お金のいらない国2(落語)台本

男「あ、ここだな」

「ピンポ〜ン(チャイムの音)」

老(老人)「あ、お客さんですね」

(老人、玄関に出てドアを開け)
老「ようこそ」
女「はじめまして。ようこそいらっしゃいました」
男「お邪魔します」

語り「女性は奥の方に入っていきます」

男「へえ、おきれいな方ですね。奥様ですか?」
老「おくさま?」
男「ええ、奥様じゃねえんですか?じゃ、これ?(小指を出す)」
老「これ?(小指を見せる)」
男「いや、いいんですけど。結婚されてるんですよね?」
老「けっこん?」
男「ああ、結婚はご存じない。じゃ、ご説明します。
  あたしたちの時代じゃあですね。まあ、多くの場合ですけど、男女がある程度の年齢になると、
  結婚という手続きをして一緒に暮らすんです」
老「ほ〜う」
男「で、結婚するとその二人は夫婦と認められて、男性が夫、女性が妻ということになって、
  外の人からはそれぞれ、旦那さん、奥さんなんて呼ばれんです」
老「はあ」
男「で、その二人の間に子供ができると一緒に育てます」
老「うん」
男「あのう、こちらにはその結婚という言葉はねえにしても、
  あなた、あの方と何らかの手続きをされて暮らしておられるんでしょ。
  だとすりゃあね、その状態は、あたしたちんとこじゃあ結婚してるということになるんですよ」

語り「オギャア、オギャアという泣き声がしまして、先ほどの女性が赤ちゃんを抱いてまいります」

男「ああ、お子さんがいらっしゃるんですか。じゃあ、れっきとしたご夫婦ですね」
老「確かにこの子は、この人と私の間にできた子です。でも私たちは、何の手続きもしていませんよ」
男「え?」
老「ここには、あなたが今おっしゃった結婚というものに該当するような手続きはありません。
男女は一緒に暮らしたり子供を作ったりしますが、それを第三者が認めたり、管理したりするシステムはありません」
男「へえ。じゃ、子供が生まれてもどこにも届け出ねえんですか?」
老「いや、それは届を出しますよ」
男「戸籍に登録するんですよね?」
老「こせき?」
男「あたしたちんところじゃですね、その人が誰と誰の間の子で、何という名前で、生年月日がいつで、
  現住所がどこで、本籍地がどこでとかね、そういうことを記した書類があるんですよ。役所ってところにね。
  そんで、結婚したり、子供が生まれたりするたんびにね、それが書き換えられていくんです」
老「へえ、そうなんですか。面倒ですね」
男「じゃ、やっぱり戸籍もねえんですか。だとすると、子供が生まれた時は何を届け出るんですか」
老「私たちの場合、子供が生まれると、名前と生年月日、住所などを届け出ます。
  そういうことを管理しているところがあるんですが、そこにあるのは個人の名簿だけで、
  誰が親かまで登録するようなシステムはありません」
男「へえ。その名簿ってえのは親とは別なんですね。じゃあ、名前はどうなるんですか。名字とか」
老「みょうじ?」
男「名字もねえんですか?
  ……あの、あたしたちの名前ってえのはね、二つに分かれていて、名字と名前があるんですよ。
  結婚するとその二人は同じ名字になって、子供が生まれても親と同じ名字になるんです」
老「へえ、そうなんですか。なんでそんな必要があるんですかね。
  私たちの名前というのは二つに分かれてはいません。一人に数文字の名前がついているだけで、
  親と子が共通する部分はありません。まあ、名前をつけるのはたいてい親ですから、
  それはつけ方次第でどのようにでもなるんですが」
男「はあ。まあ、名字がなけりゃあね、夫婦別姓がどうだとかしちめんどくせえ問題も起きませんわね。
  あたしたちんところとはずいぶん違うんで、びっくりしちまいますね」
老「う〜ん。やはり、そのお金というものが関係しているのではないですか?」
男「お金すか……確かにね、お金が存在しねえんだったら、子供の養育費や教育費もいらねえから、
  他人が保護者を特定する必要もねえかもしんねえし。
  結婚しても誰かを養うわけでもなきゃあ、離婚の時に慰謝料がいるわけでもねえから、
  それも本人たちが好きにすりゃあいいこったし。
  遺産相続もねえから、親族が誰かなんてえのも当事者がちょっとわかってりゃあいいことかもしれませんね。
  となると戸籍も必要ねえか」
老「でしょう」

男「お子さんはお一人なんですか?」
老「いえ、もっといますよ。母親はこの人ではないですが」
男「え?まずいこと聞いちゃったかな」
老「別にまずくないですよ。(女性に向かって)なあ」
女「ええ」
男「そのお子さんたちとは会われたりするんですか?」
老「よく遊びに来ますよ、母親も一緒に。(女性に)な」
女「ええ」
男「あのう、余計なお世話かもしれませんけど、それでトラブルは起きねえんですか?」
老「起きませんよ。(女性に)なあ」
女「え〜え」
老「なんでトラブルが起きるんですか?」
男「え?だって三角関係だし」
老「はあ、三角ですか(指で三角形を作る)」
男「ええ、そういう関係をね。あたしたちんところじゃ三角関係って言うんですよ」
老「その三角は何が問題なんですか」
男「だって、自分の愛する人がですね、他の人と仲良くしてたり、まして子供まで作っちゃったりしたら嫌じゃねえですか?」
老「なぜですか?」
男「なぜって。自分の好きな人のことは自分だけのものにしておきてえでしょう」
老「自分のもの。自分の好きな人が他の人と仲良くしなければ自分のものになるんですか?」
男「え?そりゃまあ、自分のものっつたって相手も人間ですから、自分の所有物になるわけじゃねえんですけど。
  でもそこは、お互いが他の人のことは好きにならねえようにすることによって信頼関係を保つというか……」

(老人、男を疑わしい目で見る)
男「いや、そりゃあまあ、他の人のことだって好きになったりはしますよ。
  だから、だから結婚という契約をして、愛を誓うんです」

(老人、しらじらしくうなずく)
男「ちぇっ。わかりますよ。あなたが何おっしゃりてえのかは。そんな契約したって愛なんか誓えねえって言いてえんでしょ。
  そりゃあね、一時的に何誓ったって離婚する夫婦はたくさんいるしさ、
  結婚っていう契約に縛られて、別れてえのに別れらんねえ人もいっぱいいるんですよ。
  あたしだってね、うっかり結婚なんかしちまったもんだからさ、もうがんじがらめだ。
  自由もへったくれもあったもんじゃねえ。俺の人生けえしてくれってんだ、こんちくしょう」
老「何も言ってませんよ」

男「あたしたちんところじゃね、一夫一婦制つって、結婚は一人の人としかしちゃいけねえっていう決まりがあんですよ」
老「ほう。あなたがたは、よほど決めごとが好きなんですね」
男「好きっていうか、別の時代や別の国じゃあ、それ以外の形もあったみてえですけど」
老「別の形に決める必要もないと思いますけどねえ。
  男と女が、どんな関係にあろうと、人それぞれでいいんじゃないでしょうか。
  トラブルが起きたら起きたで、当事者同士で解決すればいいでしょう」
男「いやあ、あたしたちは一対一と決めておかねえとだめなんじゃねえかなあ」
老「一組の男女だけを見ればどんな場合でも一対一でしょう。
  相手が他に誰とどんな関係にあろうと、相手の問題ですから、気にしなければいいんじゃないんですか」
男「あたしたちはなかなかそこまで割り切れねえと思うんですけど」
老「いや別に、一対一がいけないというわけではないんですよ。でも、お互い負担になりませんかねえ」
男「負担ねえ」
老「例えば、自分の理想のすべてを一人の人に押しつけようとしても無理がありますよね。
  自分も、相手のすべての期待に応えられるはずもない」
男「そりゃあそうですけどね。でも、ある程度であきらめるっていうか、そういう割り切りも必要なんじゃねえですかね」
老「まあ確かに。求めるものが多すぎたり、理想が高すぎたりすればきりがないですけどね。
  ……でも、その一夫一婦制という決まりは一生続くんでしょう?
  若いうちに決めた一人の相手以外、死ぬまで誰も好きになってはいけないというのも少々乱暴ではありませんか」
男「それはそうですね」
老「私の場合は、今まで生きてきた中で、数人の女性と特に親しくなりました。
  子供ができた人もいれば、できなかった人もいます。
  今も親しくしている人もいれば、自然に離れていった人もいます。それだけのことです」
男「まあ、考えてみりゃあね、あたしたちもやってることは似たようなもんなんですけどね。
  なんか難しいことになっちまってんだよなあ」

語り「オギャア、オギャアと赤ちゃんが泣きだしまして、女性が赤ちゃんを奥の方に連れていきます」

男「でも、男女関係が複雑だと、誰が家族かわからなくなりませんか?」
老「かぞく?」
男「うわ〜。家族ってえのはね、親とか兄弟とか、主に血縁関係のある、一緒に住んでいる人のことですよ」
老「私の場合ですと、誰が家族になるんでしょうか」
男「あの方と住まれてるんですよね?」
老「いえ、彼女は遊びに来ているだけです。寝るときは帰ります。今は他の男性と暮らしていますから」
男「ええ、そうなんですか。じゃあ、家族がいるとは言えねえかな」
老「家族というのは、寝る場所が問題なんですか?」
男「いやあ、そうでもねえかもしんねえですけど、
  でも、戸籍もねえんですもんね。お金がねえんだから誰かを扶養しているわけでもねえし。
  ……ううん、結婚って何なんだ?家族って何なんだ?」

「ピンポ〜ン(チャイムの音)」

(老人、玄関に出て)
老「あ、子供たちが来ました」
男「ええっ!こんなに大勢?

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