こころの散歩道


「ばばあ、生きていやがったのか!」
俺はぶったまげて気を失いそうになった。

真夜中の郊外。俺はうちへ帰るためにクルマを飛ばしていた。会社でクソ面白くもないことがあって、やけ酒を飲んだ帰り。かなりの雨の中、目の前で右往左往するワイパーにも腹が立った。赤信号には気づいていたが、こんな時間に渡る奴はいないだろうと思ってスピードを上げた。ばあさんに気づいたのはもう止まれるはずもない速さになってからだった。ヘッドライトに照らされたばあさんの顔が一瞬見えたが、急ブレーキを踏んで、かなり先で止まった時には、ばあさんはすっ飛んでアスファルトの地面に叩きつけられていた。俺は全身にしびれを感じ、頭の中が真っ白になった。がくがくしながらなんとか車を降りて、雨に打たれたまま動かないばあさんのところへ行った。仰向けに倒れているばあさんの、八割がた白髪の頭からはかなりの血が流れていた。死んでると思った。ばあさんは目をつぶっていた。でも妙に安らかな顔をしていやがった。俺は暫く茫然と立ち尽くしていたが、凍りついた脳味噌は、なんとかこれからどうすべきかを考えようとしていた。警察に連絡しようか。しかし近くに公衆電話はないし、俺は携帯電話も持っていない。町はまだ少し先で、見渡す限り誰もいないし、物音に集まってくる野次馬もいない。俺はとにかく町まで行こうと、固まっている足を無理矢理動かしてつまずきながらクルマに戻り、まだ震えの止まらない手でハンドルを握って、クルマを発進させた。ぐちゃぐちゃに混乱した頭の中は何を考えているのかもわからずグルグル回っていたが、やがてひとつの考えがカタチになりはじめた。誰にも見られていない、このまま逃げてしまえば見つからないかもしれない…俺はさらにスピードを上げた。

その死んだはずのばあさんが、いま俺の目の前につっ立っているのだ。さっき確かに吹っ飛んで血を流していたばあさんが。人違いじゃねえ。俺の目にはあの顔が焼き付いてるし、着ていた服の色もおんなじなんだ。でもおかしなことに血も出ていなければ服も濡れていない。おまけにばあさんはニコニコしてこっちを見ていやがる。助かったんならもう怖いもんはないが、あんな怪我をしていたのに並の人間が助かるわきゃあねえ。ひょっとして…もう化けて出やがったのか。俺は全身に冷水を浴びせられたような恐怖を感じ、足の力が抜けてへなへなと座り込んでしまった。そしたら幽霊ばばあは俺の方に向かって歩いてくるじゃねえか。俺は泣きたい気持ちになったが、幽霊にも足があるんだなんて、くだらねえことも考えていた。ばあさんが俺の所まで来る前に、俺は地べたに額をくっつけて両手で頭を抱えた。ばあさんが俺のすぐ前で立ち止まったのがわかった。
「わ、悪かった。助けてくれ!」
ばあさんの返事はない。一瞬の沈黙の後、俺は恐る恐る顔を上げ、上目遣いにばあさんを見た。そこにはやはり、間違いなくさっき俺がはねたばあさんの顔があった。俺は声にならない裏返った変な音を発して、もう一度突っ伏した。その時、頭上から声が聞こえた。
「大丈夫ですよ。顔をお上げなさい」
声は優しく、笑っているようにも聞こえた。俺は突っ伏したまま考えた。今のは、きっとばあさんの声だよな。他には誰もいねえもんな。しかし、なんで俺に殺されたはずの幽霊がこんなに優しい声で俺に話しかけるんだ。幽霊ってのは恨んで出るんじゃないのか。もしかして油断させておいてものすごい化け物に変身したりするんじゃないだろうな。しかしこのままではらちがあかない。俺は度胸を決めてゆっくりと起きあがり、ばあさんの顔を見た。ばあさんは化け物にはなっていなかった。相変わらず優しい目で笑っていた。俺は放心状態だったが、暫くすると訳が分からないながらも少し落ちついてきた。俺は懸命に口を開いた。
「あんた、さっき俺にひかれた人じゃないのか」
ばあさんは言った。
「そうですよ。私はあなたの車にはねられて死にました」
俺の全身は髪の毛まで鳥肌になった。口から泡を吹きそうになりながらずるずる後ずさりした。
「待ってください。怖がらなくてもいいんですよ。何もしませんから」
俺が望んだわけじゃないが、俺の目は暫くまばたきもせず、幽霊に釘付けになった。これが幽霊か。足もあるし、思っていたのとはだいぶ違うが、でも本人が死んだと言ってるんだから幽霊なんだろう。俺はやっと声を絞り出してばあさんに聞いてみた。
「あんた、幽霊なのか」
なんか間の抜けた質問だったが、ばあさんはちょっと驚いたような顔をした後、笑って答えた。
「ほほほ、幽霊ね。そうかもしれませんね」
俺はなんだか変な気分だった。幽霊がほほほ、か。ばばあ、俺を馬鹿にしてんのかな。俺は少し落ちつきを取り戻して聞いてみた。
「ここはどこなんだ」
ばあさんは答えた。
「ここは、霊界です」
「れいかい?」
「そう、霊界です。死んだ人間の来るところです」
まだ正気は取り戻していない俺だったが、ひきつりながらも笑う余裕はできていた。
「ははは、死んだ人間の来るところだって?じゃあ、なんで生きてる俺がここにいるんだよ、はっはっは」
ばあさんはサラッと言った。
「それはあなたも死んだからよ」
俺の口は「は」の形で止まり、目はマジになった。
「お、俺が死んだって?俺は死んでねえよ。だってほら体もあるし、意識もあるぞ。いいかげんなこと言うな」
絶対信じられなかったが、ばあさんが冗談を言っているようにも見えなかったので、俺はちょっと不安になった。
「ほほほ、信じられない?じゃあ、証拠を見せてあげましょうか」
ばあさんがやけに自信たっぷりだったので、俺の不安はだんだん大きくなってきた。
「あれをごらんなさい」
ばあさんが指さした先にはスクリーンのようなものがあった。俺は言われるままに目をそちらに向け、全身をひきつらせた。そこには電柱に車をぶつけ、フロントガラスを突き破ってボンネットの上に血まみれで倒れている俺がいた。目は開いたまま、口からも血が流れていた。どう見ても死んでることは医者でなくてもわかった。周囲にはたくさんの人だかりができていた。救急車から白衣の人がタンカーを運び出しているところだった。警官も大勢いて、あちこち調べたり、野次馬を整理したりしていた。見覚えのある俺のうちのそばであることは一目でわかった。おれは気を失いそうになった。さっき笑ったのは遠い昔のような気がした。
「あなたはね、私をはねた後、早くうちに帰ろうとスピードを出しすぎて事故を起こしたのよ」
ばあさんはこんなことを言いながらも、まだニコニコしている。俺はもう投げやりな気持ちになった。あれは映画にしちゃあリアルすぎるし、だいたい俺は映画なんか撮られた覚えはない。あそこで死んでたのは本当に俺なのかもしれない。しかし、だとするとこの俺は一体誰なんだ、ここにこうして生きている俺は…。俺は両手で自分の顔を触ってみた。確かに俺の顔だった。手にはいつもの感触があった。別に血も付いてこない。
やっぱり俺はここにいるじゃねえか。なんにも前と変わってない。生きてる俺がここにいるんだ。俺は狐につままれたような気分になって、ばあさんに聞いた。
「あそこで死んでるのが俺なら、なんで俺はここにいるんだよ」
ばあさんは笑いながら言った。
「あなたは死んだからここに来たんですよ」
「だって俺の体はちゃんとあるじゃねえか。意識だってあるぞ。夢にしちゃはっきりしすぎてらあ」
「人は死んだって体も意識もちゃんとありますよ。生きている時よりよっぽどはっきりとしたものがね」
「嘘つけ。死んだら何もかもなくなっちまうに決まってるじゃねえか。そんな非科学的なこと俺は信じねえぞ」
「ほほ、非科学的ねえ。人間の科学なんてそんなに立派なものかしら。死んだら何もかもなくなるなんて、どんな立派な科学者が言い出したんでしょうねえ」
俺は言葉に詰まった。そう言われてみると自信がなくなってきた。死後の世界なんてあるはずがないと、俺が勝手に信じ込んでいただけかもしれない。俺はばあさんに言った。
「あんた、なんでそんなわかったようなこと言ってるんだ。あんただって俺にひかれて死んだんなら、ここに来たばっかりだろう」
「そうですよ。わたしもあなたよりちょっと先に来たばかりです。でも、私は生きてるうちからここによく遊びに来ていたから知ってるのよ」
このばあさん、頭がおかしいんじゃないかと俺は思った。ばあさんは続けた。
「私はね、霊媒なのよ。だから霊界の人とはよく連絡を取っていたし、霊界のことも少しはわかっているの。ここは霊界のほんの入り口。霊界には無限の階層があるのよ。あなたはなんにも知らないみたいだから私が少し案内してあげましょう」
ばあさんはくるっと後ろを向いて歩き出した。
俺は躊躇した。このおかしなばあさんについて行っていいもんだろうか。しかし、どうも俺が思っている幽霊とは違うようだし、危害を加えられることもなさそうだ。俺は、ばあさんの後について歩き始めた。

暫く行くと広場があって、たくさんの人が集まっていた。皆、芝生の上に同じ方向を向いて座り、何か話を聞いているようだった。皆が向いている先には光が見えた。俺はばあさんについて、その光の方に近づいて行った。近づくにつれ、その光を発しているものは人のような形をしていることがわかった。さらに近づくと、それは明らかに人で、話しているのはその人だとわかった。なんと光る人が話していたのだ。立ち止まって眩しさをこらえながらよく見ていると、その人は俺の方を向いて、微笑んだような気がした。ばあさんが言った。
「あの方はとても霊格の高いお方で、この界の人たちを指導するために来てくださっているのよ」
ばあさんの言っている意味が俺にはさっぱりわからなかったが、その光る人を見ているとなぜか気分がよくなるような気がした。暫くすると光る人の話が終わった。さざ波のような拍手が起こり、どんどん大きくなっていった。聞いていた人たちはとても幸せそうな顔をしていた。涙を拭いている人もいた。それから光る人は、なんとこちらに向かって歩いてきた。俺はもう眩しくて指の隙間から見るしかなかった。光る人は俺たちの少し前で立ち止まり、ばあさんの方を見て言った。
「ようこそいらっしゃいました」
それから俺の方を向いて言った。
「お久しぶりです」
意外な言葉に俺は眩しさをこらえて目を開かざるを得なかった。この人は俺を知っているのか。俺は一生懸命光る人を見た。光る人は黙って微笑んでいた。誰だろう。どこかで会ったんだろうか。俺の知り合いにはこんな立派な人はいなかったと思うが…。俺は考えた。そういえばこの顔はどこかで見たような気がする。でも思い出せない。………え、もしかして……でも、まさか……似てるけど……やっぱりそうかな……でもな……いや、やっぱりそうだ! 間違いない!俺はあんまりぶったまげて声も出なかった。
「思い出してくれましたか。そう、僕です」
彼は俺の中学時代の同級生だった。成績はお世辞にもいいとは言えなかったし、体も弱くて、よく学校を休んでいた。俺は仲間とよく彼をからかって遊んだ。かなりひどいこともしたと思うが、彼は何をされても怒らなかった。そうだ。間違いなくこの人は彼だ。俺の記憶の中の彼とはあまりにも違っていたが、俺は確信した。俺は驚きのあまり茫然としていた。彼は言った。
「懐かしいですね。僕はあなたと一緒に中学を卒業しました。でも高校の時、以前から患っていた病気が悪化してしまい、死んだんです」
背筋にゾーッとしたものが走った。そういえば高校三年くらいの時、そういう噂は聞いた。気の毒だとは思ったが、そのまま忘れていた。ではこの人も幽霊なのか。俺はとても複雑な、すまない気持ちになった。
「せっかくお会いできたのに残念ですが、私は次の仕事があるのでそろそろ行かなくてはなりません。またいつかお会いしましょう」
ふと見ると近くに階段のようなものがあった。階段はずっと高いところまで続いていて、先はすごく明るい光の中に消えていた。彼がそれに乗ると階段はエスカレーターのように動き出した。彼は微笑んでこちらに手を振っていたが、やがて光の中に溶け込み、見えなくなった。ばあさんが言った。
「ああいうお方のそばにいるだけで、とても幸せな気持ちになれるでしょう」
俺にも異論はなかった。何か顔がほころんでしまうようなうれしい気持ちだった。ここは天国なのかもしれない。俺はやっぱり死んだのかな。死後の世界なんて迷信だと思っていたが、本当にあったのか。俺はばあさんに聞いた。
「ここは天国なのか?」
ばあさんは言った。
「天国ね。そうとも言えるけど、多分あなたが思っているような単純なものではないわ」
俺は(言ってくれるじゃねえか、このばばあ)と思ったが、声には出さなかった。少し間をおいてから俺はばあさんに聞いた。
「あの階段の先には何があるんだ」
「あの先はね、光に包まれた世界よ。上に行けば行くほど光はどんどん強くなって、そこに住むに相応しいすばらしい方たちがいらっしゃるの」
「あんたはそこに行ったことがあるのか」
「少しだけね。でも私の霊格で行けるところは限られているわ」
俺は、ふうん、そんなもんかねと思ったが、さっきの友だちの光を見ていたので少しはわかるような気がした。ばあさんが言った。
「じゃあ、今度は別のところを案内しましょう」

ばあさんが行った先にはまた階段があった。でも今度のは下りの階段だった。ばあさんに続いて俺がそれに乗ると、階段は動き出した。乗ってみてから気づいたのだが、この階段はさっきみたいに光の中に向かっていくのではなかった。階段の先は闇の中に消えていた。俺はいやな予感がした。もしかして、この階段の通じているところは、あまり楽しい所ではないかもしれない。噂によれば、あの世は天国だけじゃなくて、地獄もあるんだった。でもまさかな、このばあさんだってわざわざ好きこのんで地獄に行くわきゃあないよな。そんな心配をよそに階段はどんどん下りていった。辺りがだんだん薄暗くなってきた。俺はかなり不安になった。ひょっとしたらこのばあさん、地獄に着いたら俺を置いて逃げる気じゃないだろうか。なんつったってこのばあさんは俺にひき殺されたんだから。もしかしたら最初から俺を地獄に連れてくるのが目的だったのかもしれない。しまった、まんまとはめられたか。ばあさんは黙って俺の前の段に乗って進んでいた。俺は、ばあさんが振り返ったら鬼の顔になってるんじゃないかと思えてきて恐ろしくなった。周りはしんと静まり返っていて、暗く、湿っぽかった。俺は黙っていられなくなり、ばあさんに声をかけた。
「ど、どこに行くつもりなんだ」
ばあさんは振り返った。幸い、鬼になってはいなかった。ばあさんは少し笑いを含んだ声で言った。
「おや、怖くなったかい?」
「うるせえ。怖かあねえけどよ。どこに行くんだって聞いてんだ」
「そうねえ。地獄かもね」
俺は不覚にも一瞬びびった。くそう、読まれている。ばあさんは笑って続けた。
「ほほほ、大丈夫よ。とって食われたりはしないわ」
俺は少し安心したが、この階段の行く先に楽しいことは期待しない方がいいという気持ちは変わらなかった。やがて階段は一応終わり、俺たちは地面に立った。一応と言ったのは、もっと下に続く階段が見えていたからだ。下はさらに暗くなっているようだった。

辺りは薄気味悪く、肌寒かった。俺は恐る恐るばあさんの後について行った。針の山や火の海は見あたらなかったが、とても居心地のいい場所とは言えなかった。暫く行くと、大きなホールのような建物があった。ばあさんがスタスタその中に入って行ってしまったので俺も続いた。中には大勢の人がいた。男も女もごちゃごちゃいた。彼らの前には山のように食べ物が積まれていた。皆、それをガツガツと食べていた。食べ物はいくら食べてもどんどん現れ、なくなることはなかった。しかし、人々は他人の分まで奪い合って狂ったように食べていた。俺は見ていて気分が悪くなってきた。いったい体のどこに入るんだろうと思った。食べ続けている一人が口にものを入れたまま一瞬声を出した。
「腹が減った」
俺はぎょっとした。そしたらあちこちで声があがった。
「腹が減った」
「もっと食う物をよこせ」
俺は唖然として声が出なかった。なんなんだこいつらは。あんなに食っていてまだ食いたいのか。俺は、あきれてばあさんの顔を見た。ばあさんは言った。
「この人たちは餓鬼なの。生きている頃からとにかく食べることへの執着が強くて、死んでからもその欲を捨てられないのよ」
そんなことってあるのか。
「人間はね、肉体を持って生きているうちはその体を維持するためにある程度食べることが必要なのよ。でも肉体を離れてこの世界に来てしまうと、もう食べ物の必要な体ではなくなるの。だからそれに気づいた人はもう食べようとはしなくなるんだけど、あの人たちは、まだ食べなければ気が済まないのね。でももう食べ物をエネルギー源とする体ではないから、いくら食べても満足できなくてずっと食べ続けているのよ」
俺は不思議なこともあるもんだと思った。俺はばあさんに聞いた。
「俺が死んだらしいことは何となくわかってきたんだが、じゃあ、この体はなんなんだよ。ものを食わなくてもいい体なんて俺にはなんだかわからねえ」
ばあさんは言った。
「無理もないわよね。あなたはなんの知識もなく突然ここに来てしまったんだから。つまり、この世界を生きていく体は三次元を生きて行く体とは違うものだってことよ」
俺は余計わからなくなった。ばあさんと俺はそのホールを出た。

少し行くと、今度は広場のようなところに数十人の集団がいた。皆バラバラにあちこちに散らばって黙って座り込んでいた。その中にいくつかグループが出来ていて、何かしゃべっていた。そして暫く見ていると面白いことがわかった。グループを作った人たちは、はじめ楽しそうに話していたかと思うと、そのうち言い合いをはじめ、最後は喧嘩のようになって別れ、また黙って座り込むのだ。でも少し経つとまた何人かが集まって話し始め、やがて喧嘩になって別れた。この人たちはなんとそれを繰り返しているのだ。そしてよく聞いているとさらに面白いことがわかった。顔を突き合わせて話しているのにみんなそれぞれ話している内容がバラバラなのだ。自分がしゃべっているだけで相手の言ったことに対する答えがない。要するに皆が一方的に話してばかりいて誰も相手の言うことは聞いていないのだった。話し始めたときのうれしそうな顔、相手が聞いていないのがわかって怒っている時の顔、別れて座り込んだ時の寂しそうな顔。何とも滑稽な情景だった。ばあさんは言った。
「あの人たちは生きている頃、人の話を聞かずに自分が話すことばかりに夢中になっていたおしゃべりな人たちなのよ」
そういえば、なんかの討論会で見た評論家や教授の顔もあった。俺は不思議になってばあさんに聞いた。
「さっきの食ってばかりいる奴らにしても今のおしゃべりな奴らにしても、なんで同じような奴が集まってるんだ」
ばあさんは言った。
「類は友を呼ぶっていう法則ね。この世界は似たような人間が集まるように出来ているのよ。人間のレベルに合わせて世界が別れていると言った方がいいかしらね。でもそれは誰が強制するわけでもないのよ。ここに来ると自分に相応しい世界に自然に引き寄せられていくの」
「あいつらはずっとああしているのか。他の世界には行けないのか」
「自分の間違いに気づいて、反省した人は別の世界に行けるわ。でも気づかない人はそのままよ」
「気づかなければずっといるのか」
「永遠にね」

俺たちがまた暫く行くと、今度はめんどりのようにうずくまった集団に出会った。みんなおなかの下に何か隠しているようで、じっとしたまま首だけ動かして心配そうにあたりを窺っていた。一人の男がじりじりと別の男に近づいたかと思うと、サッと腹の下に手を入れた。手を入れられた男は鶏のような甲高い悲鳴を上げて飛び上がった。その途端、腹の下から、なんとたくさんの紙幣が舞い上がった。手を入れた方の男は慌ててその札をつかもうと自分も立ち上がったので、その男の札も大量に舞い上がった。それからは大変だった。それを見た男や女がわんさと集まってきて、舞い散る札を奪い合い、自分の持っていた札を宙に舞わせた。皆、ものすごい形相で狂ったように札をかき集めていた。そして、ひとしきり戦いが終わると、皆、また元のように自分の奪った札を抱えてうずくまった。
「わかったぞ。こいつらは守銭奴だな」
「そうよ。お金なんてここではなんの役にも立たないのにね。生きてる頃の執着って恐ろしいでしょう」

その時ふっと俺たちの目の前を何かが横切った。それは近くの路地に入ったようだった。俺はゴキブリを見たようないやな気分に襲われた。俺はばあさんに聞いた。
「今のはなんだ」
ばあさんは言った。
「あれも人間よ。かわいそうだけど、ああなったのも自分のせいだから仕方ないわね」
俺は、今のが人間と聞いてびっくりした。怖い物見たさに俺は路地の方をよく見ようとした。その時だった。そいつは路地から飛び出してきた。
「ぎゃーっ!」
俺は悲鳴を上げてひっくり返った。でも、ばあさんはシャンとしていた。
「大丈夫よ。手を出せはしないわ」
そいつはばあさんの前でうずくまり、おとなしくなった。そして、ばあさんを眩しそうに見上げた。俺は立ち上がってばあさんの陰に隠れ、そいつを見た。確かに形は人間だった。でも何とも言えないいやな感じのするものだった。薄汚れた体を小さく丸め、鋭く気味の悪い目でこちらを窺い見る様は、まさしくこれが妖怪ではないかと思わせるものだった。俺は吐き気を催した。その時、俺の脳裏に、ある記憶が蘇った。(この目、どこかで見たことがある)俺は思い出して、愕然とした。

その妖怪は俺の高校時代の同級生で、秀才で有名な奴だった。彼はとても勉強ができた。うちの高校はそこそこ高いレベルの進学校だったが、彼の成績はいつも学年でトップだった。体育や音楽は優れているとは言えなかったが、一般の教科は並外れてできた。ただ、性格に問題があって友だちからは嫌われていた。彼と話しているといつも自分が馬鹿にされているような気がして、気分が悪かった。友だちは皆、彼からどんどん離れ、二年の終わり頃には彼は完全に孤立していた。彼は友だちがいなくなっても平気な様子でそのままの成績を維持し、うちの高校からは滅多に入れない有名大学に合格した。その後のことは俺は知らないが、あの秀才が今ここにいる妖怪かと思うと何とも信じられない気分だった。ばあさんが言った。
「あなた、この子を知ってるのね」
「あんた、わかるのか」
「わかるわ。今、この子も思い出していたから」
ばあさんの、妖怪を見る目は憐れむようだった。
「この子はね。自分の頭脳だけを信じて、生きてきたのよ。自分は頭がいい、成績の悪い奴とは付き合えないってね」
「知ってるよ。俺もずいぶん馬鹿にされた」
「でもこの子は大学に入って初めて自分がどうしてもかなわない人間がいることを知ったの。勉強だけじゃなくてね。成績も自分よりいいのにスポーツが得意だったり、ピアノが弾けたり。人から好かれて友だちがたくさんいたり。頭の良さだけに頼ってきたこの子はとてもショックを受けたわ。それでも成績は悪くなかったからそこそこの企業に就職したんだけど、そこで会社から完全に見切りをつけられちゃったのよ。仕事なんてね、ほんとに人間の信頼関係だけで成り立っているようなもんですものね。この子はノイローゼになって自殺したの」
俺はかわいそうに思った。いやな奴だったが、高校の頃のあの秀才かと思うとあまりにも情けなかった。妖怪は俺の顔を見て、少し寂しそうな目をした。それからちょっと後ずさりすると素早く後ろを向いて闇の中へ走り去った。俺は複雑な気分だった。
「疲れたでしょう。そろそろ帰りましょうか」
ばあさんは上りの階段のある方へ歩き出した。俺は黙ったままついて行った。階段が動き出した時、俺はばあさんに聞いた。
「あいつは性格は悪かったけど確かに頭は良かったんだよ。いい大学に入ったし、社会に出たらきっと出世するんだろうと思ってた。それに比べて前の世界で会った、光ってなんだかすごくなってた俺の中学時代の友だちなんて、すごい劣等生だったんだぜ。なんでここではこうなっちまうんだよ」
ばあさんは笑いながら言った。
「ほほほ、三次元での脳味噌なんて所詮は道具なのよ」
「道具?」
「そうよ。あなたは会社でコンピュータを使っていたでしょう」
「ああ、少しはな」
「いくらコンピュータを扱うのがうまい人でも、コンピュータの性能によってやれることは限られるわよね」
「そりゃ、そうだな」
「脳味噌だって同じよ。脳味噌の性能によって、誰が使おうと、やれることには限界ができてしまうってこと」
「三次元での頭のいい悪いなんて、持ってるコンピュータの性能の良し悪しってわけだな」
「勿論、いい脳味噌を持って生まれても使わなけりゃだめだけどね。三次元で人より頭がいいなんていうのは、その程度のことだってことよ」
「俺の高校時代の秀才はそこを勘違いしたってわけか」
「それに、コンピュータは動かす人がいなければただの機械で、ほっといたって動かないわよね」
「あたりまえだろ。人間が操作しなきゃ動きっこねえよ」
「つまり、脳味噌だって、それを動かす魂がいてはじめてものを考える機能をするってことよ。脳味噌だけじゃないわ。三次元での肉体はすべてただの物質。三次元を生きていくのにだけ必要な機能を備えた機械ってことね。そして、それを動かす魂がいなければそれ自体では動くことも生きることもできないの。だから魂が肉体から離れると、肉体は滅ぶしかないのよ」
「それが死ぬってことか」
ばあさんは頷いた。
「さっき事故で死んでた俺は、魂の抜けた、ただの肉体ってことか」
「わかってきたようね」
「じゃあ、この体は?今の俺の体は何なんだ」
「だから、その体は三次元の肉体とは違う、この世を生きていくための体なのよ」
「この体が……前と何も変わってないぜ」
「それはあなたに、自分はこういう体をしているという意識があるからよ。三次元でものを考えちゃいけないわ。この世はすべてのものが意識で作られているの。だから心のあり方で体も変わるわ。体にその人の霊格が表われるのよ」
俺は横にいるばあさんを見た。言われてみれば、ばあさんがさっきより若々しくなっている気がした。肌に張りがあるし、瞳も澄んでいる。それに体全体が少し光ってきたように思えた。
「こちらから見れば三次元っていうのはとても特殊な世界なのよ。時間という流れの中で、いずれは滅びる肉体を着て、霊格の違う人と一緒に生きていく。その中で自分の魂をどのくらい成長させられるか、どのくらい社会の役に立てるかで人間の価値が決まるってことね」
「……………」
「三次元の世界っていうのは、言ってみれば学校よ。魂の修行にはもってこいの場所なの。いろんな人間が、いろんなふうに生きているのを見られるし、その人たちと関わり合いながらひとつの社会を作って行くんですもの。とてもいい勉強になるわ。つらいことも多いけどね」
「修行が終わったら、魂は肉体を捨ててこの世に来るってことか」
「そうね。でも修行をして良くなるとは限らないわ。三次元に行く前より霊格を下げて帰ってくる人もたくさんいるの」
「帰ってくる?」
「そうよ。三次元には皆こちらから行くんだから、帰ってくるのよ。行く前より魂のレベルが上がっていれば学校に行ったのは成功だったといえるでしょうね」
「こっちが先なのか。死んで初めて来るんじゃないのか」
「あなただってこちらから行ったのよ。自分で望んでね」
俺はばあさんの言ってることが、またわからなくなった。

俺たちは階段から降りた。こちらは下の世界よりずっと明るくて暖かくて気持ちがいい。ばあさんと俺は芝生に腰を下ろした。ばあさんは言った。
「三次元の世界で重要なのは、一生のうちにいかに自分の心を豊かにするかってことなのよ。どんな体を持ってどんな環境に生まれても、いい気になったり、投げやりになったりしては駄目。それぞれの立場でどうすれば人のためになるか、社会の役に立てるかを考えて生きるのよ。それが結局は自分のためになるの。でも難しく考えることはないわ。自分のやれることを精いっぱいやればいいのよ」
俺は自分がどういうふうに生きてきたかを考えると、暗い気持ちになった。
「すばらしい才能や美しい肉体を持って生まれた人は、三次元では羨ましがられるかもしれないけど、そういう人は責任も重いのよ。社会のために役立てなければならないものを自分だけのために使っていたら、それこそ魂は成長しないわ。すごくいい脳味噌を持って生まれたり、必要以上のお金を持ったりしても、それをどう使うかは余程気をつけないとね」
ばあさんの光は少し強くなったようだ。とてもいきいきしていた。俺は気が重かった。
「俺は失敗したよ。三次元の学校は落第だ」
ばあさんは慰めるように言った。
「大丈夫よ。あなたがいたことによって幸せだった人も大勢いるわ。自分では気づいていなくても、あなたの存在が社会にも影響を与えたのよ」
ばあさんがそう言ってくれたので俺は少し気が楽になったが、自分のひき殺した人に慰められるなんて、俺はなんて情けない奴なんだと思った。ばあさんが突然すっくと立って言った。
「あなたに会わせたい人がいるの」
「なんだって。死んだじいさんか」
ばあさんはニコニコしながら歩き出した。俺はあわてて立ち上がり、後を追った。

暫く行くと公園があった。中では二十人くらいの子供たちが遊んでいた。大人も何人かいた。ばあさんと俺は公園の中に入り、暫く子供たちの遊ぶのを眺めていた。ここが霊界だとは信じられないほど、生きていた頃よく見かけた平凡な風景だった。ばあさんは言った。
「ほら、あそこでブランコに乗っている男の子、あの子があなたに会わせたかった子よ」
俺は言われる方を見て、その子を確認した。七、八歳くらいの少年だったが、見覚えのない子だった。
「ふうん、知らない子だけど、あの子がどうかしたのか」
ばあさんは笑いながら言った。
「ふふ、あの子はあなたの子よ」
俺は耳を疑った。ばあさん、もうろくして何か勘違いしてんじゃねえかと思った。俺はあきれて言った。
「馬鹿言うない。俺は結婚もしてないし、あんな子がいた覚えはないよ」
「あなた、大学時代のことをよく思い出してごらんなさい。思い当たる節があるはずよ」
ばあさんは、やけに自信がありそうだった。俺は、ばかばかしいと思いながらも大学時代を振り返った。一浪で入学して、留年もせず、俺はべつに普通の大学生活を送ったと思う。授業はあまり出なかったが、みんなと同じように適当に遊んでいても、一応まともに卒業できた。三年の時に、半年くらい同じ学部の女の子と同棲していたことがあった。その時、一回子供ができたが、友だち数人から手術代をカンパしてもらっておろし……!!……俺の全身から血の気が引いた。まさか、そんな。
「ふふふ、思い出したようね。その時の子があの子よ」
俺は言葉を失った。(なんてこった。俺はみんなと同じことをしただけなのに。あの頃はそれが当たり前だったんだ。俺は悪くないんだ)…しかし、どうにも弁解しようがないことはわかっていた。

暫く茫然としていたが、気がつくとばあさんが、よしゃあいいのにその子を俺の所に連れてくるところだった。逃げ出したい衝動に駆られたが、二人はもうそこまで来ていた。俺は観念した。少年は俺の前に来て、にっこり笑って言った。
「こんにちは。おとうさん」
良心がビリビリ痛んだ。俺は返す言葉もなく、下唇を噛んだ。ばあさんは言った。
「ほら、かわいい子でしょ。あなたに目元が似ているわよ」
顔などまともに見られず、俺はうつむいていた。少年が言った。
「おとうさん、僕は元気だよ。そんな顔してないで元気出しなよ」
顔から火が出そうだった。俺は少し顔を上げ、上目遣いにその子を見た。屈託のない笑顔があった。確かに俺の子供の頃に似ている気がした。俺はなんとか微かな声を絞り出した。
「すまなかったな」
少年はにこにこして言った。
「僕は大丈夫だよ。ここはとても楽しい所だよ。おとうさんもこれからは一緒に暮らせるんでしょ」
俺が言葉に詰まっていると、ばあさんが少年に言った。
「おとうさんはね、少し疲れているのよ。また後で会えるから、もう少し遊んでおいで」
少年はうなずくと俺たちに手を振りながら、他の子供たちのいる方へ駆けていった。俺は近くのベンチに倒れ込むように座った。ばあさんも隣に来た。俺はショックで暫く口を利く気にもなれなかった。ばあさんもそれを察してか黙っていてくれた。俺はとても虚しかった。(俺はなんて生き方をしてきちまったんだ。こんな世界があるなんて生きている時は夢にも思わなかった。死後の世界なんて迷信だと信じて疑わなかった。生きているうちから死後にこんな世界があるとわかっていたら、生き方も変わっていたかもしれないのに。ああ、もう一度生まれ変われたらな…)俺はばあさんに聞いた。
「生まれ変わることってできるのか?」
「三次元の学校にまた行きたくなった?」
「ああ。もう一度やり直したい。俺、なんとなく生きることの目的がわかった気がする。生まれ変われたら今度は人生を無駄にしないように生きたいと思うんだ」
ばあさんは暫く考えてから言った。
「私もこの世の仕組みが全部わかってるわけじゃないけど、生まれ変わりはあると思うわ。三次元で学ぶことがまだあるうちは、人は何度も生まれ変わると思うの。でもね…」
「でも、なんだ」
「今度生まれた時にはこの世のことは忘れているわ」
俺は驚いてばあさんの顔を見た。
「なぜだ。俺はもうわかったんだ。こっちが本当の世界で、三次元は学校なんだろ。もう忘れやしねえよ」
「あなたが三次元に生まれたら、また三次元の小さな脳味噌を通してしか考えられなくなるのよ。三次元にこの世の記憶を持っていくことは出来ないの」
「じゃあ、せっかく生まれ変わっても、またゼロからやり直しなのか」
「そうよ。何も知らない赤ん坊に生まれて、少しずつ勉強して行くしかないわ」
「また失敗することもあるわけか」
「だから、霊格を下げて帰ってくる人も大勢いるのよ」
ため息が出た。そうだとすれば、はっきり言って自信が持てない。ばあさんは言った。
「でもそんなにがっかりすることはないわ。魂は永遠なんですもの。慌てずにじっくりいけばいいのよ」
俺はベンチの背もたれに寄りかかり、遠くを見て言った。
「魂は永遠…か。じゃあ、魂って最初はいつ出来たんだろうな」
ばあさんは少し間をおいてから言った。
「はじめも終わりもないのが永遠なのよ。三次元でものを考えていると理解できないと思うけど」
「じゃあ、俺はずうっと昔から生きてたってことか」
「そうね。でも昔も未来もないのよ。ここには時間という観念はないの。理解しにくいでしょうけど、いずれはわかると思うわ」
俺はもう一度ため息をついた。とても今の俺には理解できそうになかった。俺は質問を変えた。
「さっきの子が俺の子だとすると、俺があの子をつくったってことか?」
「あの子の肉体はね。でも魂はあなたがつくったわけじゃないわ。人間には肉体はつくれても魂はつくれないの。親というのは、子供になる魂が宿るための肉体をつくる役割の人ってことね。まあ、肉体をつくるって言っても人間にできるのはそのきっかけをつくることだけだけどね」
「ふうん。でもなんであの子は、よりによって俺なんかの子になったんだろうな」
「それはこの世にいる時に約束して行ったからよ。あなたとあの子は深い縁のある魂なの。前世でも何らかの関係で近いところにいたはずよ」
ばあさんはまたわからないことを言い出した。
「俺の子供になるのは決まってたってことなのか?でも、あの子は生まれられなかったんだぜ」
「そうね。そこまで決まっていたかどうかは私にもわからないわ。生まれるつもりで生まれられなかったのか、はじめから生まれる必要はなかったのか」
「ややこしいな」
「でも、すべては原因があっての結果なのよ。この世には完璧な法則があって、何か起こるには必ずその原因があるの。法則は複雑だから簡単に原因がわかるようなものではないけど。前世であったことが原因だったりね。でも原因がなければ結果は生まれないわ。そういう意味では偶然というものはないの」
「偶然はない?じゃあ、すべてははじめから決まってるのか?いつどんなことが起きるか、誰がいつ何をするのかも」
「いいえ、そうではないわ。人は自由な意志を持って生きるのよ。ただ、何か行動を起こせばそれが原因となって何らかの結果を生むし、その結果が原因となってまた次の結果を生む。良い行動をとれば社会に良い影響を与えていずれは自分に返ってくるけど、その反対もあるわ。いいことをしても、悪いことをしても、それ相応の埋め合わせが必ずあるってことね。次元を越えた長い目で見ればこの世に不公平はないわ」
「法則をつくっている神様がいるのか?」
「神様ねえ。あなたは何をさして神様と言っているのかしら。白い髭の、杖を持ったおじいさんの神様はいないわよ」
俺は、ばかにすんなと思ったが、そう言われればそんな姿しか思い浮かばなかった。
「神様という呼び方がいいかどうかはわからないけど、言ってみれば神様は生命そのものよ。ひとりの人間のような個性を持った存在ではないわ。宇宙の星たちを完璧な法則で動かしているのも、人間や動物や木や花や虫たちに宿っている命もすべてその力ね。だからあなただって神様の一部と言えるわ」
へえ、今度は俺が神様になっちまった。

俺たちは暫く黙っていた。俺はいろんなことをいっぺんに聞いて頭が飽和状態だったし、ばあさんもそれを察してくれたのだろう。それにしても死んでからこんなことになろうとは夢にも思わなかったな。我ながら、随分投げやりな生き方をしてきちまったもんだ。生きてる時、俺は他人や社会のためになろうなんてほんとに考えなかった。適当に働いて飯を食って、金が続く限り遊んでたけど、なんか面白くねえなと思って生きていた。自分のことしか考えてなかったのがいけなかったのかな。それが原因でこういう結果を生んだんだろう。自業自得ってやつか。ほんと、この世はうまくできてらあ。

遠くでは相変わらず子供たちが元気に遊んでいた。俺の子も一緒に走り回っていた。こんな所で自分の子供を眺めることになるなんて皮肉なもんだと思ったが、俺は妙にほのぼのとした気持ちになっていた。俺はばあさんに聞いた。
「俺の子はどこに住んでるんだ」
ばあさんはニコニコして言った。
「ふふ、親としての実感が湧いてきた?あの子たちは皆、親のいない子たちで、一緒に住んでいるのよ。生きていた頃、子供に恵まれなかった人たちが面倒を見ながら幸せに暮らしているわ。私も子供がいなかったので一緒に暮らそうと思っているの」
気がつくと俺の子がこちらに向かって駆けて来ていた。遊びも終わったらしく、もう他の子たちはいなかった。俺の目の前まで来ると子供は言った。
「おとうさん、一緒に僕のうちへ行こう。子供たちがいっぱいいて楽しいよ」
俺は返答に困った。この子と一緒にいたいという気持ちはあったが、それは許されることではないと俺の中で何かが叫んだ。暫く言葉が出なかった。黙っている俺に、子供がしびれをきらして言った。
「ねえ、おとうさん。早く行こうよう」
俺は小さな声で言った。
「おとうさんはな、君と一緒には行けない」
子供は驚いて目をいっぱいに開いた。
「どうして。なんで行けないの」
「おとうさんはまだ君と暮らせるだけの人間じゃないんだ。いつか必ず一緒に暮らせるように頑張るから、それまで待っててくれよ」
子供はうつむいてしまった。ばあさんが子供に言った。
「大丈夫よ。おとうさんはいつか必ず戻ってくるから、待っていましょう」
子供はうつむいたままじっとしていたが、やがて小さく頷いた。
「じゃあ、元気でな。必ず戻ってくるからな」
俺は立ち上がると、そばにあった階段の方へ歩き出した。子供とばあさんはついてきた。俺が階段に乗ると、階段はゆっくり動き出した。下へ、下へ向かって。俺は子供とばあさんを見上げていた。だんだん小さくなる子供は、一生懸命手を振っていたが、やがて光の中に見えなくなった。


あとがき


この物語は霊界の様子を正確に示すものではありません。私が今までに書物などで得た知識をもとにはしていますが、あくまでも私の三次元のお粗末な脳味噌を通して想像したものですから、全くこの通りの世界が死後に展開されるとは思わないでください。しかし、私はあの世の存在は確信していますし、物質至上主義と狂気と不公平がまかり通るこの世が、人生の舞台のすべてであるなどとは決して思いたくありません。私の考えに得心のいかない方に強制しようという気はさらさらありませんし、私とて、次元の違う世界のことを完璧に理解できるはずもありません。しかし、実体はつかめなくとも、こういう考えは、私を非常にやすらぎのある世界へ誘い、この世の矛盾を解き明かして私の生き方に自信を与えてくれます。私はこれが、一部のたちの悪い宗教や、単なる自己満足とは一線を画すものであると信じています。私のお伝えしていることが間違っているのであれば、あの世があっても私は地獄に落ちるでしょうが、それはそれで本望かもしれません。

一九九七年(平成九年)八月八日


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