りゅうじんの独断と偏見の人生哲学
(地球環境・未来編)

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タイトルをクリックしてください。

森林減少のスピード2022.5.31NEW
地球人としての自覚を持て
2022.4.13NEW
あらゆることに絶対はない
2021.2.16
2050年に地球は
2021.2.11
日本の人口
2020.7.10
歴史から学ぶこと
2020.7.5
人類の歴史
2020.7.4
地球と人間
2020.7.3
グレタさんが声を上げた地球環境問題
2020.1.27
日本が原発をやめない理由
2016.4.3
ヒトが地球上に生まれた時は2010.4.19
戦争をしないということ2008.9.3
地球と海と空気2008.5.28
少子化は問題?2005.6.22
割り箸に関する考察2005.6.8
無意味な経済活動2005.5.29
罪深き先進国(3)2005.5.24
罪深き先進国(2)2005.5.22
罪深き先進国(1)2005.5.20
赤ちゃんニッポン2005.5.4
破滅に向かっている地球環境2005.5.3
環境問題とお金の関係2005.4.19

 

 

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森林減少のスピード

私が毎週参加しているネット配信番組の中で、環境破壊、森林伐採について話しましたが、その中で私が発言した数値などが、調べたら大きく間違っていましたので、改めて投稿しておきます。

(引用ここから)
森林減少のスピードはすさまじく、2000年から2010年までの平均で、毎年520万ヘクタール。 1分間で東京ドーム約2個分、1時間でおよそ127個分の広さの森林が地球上から消えている計算になります。
(引用ここまで)

うろ覚えの記憶で発言したのですが、とんでもない数値でありすぎたので、勘違いしていたのだと思います。

森林減少、森林伐採の原因、理由はさまざまであり、致し方ないところもあるかもしれませんが、金儲けのためとか、生きるのに直結した理由でないものは控えていかなければ、地球は生物が住めない星になってしまうでしょう。以下、参考になるサイトです。

https://www.shinrin-ringyou.com/forest_world/factor.php#:~:text=%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%A2%97%E5%8A%A0%E3%81%A8%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E3%81%AB%E4%BC%B4%E3%81%86%E6%A3%AE%E6%9E%97%E3%81%AE%E8%BE%B2%E5%9C%B0%E3%83%BB%E7%89%A7%E8%8D%89%E5%9C%B0%E5%8C%96&text=%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%8C%E6%A3%AE%E6%9E%97%E6%B8%9B%E5%B0%91%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%A4%A7,%E5%9B%A0%E3%81%A8%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82


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地球人としての自覚を持て

「人(ヒト)」」は、「金(かね)」という実体のないものを考えだし、それによって得たものを「所有」していると思い込み、また、地球上に、ありもしない「国境」という線を引き、誰のものでもない土地や資源を奪い合い、殺し合いまで起こしている。

人間は、ただ、光、空気、水、食料のある地球上に生かしてもらっている動物の1種に過ぎない。その環境のすべてに責任を持ち、他の動植物と共に、地球が存続する限りは生きて行けるようにするのが、地球人としての人間の使命だろう。

地球人は宇宙人の1種である。たぶん、今、他の宇宙人たちは呆れている。

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あらゆることに絶対はない

先日、『NHKスペシャル2030 未来への分岐点』についての投稿をしましたが、地球温暖化は起きていない、あるいは、二酸化炭素排出が原因ではないというご意見もあるようなので補足しておきます。

世の中のあらゆることに、絶対ということはありません。自分で調べられることにも限界があり、それが真実である保証もありません。ですから、意見を言うにしても、あくまでも現在、自分はどう考えるか、また、それが正しいとは限らないが、というスタンスが必要になります。

私は、地球温暖化が起きていないのならそれは結構なことだと思います。ただいずれにしても、二酸化炭素の過度な排出により、大気の成分バランスに影響を与えること、また、本来、二酸化炭素を吸収する森林の、大規模な伐採などによる環境破壊は大変な問題だと思っています。

いずれにしても私は、この経済中心の社会を見直し、早急に、貧富の差を生む現在の経済システムを変えることが必要だと思います。

これもあくまでも私個人の意見ですが。

※前回の投稿の中の、「北極や南極の氷が解けて大洪水が起きる」というくだりは、北極に関しては氷が浮いているだけなので解けても海面が上昇することはなく、大陸である南極に限ると訂正しておきます。

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2050年に地球は

『NHKスペシャル2030 未来への分岐点』第1回、第2回を見た。第1回は地球温暖化、第2回は食に関することだった。詳しくはアーカイブなどでご覧いただきたい。

要は、人類が今のような生活を続けていけば、2050年頃にはとんでもないことになっているということ。そして、これから2030年までの10年足らずの人類の選ぶ道が、未来を決めるカギになる。

地球温暖化により、暑さはもちろん、北極、南極の氷が解けて、都市部にも大洪水が起きる。生き延びたとしても食料が不足し、価格が高騰。今よりも極端な貧富の差がつき、貧困層は食べるものが買えない。

地球温暖化の原因が、人間社会の二酸化炭素排出によるものでなければ防ぎようがないかもしれないし、あくまでも未来の予測なので鵜呑みにする必要はないが、こうなる可能性は十分にあるということだろう。

こういうことはネットワーク『地球村』の高木善之さんは何十年も前から言われていた。もう手遅れかもしれないが、やっと人々が危機感を持つようになったということか。

私は、未来のこういった悲劇を避けられる可能性があるとすれば、現在の経済システムを変えることが急務だと思う。

※注意 北極は大陸ではなく、氷は浮いているだけなので、海面の上昇には影響しません。

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日本の人口

江戸時代の日本の人口は約3000万人。鎖国をしていた自給自足の社会。聞いたところでは、本来、日本の土地ではそのくらいの人数が適当なようだ。

現在の人口は1億2000万人超え。電車で言えばラッシュ時の満員電車。人口が多ければ、それだけ食料や資源も必要になる。

現在、日本の食料自給率はカロリーベースで40%を切り、エネルギー自給率に至っては10%以下。輸入に頼り切っており、国内での自給自足などほど遠くなっている。

そういう意味では日本も人口爆発を起こしており、逆に言えばそれは外国からの食料などの輸入が原因ともいえる。

それはそれで仕方なかったとすれば、あとは日本の人口問題。わかりやすいのは高齢者の増加だろう。一昔前に比べても、高齢者はどんどん増えて若者は減るという、非常にバランスの悪い社会になっている。

だからといって誰も寿命のある限りは生きていたいだろうし、長生きできる社会がいけないわけではない。

私が思うには、それでも百歳まで生きられる人はなかなかいないのだから、いずれはどんどん人の減る時代が来ると思う。

今は、少子化も問題になっているが、それは将来、働き手が減って、経済社会を支えられなくなるという心配が大きいようだ。もし、お金のいらない社会になれば、そんな心配も減るのではないか。

お金のいらない国になる頃には、日本の人口も3000万人くらいで、食料やエネルギーも十分足りる、理想的な社会になっているかもしれない。

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歴史から学ぶこと

人類は、歴史上、よかれあしかれ、さまざまなことを行ってきた。時には戦う必要もあったのかもしれないが、戦争などはできればしない方がよかったと思う。

しかし、起きてしまったことは変えられないのだから、今後はそこから得た教訓を生かすべきだろう。

お金に振り回されているこの社会も、間違いに気づいて正せれば、いずれは教訓として生かせるかもしれない。

お金が存在することによって進歩してきた部分もあるだろうが、私は、金儲けを仕事の目的にしたことがその欲に拍車をかけ、環境を破壊しても止められなくなってしまったのだと思う。

あるいは、生きるためにお金が必要だから、やむを得ず無理をしてきたのかもしれない。

お金を目的としなければ、もっとゆっくり、環境の再生を待ちながら進歩することもできるだろう。

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人類の歴史

人類は、ここ1000年くらい、世界のいたるところで殺戮と侵略を繰り返してきた。

日本では第二次世界大戦以後は戦争は起きていないが、戦国時代などは日本国内でも領地をめぐって殺し合っていた。

今でも一つ間違えばさまざまな理由で戦争を起こす危険性はあるが、根本的な戦いの目的は、支配と、食料、資源の確保などだろうか。

しかし、地球が丸いことも知らなかった昔に比べ、地球上のどこがどうなっていて、何があるか、宇宙についても、地球から観測できる範囲のことはかなりわかってきた現在は、大分人々の意識は変わっている気がする。

少なくとも各地で世界平和が叫ばれ、暴力を良しとしない意識が高まっているのだから、人類はそれなりに進歩してきたのではないだろうか。

現在ではさまざまな戦いの目的が経済に置き換えられ、お金のために戦争が起きているような気がするが、人類はそろそろお金の実体にも気づき、無意味な争いはやめた方がいいと思う。

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地球と人間

地球の直径が1メートルだとすると、海は、深さ1万メートルのマリアナ海溝でも1ミリ。地表の面積としては海は7割くらいあるが、水は地球を薄ーく覆っているだけ。地球にある水もほとんどは海水で、生きるのに必要な真水はほんの少しです。

空気も地表近くにしかないわけで、人の住める部分なんて地上0.何ミリ。いかに薄い隙間で私たちは生きていることか。

しかし、この奇跡の空間を作るために、全宇宙が必要なのかもしれない。そこに生かされている私たちはどう生きるべきか。金儲け目的の経済活動で環境を破壊している場合だろうか。

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グレタさんが声を上げた地球環境問題

昨年、16歳だったグレタ・トゥーンベリさんが声を上げたことによって、がぜん注目され始めた地球環境問題。世界では、賛同する若者たちが動き出している。

しかし、一部の大統領や大人たちからは、子供が大人に逆らっているだけとの批判も。子供に、どうすればいいのか具体策を出せなどと言っている人もいる。全く情けないことだ。

グレタさんたちが言っていることは、地球環境のことをちゃんと考えている人は昔から言っていること。NPO法人「ネットワーク『地球村』」の高木善之さんは30年前から、2000年にアメリカ大統領選に出馬したアル・ゴア氏も「不都合な真実」を著し、2007年にはノーベル平和賞を受賞している。

それでも経済のことしか頭にない大人たちが、不都合な真実に目をつぶってきた結果、近年の地球環境は、取り返しのつかない事態が目に見えるところまで悪化してしまった。

年寄りは2、30年もすればいなくなるからいいが、先の長い子供たちはたまらない。だから今回、業を煮やした若者が声を上げたのだ。

子供を批判している場合ではない。少なくとも、この50年、異常な経済活動で地球環境を悪化させてきた大人たちは、大いに反省し、価値観を転換しなければ、地球の未来はない。

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日本が原発をやめない理由

2011年に起きた東日本大震災で、福島第一原子力発電所の建屋が水素爆発。メルトダウンを起こした原子炉から大量の放射能が漏れ出し、福島県はもちろん、周辺地域に多大な被害をもたらしました。

その後しばらくの間、日本の原発はすべて停止し、電気は原発以外の発電方法で賄われました。しかし、2016年現在、幾つかの原発は再稼働しており、今のところ、日本は原発廃止には向かっていません。

原発が止まっている時でも他の方法で必要な電気は作れたのですから、日本が原発をやめない理由は、お金以外にありません。原発は経済効率が良い、原発をやめると電気代が高くなる、廃炉にするにもお金がかかる、など。

しかし、ひとたび事故が起きれば計り知れない危険に直面し、莫大な費用がかかるわけですから、そのリスクを負ってまで原発を続ける意味はないと思います。

お金の存在しない社会なら、経済のことは考えなくてよいわけですから、何の迷いもなくすぐにやめるでしょう。

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ヒトが地球上に生まれた時は

そもそもヒトがこの地球上に生まれた時は、誰もが生きていくのに十分な食料はあったはずだ。それは、自然に生っている木の実や果物だったり、食べられる草であっただろう。あるいは捕まえられるのなら、小動物や、魚だったかもしれない。

初めは農業などなかったわけだから、そこにただあるものを食べるしかないし、何もしなくても食べられる物があるのでなければヒトは生きていけなかったはずだ。

ということは、ヒトは何もしなくても、本来、食べるには困らないだけの物は自然から与えられているということだ。

もちろん、天災や何かの加減で食糧が足りない時は餓死する者もあったかもしれない。しかし、現在のような一部の恒常的な飢餓や貧困は、人間が作り出した不自然な社会システムによって生まれたものだろう。

先進国は、貨幣経済を発展途上国に持ち込んだ。そしてそのシステムに蝕まれたところは、どんどん自然が破壊され、本来十分にあったはずの、ヒト、あるいは動物たちの食べる物を失ってしまった。

その結果、先進国の人たちはぜいたく気ままに暮らし、途上国の人たちは飢餓貧困に苦しみ、死に追いやられているのだ。

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戦争をしないということ

戦争はいけない、自分は絶対にしないと考えている人は多いと思います。たしかに現在の日本のような、表面上平和な国では、日本が戦争を始めるなんてことはなさそうに見えるし、私もそうあってほしいものだと思っています。

しかし、2001年にアメリカで起きた9.11同時多発テロ事件の直後、アメリカがアフガンに報復すると言い出した際に、あなたはどう感じましたか?

あれだけのことをされたのだから報復もやむをえないかもしれないと少しでも思ったとしたら、あなたは戦争を始める可能性をお持ちなのではないでしょうか。

日本があれと同じようなことをされたとしたらどうですか。何をされても絶対に反撃はしないと断言できますか。

戦争をしないということは、先に手を出さないのはもちろん、絶対にやり返さないということです。どんな場合でも、誰に対しても、復讐という行為は思いつきもしないというくらい徹底していないと、戦争を始めてしまう可能性はあると思います。

私自身は、わかりません。今は絶対にやり返さないと思いたいところですが、実際にその立場に立ったことがないのでなんとも言えません。少なくとも9.11事件の時には報復を始めたら取り返しのつかないことになると思い、ニューヨークタイムスに報復反対の全面広告を出すキャンペーンには少しですが出資もしました。しかし、あれはお金で済むことだからできたことかもしれません。

第二次世界大戦のきっかけになった真珠湾攻撃。これは日本がアメリカに仕掛けたものですが、アメリカは事前にその情報を知っていたのではないかという説があります。また、9.11事件も、よくよく調べていくと、アメリカ政府が何らかの形で関与していなければあんなことは起こせないのではないかという説がかなりの真実味を帯びてきました。

戦争を始めたい場合は、まず相手に手を出させる。これは大義名分を立てるには非常に都合のいいやり方です。人情として、先に手を出した方が悪いと考え、やられた方に同情したくなるからです。報復はやむをえない、あるいは当然と考える人も多いでしょう。

しかし、それが罠だとしたら……。この社会は、当局の都合で、信じられないような情報操作が行われているようです。経済を崩壊させないために、お金のために戦争をしなければならない人たちは、手段を選びません。

それに、9.11の首謀者はいまだわかっていないのです。アメリカの矛先は、いつの間にかアフガンからイラクに変わってしまいました。あれだけのことをされていながら、9.11事件の犯人はどうでもよくなってしまったのでしょうか。あるいは、追求されては困ることがあるのでしょうか。

戦争をしないということは、どんな攻撃をされても、どんな目に遭わされても絶対にやり返さないということです。これは並大抵のことではないかもしれませんが、真に平和を望むのなら、これを徹底するしかないと思います。

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地球と海と空気

地球の半径は約6,300km、海は一番深いマリアナ海溝で10,000mちょっとです。地球の直径を約12,000kmとすると、海の深さはその1200分の1。直径1mの地球なら、海の深さは深海でも1mm以下でしかありません。

地球は外から見ると、約70%が海で、水が豊富、水の星と言われますが、実は水はごく薄い膜のように表面を覆っているだけなのです。

また、陸地では一番高いエベレストでも標高9,000m弱。空気も10,000mも上空に行けばかなり薄くなります。直径1mの地球なら、やはり1mmくらいのものでしょう。私たち生物は、そのごくわずかな隙間で暮らしているのです。

なんと奇跡的なことだと思いませんか。あらゆる意味でその隙間の環境が絶妙なバランスを保ち続けられているからこそ、私たちは存在していられるのです。そのバランスがちょっとでも崩れれば、簡単に死んでしまうでしょう。

その奇跡的な隙間で私たちは一体何をしているのか。奪い合い、殺し合い、傷つけあっている場合でしょうか。自分たちを含めたすべての生物が存在するために、なくてはならない自然環境を人間はなぜ破壊するのでしょうか。

明らかに自殺行為でしょう。このまま行けば、他のすべての生物を巻き添えにした、地球最大の他殺行為にもなってしまいます。なんとか未遂で終わらせるよう、人類一人ひとりが考え、努力する必要があります。

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少子化は問題?

昨今、少子化問題が叫ばれていますが、生まれてくる子供の数が減ることは何が問題なんでしょう。

現在、日本の人口は約1億2700万人。江戸時代までは3000万人くらいだったのに、明治時代以降、人口は急激に増加しました。その原因は、医学の進歩などもあるでしょうが、一番の要因は、開国による食糧の輸入ではないかと思われます。

日本の国土で自給自足が可能な人数は、江戸時代のような3000万人程度。本来、日本はそのくらいの人数が適当であり、それ以上に増えると、さまざまな問題が生まれてくるようです。土地や住居問題然り、ゴミ問題然り。首都圏は過密化し、人々にはストレスがたまって、病気や犯罪も起きやすくなります。

既に日本の人口は許容量の4倍にも達しているわけですから、人口は減った方がいいし、ここにきて子供の出生率が下がるのは自然の摂理と考えられ、本来なら喜ぶべきことでしょう。それなのに、なぜ問題だと言われるのか。

その一番の理由はお金です。子供が減ると、将来働き手が減り、国家の収入が減り、年金制度が成り立たなくなる。まやかしの経済社会は、いよいよぼろが出てきました。お金の存在しない世界だったら、子供が減っても困ることはありません。

確かに現在の1億2700万人が3000万人に減るとしたら、途中の段階では割合的に高齢者が増え、バランスの悪い社会になるでしょう。でもそれは、本来の自然の姿に戻る過渡期としては仕方のないことです。これ以上人口が増加するようなことになったら、環境が追いつかないし、日本の未来は無いわけですから。

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割り箸に関する考察

使い捨て商品の代表的なものに割り箸があります。過去には、他に利用価値のない余った木を使っているから環境には悪くないのだという意見もあったようですが、現在では、割り箸の原料になる木は主に中国から大量に輸入しているので、森林伐採、環境破壊の原因になっているようです。

日本では、外食が増えたことにより、割り箸の使用量も増えました。家庭で普段使われる箸は割り箸ではないと思いますが、飲食店では、洗う手間が省けるので、割り箸を使用しているところが多いようです。

環境問題に意識の高い人は、常に自分の箸を持ち歩いている人も少なくないようですが、意識はあってもなかなかそこまでできない人も多いと思います。個人の努力も大切ですが、私の経験から考えますと、これはお店側がそういった意識を高め、割り箸の使用をやめることがもっとも効率が良い気がします。

飲食店に箸を持参した時、割り箸がテーブルの上に、立てる等してまとめて置いてある場合はそれに手をつけず、自分の箸を使えばいいのですが、そうでない場合は、注文した料理が運ばれてくる際、割り箸はセットになっていることが多いと思います。その時点ですぐ割り箸だけ返せばいいのかもしれませんが、お店としても、一度客の前に出してしまったものは次のお客に出しにくいでしょうし、せっかく割り箸を使わなかったのに、そのまま捨てられるのでは努力の甲斐もありません。

ですから私は、飲食店側にできる限り割り箸の使用をやめていただきたいと思います。そして、割り箸を仕入れていた料金を箸の洗浄の手間賃に回す、或いは、そのために料理の値段が若干高くなっても仕方がないと思います。そばやうどんなど、割り箸の方が食べやすい料理もあるとは思いますが、なるべく割り箸の使用をやめることを飲食店さんにはお願いしたいと思います。

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無意味な経済活動

罪深き先進国(3)でご覧いただいたように、経済活動、お金のやり取りというのは、貧富の差を生むだけで、全く意味の無いものです。貧富の差をつけたい人もいるのでしょうが、この事実に気付いていない、或いは全くそんなつもりもなく経済活動に参加している人が大半でしょう。

Aさんが買った椅子は、いずれ壊れるか、古くなるかして捨てられればただのゴミです。お金のことを別にしても、その椅子が本当に必要だったのなら物としての価値はあったことになるでしょうが、ろくに使われもせずに捨てられるとしたら、単なる資源の無駄遣いに過ぎません。

そして、先進国で流通しているものは、単に経済社会を存続させて行くためだけに生産された、無駄なものが多いのではないでしょうか。企業は金儲け目的で、必要ないものでも作り、売らねばならない。買った方も、すぐ捨てる、買い替える。ゴミはどんどん増え、資源はどんどん失われて行く。地球環境はどんどん破壊される。

こんなばかげたことを、私たちは真面目な顔をしてずっと繰り返しているのです。そのせいで発展途上国では、食べることもできずに死んで行く人がたくさんいます。もう、ゲームなどとは言っていられません。世界では、毎日5万人の子供たちが餓死し、日本では、1日に3000万人分の食料が捨てられているのです。

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罪深き先進国(3)

経済社会の流通システムをごく簡単にシミュレートしてみました(図参照)。Aさんは原生林を持っている人、Bさんは流通の仲介をする人、Cさんは製品を作る技術者です。

まずBさんは、Aさんから20円で木を1本買いました。次にBさんはCさんに材料の木を渡し、30円を払って椅子を作ってもらいました。それからBさんは、材料費と、Cさんに払った加工賃に自分の利益30円を加えた80円で、Aさんにその椅子を売りました。

このやりとりの結果、BさんとCさんは30円の利益を上げました。Aさんは木を1本失った代わりに椅子を手に入れましたが、お金は60円のマイナスになりました。

どうもAさんに分が悪いようなので、木の値段を上げてみてください。でも、椅子の売値が上がるだけで、結果は同じです。そして、お金だけを見ると、どうやっても3人を合わせればプラスマイナスゼロになります。仮にBさんが椅子をAさん以外の人に売ったとしても流通の範囲が広くなるだけで結果は同じです。

経済は差し引きゼロなのです。誰かがお金を儲ければ、誰かが失う。そういうゲームでしかありません。自分がお金を貯めることは、世界のどこかの貧困を生み出している、そう考えて差し支えないでしょう。

この場合、Aさんは椅子を買ってはいけなかったのです。木を売って得たお金は、原生林の再生に使っておけば木は減らず、少なくともマイナスにはならなかったはずでした。しかしこれは、Aさんが悪いわけではありません。多分、それをわかっていて椅子を売ったBさんに一番問題があるでしょう。

お気づきのように、Aさんは発展途上国、Bさんは先進国の人です。勿論、現実はこの程度のものではなく、AさんはBさんに高額な機械などを買わされているから、返済不能なほどの借金ができてしまうのでしょう。

先進国はいいかげんに搾取を反省し、ばかばかしいマネーゲームをやめて、全人類の幸せを考え、地球全体の環境を元に戻すための努力をしなければいけません。それができなければ、人類の未来は無いでしょう。

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罪深き先進国(2)

日本のような先進国と言われる国、いわゆる経済社会に暮らしていますと、お金を稼ぐために勤勉に働いたり、会社の発展に貢献することは、最もあるべき人間の姿のように思えます。確かに、そういった社会の中だけの視点で考えれば正しいということになるでしょう。

しかしです。地球規模で考えて、経済社会そのものが間違っているとしたらどうでしょう。間違った社会で勤勉に働いてお金を儲けることは、そこから生まれる問題を助長し、社会を間違った方向に発展させることになります。

経済のシステムは、お金の取り合いですから、片方が増えれば片方が減ります。全体が増えるということはあり得ません。実は、世界中のお金の収支は、全てをならせば差し引きゼロになるのです。

発展途上国は、物価が安い、人件費が安い。そこで先進国は、発展途上国から安く材料を仕入れ、安い人件費で商品を作り、大量生産を繰り返してきました。実際、日本で売られているそうやって生産された商品は、衣類にしろ電気製品にしろ相当な割安感があります。

しかしそのために、発展途上国では森林や資源がどんどん無くなって環境が破壊された上に、先進国から高い商品を買わなければならないため、借金が膨れ上がって、返済不能になってしまいました。

そもそも森林はその価格に再生の料金を含めなかったため、安すぎたのです。再生を考えたら、できるまでには途方も無い時間のかかる石油なども、むやみに掘ったり、安易に使ってはいけないもののはずでした。そのことに初めの時点で気付いていれば、地球上の二酸化炭素もこれほど増加することはなかったでしょう。

先進国の経済的発展は、言ってみれば貨幣価値の違う発展途上国から搾取して得たものです。その不公平に対する不満は、テロと呼ばれる暴力行為の形でも表れています。

まやかしの経済は限界が見えてきました。このまま行けばそう遠くない未来に破綻するでしょう。問題は、経済発展のために破壊してきた地球環境がそれまでもつかどうかです。これ以上の破壊を食い止め、地球の未来を守るのも、今までいい思いをしてきた先進国の役割なのではないでしょうか。

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罪深き先進国(1)

あり余る食料、快適な住宅環境、少なくとも物質的には何不自由ない暮らし。日本をはじめとする先進国では当たり前のそういった生活は、世界的に見ればごく一部のものです。先進国の人たちは頑張ったのだ、一生懸命働いたから報われたのだ。そう思われるでしょうか。実はそこには大きな傲慢さと、勘違いがあります。

たとえば、東南アジアやアマゾンの森林伐採による環境破壊。先進国は、木材を大量に安く輸入して住宅、紙などを生産。森を切り開いてハンバーガー用の牛の牧場にしたり、マングローブの林をつぶしてエビを養殖。また、現地の人に、大豆やコーヒー豆、ナタデココなどの畑を作らせるなどしてきました。

森林伐採がどういった結果をもたらすかというと、二酸化炭素の増加、それに伴う地球温暖化。木が無くなった土地は土砂崩れを起こしやすく、洪水の原因になり、また、地面が保水できないために砂漠化も引き起こすことになります。

先進国の食料や嗜好品は、流行が去り、需要が無くなれば売れないので、それを作るために自分たちの食料の畑までつぶしてきた現地の人にとって死活問題です。また、一度金回りが良くなり食料が増えたところは人口が増加するので、その人たちが放り出されれば難民となります。また、森に住む動物たちも、住処が奪われて生態系が崩され、種類によっては絶滅に追い込まれることになります。

先進国が我がもの顔で行ってきた森林伐採などの環境破壊は、他国の人々の生活に大きな影響を与え、多大な犠牲を生んできました。森林伐採に限りませんが、先進国の豊かさは発展途上国を踏み台にして得たもの、自分勝手な文明と言えるでしょう。また同時に、先進国の目指している進歩は、地球を全ての生物の生きられない死の星にしようとしているのです。

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赤ちゃんニッポン

日本の食糧自給率は30%を割っています。生きる上で、水や空気と並んで無くてはならない食料の70%以上を外国からの輸入に頼っているのです。これが何を意味するかというと、仮に日本が戦争をしたり、経済制裁を加えられて輸入がストップしたら、大半の人は餓死するということです。

現在、多くの人が飽食をすると同時に、ダイエットに苦しんでいる日本。食べるものくらいいくらでもあると過信している日本の食料事情は、そんな危なっかしいものなのです。これは、昔は自給自足できていた日本が、経済成長を目指して、農業中心から工業中心の政策に変えて行った結果です。

エネルギー自給率に至っては5%です。石油などのエネルギーが手に入らなくなったら、少なくとも今のような暮らしは全くできなくなります。

日本は、外国なしでは生きて行けない赤ちゃんなのです。また、戦争放棄と言っていながら、戦地にのこのこ出かけて行って、外国の軍隊に守ってもらっている不思議な国です。

また、日本は原子力発電所を作ることをやめません。確かに原子力は、ある面、非常に有効なエネルギーです。発電所も相当な地震にも耐えられるように設計されています。しかし、万一戦争が起きて攻撃されたら、ひとたまりもありません。その被害は想像を絶するものになるでしょう。

ただ、日本のこのような状態はある意味、理想なのかもしれません。外国がなければ生きて行けない、絶対に戦争はできない状態にある。それを、政府は勿論、全国民が理解し、全ての外国との友好関係、絶対的な平和を貫ければ、こんなにすばらしいことはありません。

しかし、現状を見るにつけ、政府をはじめ、国民の意識は遠く及んでいないと感じるのは、私だけでしょうか。

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破滅に向かっている地球環境

ネットワーク『地球村』代表の高木善之さんと知り合い、講演を聴き、ご著書を読ませていただきました。

環境問題は、多分ほとんどの人の想像を遥かに越えて深刻で、このままでは地球環境は確実に破滅の道を歩みます。それは多少不便になるという程度のものではなく、最悪は、地球上の全てのものを破壊、全生物を死滅させるというものです。

際限のない経済成長を目指した物質文明は、目的そのものが矛盾しており、現在のような大量生産、大量消費を続けている限り、必ず破たんします。それはここで私が説明するより、高木さんは実際のデータを掲げながら、あらゆる環境問題を細かく分析、わかりやすく説明されていますので、是非、この本を読んで、現実を知ってください。

●「新地球村宣言」〜世界再生への道〜高木善之・著 ビジネス社

未来の地球を破滅させるのか、永続可能な社会を築こうとするのかは私たち一人一人の選択にかかっています。

さて、今のままの社会が続くわけがないという、誰でもわかる簡単な例を挙げてみましょう。石油は、あと40年で掘り尽くされ、枯渇します。石油は今の社会を支えるのに無くてはならない資源ですが、たったの40年後には無くなってしまうのです。これだけでも、今、石油に頼っている産業は全て根本的に見直さなければならないことがわかります。

例えばガソリンで走る自動車は何の役にも立たなくなります。現在ではハイブリッドカーもありますが、それまでにはガソリンを一滴も使わない車を開発しておくしかありません。電気自動車でも火力発電の電気は使えません。また、原子力発電は、日本ではまだ増やそうとしていますが、世界の殆どの国では既に全廃が目標になっています。そして原発は、その頃には完全に無くなっていないと、もっと大変なことになります。

未来の社会でも自動車を必要とするなら、全く環境に悪影響を及ぼさない、完全にリサイクル可能なエネルギーを今から開発して行くしかありません。例えば日本では栽培が禁止されている一年草の大麻などは、その油で車を動かすこともできますから、その気になれば実用化も可能かもしれません。

いずれにしても、現在のような無駄の多い暮らしは各自が早急に改めないと、取り返しのつかないことになるでしょう。やはりお金の存在がさまざまな問題の根本原因であるようですが、今、人類は大きな岐路に立たされているのです。

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環境問題とお金の関係

お金を稼ぐことが仕事の目的のように思われてしまっている経済社会。どんどん作ってどんどん売って、利益を上げないと存続していけない企業。大量生産、大量消費は、当然、莫大な資源を必要とします。木が切られ、石油が掘られ、限りある資源は底が見え始めると同時に、自然破壊は地球温暖化など、人類、生物の存続を危ぶむ現象を引き起こしました。

一体なんでこんなことになってしまったのか。単なる物の代用品であるお金を際限なく手に入れることを仕事の目的と勘違いした時から、悲劇は始まったのだと思います。本来、必要なものを必要なだけ作り、大事に使っていれば、資源の枯渇も環境破壊も起きなかったはず。貧富の差もなく、仕事量も適度で、ストレスも少ない平和な社会ができていてもおかしくないはずでした。

日本では、江戸時代までは環境破壊などはありませんでした。西洋文明が入ってきて、後の第二次世界大戦に敗戦。破壊された日本の復興を目的とした経済成長が始まりました。根が勤勉な日本人、日本は世界中が驚くほどの経済的発展を遂げましたが、人々に十分、物が行き渡った後も、その勢いは加速度がつく一方。仕事の目的はお金をたくさん儲けることであるかのようにすり替えられ、大量生産、大量消費に拍車がかかりました。

バブル崩壊によってやっと正気に戻った時には、後の祭り。地球環境は取り返しのつかないことになっていました。事態の深刻さに気づき、江戸時代には当たり前だった再利用、リサイクルがうたわれ始め、心ある人がやっと自分のできることから始めようとしているのが現在の日本です。しかし、とにかくお金を稼がなければ成り立たない経済社会は、大量生産、大量消費を止めるわけにはいかず、社会は、不必要なものを作り、買わせ、捨てさせるという悪循環から抜け出せずにいます。

さて、この泥沼から抜け出す手立てはあるでしょうか。私は、環境問題の、ある意味一番簡単、且つ唯一の解決方法は、お金というものの存在をなくすことだと思います。お金は、水や空気と違って、人間が生きて行く上に必要なものではありません。絶対必要なものなら自然界に初めから存在しているはずなのです。

お金はあくまでも人間が考え出した道具に過ぎません。道具は、正しく使えば役に立ち、使い方を間違えれば害を及ぼします。例えば、包丁は料理にも使えれば、人を刺すこともできます。人間はお金という道具の使い方を間違えたために、道を誤ったのです。

今、そのことにみんなが気づき、軌道修正すべき時に来ています。一刻も早くそれをしないと手遅れになるかもしれません。そして、もし地球上の貨幣制度を廃止できれば、環境問題はもとより、あらゆる問題が一気に解決に向かうと思います。

お金が存在しなくなると、トラブルが減り、ストレスが減ります。ストレスが減ると病気が減ります。心にも時間にも余裕ができると、自分のしたいことができるようになります。そうすると、人は自分が何をすれば人や社会の役に立てるかを考えるようになるでしょう。楽観的かもしれませんが、ユートピアはそのようにして生まれると、私は信じています。

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