お金のいらない国3(落語)台本 男「よく来られましたね、こちらの世界に」
老(老人)「お金の存在する社会を見てみたかったものですから。ゴホゴホ(咳き込む)」
男「ああ、大丈夫ですか」
老「ええ、ええ。ちょっと空気が悪いですね。ゴッホゴホ」語り「そこへ一人の着飾った女性がやってまいります」
男「ああ、こんにちは」
女「こんにちは。(老人を見て)お知り合い?」
男「ええ、まあ」
老「(女性に)その、指にたくさんつけているものはなんですか?」
女「え?指輪ですけど」
老「なんでそんなものをつけているんですか?」
女「え?」
男「ああ、いいんです。よくお似合いです」
老「(男に)そうですか?」
女「失礼な人ね」(女、去っていく)
老「彼女はどうしたんですか?」
男「怒ったんですよ」
老「怒った?」
男「いいです。行きましょう」男「さ、着きました。ここがあたしのうちです」
(老人、男が持っている鍵<扇子>を見て)
老「なんですか?それは」
男「ああ、鍵ですよ。こうやって、チャッ(鍵の開く音)ドアを開けるんです」
老「意味がわかりません」
男「さ、どうぞ」(老人、新聞を手に取り)
老「ほう。たくさんの文字ですね」
男「ああ、新聞ってんですよ。ニュースとかね、いろんなことが書いてあります」
老「(新聞を見ながら)おお」
男「どうされました?」
老「いやあ、こんなことが」
男「ああ、連続殺人事件ですね」
老「人が人を殺すんですか?」
男「ええ、最近はねえ、てえした理由もねえのに殺しちまうようなことも多いみたいですね」
老「理由もなく?私には人を殺す理由なんて想像もつきませんが」
男「まあ、いろいろ無理のある社会ですからね。おかしくなっちまうやつも出てくるみたいですね。
その犯人はね、死刑でしょう」
老「しけい?」
男「ええ、裁判で、死刑が決まりゃあ、殺されんですよ」
老「さいばん?」
男「ええ。犯罪者をさばいてね。罪の重さを決めんですよ」
老「ええっ?さばくんですか!」
男「ええ、さばくんですよ」
老「こうやって、おなかを裂いて、はらわたを出して」
男「いやいや、そのさばくじゃねえよ。いくらなんでもそこまではしねえよ。魚じゃねえんだから。
さばくってえなあね、まあ、牢屋に何年入ってろとか、そういうことを決めんでさあ」
老「ふうん」
男「あなたがたはそういうことはしねえんですか?」
老「ええ、私たちはそんなことはしませんよ」
男「じゃあ、犯罪者はどうすんですか?捕まえねえんですか?」
老「私の世界では犯罪というものは滅多に起きませんが、誰かが誰かに迷惑をかけられたと感じて、
第三者に何とかしてほしいと思ったような場合は、病院に連絡します」
男「え?病院に?」
老「ええ、そうすると、病院から人が来て、必要とあらば迷惑をかけている人を捕まえます」
男「へえ。それでどうするんですか」
老「入院してもらいます」
男「それで?」
老「それで終わりです」
男「いつまで入院させておくんですか?」
老「病気が治るまで」
男「罪の重さだとか、入院させておく期間なんかは決めなくていいんですか?」
老「人間に罪の重さなんて決められないし、いつ病気が治るかもわからないでしょう。
治った時に退院させるしかないんじゃないんですか?」
男「はあ、なるほどね。まあ、金のねえ社会だったら泥棒も詐欺もねえんだから
トラブルはそう起きねえでしょうしね。罰金制度もねえわけだし。
あのう、ひょっとして法律もねえんですか?」
老「ほうりつ?」
男「法律っていうのは、この社会を生きていく上でやっちゃいけねえことなんかを決めたもんなんですよ」
老「ははは。そんなことは決められなくてもわかるでしょう」
男「まあね。法律のことなんかよく知らなくったって、普通の人はそう悪いことはしませんからね。
でもねえ。あたしたちの世界じゃ、法律っていう基準がねえと、
人のものを取ったりするようなやつが増えると思うんですよね」
老「へえ、なぜですか」
男「だって、例えば金が足りなかったり、たくさんほしかったりすりゃあ、人のものを取った方が手っとり早えですから」
老「あなたもそうするんですか?」
男「いやあ、あたしゃしませんよ」
老「じゃ、みんながしなければいいんですよね」
男「でも、この世にゃあ、悪いやつがいるから」
老「悪いやつ?」
男「ええ。人のものを取るようなね、悪いことするやつがいるんですよ」
老「でも、ほしいものがあれば誰だって手に入れたいでしょう」
男「でも、人のものは……そうか。あなたの世界じゃ、自分のものと人のものってえのを分けて考えていねえんですかね」
老「自分のものって何ですか?」
男「あなたのものだと、……例えばその服とか」
老「ああ、あげましょうか」
(老人、服を脱ごうとする)
男「ああ、いいですよ、要りませんよ」
老「ほしいならあげますよ。またもらってくればいいんですから」男「金のねえ社会ってえのは、所有ってねえんですか?」
老「え?ありますよ。お刺身につけるやつでしょ?」
男「え?いやあ、そりゃ、醤油でしょ。醤油じゃねえよ、所有だよ。所有ってのはね。
ううんと、あたしが所有してるものだと、家とか、車とかね」
老「あなたはあなたですよ。家でも車でもないですよ」
男「いや、そりゃ、わかってんですけど。……そうか。金のねえ社会ってえのは、所有っていう概念もなくなっちまうのか。
だから何持ってたって意味がねえんですね?
そうですよね。金のねえ社会だったら、何持ってたって誰にもうらやましがられねえ。
持とうと思やあ、誰だって何だって持てんだから。その時その人が必要なもの以外は持ってたって意味がねえってことか。
こりゃあ、おもしれえもんだな、すげえことかもしんねえな。(老人の方を向いて)ねえ、すご……あれ?」
老「ねえ、ねえ、これは何ですか?」
男「ああ、テレビっすよ。見てみますか?」「ブン(リモコン<扇子>でテレビをつける音)」
男「あ、このドラマね、人気あるんすよ」
老「……ははは、ははは」
男「あのねえ、そこ、笑うとこじゃねえっすよ」
老「だって、ほら、泣いてる」
男「この二人はねえ、愛し合ってんのに他の人と結婚しなきゃならねえもんだから、悲しんでんですよ」
老「結婚ですか。以前お聞きしましたね。泣くくらいならやめればいいのに」
男「ああ。そりゃ、あなたのおっしゃる通りかもしんねえな。……ちょっとチャンネル替えてみますね」老「この人たちは何をしているんですか?」
男「政治家の討論会です。話し合ってんですよ」
老「あはははは。またあ、ご冗談でしょ」
男「冗談じゃ、ねえっすよ」
老「でも、あんなに興奮して大きな声を出して」
男「意見が合わねえから、怒ってんでしょう」
老「怒っている?……ああ、さっきのご婦人もやっていたことですか」
男「まあね」
老「怒ると、何かいいことがあるんですか?」
男「……いや、たぶんねえです。……あなたは怒らねえんですか?」
老「意味のないことならしません」
男「でもこう、自分の思い通りになんねえ時なんか腹あ立ちませんか?」
老「え!?あなたの腹、立つんですか?」
男「立ちませんよ」老「この人たちは話し合う気があるんですかね」
男「まあ、政党を代表してっからね。党の主張を曲げるわけにゃあ、いかねえんでしょ」
老「せいとう?」
男「ええ、それぞれの人がね、別々のグループに所属してるんですよ」
老「そのグループの中の人は、みな同じ考えなんですか?」
男「一応そういうことになってますね」
老「じゃあ、話し合っても無駄じゃないですか?」
男「ああ。確かにそうかもしれません」
老「話し合うなら、ちゃんと人の意見は聞かないとね。初めから対立するつもりなら話し合う意味はありませんよ」
男「そうですよね。あたしもこういう番組で誰かが納得したってえのを見たことがねえんですよ」
老「ははは。ほんとにあなたたちはおかしな社会に住んでますね」
男「ちょっとチャンネル替えますね」男「あ、そうだ、今日は、サッカーの国際試合で日本が出てんですよ、ほらね。
あ、ちくしょう負けてやがる。ああ、だめだ、だめだ、あ〜〜、また入れられちゃった」
(老人、拍手する)
老「どうされました?」
男「いえ、別に」
老「いいシュートでしたね」
男「そうですね」
老「あ、怒ってるんですか?」
男「怒ってませんよ」
老「ははは。この時代の人は怒ることがたくさんあって大変なんですね」
男「……そうだな。何怒ってんだろうな。
自分の思い通りになんねえ時に、腹あ立つんだろうけど、そんなのは自分勝手なことかもしんねえな」語り「なあんてブツブツ言っております間に、客人の方はといいますと話なんざ聞いちゃおりません。
飾ってあった壺に興味がいったようで、手にとって珍しそうに眺めております」男「そうだな。怒ったって、何にも解決しねえし、疲れるだけか。そっか、ねえ、怒ったって……」
「ガシャ〜〜ン!(壺の割れる音)」
男「怒りません!」