りゅうじんの独断と偏見の人生哲学
(プライベート編2)

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お金のいらない国5の発想 2023.4.21NEW
近づく地球の次元上昇 2023.4.4NEW
龍人の講演料 2023.4.2NEW
実現に向かうお金のいらない世界 2023.3.24
かえるくんの葉っぱ騒動 2023.3.17
諸行無常 2022.9.3
音楽のサブスク 2022.8.7
父と母の死 2022.8.6
「妖怪シェアハウス」を見て 2022.6.18
30秒スクワット 2022.3.21
テアトルアカデミーの思い出 2022.2.25
2022年 2022.1.7
腰痛が治った! 2021.9.11
ファミコンの思い出 2021.8.29
ナンクロ 2021.8.29
8クール目評価 2021.8.28
りゅうじいさんの昔話 2021.8.19
お金社会の変な話(カード編) 2021.7.13

 

 

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お金のいらない国5の発想

私は、30歳過ぎまで、がちがちの唯物論者で、死んだら終わり、あの世などないと考えていましたが、ある時、書店で手にした本を読み、考え方を180度変えました。宗教団体GLAの開祖、高橋信次氏の著書でしたが、その後、「シルバーバーチの霊訓」などを読み、あの世の存在を確信しました。

そして、その発想をベースに、今からちょうど30年前の1993年に、私は「お金のいらない国」という短編小説を書きました。会社に勤めていた私は、日頃からお金の仕事がとても煩わしいと感じていましたが、そもそもお金は人間の考え出したものに過ぎないのだし、天国では使われていないだろうと想像して書いたものでした。

天国と言っても、私は、この世でもお金さえ無くせば天国のように生きやすい世界になるだろうと考えたので、なるべく現在に近いイメージで、お金だけが存在しない社会を描きました。表現としては、天国なのか未来なのかわからないような、ちょっと不思議な世界にしました。

ちょうど世の中では皆がパソコンを持つようになり、インターネットが普及しだしたので、私もホームページを作り、「お金のいらない国」など自分の書いたものを載せると、あちこちに支持者が現れ始めました。

「お金のいらない国」は、執筆してから10年後の2003年に出版し、同時に、応援してくれる人たちと初のイベントを開催。寸劇も作り、自ら演じました。その後、私は講演活動を始め、落語もするようになりましたが、寸劇や落語の中ではわかりやすいように、500年後の未来という設定にしました。

それから20年。私は、SNSや講演活動を通じて、たくさんの人たちと出会うことができました。環境のことや経済のことなどに詳しい人からいろいろ教えていただいたり、次々起こる社会問題についてSNSに意見を投稿したりしました。

過去世で、宇宙文明と言われる、お金のいらない国にほど近い世界を体験してきたという人とも繋がり、いろいろお話を伺うこともできました。

そしてつい先日、そういったことをまとめた話を書けないかと思い立ちました。「お金のいらない国」シリーズは4まで出ていましたが、「お金のいらない国5」として書けたら、より注目してもらえるのではないかと考えました。

書き始めると3日ほどで書けましたが、今までのことが不思議なほど無理なく繋がってしまいました。「お金のいらない国」は私の想像であり、創作だったはずなのに、30年前から計画されていたような話になりました。

天国か未来か曖昧にしていた設定も、宇宙文明ということなら無理がありませんでした。これは30年前では想像もできなかったことでした。

もともと「お金のいらない国」に登場する青年は私自身であり、また、私の考えたことを、青年との会話の中で紳士に言わせるという手法をとっていますが、5の中では、この世での私の役割も、初めから全て計画されていたというような、想像と現実が交錯するような話になりました。

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近づく地球の次元上昇

既に約2年半、私を含めた3〜4人で毎週月曜の夜に「お金のいらない国」をテーマに、Facebookライブ配信をしています。

昨日はゲストに、過去世に他の星で宇宙文明の記憶を持つ、なみのんさんが来てくれました。彼女と私は、昨日は来られなかった、るぅにゃんさんとともに、数年来の知り合いです。

彼らは以前から、拙著「お金のいらない国」が宇宙文明の世界に近いということで応援してくれています。

なみのんさんの話では、地球のアセンション(次元上昇)が近づいてきているとのこと。具体的には、2025年に何かきっかけになるような変化が起こり、15年後くらいに実現するのではないかと。

多くの星は進化し、次元上昇するそうだが、とにかく地球ほど貨幣経済を長く続けている星は珍しいらしい。だから宇宙では今後の地球に興味津々で、今、地球への転生を望んで、多くの人がやってきているようだ。

次元上昇すればもちろんお金というものは無くなり、皆が好きなこと、やりたいことをして与え合う社会になる。科学は格段に進歩し、真の平和が訪れる。

信じる信じないは自由だが、30年前からそういう世界を夢見てきた私は、もし地球にいる間にそれが経験できたら、これ以上の喜びはない。

2023年4月3日「お金のいらない国」Facebookライブ配信
https://www.facebook.com/takahumi.kasai.3/videos/210701151573334?idorvanity=360331075325996

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龍人の講演料

私は、講演会でお話をさせていただく場合、講演料はいただきません。どちらかに伺う場合は、一人分の交通費と、宿泊が必要な場合は宿泊費だけいただくことにしています。

交通費などはいただかないと赤字になってしまい、活動が続けられなくなるのでいただきますが、講演料はいただかなくても生活できているのでそうしているわけです。

これは講演活動を始めた20年前からですが、サラリーマンだった頃はお金は会社からもらっていましたし、退職した今は退職金と年金、親の遺産などで生活しています。

あまり長生きすると足りなくなるかもしれませんが、細々と生きていくだけなら今のところ大丈夫そうです。

もちろん、マネージャーと二人で動けば交通費は倍かかりますし、参加人数や入場料など、講演会の規模によってお金に余裕がある場合はお気持ちでもいただけるとうれしいですが、お金が足りないからという理由で講演会を開けないという状態にはなるべくしたくないと思っています。

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実現に向かうお金のいらない世界

私が「お金のいらない国」という話を書いたのは1993年。会社での煩雑なお金の仕事に嫌気がさし、元々自然界に存在しなかったお金など、人間社会に無くても済むのではと考えた。

また、仕事はお金が絡むから要求やスケジュールがきつくなっていると考え、理想と思われる社会を想像し、仕事の腹いせに書いたものだ。

書いた頃は実現など考えておらず、今でも活動の第一の目的は、一人でも多くの人が自分の心に理想社会を築き、この世のおかしな価値観に惑わされずに生きて行ってもらうことだが、最近、世の中の流れが変わってきたように思う。

「お金のいらない国」は、活動を始めた2003年頃から、世の中をよくしたいと考えている人たちには、ほぼ全面的に賛同を得られてきたが、ここのところ、また急速にさまざまな出会い、繋がりが生まれている。

環境、平和を考える人はもちろん、経済の仕組みを熟知した人。エコビレッジを作ろうとする人や、既にお金の存在しない社会を見たり、体験してきたという人まで。

ありがたいことに「お金のいらない国」は、そういった人たち皆が、最終的な理想社会のイメージとして受け入れてくださるようだ。

そういう世界が、そう遠くない未来に実現すると予言されている方たちもいらっしゃるようで、もしかすると私も、この世に肉体があるうちに体験できるかもしれないと思えるまでになってきた。

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かえるくんの葉っぱ騒動

まえけんさんが書いてくれたので、事の顛末を。

2月10日。まえけんさんより、小冊子『かえるくんの葉っぱ』を500部ほしいと龍人に依頼あり。

2月11日。1000部の増刷を印刷会社に発注。まえけんさんには19日に500部届くと連絡。

2月19日。まえけんさより受け取れなかったと連絡あり。20日早朝から長期不在になるため、500部は配送会社から印刷会社に戻されることに。

2月24日。印刷会社から龍人にメールがあり、再送する場合は送料着払いになるとのこと。まえけんさんに了解をもらい、3月12日指定で印刷会社に再送を依頼。印刷会社からの返信はなし。

3月13日、朝。まえけんさんより、昨日配達があったようだが受け取れず、まだドライバーに電話がつながっていないと連絡あり。龍人は、印刷会社からは再送されたのだと一安心。

15時。まえけんさんより、まだドライバーと連絡がつかないので印刷会社に送り状などの確認をしてほしいと連絡あり。まえけんさんはメールを受け取っただけで、そこに明らかな電話番号の表示はなく、不在票も入っていなかったとのこと。

ここで、メールは詐欺なのではと疑い、印刷会社に電話するも繋がらず、14日朝、再度電話。20分ほど待たされてから繋がったので確認すると、なんと再送依頼のメールに気づいておらず、小冊子500部は廃棄されてしまっていた。

印刷会社は、こちらのミスなので明日中に印刷し直して発送するとのこと。16日の午前中に、小冊子は送料元払いで無事まえけんさんに届いた。

絶妙なタイミングで詐欺メールが入ったことにも驚くが、残念なのは最初の500部の小冊子があっさり廃棄されてしまったこと。森林破壊の片棒を担ぐ結果となってしまった。

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諸行無常

私は現在64歳だが、最近特に時の流れを感じる。たかが60年だが、それでも世の中はずいぶん変化し、人もかなり入れ替わった。

私が子供の頃に、テレビなどで一世を風靡していた俳優さん、芸人さん、歌手の人などもほとんど亡くなったり、最近は見なくなった。元気な若手の代表だったような人が、残っている人は大御所になっている。

この間まで若かったはずの私自身ももう会社は退職し、一線は退いているのだから、皆が年を取るのも当然だが、こうやって時代は変わっていくのだなあと思う。

映画や音楽で人気の続くものは、作品としては残っていくだろうが、大部分は後の人は知らないまま消えていく。子供の頃、大好きだったテレビドラマや、漫才なども、自分の記憶の中だけの貴重な経験になっている。

もっと前の、映像や録音技術が発明されていない頃のものは当時の人しか知らないわけで、リアルタイムで経験することのありがたさも思う。

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音楽のサブスク

スマホで音楽のサブスクを契約してみた。やってみて気づいたのだが、これは私にとってはすごいことだった。

私は音楽が大好きで、中学時代から小遣いはすべてビートルズなどのレコードにつぎ込んでいた。大人になってからも好きなアーティストやクラシックのCDはたくさん買い集めた。

世の中が変わってダウンロードするようになってからはあまり気が進まず、最近の曲はいいと思ってもちゃんと聴いたことはなかった。

それが音楽のサブスクは、月々1000円足らずを支払うことで、すべての曲が発売と同時に聴けるようになる。それもあらゆるジャンルの、過去に発売されたものまですべてである。

これであらゆる曲を、いつでも聴けるようになった。お金のいらない国なら、たぶんこんな状態になるだろう。その上、お金の支払いもないわけだ。

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父と母の死

私の父が死んだのは1983年。私が25歳の時で、父は63歳だった。

父が死んだ時、私は唯物論者で、人は死んだら肉体と共に、その意識も消えてなくなると思っていた。遺体を病院から運ぶ車の中で急に悲しみに襲われ、涙が出てきた。そして、葬儀中から火葬が済むまで、度々涙が溢れた。

父が死んで数年が経ち、私は30歳を過ぎた頃、スピリチュアリズムに出会った。人の魂は生前も死後も存在し、それは永遠であるというもの。私にとっては、そう考えた方が生まれてきたことへの納得がいき、生きる意味を感じられた。

母が死んだのは2020年。私は62歳、母は88歳だった。母が死んだ時、私は一滴の涙も出なかった。母の年齢もあったかもしれないが、父の時とは私の死生観が全く変わっていたことが大きいと思う。

死んだ後のことに確実な保証はないが、死生観は自分で納得のできるものを見つけておいた方がいいと思う。

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「妖怪シェアハウス」を見て

映画『妖怪シェアハウス〜白馬の王子様じゃないん怪』を見た。私は、小芝風花ちゃん、松本まりか様のファンなので、テレビシリーズは全部見ているが、この度、めでたく映画化もされ、公開初日に見に行った。ネタバレになるので、これから見る予定の方はご注意を。

わざわざ私がこの映画について書こうと思ったのは、テーマとして、「理想社会とは何か」を感じたから。映画の中では、妖怪たちがある種の洗脳を受け、一見、理想社会と思えるようなところに行ってしまうシーンがあった。

そこは、皆が優しく、争いや競争もなく、欲もなく、同じ服を着て、いつも楽しく踊っているだけのような世界。結果的には、主人公の澪(みお)は、そこには行かず、洗脳の解けた妖怪たちも現世に帰ってくる。

私の描く『お金のいらない国』も理想社会だと思うので、そのようなイメージで捉えられる方もいらっしゃるかもしれない。

しかし私のイメージする『お金のいらない国』は、通貨制度や婚姻制度など、人間の作った制度がないだけで、基本的に他はこの世と同じである。皆、それなりに欲もあり、必要なら競争もするし、そこで起きる問題もあるだろう。

皆がどんな社会を理想と考えるかは興味深い。

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30秒スクワット

私は運動が苦手で、球技も格闘技も全くできない。それでも大学時代にウエイトトレーニング部に入ってベンチプレスなどはやっていたのだが、ここ半年くらい、健康のために30秒間のスクワットをやっている。

もちろんバーベルなどはかつがない空スクワットだが、これがなかなか効果があるようで、足腰はしっかりした気がするし、お腹の調子も以前よりよくなったようだ。

毎日、午前午後の2回やっているが、30秒だとだいたい20回くらいできる。あまりやりたくない日でも、30秒ならすぐ終わる。ついでに腕立て伏せもちょっとやったりするが、それ以上は何もしない。

年を取って弱るのは、やはり足腰。もう64歳になったので、できる限りは続けようと思う。

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テアトルアカデミーの思い出

2019年7月、私は総合芸能学院テアトルアカデミー東京校に入学しました。テアトルアカデミーはレッスンの他に事務所も兼ねていて、主にエキストラなどのドラマ出演の仕事があります。

所属しているタレント数百人のうち、半数以上は赤ちゃんや子供ですが、私は40歳以上のエイジレスクラス。週一度の必修レッスン(現代劇)と、選択レッスンでは私は「時代劇所作事」を選びました。

現代劇レッスンの先生は現役の俳優さんで、ドラマや映画でときどき拝見しました。時代劇所作事の先生は経験豊富な殺陣師で、舞台のDVDを貸してくださったりしました。

レッスンはそれぞれ週1回。2年間、1クール3カ月で8クール。その後、希望すれば事務所に残って続けることもできます。1クール終わるたびに、先生が一人一人に採点と講評をくださいます。

1クラス10〜20人で、最初に台本を与えられ、毎回数人ずつのグループで演じます。時代劇所作事は浴衣で、私は着物で参加しましたが、刀などの小道具は先生が貸してくださいました。

2020年3月末、学内の舞台でニューフェイス公演があり、希望者が参加しました。前年12月からレッスンが始まり、私は家族設定のコントの父親役で出演しました。本番はあいにくコロナで無観客となりましたが、おかげでDVDに残すことができました。

2クール、半年経つとエキストラなどの仕事の紹介が来るようになります。スケジュールが合えばエントリーし、選ばれれば出演となります。私は1年半の間に10回以上応募しましたが、選ばれたのは2度。エキストラの場合は選ばれても映るとは限りません。

1回目は日テレのドラマ「同期のサクラ」。東日本大震災の帰宅難民の群衆の一人で、高畑充希さんと橋本愛さんが走り抜ける横で、後姿が少し映りました。

2回目も日テレのドラマ「恋はDeepに」(全9話のうちの8話目)。石原さとみさん、綾野剛さん、橋本じゅんさんらが演じる部屋に集まっている大学教授の一人でした。こちらはラッキーなことに結構目立つ感じで映り、お知らせしなかった人も何人か見つけてくれました。

通常のレッスンの他にも何人かの先生のワークショップや、Zoomでの特別レッスンに参加しました。

私は2021年6月までで卒業し、事務所には残りませんでした。採点や講評ではそれなりの評価もいただけ、今後の自身の活動への自信にもなりました。

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2022年

2022年が幕を開けました。

2並びは何か意味があるという話も聞きます。そして私は2月22日生まれ。この先、コロナはどうなるかわかりませんが、徐々に活動を開始しました。

私は2015年に会社を早期退職しました。東京出身ですが、35年間、勤務先は名古屋でした。自宅も名古屋に買いましたが、退職後、体調の優れない東京の実家在住の母の通院、入退院などのため、東京に通うようになりました。

2017年に実家近くの部屋を借りて母と同居するようになり、実家は売却しました。2019年、山梨県で一人暮らしだった伯母が亡くなり、2020年、母が亡くなりました。

さまざまな手続きも一通り終わり、2022年の今年は、私はかなり自由に動けるようになりました。東京の部屋は借りたままで、名古屋と東京を拠点にした活動がしやすくなったと思います。

さてこの先、世の中はどう動いて行くでしょうか。

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腰痛が治った!

私はここ5年間くらい、腰痛で苦しんでいました。痛みをかばうのでまっすぐに立つことはできず、仰向けに寝ることもできませんでした。しかし、これは年のせいで、もう治らないだろうとあきらめていました。

でも、それが治ったのです!ときどきお邪魔している横浜の木風心風堂(こふうしんぷうどう)さんにマッサージをされている方がおられ、今年の3月、受けてみないかと勧められました。

マラマさんという女性から、1時間ほど全身のマッサージを受けました。特別なことをした感じはなかったのですが、ちょっと変わっていたのは、私が空中に挙げた手を上から押さえ、抵抗力を確かめることを何度かされていました。

マッサージが終わり、立ち上がると、まっすぐ立てるようになっていました。歩いても腰に痛みはありません。その後、木風心風堂さんに伺った時にマッサージは何度かしていただきましたが、最初にしていただいた時以来、腰痛は無くなりました。

一体、どういう治療をされたのか、不思議体験としか言いようがないし、感謝しかありません。おかげさまで快適に日々を送れるようになりました。腰痛で苦しまれている方は一度ご相談してみてはいかがでしょう。

木風心風堂さんはいろいろな教室も開かれています。詳しいことはお電話などで。
https://www.kofushinpudo.com/

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ファミコンの思い出

ナンクロの雑誌の懸賞でファミコン(ニンテンドークラシックミニファミリーコンピュータ)が当たったので、私のファミコンの思い出を書いておきます。

私が初めてファミコンを目にしたのは、たぶん1984年。妻と、会社の後輩の家での集まりに参加すると、見たこともないテレビゲームをやっていました。

それまでの家庭用テレビゲームというのは、オレンジ色1色の画面の両端に短い白線があって、それをラケットにして二人で白いボールを打ち合う程度のものでした。妻の実家にありましたが、それでもテレビ画面に映るものを自分で動かせるというのは面白いと思っていました。

それが、後輩たちがやっていたテレビゲームは、かわいいキャラが走り回り、飛び上がり、敵を倒したりコインを取ったりしています。「マリオブラザーズ」。衝撃でした。もう一つは「ゼビウス」。驚きのシューティングゲームでした。

翌日、妻とデパートに行って、早速購入しました。「スーパーマリオブラザーズ」が発売される頃には世の中のファミコン人気はものすごくなり、手に入らなくなりました。幼稚園に通っていた甥っ子がほしいというので、私のファミコンは定価で譲り、しばらく遊べなくなりました。

その後、ファミコン本体に接続して使用するディスクシステムなるものが発売されると、私は本体と共に購入しました。フロッピーディスク型のゲームは玩具店に設置されている機械で書き換えたり、ゴルフなどは全国の順位を出すこともできました。

思い切りはまったのが「ゼルダの伝説」。会社に行く時間も惜しいくらいで、家で勉強しなくてよい大人になっていて本当によかったと思いました。

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ナンクロ

雑誌の懸賞に当たったので、「ナンクロ」について書いておきます。

「ナンクロ」は、ナンバークロスワードパズルの略で、普通のクロスワードパズルと違うところはカギ(ヒント)がないところです。各マスにはナンバーが書いてあり、同じナンバーには同じ文字が入ります。ナンバーの並びだけで単語を予想し、マスを埋めていきます。

ほとんどの問題には一か所だけ単語が書いてありますが、ノーヒントナンクロや、場所を指定していないヒントだけのもの、黒マスもナンバーになっている問題もあります。

雑誌1冊で60問から100問くらいあり、それぞれにいろいろな懸賞がついています。正解者の中から抽選で賞品が送られてきます。解けたものは何問でも応募でき、私は全問応募したので、送られてくるまでは何が来るのかわかりませんでした。

ナンクロはたくさんの種類の雑誌がどんどん発売されていますので、ファン数は相当いると思われます。漢字ナンクロもあります。

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8クール目評価

私が6月まで所属していた総合芸能学院テアトルアカデミー。8クール目(最終)の評価をいただきました。先生、すごい高評価してくださってるけど、ごめんなさい、プロダクションには残りませんでした。今後は自分の芸に活かします。

【現代劇】

得点 
90点
講師コメント 
セリフの入りが早いのが本当に素晴らしい。また演技も自然です。ぜひ多くのお仕事をしていただきたいと思います。いろいろな役が表現できるように、今後もたくさんの先生のアプローチの仕方、ノウハウも学んでいただいて、長島さんの力にしていただきたいと思います。

【時代劇所作】

得点 
88点
講師コメント 
同じ役でも、キャラを変えて演じれば表現の幅が広がります。役の人物も、性格の違いで台詞回しや所作の作り方も変わって来るはずです。稽古のときこそキャラを色々変えて演じ方を工夫してみてください。

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りゅうじいさんの昔話

わしが生まれたのは昭和33年(1958年)の東京。1945年に第二次世界大戦が終わり、焼野原だったはずの東京は既に家並みで埋まっていた。

その頃はまだ電気製品などはほとんどなかった。あったのは扇風機と電話くらい。冷蔵庫も電気で動くのではなく、木製で、扉は上下二つに分かれ、内側にトタンが貼ってあった。上段に氷を入れて下段の食べ物を冷やす。氷は毎日、氷屋さんが、たしか一貫目の氷を届けてくれた。外で氷をノコギリでシャカシャカ切る音が涼しげだった。

電話はダイヤル式の黒電話だったが、どこの家にもあるわけではなかった。わしが小学校に入ってクラスの名簿をもらうと、何人かは電話番号の後に、別の人の名前と「呼出」と書いてある。その電話番号は、電話のある近所の家のもので、呼び出してもらうのだ。

テレビはわしが幼稚園の時に買った。もちろん白黒で、今のようにきれいに映るわけではないが、始まったばかりのアニメ『鉄腕アトム』と『鉄人28号』が大好きだった。その後、カラーテレビが出来、小学校高学年の頃にはかなり普及した。

洗濯機も小学生の時に買ったが、うちは遅い方で、既に二層式だった。世の中にはその前に、二つのローラーで挟んで脱水するものが出ていた。ハンドルを手で回すと、洗濯物が煎餅のようにぺったんこになって出てくる。それまでは洗濯板でゴシゴシ。母はさぞ大変だったろう。

炊飯器、クーラー(エアコン)などが次々作られ、普及していった。

わしは1980年に広告代理店に入社した。90年代に入る頃、わしは携帯電話会社の担当になった。携帯電話は小型化されると同時に、すごい勢いで普及していったが、初めはレンタルだった。それまでは外で電話を掛けたい場合は公衆電話を捜すしかなく、仕事で関わっていた印刷会社の営業さんはいつもポケットベルを持ち歩いていた。

1993年に、わしは『お金のいらない国』をワープロで書いた。

そして、2000年前後からデジタル化の波が押し寄せた。パソコンが普及し、それまでアナログだったものが一斉にデジタルに置き換わっていった。印刷会社、写真スタジオ、デザイン会社など、機材、ソフトの導入、人材育成などで大騒ぎだった。

しばらく前までの50年くらいの間、社会の変化、発展はすさまじかった。高度経済成長期には多くの人が死に物狂いで働き、また企業も右肩上がりに成長できたので、それがよしとされる時代だった。

しかし最近、電気製品などあらゆるものはかなり成熟し、そうそう進化は求められなくなってきたと思う。気が付けば、取り返しのつかない森林破壊、環境破壊も起きてしまっていた。

それでもお金中心の経済社会では成長が求められ、人々は迷い、疲れ果てている。特に若い世代は働く目的を見失ってしまうだろう。人類はそろそろお金の本質に気づき、新たな目標に向かって動き出す時なのではないか。

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お金社会の変な話(カード編)

6月初め、私は、ある銀行系のクレジットカードで、通販で買い物をしようとしました。しかし、いつも使っていたカードが認証されません。仕方がないので別のカードで申し込み、後日、銀行に確認の電話を入れました。

すると、カードの有効期限が5月末で、新しいカードを4月末に宅配したが留守だったため、その後保存期間を過ぎ、新しいカードは既に廃棄されてしまったとのことでした。

私の自宅は名古屋にありますが、現在は東京で暮らしており、ここ数カ月は名古屋に帰っていませんでした。だから新しいカードが宅配されたことは知らず、不在票も見ていませんでした。

カードはキャッシュカードとの一体型なので、再発行されるまでカードで現金を引き出すこともできません。東京の最寄りの支店でカード再発行の申し込み手続きをしましたが、カードができてもとりあえず名古屋の自宅に宅配し、不在で名古屋の支店に戻ってから東京の支店に送ってもらわねばなりませんでした。

7月半ばにやっと新しいカードを受け取ることができましたが、再発行手続きをした東京の最寄りの支店は法人優先の支店だそうで、地下鉄で隣の駅の支店まで行って受け取らねばなりませんでした。

新しいカードを廃棄する前に、私にメールの一本もくれればこんなことにはならずに済んだものと思います。銀行さんも面倒な手間が増えただけでしょう。長い付き合いで、残高がないわけでもないのに、簡単にカードを廃棄してしまうシステムは信じられません。

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