風が強くて顔がこわばります。少し前に降った 雪が溶けずに、氷になって歩道に残っています。滑って歩きにくいったらありゃしない。 大阪は暖かかったのになぁ。帰りの便の出発が朝早いので、ここで航空券を買って おくことにしました。韓国で航空券を買うと、同じ路線なのに日本で買った場合の半額 くらいなんです。 ソウル・金浦空港からはいつもの通りに地下鉄5号線で市内へ。地下鉄の中の韓国人 の会話に全く違和感を覚えなくなったのはいつごろからだろうか・・・などと考えながら、 40分ほどでホテル近くの光化門(クァンファムン)駅着。 お仕事の話は、つまらないので省略。 6.運命の日・・・1月13日 ここからはドキュメンタリータッチでお送りします。 突然襲いかかる悲劇のアクシデント! 怪しい韓国人・やなさんが必死で挑むが、正面突破は成功するか? わたしにとっては、久しぶりに"必死になった"一日でした。 以前にカナダに強制移住させられそうになって以来かな? (この詳細は"やなさん goes overseas"参照) ●1/13 01:00 ソウル市内某ホテル・812号室 「あ〜、ずいぶん遅くまで引っ張り回されたけど、なんとか仕事も終わったぁ! よし、これで明日は八代へ行けるぞ。本当はレミーとちゃまに「ヨボセヨ〜、 明日は行けるよ〜」と国際電話をしないといけなかったんだけど、 どこからも電話できなかった。心配してるかな? ま、それはしょうがない。 明日の朝(あ、もう今日か?)空港から電話しよう」。 何気なくつけたテレビが「明朝はこの冬で一番寒い。ソウル市は最低気温 氷点下13度の予想」を伝えています。NHKのBS2では「明日は福岡も雪。北陸は大雪」 と言っています。一抹の不安を感じましたが、もうどうしようもありません。 まさに「運を天にまかせる」とか、「人事を尽くして天命を待つ」の心境です。 「飛行機は8時40分発だから、7時までには金浦空港に行かなきゃ。 ということは、6時にホテルを出るから、5時起きかぁ。早く風呂入って寝よう」。 でも、わくわく・どきどきしてなかなか寝付けません。まるで子供の頃の遠足の前夜みたい。 こんな気分は久しぶりですね。 ●1/13 05:00 ソウル市内某ホテル・812号室 いつしか、うとうとと眠ったものの、目覚ましの音で目が覚めました。 あ〜、寝不足だ。頭が重いというよりは痛い。 こんなんで八代へ行って大丈夫かなぁ? でも、みんな待っててくれてるみたいだしなぁ。とにかく準備をして、 6時少し前にホテルを出ました。まだ真っ暗な朝の冷気の中、 凍った道をソウル地下鉄5号線光化門駅へ向かいます。空は薄曇りだけど、 飛行機が飛ぶのに支障はなさそうです。「うん、大丈夫だ」。 地下鉄で金浦空港まで40分、相変わらず頭が少し痛いけど、地下鉄の車内では 眠れませんでした。 ●1/13 07:00 ソウル・金浦空港国際線第2ターミナル ・大韓航空チェックインカウンター 福岡行き大韓航空KE783便の搭乗手続きは何の問題もありませんでした。 搭乗券を手に、早めに出国手続きを済ませ、出発ロビーへ。あ、そうだ。 レミーやちゃまに電話しなくちゃ。7時半になるのを待って、レミーに 国際電話をしました。 「今日、予定通り行きま〜す。ちゃまにも伝えてね。あ、福岡も雪の予報 だったけど、どう?」。 「は〜い、福岡空港で待ってます。今は雪は降ってません」。 というお返事。よしよし、OK! 福岡空港も大丈夫そうです。 レミーとはお互いに初対面ですから、目印にレミーが 「たいふ〜んキャラクターシール」を付けて福岡空港へ来ることに、 予め決めてあります。あれなら間違いようがありません。なんせ世の中に ほとんどないんですから。合宿の資料と一緒にシールを送ってくれたちゃまと、 キャラクターシールを作ってくれた"たいふ〜んファミリー"の メンバー・ミナに感謝。でも、一般人(?)の前であれを付けるのは、 レミーにはちょっと恥ずかしいかも・・・ごめんね。 ●1/13 08:10 ソウル・金浦空港国際線第2ターミナル・出発ロビー 免税店でおみやげのキムチとキム(のり)も買ったし、準備は全てOK! もう、することもありません。後は搭乗開始を待つだけです。あ、そうだ。 富山のホーマーにも電話しておこう。もうテレフォンカードを全部使っちゃっても いいや。 「予定通り、八代へ行ってくるよ〜。そっちの雪はどぉ?」。 「うん、大したことはないよ。昨日の東京からの飛行機も全部富山空港に 降りたみたいだし」。 「あ〜、そりゃよかった。じゃ、行って来ます。それじゃね」。 ここいら辺までは、まだしっかり日本語を話していました。このあとホーマー が、わたしが無事に八代へ向かっているという「やなさん情報」をたいふ〜んBBSに 書き込んだのは、後から知りました。 よし、何とかこのまま14日の福岡発小松行きも無事に飛ぶといいなあ。 小松空港は富山空港よりはるかに運行支援設備が優れているから、雪でも、 まあ大丈夫だろう、などと、ぼんやりと考えていました。 インド人らしき人が近寄ってきて、コーヒーの自動販売機の使い方を英語で 聞いてきました。「あ〜あ、もう1年あとなら、ヒンディー語で教えてあげられたのにぃ」 (ほんとか? by オグリ@たいふ〜んファミリー・ヘロウ)。 英語で教えようとしたのですが、韓国語が混じってしまって・・・ 「ヨギ・・Milk coffee、ヨギ・・Black coffee」・・なんか変だな? ま、いいや。わたしの英語は通じたし、めでたしめでたし・・・(って、おい!) この時点まで、直後に起こる悲劇のアクシデントは全く予想していませんでした。 ●1/13 08:15 ソウル・金浦空港国際線第2ターミナル・出発ロビー アナウンスが「大韓航空、釜山経由福岡行き、783便は・・・」と韓国語で放送を 始めました。「おっ、もう搭乗開始か?少し早いな」と思って聞いていると、 次に続いたアナウンスは全く信じられないものでした。 「釜山地方の気象の関係で、欠航となりました」。 なにぃぃぃっ????? ウソだろーーーー!? 聞き間違えたか? しかし、続く英語、 日本語のアナウンスも、全て「Cancelled」「欠航」。えぇーーー?? ソウルも福岡も問題ないのに、中間寄港地の釜山の悪天候で欠航だとぉ? 冗談だろぉぉ!! すぐに搭乗口の大韓航空係員のところに行き、 「欠航は本当ですか?」。 「欠航は決定です」。 「それならなぜソウルから福岡に直行しないんですか?」。 と聞くが 「釜山から乗るお客さんがいますから・・・」。 という、わけの分からない返事。欠航すれば、釜山から乗る乗客も何もないだろうに! あとから分かったが、結局は欠航と言うより大幅な遅延だったようです。 それにしてもわたしにとってはどちらも同じ。"たいふ〜んファミリー"には間に合いません。 それに、福岡空港に来てくれるレミーはどうする? 早く連絡しなくちゃ。「どうすればいいんですか」。 「夕方、午後6時の便があります。それに乗って下さい」。 冗談言うなぁぁ!!!!! ここで初めて使った「ナヌン オットッケ ハミョン トェヨ?」(わたしはどうすればいいんですか) が、後で今回のアクシデントによる難関をことごとく突破するキーワードとなります。 まるで「魔法のじゅもん」みたい。が、ここではまだ、そんなことは分かりません。 このことば、憶えておいてください。早口で言うと「ナヌオットッケァミョンテェヨ?」 という感じになります。 一瞬、目の前真っ暗。せっかくここまでうまくいっていたのに・・・・ 釜山の天気なんて、考えもしませんでした。これで九州へ行くのは無理か? まあ、九州へは行けるだろうが、"たいふ〜んファミリー"には出られないな・・・。 頭も痛いし、いっそこのまま富山へ帰ってしまうか・・・・・ 九州で待っている仲間たちの顔が脳裏に浮かびました(合宿の写真が浮かんだんですけどね)。 しかし、オグリの白鳥姿が浮かんだのには、ちょっとだけまいった。このとき、ふと気が付きました。 「ちょっと待てよ。たしか、ソウルから福岡へ行く飛行機を調べた時、この大韓航空の1時間ほど 後に福岡に着く飛行機があったな。そうだ! アシアナ航空OZ132便! あれはソウルから福岡への直行便だから、出発時刻もずっと遅いはずだ! 釜山の天気も関係ない! いまからでも時間的には充分間に合う! あの飛行機に乗れれば、最初からは出られないにしても、 途中から"たいふ〜んファミリー"に出られるかも知れない!!」 いきなり突き落とされた奈落の底の暗闇に、一条の光がうっすらと射し込んできました。 でも、実際にそこまでたどりつくのは、かなり遠くて苦しそうです。気が遠くなるほど、 やることがあります。しかし、このまま、八代へ行くのをあきらめるのか? おまえ、それでも"怪しい韓国人"かっ!? いきなり、カチッと音をたてて、スイッチが入りました。 「スーパー・コリアンモード・スイッチオ〜ン!」(これ、どこかで聞いたな、ねぇ職人@岐阜?) っていう感じです。今、思えば。 さっきまで「あ〜、頭痛て〜」などと言っていたのに、わたしの頭は自分の意志を離れて勝手に 回転し始めました。どうすれば、ここからアシアナ航空に乗れるか? ここは国際線第2ターミナルで、しかも、既に出国手続きが済んでしまっていますから、 韓国国内ではありません。しかし、アシアナ航空の搭乗ターミナルは国際線第1ターミナルで、 ここから1km以上も離れています。向こうに行くためには、もう一度韓国に入国し直さなければ なりません。航空券も一度払い戻して、アシアナ航空のものを買い直さなければなりません (本当はその必要はなかった)。荷物は? 出国カードは? それよりもなによりも、もたもたしていたら、大韓航空に乗るはずだった韓国人の乗客が アシアナ航空に殺到してしまうでしょう。そうなってしまったら、彼らはことばの点で 絶対有利ですから、アシアナ航空OZ132便の座席はまたたく間になくなってしまいます。 スピード勝負だ! こう結論を下したわたしは、さっきの搭乗口の係員のところに突進しました。 ここからのやり取りは全て韓国語ですが、同時通訳でお送りします。 紙上では韓国語で再現できないのが残念です。 韓国語での再現をお聞きになりたい方は、是非、越中富山「多国籍民宿」までお越し下さい。 この日の午後から夜にかけて、八代と大牟田のメンバーは、運悪くこの怒濤の再現の濁流に 飲み込まれてしまったわけです。かわいそうに。 通常、国際線チェックインカウンターの大韓航空の係員はたいてい日本語が話せるはずなのですが、 搭乗口にいた係員は「わたしは日本語がアンデヨ」と言い張ります。 本当なのか、あるいは、面倒だから出来ないふりをしたのかも知れません。 しかし、そんなことはもう、どうでもいい! 目標は明確だ。あとは突き進むのみ! "怪しい韓国人"のやなさん、"スーパー韓国人"に変身完了っ! 「この便が欠航になったから、アシアナ航空の福岡行きに乗りたい。 『ナヌオットッケァミョンテェヨ?』」。 「向かい側の大韓航空カウンターへ行って下さい」。 「あ〜、くれよ? あらっそよぉ」。 ●1/13 08:30 ソウル・金浦空港国際線第2ターミナル・出発ロビー・大韓航空カウンター 大韓航空のカウンターへ行って、同じことを繰り返します。 「福岡行き783便が欠航になったから、アシアナ航空のOZ132便に乗りたい。 『ナヌオットッケァミョンテェヨ?』」。 「ここから一旦外へ出て、国際線第1ターミナルのアシアナ航空カウンターへ行って下さい」。 そんなことは分かってるって! どうやってここから出るのか、どんな手続きが必要なのか、 アシアナの予約はどうすれば取れるのか、聞きたいんじゃないか〜! 「外に出るには『オットッケァミョンテェヨ?』、でもその前にアシアナ航空OZ132便の予約を 取りたい。『オットッケァミョンテェヨ?』この場所から予約できますか?」。 「ネー、できます」。 「クロミョン、すぐ予約してチュセヨ〜」。 「ネー、アルゲッスミダ」 係員氏、アシアナ航空に電話をかけてくれました。しばらくして、 「アシアナ航空の予約が取れました。これ、予約のコピーです」。 「お〜、コマワヨ〜。それで、ここからどうやって外に出ればいいんですか? 『ナヌオットッケァミョンテェヨ?』」。 「あそこの出口(実際には出国審査場で、乗客が外からどんどん入ってくる)に大韓航空の係員が いますから、そこへ行って下さい」。 「あ〜、暮れよ? 洗ったぁ」。 行ってみたが、よく分かりません。後で分かったのですが、そこの大韓航空の係員は 出入国管理官みたいな格好をしていたので、区別がつかなかったのです。 しかたがないので、別の搭乗口にいた大韓航空の地上職員に 「わたしはここから外に出たいのですが、係員が見あたりません。 『ナヌオットッケァミョンテェヨ?』」。 ところが、「私たちにはモラヨ」のお返事。そして「あそこのカウンターへ行って下さい」って、 さっきのカウンターじゃないか。俺はあそこから来たんだっちゅ〜の! 再びカウンターへ戻って、さっきの係員氏に 「行ってみたけど、よく分かりません。大韓航空の人が見あたりません。 『ナヌオットッケァミョンテェヨ?』」。 「分かりました。私がご案内します」。 彼の不運は、ここから始まる・・・ ●1/13 08:40 ソウル・金浦空港国際線第2ターミナル・出国審査場 やっと担当管理官のところに行って、パスポートの出国済みスタンプを消してもらい、 出国カードも返してもらって、無事に再入国手続きはできました。が、まだまだ難関は続きます。 「航空券の払い戻しはどうなりますか?『ナヌオットッケァミョンテェヨ?』」。 「この半券を持って、下の18番チェックインカウンターへ行って下さい」。 「あ〜、洗ったぁ」。 「ところで、空港利用料の9,000ウォンはどうなりますか?『ナヌオットッケァミョンテェヨ?』」。 「あ、分かりました。いま取ってきて、お返しします。チャンカンキダリセヨ〜」。 係員氏、審査場の入口まで行って、チケットの半券を取ってきてくれました。 これで二重払いしなくて済みます。言わなきゃ返してくれないんだからぁ! そこから、出国審査場を逆走。出口(本当は出国審査場入口)に向かいます。 最後に(つまり、普通なら最初に)「税関」があります。係員氏が税関職員に事情を説明 してくれています。通常、出国時にはなにも申告することはないので、気にしたこともなかった 税関なのですが、なぜか税関職員がわたしに聞きます。 「ヨボセヨ! その免税品店の袋はモヤ?」。 「え、これですかぁ? 別に免税品がアニエヨ〜。キムチとキムです」。 ところが、大韓航空の係員氏 「アニアニ、キムチは免税品なんですよ」。 なんだってぇ? 「クロミョン『ナヌオットッケァミョンテェヨ?』」。 「免税品は韓国内に持ち込めませんから、それを買った免税品店に行って払い戻しをして もらって下さい」。 冗談じゃない!! 出来ないことはないが、そんな面倒なこと・・・ え〜?チェガハラグヨ〜?(自分でミドリフブラウス作らされたときのソノコ風) 「わたしは日本人ですよ! どうしろというんですか?『ナヌオットッケァミョンテェヨ?』」。 「分かりました、分かりました。私が払い戻ししてきて上げます。品物と領収書を貸して下さい。 ヨギソチャンカンキダリセヨ〜」。 (係員氏、ここに至って無条件全面降伏・・・) ここまで韓国語でまくしたてておいて「わたしは日本人」もないもんだ。 だいたい「わたしは日本人」と韓国語で言ってるんだから。スイッチが入ってから、 ここに来るまで、全て韓国語でのやりとりだが、韓国語で話している、という意識そのものが 既にもう全然ない。日本語は頭から完全に消えている(あったのは「やつしろ」だけ。 但しハングルで書かれていた・・うそ)。自分の言いたいことは全て言えるし、伝わるし、 相手の言うこともほぼ全て韓国語でそのまま分かる。モードは120%スーパー韓国人モード! もう誰にも、止められない・・・(え? 誰も止めてない?)。いつの間にか頭痛もどっかに 吹っ飛んでしまいました。 何がなんでも八代へ行くんだぁ!! 邪魔するなぁっ!!!(見方によっては、まるでだだっこ) ソウル金浦空港はこの冬一番の寒気に包まれていましたが、"スーパー韓国人モード"の やなさんだけは熱く燃え上がっていました。おかげで汗だく(ただ単に汗っかきなだけ)。 しかし、この"スーパー韓国人モード"、いったいいつ解除されるんだろ? 実はこれが、 この日一日、夜中まで引きずることになるのですが、それは後のお話。 「チャー、これ、お金です」。 「お〜、小間和洋〜」。 ここで係員氏と別れました。彼「あ〜、やっと解放された。なんちゅうイルボンサラムやっ!」 と、ほっとしたことでしょうな。 ●1/13 08:55 ソウル・金浦空港国際線第2ターミナル・出国審査場入口 最後の最後に、今度は出口(本当は入口)の若い警備員に呼び止められました。 「ヨボセヨ〜、ソンニム(お客さん) オディカシヌンゴエヨ(どちらに行かれるんですか)」。 え〜? まだ何かあるのぉ? 「大韓航空の福岡行きが欠航になったから、アシアナ航空へ行くんですよ」。 (さすがに警備員なので、大韓航空係員相手みたいには突っかかることができない、 小心者のやなさん) その時、別の警備員が来て「大韓航空の福岡行きが欠航になったんだってさ」と彼に伝えました。 「あ〜、そうなんですか? アラッスムニダ。ど〜ぞ」。 晴れて韓国再入国。ここまでの道のりの長かったこと。しかし、警備員が知らなかったということは、 わたしが一番乗りだったんだ。"スーパー韓国人"は、本物の韓国人にも勝ったらしい (勝ってどうする? by オグリ)。 ●1/13 09:00 ソウル・金浦空港国際線第2ターミナル・大韓航空18番チェックインカウンター 外のチェックインカウンターはすごい人混みです。18番カウンターも人でいっぱい。 レミーに到着便変更の連絡をしなければならないのが気にはなっていたのですが、 取りあえずは全ての処理が終わるまでは安心できません。とにかく、先に航空券の払い戻し手続きを することにしました。ところが、なかなかやってくれません。 「どこのカウンターでチェックインしたのか分からない」とか言っちゃって。 「むぁ〜ったくぅ、大韓航空はやることが遅いんだからぁ!」。 10分待っても、20分待っても終わりません。「早くしろぉ! "スーパー韓国人"は、 本物の韓国人より気が短いんだぞぉ!」。 怒ってもしょ〜がない。 ●1/13 09:25 ソウル・金浦空港国際線第2ターミナル・電話ボックス いつまで待っても航空券の処理が終わらないので、先にレミーに電話することにしました。 早くしないと出かけてしまいますから。 「ちょっと電話して、また戻ってきます。それまでにやっておいて下さい」と言い残して電話機の ところへ。テレフォンカードはあと400ウォンだけ。国際電話1回分(約20秒くらい?)しかありません。 ところが、レミーの母上が電話に出られて「もう出かけました」とのこと。 しまった! 遅かったか。 しかたがないので、再び18番チェックインカウンターへ戻ったら、航空券の処理は終わっていました。 その航空券でアシアナ航空にも乗れるとのことでした(但し大韓航空の裏書きが必要)。 ●1/13 09:35 ソウル・金浦空港国際線第1ターミナル・アシアナ航空カウンター 構内無料循環バスに乗って、やっと国際線第1ターミナルに来ました。 今度はアシアナ航空の手続きです。でも、ここまで来れば、もう大きな心配はありません。 あとはアシアナ航空が無事に飛んでくれさえすれば、OK! アシアナ航空のカウンターで、「11:30の福岡行きOZ132便に乗りたいんですが」というと、 アシアナの係員氏「キャンセル待ちして下さい」ですって。「やっぱしそうか〜! へへーんだ、おいらはとっくに予約取ってあるもんね〜だ! ざま〜みろ〜!!」 (もう、ほとんどお子さまになっている。やばいっ、スーパー韓国人モードが長かったので、 脳みそが過熱してメルトダウンしかけてるっ) 無事にアシアナ航空の航空券を手に入れて、再び出国審査。1回の韓国旅行でハンコが3つ (入国1回、出国2回)なんて、初めてです。 ●1/13 10:00 ソウル・金浦空港国際線第1ターミナル・出発ロビー 「さあて、残る問題はレミーへの連絡だ。一体『ナヌオットッケァミョンテェヨ?』 あ、これはもういいんだ・・・。 まさか、ソウルから福岡空港国際線ターミナルに構内放送 かけるわけにもいかないしなぁ」。第一、その電話代が、もうありません。 でも、かばんの中を探ってみたら、100ウォン玉が9個出てきました。これで1分くらい話せます。 いろいろ考えたあげく、八代のちゃまに電話することにしました。 多分、レミーは福岡空港で大韓航空の欠航を知るでしょう。その時彼女はどうするか? おそらく、八代のちゃまに連絡するだろう、と判断したのです。結果的に、これは正解でした。 時間がないので、早口で言おうとしたら韓国語になってしまって、あわてて日本語で 「予定の飛行機が欠航になっちゃった。福岡到着が12:40のアシアナ航空に変更になるので、 レミーから電話があったらそう伝えて!」と言ったら電話が切れました。大丈夫だろうか? しかし、まだ"スーパー韓国人モード"が残ってるな。日本語で話すとの〜みそが疲れる! 実は、これがちゃまとの初めての会話だったんですよね。いままでBBSとメールだけのやりとりで、 電話で話したことはなかったんですから。しかし、ノリのいい人ですな〜、ちゃまって人は。 まるで昔からの知り合いみたいに応対してくれました。最初、韓国語になっちゃったとき、 「ネーネー」なんて言うもんだから、通じたと思っちゃいました。 また免税品店でおみやげのキムチとのりを買い直して、やれやれです。 出発までまだ1時間以上あります。で、ふと見ると、さっきの電話機の横にクレジットカードで 通話できる電話があるじゃないですか。なあんだ。相当慌てていたんですね。 もう一度ちゃまに電話をかけて、ことの次第をゆっくり説明しました。 これで、レミーがちゃまに電話してくれさえすれば大丈夫でしょう。 少し安心。あ〜、やっと少し日本語が戻ってきたぞ。こんな調子で行ったら、 そのうちに"怪しい日本人"なんて呼ばれそうだ。あ、そう言えば以前ホーマーに、 そう思われていたっけ。結局、ちゃまを中央情報局としての、綱渡りの電話連絡は成功しました。 ところがところが、またしてもアシアナ航空の福岡行きOZ132便が10分遅れるとのアナウンス。 機材の到着が遅れたせいなんですが「いったい今日はど〜ゆ〜日なんだ? 仏滅か? "おカバさま"のたたりか? これじゃ13:05分博多駅発の「つばめ13号」には乗れないかも 知れないな」。 ●1/13 11:50 アシアナ航空福岡行き、OZ132便・機内 とりあえず、アシアナ航空OZ132便は定刻より10分遅れてソウルの寒空に向けて離陸しました。 あとは福岡空港に無事着陸できるのを祈るのみ。わたしは、飛行機が少しでも速く飛べるように、 機内で必死に「補助エンジン」を動かしていました(他人から見たら「貧乏ゆすり」とも言う・・・)。 ●1/13 12:45 福岡空港国際線ターミナル 飛行機は5分遅れで福岡空港に着陸しました。結局、わたしの「補助エンジン」は、 飛行機を5分早く飛ばしたわけです(うそうそ、北風が強かっただけ)。 もう、13:05の「つばめ13号」には間に合わないかも知れませんが、それでも一番に入国審査を 駆け抜け、一番に税関検査を突破し、到着ロビーに飛び出しました。 韓国の税関とイミグレーションを逆走で一番に突破できるんだから、日本の入国審査や税関なんか どうってことはありません。ま、あれは例の大韓航空の係員氏のおかげなんですけどね。 「いたあっ!」思わず目に飛び込んできた"たいふ〜んキャラクターシール"を指さして しまいました。出口でレミーが待っていてくれたのです。しかし、この時わたしはまだ 「何が何でも八代へ行くんだ〜」状態のままだったので、これからどうやって博多駅に行き、 どうやって一番早く八代に着くか、しか考えていませんでした。 そのため、初対面だというのに、そしてわざわざ大牟田から来てくれたというのに 「初次見面」も「Encantado」も「チョウムベッケッスムニダ」もありませんでした。 「最初、なんて言うんだっけ・・・? How do you do ? かなぁ」なんて、 とっくにどこかに吹っ飛んでいました。 最初に交わしたことばは「もう、つばめは無理だね〜。しょ〜がないから、地下鉄で行こうか?」 でしたっけ? まったく失礼な! まあ、以上のような状況を突破してきたので、 笑って許して下さいね、レミーさん。紙面を借りて、お詫び申し上げます。 ●1/13 13:25 JR博多駅 水前寺行き特急「有明21号」車内 とりあえず地下鉄で博多駅に出て、切符を買って、ホームに上がると特急有明21号が 待っていました。今は、これが一番早く八代に着ける列車です。 途中の熊本で普通列車に乗り換えなければなりませんが。 とりあえず座席に腰を落ち着けて、やっと一段落。ふぅ〜。あ〜っ、猛烈に喉が乾いたぁ。 でも、福岡は暑〜いっ。また汗かいちゃった。まわりの人は寒そうにコートを着ているというのに、 ほんっと汗っかきだなぁ。 レミーとは車中で大牟田や富山のヒッポの話や、受け入れの話をたくさんして、 有明21号はあっという間に熊本駅に到着。ここから普通列車に乗り換えて八代まで35分。 さあ、いよいよだ! ●1/13 15:30 JR八代駅 「ちゃ〜、とーちゃけった〜 もどぅねりょら〜」と、車掌が車内アナウンス・・・ するわけないか!? 列車はようやく八代駅に到着しました。時刻は午後3時半。ファミリーの時間は、 まだ1時間くらいは残っています。よかった〜。すぐにタクシーで会場へ。 会場の八代市総合体育館には、5分とかからずに着きました。 着いたはいいけど、部屋はどこじゃ? "たいふ〜んファミリー"にはレミーも初めて来たので、 分かりません。でも、心配はプーヤオでしたな。 ●1/13 15:35 八代市総合体育館 会館の外まで大音響のSADAが轟き渡っていたのです。音があんまり大きすぎて会館の中に反響し、 かえってどこから聞こえてくるのか分からなかったくらいです。 さ〜すが"たいふ〜んファミリー"!(どこが「さすが」や?) ほんの一瞬の躊躇(この躊躇はわたしの性格の反映)の後・・・ファミリー会場に飛び込みました。 わーいっ! 写真で見た顔の実物がいっぱいあるー!! オグリだ〜! ちゃまだ〜! あっミナだ〜! わ〜っ、動いてる〜!! おおっ、しゃべった。すげぇ!! 今朝の金浦空港事件で、わたしの脳みそもだいぶ破壊されていたようです。 それがまた、"たいふ〜んファミリー"にはぴったりだったりして・・・。 ********************************************************************* 「あなたに会いに、ようやくここまで来ました」。 by たいふ〜んぎゃらんどぅくらぶ・会員番号3番 & 4番。 2001年1月13日午後3時40分、ついに"八代たいふ〜んファミリー"到着。 ランタン@大牟田によると、ちょうどこの時、厚い雲が切れて太陽の光が会場に射し込んだのだそうです。 まるでわたしたちの到着を祝福してくれるかのように。わたしは全く気づきませんでしたが、 すごい登場のしかたですなぁ・・・ ********************************************************************* 後編へと続く。ここからは疾風怒濤の大歓迎編です。花も嵐も踏み越えて・・・富山からソウル経由八代・大牟田への道 Do you know the way to Yatsushiro & Ohmuta from Toyama via Seoul? (後編:八代・大牟田ファミリー・疾風怒濤の大歓迎編) ※おまけ、14、のあたりに越中富山「多国籍民宿」特製手作り餃子のレシピとキムチ焼きそば製作上の注意付き 7、いきなり袋叩き? ファミリー会場に入って、その時やっていたSADAの輪に入りました。このSADAが何だったか、 全然おぼえてません。だいぶ緊張していたらしい・・・ その次に、なぜか Sing along Dance along が始まりました。普通、これはSADA の一番最初ですよねぇ。 なんでこんなところでやるんだぁ? やっぱり九州は中部とはSADAの順番が違うのかなぁ? ところが、曲の中間のボックスステップのところで、突然八代のみんなが・・・・・ やばいっ、袋叩きされるっ! 後ろは襖、逃げられん・・・・ せっかく苦労して、"スーパー韓国人"になってまで、やっとここまで来たのに、 なんでこんな仕打ちを・・・・やっぱり、昨年末にたいふ〜んBBSで"ちょるむに"のミナを 「お○さん」呼ばわりしたのが、まずかったかなぁ?・・・・と、一瞬思いました。 え? 意味不明? それでいいんですよ。 初めて"たいふ〜んファミリー"へ行く方のために、検閲によりここは詳細を書けないのが 大変残念です。これから行かれる方、お楽しみに。へっへっへ。 8、汗だくSADA 続いて、"だっちゅ〜のソウル"、"バッファローギャルズ"、"あらもくかん(アラムーハン)"、 "チワワ"等々を連続でやって、またも汗だく。動き激しいんだもん。 "あらもくかん"のオグリの動きが絶妙! あの動きは真似できまへん。 でも、富山のファミリーで普段やってるSADAと、基本的には「おんなじ」でした。 1000km近くも離れてるのに。"チワワ"は、数年前にメヒコ交流に行ったオリーブ@富山が 持ち帰っていたので、そこそこ踊れました。どのSADAも、みんな大きな声で歌っていたのが印象的。 "RRV2000"を除いては。 そうだ、ぶっ倒れる前に、おみやげSADAをやらなくちゃ。 「ふるさとは未来に(金沢合宿2000)」をやりました。 でも、すぐにおぼえてついてきてくれたのは、さすが! これ、簡単でしょ? "RRV2000"は、富山米刈りーなツアーの時にリンダ@東京のを見たことがあるんですが、 その時も今回も全然踊れませんでした。八代と大牟田のメンバーは、芦北合宿に向けてビデオを 見ながら特訓した、というだけあって、みごとなもんです。ただ、わたしはリンダ@東京の 怒濤のRRV2000(リンダの人格が変わっちゃうやつ)を見てますからねえ。 評論家として言わせて戴けば、アクションの切れがもう少々、足りませんな。 (評論家は、自分はできなくて当然)・・・えらそうに! ミナがとってもうまかったっす(次回行ったときに袋叩きに遭わないための予防線)。 9、あんじゅせよ〜 中部では「ノレバラ」と言うんですが、東日本も西日本も「あんじゅせよ」なんですね。 時刻は午後4時20分頃(時計見てる余裕が全然なくて、正確には分かりません)。 会場は午後5時まで、なんだそうです。とりあえずひととおり自己紹介。 なんかわたしが話す時間を作ってくれてるみたい。 普通なら「あ、遠慮しないで何か歌って下さいよ〜」なんて言うんですが、 この日は、朝の金浦空港事件を話したくて話したくてうずうずしてましたから、 ありがたく、黙ってました。でも、どうしてみんな"韓国語"で自己紹介するんだろ? わたしは韓国人じゃないっちゅ〜の! え? 誰も信じない? そりゃ〜やばい。 でも、そんな「大人」の意図は子供にはメイクァンシ〜。ペイユのタルのランランちゃんが、 いろんなことばでた〜くさん歌ってくれました。ランラン、すご〜い! この時、わたしのとなりにいたのはオーホリーのなんぴょんのシーマン。 彼の一家、もうすぐ故郷の北海道へ帰るんですって(わたしが行った時点ではまだ決まってなかった)。 帰ったら北海道のファミリー教えて下さいね。 大牟田からはフェロウのりっちゃんと息子のカンボくん、"ちょるむに"のランタン(Patch改め)が、 ランタンの車で来ていました。レミーだけはわたしを福岡空港に迎えに来たおかげで、 "たいふ〜んファミリー"に最初から出られませんでした。でも、そんなに遠くないんだから (そんなに近くもないけど)、また行ってね。今度は初めから。 実は、このファミリーが終わったあと、わたしは一体どうなるのか、正確には知りませんでしたが、 どうも「大牟田へ行くらしい」という話だったので、ちゃまに「大牟田へ行くの?」と聞いてみたら 「うん、レミーの獲物だからね」というお答え。なに? 大牟田で料理されるのか? あんまりおいしくないと思うぞ。え? 脂のっててうまそう? (この"釣られた"いきさつは前編参照) 八代ののんのん(ちょっとだけ、顔を出してくれました)、ダッシュ、べべ、だいちゃん、 ゆーみん、パンガプスムニダ〜!! えんかんた〜ど〜!! 10、怒濤の多言語・・・かな?
4時40分、ついにマイク(Mike@愛知? 違〜う!)はわたしのところに回ってきました。
なんか、みんなの視線が痛いっ! そんなに期待されてもな〜。
なんせ、今朝あんなことがあったばかりですから、このままいきなり韓国語の世界に入ると、
そのまま"あっちの世界"へ行ってしまって"こっちの世界"に戻って来れなくなる恐れがあります。
まあ、この時点では、そのくらいのことは考えられる程度には、わたしの脳みそも回復して
いたわけですね。で、それでは多言語になりませんから、とりあえず、もう一人のやなさん
(あ、怪しい中国人のほうです。同一人物ですが)に習った北京語、ホーマーのイーハのアズキが
たくさん話してくれたスペイン語、そしてホーマー・シェリーの十八番のロシア語で自己紹介
から入りました。う〜ん、みんなノリがいい。これなら楽しく話せそうです。
次に、韓国語での自己紹介から、今朝の事件のいきさつを話し始めました。
あ・あ・あ〜、また日本語が頭から消えて行く〜。
やっぱり、一度"スーパー韓国人モード"になってしまうと、
いとも簡単に"向こうへ行っちゃう"もんですな。
そこからの約15分間、日本語はほとんど出てきませんでしたね。
テープにないことばで「分からないかな?」というのだけ、ちょっと日本語をはさんで、
最後まで韓国語でとことん押し通しました。でも、みんな本当に楽しそうに聞いてくれて、
話す方もストレスが全然オプソでした。みんな、聞いてくれてありがとう。
韓国エソ カジョオン ソンムルのトルギム(岩のり)、おいしかったですか?
11、大牟田へ拉致?
午後5時ちょうどに"八代たいふ〜んファミリー"が終わりました。
ばたばたと会場を後にして、ランタンの車(囚人護送車?)に乗り込みました。
乗ったのはりっちゃん、カンボくん、レミー、囚人(わたし)と、囚人監視人のオグリ、
運転はランタン。八代から九州自動車道を飛ばして、大牟田へ強制連行(?)されました。
いよいよ、料理されるのかな? びくびく。車の中で、りっちゃんやレミーやオグリと、
受け入れとか、地域間交流とか、ヒッポの話をたくさんしました。
富山のファミリーの経験も、いっぱい伝えられたかな? ひとり眠気に耐えて、
運転してくれたランタンに感謝!! うしろで勝手に盛り上がっちゃって、ごめんね。
途中で話し疲れて、し〜んとしちゃいました。
12、大牟田のりっちゃんちべにて
途中、今夜の宴の料理と、のんちゃん@大牟田のちべからピザを調達して、りっちゃんちべへ。
どうやらここが今夜の獲物をみんなで切り分けて食べる宴会場のようです。
りっちゃんナンピョンと、カンボ君のお姉ちゃん2人、カンボ君の弟のジェット、
レミーのアドルの鈴駆(リンク)にごあいさつして、すぐに宴会が始まりました。
でも、すごい料理! 何があったかあまりおぼえてないくらい。
焼き鳥でしょ、いかの揚げたのでしょ、エビでしょ、からしれんこんでしょ、
あと、もう分かんない・・・。飲めや食えやの拷問・・・もとい大歓待に、
うれしい悲鳴でしたな。
大宴会が一段落したところへ、のんちゃんとユージー@大牟田が登場。
第二部のはじまりはじまり〜。ほんとにたくさん、いろんな話をしました。
細かくはおぼえてないくらい。金浦空港での話も、またしました。そのうち、
なぜかわたしが"じじばなし"をすることになってしまい、なんとカンボ君が
「ビデオカメラ」のセッティングを始めちゃったんです。お〜い、やめてくれよ〜、
アップに耐えないよ〜! でも、許してもらえなくて、
とうとうビデオカメラの前で時事話・・・もとい"じじばなし"をするはめに・・・
え〜い、もういいや。やったろ〜じゃん!(金浦空港事件以来、今日はわたしにしては度胸満点)
あ〜、そのこ、ゆ〜なしーえん らうふてん、すいさ・・・スペイン語から入りました。
次が韓国語、次は、え〜と、中抜きでロシア語(最後のところ、大好きなんです)、
先頭1/4の中国語に、フランス語をちょっくむ、かな。でも、やっぱりビデオカメラ意識しちゃうと
スピードが合わん。思い切り早口になっちまう。やっぱり"じじばなし"は、人に向かってするもんだ、
と思いましたってさ(誰が?)。りっちゃんちの一番上のお姉ちゃん(ヒッポはやってない)が、
すごく興味深そうに、ず〜っと聞いていてくれたのが、とても印象的でした。
おじさんの話、おもしろかった?
午後10時過ぎにのんちゃん、ユージーがお帰りになり、後かたづけはりっちゃんとレミー
(申し訳ない)。野郎ども3人(オグリ、ランタン、わたし)は、することもなく居間で
しゃべっておりました。ここで、明日のお昼は越中富山「多国籍民宿」からの出張実演販売で
手作り餃子とキムチ焼きそばを作ることに決定。これだけ人がいれば、餃子も簡単。
手作り餃子って、食べる人が自分の手で作るんだからね。でも、甘かった。
12時になると、りっちゃん、レミー(帰ると言ってたんだけど、結局お泊まり)もお休みになり、
男ども3人、お水飲みながら延々と議論を始めました(酒飲んだら、一瞬で寝ちゃう)。
曰く、これからのヒッポはどうあるべきか? どうしたらメンバーを増やせるか?
ファミリーをもっと楽しくするには?・・・etc 午前2時まで。
でも、話していて、富山のファミリーとおんなじ悩みを、どこのファミリーも抱えているんだなあ、
ということが、よく分かりました。人が少ないとか、なかなか定着してくれないとか。
本当に地域間ネットワークができて、どこかのファミリーの経験が、全国のファミリーに
ダイレクトに伝わるようになったら、全国のファミリーがもっと早く、大きく発展できるかも、
知れないなぁ。オグリは夕べ2時間くらいしか寝てないというし、わたしもあまり寝てないので、
さすがに上下の瞼がくっついて、おねんね。
13、りっちゃんちべにて(翌日・日曜日)
翌朝、7時過ぎに目が覚めて(勤め人の悲しい習性)、外に出てみると、うっすらと雪が
積もっていました。これが後に、わたしがソウルから雪を運んできた、というえん罪事件に
発展するんですが(富山・まんぼうのBBSで)。やがて子供たちが起きてきて、大牟田では珍しい雪に
大喜び。早速わいわいと雪玉を作り始めました。そりゃそうだよな〜。
北陸の子供たちは雪にうんざりしてるけど、九州の子供たちは雪なんて珍しいもんな〜。
東京育ちのわたしも、子供の頃はそうだった。子供たちの声に大人も起きてきましたが、
最後まで必死で布団にしがみついて寝ていたのは、ランタンでした。
最初の計画では、近くのグリーンランド(遊園地)へ行く予定だったのですが、この雪と寒さで
取り止め。でも、わたしは全然寒くない。気温がソウルより15度も高いぜ。暑い暑い(汗っかき)。
さて、大牟田で雪が降ったとなると、富山へ帰る足が問題になります。福岡空港発の小松行きは、
本当に飛ぶんだろうか? 電話を借りて全日空の運行状況を聞きますが、東京発富山行きの1便が
欠航しただけで、あとは富山、小松、福岡とも発着しています。まあ、大丈夫かな?
もしだめなら早めにJRに切り替えなくちゃ。
午前10時に近くのスーパーが開くので、餃子と焼きそばの材料を買い出しに。またしても運転は
ランタン。今回は本当にお疲れさま。大判餃子の皮5袋(計130枚!!)、にら8束、白菜半切1個、
豚挽肉800g・・・「多国籍民宿」でも、こんなに大量に作ったことはありません。
でも、今日は「大食いちゃま」が八代から餃子食いたくて大牟田へなぐりこんでくるというし、
これでも足りるかなぁ?
14、手作り餃子、出張実演販売(良く読めば、手作り餃子のレシピ付き)
午前11時、餃子製作開始っ。にんにくと生姜のすり下ろしはオグリとランタンのお仕事。
にら4束と白菜1/4株を細かくみじん切りにして、豚挽き400gと混ぜ合わせ、おろし生姜とにんにくを
たっぷり入れて塩・胡椒で味を整え、胡麻油を加え(これは中国人から習った)、
とことん良く練り合わせ、これで大判の餃子の皮2袋(約50枚)分・・・って、いつからこのレポート、
料理レポートになったんだ? カンボ君がまたしてもビデオカメラを持ち出し「多国籍民宿」秘伝の味
を盗もうと真剣な眼差し・・・簡単でしょ? うまく作ってね。具が出来たので、
みんなで皮に包み始めるが、それぞれの個性が出て、おもしろ〜い。オグリのは、皮のまわりが
"にら"だらけ、レミーのは、几帳面に片側だけしわを寄せ・・・大きいのやら、小さいのやら、
いろいろ。おしゃべりしながら、みんなでこういうの作ると、楽しいっしょ?
受け入れの時なんかに外国人にやらせると、もっ最高よ! そこそこ数ができたので、
焼き始めました。「多国籍民宿」ではほとんど茹でてしまう(早いから)のですが、
九州の人は焼き餃子がお好みのようです。九州の人が「多国籍民宿」に泊まりに来たときは、
特別に焼いてあげよう、と固く心に誓った(ってほどのものか?)やなさんでした。
少しだけ茹で餃子も作りました。こちらが本当の「多国籍民宿」の味。
焼き餃子は胡麻油をひいたフライパンを熱し、餃子を並べ、下の方に焼き色がついたら
水をコップ1/3くらい入れてふたをして蒸し焼き・・・あ〜あ、完璧にレシピになっちゃった。
このレポートがどこかのHPに掲載されたあと、全国各地のヒッポメンバーの家からにらと
にんにくの香りが漂うことでしょう(おおげさ)。
さあ、いよいよ第1弾が焼き上がった・・・・その瞬間、ジャストタイミングで八代からちゃま、
さくらちゃん、かえでちゃん到着! なんちゅうタイミングだ? さてはどこかで見てたな?
積雪の九州自動車道は相当危なかったらしいのですが、それでも餃子食いたさに危険を冒してまで
大牟田へ来るんだから、ちゃまの食い意地は相当なものです。八代たいふ〜んファミリーで
No.2の大食い、ちゃまの登場で、厨房はがぜん忙しくなりました。
No.1が来られなくてよかった〜と、しみじみ思いました(No.1は誰?
知りたい人はたいふ〜んBBSを見てください。本人が自白してますから)。
焼き上がった餃子を皿に入れて出すと、ものの1分もしないうちに空になって皿が戻ってきます。
次から次に必死で焼きました。台所にいるわたしとレミーは食べる暇なし。
2個くらい残して皿を戻せよ〜!「やなさんも食べて〜」って、誰だ?
わたしが食べられないようにしてるのはっ!? それでも、焼いてる合間を縫って必死のつまみ食い。
途中からはランタンが焼きを交代してくれました。その次は餃子職人修行中のカンボ君が焼きに挑戦。
うまく焼いてね。中が生だと、おなかこわすよ。残った具は、これも「多国籍民宿」名物
「餃子の具ハンバーグ」(実際には、富山でこれを食べたお客様はまだいない。
全ては多国籍民宿従業員のお楽しみ)となり、みんなのおなかの中に消えていきました・・・
15、キムチ焼きそば、出張実演販売・・・強制重労働、続く
いや〜、焼いた焼いた。全部で100個以上は焼いたね。少しだけ余ったけど、もう食べないの?
と聞くと「うん、餃子はもういい」のお返事。あ〜、やっと終わった。
さすがに、これだけ食べさせれば充分だろう、と思った次の瞬間、信じられないお言葉が・・・
「で、キムチ焼きそばはまだなの?」おい、こらっ!!!!
今回のソウル−八代−大牟田行きで、心臓止まるほどびっくり仰天したことがみっつ。
ひとつは大韓航空の欠航で、もうひとつは八代たいふ〜んファミリーの袋叩き(?)で、
最後のひとつはこのお言葉。そのうち心臓止まって死んじゃうぞ!
しょ〜がないので、キムチ焼きそばも作るはめに。強制重労働は続きます。
やっぱり昨日のランタンの車は囚人護送車だったんだ。ま、料理されて食われなかっただけ、
ましか? キムチは昨日の韓国直輸入。金浦空港の国際線第1ターミナルで買い直した
思い出深いやつです。でも、キムチ焼きそばはいまいちの出来。キムチは野菜の水を出すので、
火力が弱いとべちゃっとしちゃうんです。やっぱりキムチ焼きそばは、バーベキュー場の圧倒的な
高火力で作らないと、うまくないっ。なので、今回はレシピはなし(も〜面倒になっただけ。
食べたかったら「多国籍民宿」に泊まりに来てください)。家庭でやるんなら、野菜+キムチと、
肉+そばを別に炒めて野菜の方の水分を切れば、いいかもしれません。2回作って、あ〜っ、
やっと強制労働から解放されたぁっ!! レミー、お疲れさまっ!(彼女がず〜っと台所で
働いていたことを、わたしは知っている・・・)
食べたあとはおかたづけ。昨晩はりっちゃんとレミーにやってもらっちゃったから、
今回は男性軍のお仕事、って、おいっ、ちゃま、食いに来ただけかいっ?
(あれ? お皿洗ったっけ? 確かやってないよなぁ?)
オグリが積極的に皿洗いを買って出たので、お、すごいな、と思ったら
「あ〜、これでりっちゃんちべの家族の一員にしてもらえた」だって。
オグリ曰く「皿洗いさせてもらえないうちは、お客さま」なんですと。
う〜ん、妙に説得力があるっ。オグリのロシアホームステイの成果、ですかね。
それで昨年末に、ちゃまちべの大掃除に行ったのかぁ(なぜ、こんなことまで知ってる?
全てはたいふ〜んBBS情報)。
16、残り時間、わずか・・・
や〜っと一段落して、ちゃまの持ってきてくれた・・・なんだっけ? ケーキの一種?
シュークリームだったっけ? 疲労が限界に達していて、何だったか忘れちまったよ・・・
をいただいた。おいしかったから、上記の件は、許そう(食い物に弱い奴)。
この時、大牟田コバリアファミリーのメンバーが、カバジンの「ひっくりかえった」の紙芝居を
やってくれました。カバジンやカババがひっくりかえるたんびに、水しぶきが上がるの。
そのたびに笑っちゃいました。
りっちゃんに電話を借りて、富山のホーマーに「カエルコール」(この時シェリーは
フレッシュフェロウ合宿in熱海参加のため、不在)。ついでにちゃまとレミーとりっちゃんに
電話に出てもらい、ホーマーとお話ししてもらいました。
これでホーマーがいつか九州へ来ても、もうみんなとお友達♪
やなさん、えらい(自分で言うか? 普通)。
疾風怒濤の24時間、ソウルから合わせれば約35時間。
この凄まじかった、3回も心臓が止まりそうになり、1回は食われそうになった
八代・大牟田ファミリー訪問も、いよいよ最終盤にさしかかろうとしていました。
もう、心臓止まるようなことは、なにもないだろうな?(ちょっと疑心暗鬼に陥っていた)
17、みんなとお別れ
2001年1月14日、午後3時30分、りっちゃん家族にお礼とお別れを言って、
思い出深い(たった一晩なのに)りっちゃんちべを後にしました。
りっちゃん家族のみんなが手を振って見送ってくれました。りっちゃんのだんな様も、
本当にありがとうございました。一度ヒッポも覗いてみて下さいね。
なかなか面白いところですよ。多少、世間一般の常識と異なる部分は、ありますが(笑)。
またも運転はランタン。途中、レミーの自宅前、レミーの職場前、
大牟田コバリアファミリー会場前を経由して、3時50分過ぎにJR大牟田駅に到着。
オグリ、ちゃま、レミー、ランタンと、さくらちゃん、かえでちゃんが改札口までお見送り。
みんな笑顔でしたが、わたしの心中はちょっと複雑。今度はいつ会えるか、分かりませんから。
よ〜し、また会社だまくらかして(人聞きの悪い! 仕事はちゃんとやってるよっ! to オグリ)、
金曜日か月曜日にソウルか釜山でのお仕事を・・・と、密かに次の作戦を練る、やなさんでした。
「また来てね」「うん、絶対また来るよ。みんなも富山に来てね」「必ず行くよ」。
固い握手でお別れ。オグリ、ランタン、ちゃま、レミーの順。
あれから1週間たつけど、まだみんなの手を一人ずつ鮮明におぼえています。
多分、忘れられないだろうな。みんなの手が、すごく暖かかった。
跨線橋を渡ってホームへ出ると、もうみんなは車の方に向かって歩き出していました。
わたしは、その後ろ姿に向かって200%フルパワーで念力を送りました。
「誰か、こっち向け!!!!」。貧すれば鈍す・・違う! 念ずれば通ず。
レミーがこっちを向きました。わたしは精一杯手を振りました。
みんなも気づいて手を振ってくれました。お〜、ランタンが「あっ、マクドナルド」をやってる。
ひょうきんなやっちゃ! ぐすっ。
その時、無情の特急有明38号がホームへ。「あとに心は残れども〜残しちゃならぬ、この体♪」
(ふっる〜っ、これ、昔の軍歌だよ)。やむを得ず、後ろ髪を引かれながら、特急に乗り込みました。
わたしを乗せた博多行き特急有明38号は、時速100km/hで私の体を八代・大牟田の仲間
(もう仲間、だよね?)からどんどん引き離していきます。でも、こころの半分ほどは、
八代と大牟田に置き忘れてきてしまいました。いつか必ず、忘れ物を取りに、
また八代と大牟田へ行くつもりです(ちょっとクサイか? 本人いたってまじめに
そう思っているんだが)。
この後、またしても福岡発小松行きの飛行機が「天候調査」(天気悪けりゃ欠航)に
引っかかりましたが、何とか飛んで、無事、大雪・全県かまくら状態の富山へ帰り着きました。
家に帰ってものの1分とたたないうちにレミーからの「無事着きましたか?」のお電話。
まさか、どこかに監視カメラか盗聴器仕掛けたんじゃ、あるまいな?
うそうそ、本当に、本当にありがとう。
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18、まとめ
普通は、最後に気の利いた「まとめ」でも書くもんかな? でも、もういいや。
これで地域間交流の良さが分からんやつはヒッポメンバーじゃないっ!!
(おいおい、むちゃくちゃ言うなよ・・・)
楽しさは、十分伝わったでしょ?
いまのわたしにできることは、全てやり尽くした2日間でしたよ。
あなた、よくぞここまで飽きずに読みましたね。お疲れさま。ありがとう。
2001年1月21日
やなさん@富山・小杉(濃すぎ)ザイエッツファミリー
兼・越中富山「多国籍民宿」中華・キムチ系料理長
(なんじゃ、それ?)
追伸1:みんなの写真が欲しかったんだ。たいふ〜んHPの写真館にUPしてくれたオグリに、
ありがとうって、言いたいです。くれぐれも死なないように to オグリ。
追伸2:のんちゃんが、大牟田駅まで追いかけてきてくれたんですって。
でも、のんちゃんは西鉄の駅へ行ってしまい、わたしはJRの駅だったもので、会えなかったんです。
後から聞いて、とっても残念でした。のんちゃんとも、お別れの握手、したかったな。
絶対また、会いましょう!
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やなさんのアメリカ&カナダレポート(長文の力作です!)
1999年5月20日、Eメールで入りました。やなさん、ありがとう。
Hello everyone! I'm やなさん
北陸WS準備など、お世話様です。さて、先日行って来たアメリカ・カナダの
レポートを書きましたので、送ります。息抜きにでも、ご笑覧下さい。
但しシュワッチ、文中の英文の文法やスペルチェックをしないように!
追試になっちまう。では。
やなさん goes overseas.
5月10日から16日まで、仕事でアメリカ、カナダに行って来ました。その中
のエピソードなど、いくつか書いてみたいと思います。
1)アメリカは意外に多言語国家! 英語は「共通語」だったのだ
普通、アメリカ合衆国で話される言葉は何? と聞かれたら、誰でも「英語」
と答えるでしょう。確かに表面的にはそうなのですが、アメリカという国は様
々な人種、民族が入り交じった国なので、なかなかどうして、マイノリティー
(少数民族)の世界ではいろいろな言語が飛び交っている多言語の国でもあり
ました。
10日の昼に成田を出発して、シカゴに着いたのが10日の朝9時。時差と日付
変更線のなせる業ですが、なんかタイムマシンに乗った気分でアメリカに降り
立ちました。同行者は同期入社の同僚で、彼はシカゴに5年ほど駐在した経験
を持っています。
シカゴでのアメリカ入国審査では、係官のおねえさん(おばさんと言ったら、
ちょっと失礼か?)に「Laugh!」と言われて、にたっと笑ったりして・・・。
そしたら「Thank you!」だと。
シカゴでトロント行きの飛行機まで時間があったので、アーリントンハイツ
(日本人が多く住んでいる地域)に遊びに行って、ヤオハン(スーパーマーケット、
ヤオハン自体は倒産したらしいが、名前は残っていた)に入り、昼飯を食べよう
とスナックコーナーへ行きました。そこには日本食というより東北アジア食
(和食、韓国料理、中華料理)のコーナーがあり、メニューは日本語のローマ
字書き(SOBA、とか、UDONとか)、ハングル、漢字(但し中国読み。鶏絲湯面、と
いう感じ)で書かれていて、「何語で注文すればいいんだ?」と、戸惑ってしま
いましたが、後で考えれば、英語で注文すれば何の問題もなかったのですよね、
アメリカなんだから。Hippoをやっていると、ついつい何語でも来い、という気
持ちになってしまって・・・。 取りあえず、韓国のトンマンドゥグク(餅入
りスープ餃子ね)が旨そうだったので、韓国語で注文することにしました。以
下は店の人とのやりとり。
やなさん :「ハングンマルロ ケンチャナヨ?」(韓国語)
店のおじさん:「ネー、ムーロニムニダ」(とてもきれいな韓国語)
やなさん :「トンマンドゥグギ イッソヨ?」
おじさん :「ネー、コギ イッスムニダ」(やっぱりきれいな韓国語)
やなさん :「クロミョン、クゴ ヂュセヨ」
おじさん :「3(サム)ダラ(3ドル)50セントゥ エヨ」
で、お金を払っていると、隣にいた店のおばちゃんが、私を怪しい韓国人と
思ったのか、
おばちゃん :「Are you Korean?」(英語)
やなさん :「No. I'm Japanese.」(つられて英語)
おばちゃん :「へ・・・? ハングンマル チャレヨ〜」(韓国語)
このおばちゃんは韓国人でした。私はてっきりおじさんも韓国人だと思って、
やなさん :「Are you Korean?」(なぜか英語)
おじさん :「No. I'm Chinese.」(やっぱりつられて英語)
やなさん :「へ・・・? ハングクサラミ アニエヨ?」
(驚きのあまり、なぜかまたまた韓国語)
おじさん :「ネー チュングクサラミエヨ」(またまたつられて韓国語)
元祖・怪しい中国人のやなさんとしては、当然ここで言語は変わる。
やなさん :「シィマ? ニィシィ ヅォングォレンマ?」(中国語)
おじさん :「トェイ ウォシィ ツォングォレン」(きれいな北京語)
おじさん :「ニィダ ヅォングォホァ ヘンハォ」
やなさん :「シィマ? シェシェ」
・・・・・・・・・モガモンジ モルゲッタ状態、しばし続く・・・
ちなみに、店のおばちゃん同士は韓国語で話をしておりました。そして、そ
のスナックコーナーの片隅にあるパン屋さんの名前が、な、なんと「HIPPO」!
ここまで来ると、出来過ぎですねえ。
さあ、昼飯も食べたし、時間になったのでシカゴ空港に戻るタクシーの中、
同僚が運転手に聞きました。「Did you born in Chicago?」(だったかな?)
すると、彼は「Russia」と答えたのです。
やなさん:「へ? トゥイ ルースキィ?」
運転手 :「ダー! ヤー ルースキィ!」
やなさん:「ダー! ズドラーストヴィチェ!」
さすがに「ミニャザブー・・・」まではやらなかったけど、同僚唖然・・・。
タクシーを降りるとき、
同僚 :「なあ、ありがとうってロシア語で何て言うんだよ?」
やなさん:「スパシーバだろ」
同僚 :運転手に向かって「スパシーバ!」
運転手 :にっこり笑って「ダー! ダスビダーニャ」
ついでに怪しいロシア人にもなってしまったやなさんでした。
アメリカに着くなり、多言語全開バリバリ状態。でも肝腎の英語はほとんど
しゃべってない。これからどうなることやら・・・。
2)やなさん、カナダに移住?
さて、シカゴから飛行機で1時間半で、カナダのオンタリオ州トロントに到
着。(有名な五大湖のうちのオンタリオ湖の北岸にある。ちなみにシカゴはミ
シガン湖の南岸。でもシカゴはイリノイ州で、ミシガン州ではない・・)
初めてのカナダの大地だ〜! 前にメヒコに行く途中で給油のためにバンクー
バーに降りたことはあったけど、入国は初めてです。
当然、アメリカから来たので、イミグレーション(入国審査)があります。
でも、シカゴでのアメリカ入国の時もすんなりいったし、へーきへーき!
ところが、ここに大〜きな大〜きな湖、じゃなくて落とし穴が待っていまし
た。係官が何か言ったので、適当に「Yes」なんて答えていたら、係官は、ほん
のわずかな蓄えもくれずに、こう言ったんだ。「おまえは、あっちの部屋へお
行き」ってねえ。
どうやら、入国カードに入国目的はビジネスと書いてあったので、係官は
「カナダで働くつもりか?」と聞いたらしいのです。それに「Yes」なんて答え
たものだから・・・。
他の人たちがすいすい入国していく中、指示された部屋へ行ってみると、そ
こには中南米の人たちや、インド人がたくさん並んでいました。どうやら、こ
こはカナダに移住したり、カナダで働こうとする人たちの為の特別な入国管理
室らしい、と気付いた時には、もう手遅れ。ああ、このままやなさんもカナダ
に移住することになるのか・・・? いやいや、家族を日本に残して、自分一
人だけそんな楽しい(!?)思いをするわけには・・・というわけで、必死になっ
て係官に説明しました。もちろん英語で。
My purposs to visit Canada is business meeting! I'll go back to States
only after two days! I'm a staff member of Japanese company! ・・・・
あ〜、びっくりした。何か生まれて初めて思いっきり英語をしゃべったよう
な気がする。その効果あってか、無事にカナダに入れてくれました。
教訓! 外国に入国するとき、適当に「Yes」と答えるのはやめよう!
思わず移住してしまうことがあるから。
3)フランス語はどこ?
さてさて、カナダと言えば、Hippo紹介の紙芝居にもあるように「東のケベッ
クでは、英語を話す人はいないし、西のバンクーバーでは、フランス語を・・
・」の国。そしてトロントはカナダの中では東の方にある町。どこからかフラ
ンス語が聞こえてこないもんかな〜、などと考えていると、看板(例えば道路
標識)には、全て英語とフランス語が併記してありました。おお、さすがカナ
ダ!
ところが、聞こえてくるのは英語ばかり。ホテルでも、レストランでも、訪
問先の会社でも・・・。 お〜い、フランス語はどこにあるんだよ〜???
カナダの東の方では英語を話す人はいないんじゃないのか〜???
後でアメリカ駐在員の同僚に聞くと、「ああ、そりゃ、モントリオールとか、
ケベックとか、もっと東の方に行かなきゃダメだよ」ですと。なんとね。
トロントのホテルからサーヤに国際電話をかけましたけど、高いのなんの。
たった10分程度で50ドル(6000円)もしました。
教訓! 国際電話でHippoの話をするのはやめよう!
電話代が宿泊費より高くなってしまうことがあるから。
4)感激! デトロイトから福井のホームページ掲示板にアクセス
カナダでの仕事も無事終わり、陸路、車でアメリカのデトロイトに戻って来
ました。デトロイトはカナダとの国境の町。エリー湖の西岸にあります。でも
ミシガン州・・・。
トロントからデトロイトまで高速道路401号線を時速100kmで走って
約4時間半。ドイツのアウトバーンと違って、カナダやアメリカの高速道路の
速度制限は時速110km程度で、あまり飛ばせません。アウトバーンは時速
200kmも平気なんですけどね。
しかし、驚くことは、走っても走っても景色が変わらないこと。ず〜〜っと
同じような畑が続いています。時差ボケのせいで眠くて、車の中で1時間くら
い眠って、目をさますと同じ景色・・・・「何だよ、止まってたの?」「いや、
100kmくらい走ったよ」てな調子です。こりゃ眠くなるわ。
カナダからアメリカへ車での入国は初めての経験。今度こそ、下手に「Yes」
なんて言わないようにしなくちゃ。また移住させられちまう・・・。でも、陸
路でのアメリカ入国は至って簡単。日本の高速道路の料金所みたいな箱にいる
おばさんにパスポート見せるだけで、すんなり入国。
さて、デトロイトには会社の現地法人があります。そこへ行くとパソコンが
あり、なんと日本語版の Windows 95 が入っているではありませんか。思わず
インターネットで福井のPatio Familyにアクセス! かくて、前人未踏の(ウ
ソや〜)、アメリカから日本のホームページの掲示板への書き込みに成功した
のでありました。感激!! 残念ながら、金沢のシュワッチのホームページに
はアクセスできませんでした。最近、日本からでもアクセスしにくいもんね。
それからそれから、デトロイトでメヒコ人に会いました。当然、オラ〜、コ
モエスタス? 鼻炎? の世界ですよね。
5)どこまでがうちの畑なの? やなさんオハイオに行く
デトロイトで、「明日はオハイオに行くよ」と言われて(もちろん仕事です
が・・・)、内心「え、オハイオ? ブラウンさん家やパーマーさん家、ある
かな? じいさんやジャネット(82年に12歳だから今は29歳)に会える
かな?」なんてバカなことを考えてしまったやなさんでしたが、実際に行って
みると、なんとなんと、テープの言う通りの所じゃないですかぁ!!!!
ホントに広い畑で、思わず「どこまでがうちの畑なの?」「さぁ、私にも良
く分からないんだよ、ハッハッハ」と言ってしまいそう! 広〜〜〜い畑のと
ころどころに家があって、まるで「巨大散居村!」(富山以外の人に分かるか
な?) カナダやデトロイト付近では見かけなかった牧場もあって、バカス、
カバージョス、コルデーロス、セルドス・・・etc もいる。訪問した会社のそ
ばを鉄道が通っていて、長〜い貨物列車がのんびり走っていて、「誰一人知ら
ないちっぽけな駅」もあって・・・。
ヌンカビーアビストの四輪馬車はいなかったし、あいにく雨で「地平線に沈
む夕日」も見られなかったけど、夜8時なのに、お日さまなんか(見えなかっ
たけど)全然沈んでないんだからぁ! ホントに9時頃まで明るいんです。
6)わかんないけどわかっちゃう! 不思議な体験
このころになると、ちょっと不思議だな、と思うことがたびたび起こるよう
になりました。相手の言う英語が、個々の単語は良く聞き取れないのに、何を
言いたいのかは「わかっちゃう」ようになってきたんです。
最後に行ったボストンでのこと、ホテルのチェックインの時、同僚(シカゴ
に5年いた人ですョ)が、「ホテルのフロントが早口で、何言ってるのか良く
分からない」と言ったんです。でも、私にはちゃんと分かっていました。ホテ
ルの人が「支払いはカードにしますか、現金にしますか」と言ったということ
を。そして、すっとクレジットカードを出して、ホテルの人は当然のように受
け取って・・・。
同僚曰く「何で分かったの?」 私「だって話の中にPaymentとか、出てきた
じゃない」。実は、その他の部分は全く聞き取れてなかった。
ああそうか、人は他人の話を聞くとき、一字一句、全部のことばを聞いてい
るわけではないんだ。本当に必要な「キーワード」が浮かび上がって聞こえて
くれば、話の背景(シチュエーション)さえ分かっていれば、それで全部を理
解できるんだ。これって日本語でも同じだよね。普段ファミリーでたくさん話
したり、人の話を聞いたりしていると、「キーワード」をつかまえるのが「い
つのまにか、知らないうちに」うまくなるのかな。だって、ファミリーで全部
の人の話すことを一字一句聞いていたら、疲れ切ってしまうでしょ。だから、
多分全部は聞いていない。でも、みんなの言ったことは、一応分かっている・
・・。
そういえば日本に帰国して、成田空港の両替所でドルを円に戻している時も
そうでした。前にいた外人がドルを円に換えながら、持っていた1万円札と千
円札を両替所に人に見せて、「It's still OK?」と聞いたんですが、両替所の
人(成田空港国際線ターミナルの両替所の人だから、当然英語は話せるでしょ)
は、何のことだか分からない様子。でも、私にはわかっちゃったんです。彼が
「このお金は、まだ通用するのか?」と聞いているということを。多分、かな
り以前に日本に来たときに国に持ち帰った日本円をまた持ってきたが、これは
今でも通用するのか? 新しい札ができて、これはもう通用しないんじゃない
のか? と聞いたのでしょう。私は思わず「It's still OK!」と言いながら、
自分の財布から日本円を出して見せて「It's same as this. So it's still O
K!」 彼は安心したように「Thank you!」 やっぱりそうだったか。こんなの、
IT IS STILL OK という一つ一つの単語の意味が分かったって、絶対に理解でき
ませんよね。この時、ホントに思いましたよ。あ〜、Hippoを続けていて良かっ
た! 大体、英語なんか、Hippoのテープの中でも一番聞かない方なんですよ。
それでも、続けていると、こういうことが出来るようになるんだな〜。
皆さん! ファミリーに出て、たくさん話して、たくさん聞くこと、大事で
すよ! 日本語でも構わないんです。人間の思い、それを伝えること、聞き取
ること(耳からだけではなくて)は人種・民族・言語に関係ないですから。
7)人に会うことが楽しい! こわくないから。
今回、アメリカに着いた直後、やっぱり英語がすぐにはうまく出てこなくて、
ちょっとアメリカ人から引いていました。正直言って、アメリカ人と話すのが
ちょっと怖かった。アジア人やロシア人からは引いていませんでしたけどね(笑)。
でも、カナダ入国での移住騒動(苦笑)を始め、必死に英語を使っていると、
それが相手にもちゃんと伝わるんだな、ということが段々分かってきますし、
相手の言うことも分かるようになってきます。たった1週間で、頭ではなくて、
身体でね。結局、英語だって他の言葉と変わりゃしないんだ。
そうすると、ああ、話をして、例えうまく伝わらなかったとしても、それで
別に取って喰われるわけじゃないんだ、相手も同じ人間なんだしな、と思える
ようになり、それからはアメリカ人やカナダ人が怖くなくなって、自分から声
をかけられるようになっていきました。それ以来、人に会うのが楽しくなりま
した。だって、怖いことなんか何もないんですから。
最後までお付き合い戴いてありがとう。 1999.5.19 やなさん
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