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●お値打ち 2019.5.24
●鼻濁音 2019.5.25
●ながら 2019.5.26
●青なじみ 2019.5.27
●つぶあん 2019.5.30
●食パン 2019.5.31
●顔がさす 2019.6.3
●うちの家 2019.6.12
●真逆 2019.8.15
●熊 2019.8.16
●を 2020.1.5
●2月、4月 2020.3.5
●気 2022.7.20
●煮詰まる 2023.5.1 NEW
●役不足 2023.5.2 NEW
●小さな親切、大きなお世話 2023.5.30 NEW
東京出身で、大学を卒業するまで東京にいた私は、会社に入るとなぜか名古屋に配属された。1980年のことである。
広告代理店だから価格表記のあるような仕事もしたが、名古屋に行って驚いたのが「お値打ち」という言葉。
それまでも当然、「値打ち」という言葉は知っていた。例えば、「値打ちのある壺」とか、「これには値打ちがない」とかいう使い方。要するにそれまでの私の認識では、「値打ち」という言葉は、後に「ある」とか「ない」が付かないと意味を成さない。
しかし、名古屋の「お値打ち」には単独で、「ものがよい割には値段が安い」という意味があるのだ。一般的に使う言葉としては「お買い得」だと思う。
「お値打ち」が名古屋弁なのか、どの辺の地域まで通用する言葉なのかは知らないが、関東出身で同じ認識の同僚と、酒の席で「お値打ち」の不思議について語り合ったこともあった。
しかし、近頃、全国放送のテレビでも聞くことがある。たぶん名古屋出身の人が企画して、そのまま通ったのだろう。私が名古屋に行っていた35年の間に徐々に広まっていたのかもしれないが、こうやって言葉というのは一般化していくのかもしれない。
もうひとつ、最近テレビで聞いて驚いたのが「まるっと」。これは「まるごと、まるまる全部」という意味だが、これも私は名古屋で初めて聞いた言葉である。
同僚が、「全面改稿してください」というのを名古屋では「まるっと変えてちょ」と言うんだと言って、大笑いしたこともある。
テレビを見ていて最近気になるのが、鼻濁音である。
日本語では「が・ぎ・ぐ・げ・ご」を含む言葉を発音する場合、鼻に抜くか抜かないかの2種類があり、鼻に抜く方が鼻濁音である。
例えば、「僕が」「私が」という「が」の場合、鼻濁音にする。そうしないと鼻の詰まった人の感じになる。
逆に、鼻濁音にするとおかしい場合もある。しかし、どうもそれが曖昧になってきているようで、特にアナウンサーではない人が何かを読むような場合、私は気になって仕方がない。
確かにどちらか迷うような場合もあるが、私は例えば以下の言葉の中の「が」や「ぎ」は鼻濁音にしてはいけないと思っている。
衆議院、参議院、衆議院議員、参議院議員、男子学生、女子学生、高等学校……
「ながら」という言葉。例えば「何々をしながら」のように使われる。以前、この「ながら」を含む言葉のイントネーションについて考えたことがある。
「ながら」はその前につく言葉によって、語尾が下がる場合と下がらない場合がある。私は普通に標準語が使えると思っているが、例えば、私は以下のように考える。
(下がらない場合の例)
●ラジオを聴きながら●笑いながら●泣きながら●歌いながら●かけっこをしながら●踊りながら(下がる場合の例)
●テレビを見ながら●怒りながら●食べながら●飲みながら●口ずさみながら●歩きながら●走りながら以前、私とこの件について話した人は私とは違っていた。その人は東京出身者ではなかったが、よくよく考えてみると、どういう場合に下がるのか、下がらないのか法則性が見つからなかった。
入社して名古屋に配属されて初めてわかったのだが、昔から長島家では普通に使っていた言葉の中に、東京の方言、関東の方言、あるいは長島家だけが間違って使っている言葉があることを知った。
例えば「青なじみ」。打撲して内出血した時にできる青いアザのことなのだが、一般的には「青あざ」と言わないと通じないようだ。
調べたら、茨城県の方言らしい。長島家は私の知る限り東京だが、祖母が栃木だか茨城だかの出身か、縁があるようだから、祖母が持ち込んだ言葉かもしれない。
「青なじみ」という言葉は東京でも通じないと思われるが、22歳で入社するまで気づかなかったのは、私がうち以外では使わなかったからだろう。
私はなじんでいた「青なじみ」が一般的にはなじんでいなかった。
長島家だけが間違って使っていた言葉。
饅頭に入っている餡、あんこには、単純に分けて、
小豆の粒を残してある「つぶあん」と
全てこしてある「こしあん」がある。私の記憶の限りでは、
長島家ではこの「つぶあん」を「ぶつあん」と呼んでいた。たしか結婚してから妻に指摘されてその間違いに気づいたのだが、
私が育つ間、長島家では「ぶつあん」で通っていたと思う。果たして誰がいつ言いだしたのか。
祖母の出身は東京ではなさそうだし、
母は東京と千葉で育ち、
母の両親の出身は山梨なので若干怪しいが、
父は東京で生まれ育ち、言葉には厳しい人だったので、
おかしいと言い出してもよさそうなものなのに。長島家の七不思議。
入社して社内報の記事で読んだのだが、
名古屋では「食パン」を「しょっぱん」と発音するらしい。
名古屋出身の同僚に確かめると、
ほんとにそうだと言っていた。普通は「しょくぱん」だと思う。
標準語でも普段しゃべっている中では「く」の字は
あまり聞こえないかもしれないが、
しゃべっている方は、「しょくぱん」と言っているつもりだと思う。確かに「食」の字を「しょっ」としか言わない場合もある。
「食器」「食感」など。
でも、私は「食パン」は「しょくぱん」でないと変な感じがする。細かいところだが、地域でこんな違いがあるのもおもしろい。
10年ほど前に大阪によく行っていた頃、聞いて意味が分からなかった言葉「顔がさす」。
どこかに出かけて、知り合いに見つかることを「顔がさす」「顔さす」などと言うようだ。
例:あそこに行ったら顔がさす。
調べたところによると、京都の方言なのかもしれない。漢字は、ネットでは「指す」と書かれているところが多いようだが、コトバンクでは「顔が障す」と書いてあるので、そちらの方が正しいのかもしれない。大阪によく行っていた頃、気になった言葉「うちの家」。
これはネットにもあまり書かれていないので、私の勘違いもあるかもしれないが、私の感覚では「うち」と「いえ」は同時に使う必要はないし、あるいはその使い方が違う。
まず、建物を指すなら「うち」と「家」は同じものだからどちらかでよい。
例:ぼくのうち、ぼくの家我が家を指すなら「うち」であり、「家」は使わない。
例:うちではそうしていた関西では自分のことを「うち」ということもあるようだ。
例:うちのおとうはんはまた、「うちんち」という言い方もあるようだ。
いずれにしても「うちの家」は不思議だと思ったものだ。
ここのところ、「真逆(まぎゃく)」という言葉をよく耳にする。少なくとも私が子供の頃には聞いたことのない言葉だが、今では辞書にも載っており、「正反対」という意味である。
調べたところ、2004年の流行語大賞の候補になった言葉だそうで、その頃生まれたということだ。当然、60を過ぎた私が子供の頃耳にするはずがない。
「真逆(まぎゃく)」はいわゆる「湯桶(ゆとう)読み」(二字熟語の初めの文字を訓読み、後の字を音読みにする)であり、「重箱読み」の逆になる。湯桶読みや重箱読みはたくさんあるから珍しいことではないが、そこにも私は若干の気持ち悪さを感じる。
まあ、この言葉も私のような年寄りがいなくなる頃には誰も違和感を感じなくなるのだろう。
日本語のアクセントで最も混乱していると思われるのが「熊(くま)」。
標準語では、本来は「ま」を高く発音すべき言葉なのだが、「く」を高くする人が非常に多い。
ただこれも、時の流れとともに「く」にアクセントをつけることも認められつつあるようだ。
最近、熊の出没がよくニュースになっていて、私が聞いた限りでは、アナウンサーは「ま」にアクセントをつけていたから安心しているのだが、過去にはテレビでも「く」にアクセントをつけているのをたびたび聞いた。
もちろん、方言の場合は違ってくるだろうし、落語で「熊さん、八つぁん」と言う場合は「く」にアクセントがつく.。
ひらがなの中に「を」という文字がある。文章を書く場合には、頻繁に使う文字である。
こんな、日本語としてはごく一般的な文字なのに、これの読み方が人によって違ったりするので驚く。
「を」は、「わ行」の文字だから、私の認識では、「わ」を、「う」と「あ」を一瞬で続けて言うように、子供の頃から当たり前に、「う」と「お」を続けて一瞬で言うような感じで発音してきたのだが、これを初めから何の疑いもなく、「お」とだけ発音してきた人もいるようだ。
確かに、高校生の時、クラスで一番成績の良かった友達が、別のクラスメイトとこの件でもめていた記憶がある。秀才の彼が「お」派だった。私は意見を求められたが、秀才の彼がその時は何か勘違いしているのだろうと曖昧な返事をしておいた。
私に言わせれば、「を」の発音が「お」でいいなら、「わ」の発音は「あ」になってしまうわけだから、「を」でなければおかしいと思う。
わ行の「ゐ」や「ゑ」は現代では使わなくなっているし、「を」の立場は微妙なのかもしれない。
特にこの時期、テレビを見ていてアクセントで気になるのが「2月」と「4月」。標準語では、この「月(がつ)」は「2(に)」や「4(し)」より下げないで発音するのが正しいのだが、下げて言っているのをよく耳にする。
月の呼び方で「月(がつ)」を数字より下げるのは、「3月、5月、9月」のみ。厳密には「さんがつ」は「さ」だけが高くなる。
方言はそれぞれだと思うが、標準語を使う場合は間違わない方がいい。
私はここしばらく、ネットで「ドラゴンボール」「ドラゴンボールZ」を見ている。言わずと知れたテレビアニメの大人気シリーズ。私はリアルタイムでは見ていなかったので、ほぼ毎日1話ずつ、楽しく拝見している。
ただ、一つ気になることがある。それは「気」のアクセント。一音の言葉なので単独では判断はつかないが、それに続く言葉によってアクセントが生まれる。
例えば、アニメの中でよく出てくるのが「気を感じる」。一般的には「気になる」「気が短い」「気が遠くなる」などと使われる。
何が気になるかと言えば、簡単に言うと、「木」との違いである。例えば、「気がある」と「木がある」の違い。「気がある」の場合、標準語では、「き」より「が」が高く発音され、「木がある」の場合は、「き」より「が」が低く発音されると思う。
声優さんによってアクセントが違うようだが、毎回かなりの頻度で出てくる言葉が、録音時に誰にも訂正されなかったのが不思議である。
「煮詰まる」という言葉は、時の流れとともに、意味が正反対になりつつある。
「広辞苑 第5版」(平成10年)では、
(1)煮えて水分がなくなる。
(2)議論や考えなどが出つくして結論を出す段階になる。という意味だけであったが、
「広辞苑 第6版」(平成20年)ではこれに、
(3)転じて、議論や考えなどがこれ以上発展せず、行きづまる。という意味が追加されている。
(2)と(3)は正反対の意味になるが、これは年代によって認識の割合が明らかに違っていて、40代あたりを境に逆転現象が起きているようだ。このまま行けば、いずれは(3)がメインの意味になるのかもしれない。
これは昔、仕事上で後輩と議論になったことがあるのだが、正反対の意味があるとなると誤解を生まないわけがないので注意したいところだ。
誤用が大変多い言葉の代表に「役不足(やくぶそく)」があります。
辞書には以下のように書いてあります。
1.俳優などが割り当てられた役に不満を抱くこと。
2.力量に比べて、役目が不相応に軽いこと。また、そのさま。要するに「役不足」は、自分はもっと実力があるのだから、この役目は自分には簡単すぎるという場合に使う言葉です。
ですから、「この仕事は、自分では役不足ですが……」などと謙遜したつもりで使ってしまうと、誤解されるか恥をかくことになります。
この場合は、「力不足」と言うのが正解です。「小さな親切、大きなお世話」。この言葉を検索すると、自分では親切だと思ってやっていたことが、相手にとっては実は迷惑だったという状況を表す言葉、のように出てきます。
しかし元々は、「小さな親切」と「大きなお世話」は続けて使われることはなく、それぞれが独立した別々の言葉でした。
「小さな親切」は文字通り、ちょっとした親切のことで、「大きなお世話」は、それだけで前述のような、実は迷惑な、余計なお世話という意味になります。
私が思うに、この言葉を続けて使ったのは漫画家の赤塚不二夫氏です。もう50年ほど前になりますが、私の高校時代、同級生が笑いながら話してくれました。
「天才バカボンのおまわりさんの交番に張り紙がしてあって、『小さな親切、大きなお世話』って書いてあるんだ。赤塚不二夫は天才だ」
これを聞いた私も大笑いしましたが、「大きなお世話」という言葉に、「小さな親切」をくっつけることで、大変面白いギャグになっていたわけです。「小さな親切、大きなお世話」が普通に認識されるようになったせいで、ギャグとしては通用しなくなってしまったようです。