りゅうじんの独断と偏見の人生哲学
(愛・恋愛編)

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タイトルをクリックしてください。

結婚はした方がよいと思うか2019.1.9

不倫について2016.8.22

お金のいらない国2の世界2012.5.29

恋愛感情の種類2011.5.11

一夫一婦制をやめると2010.2.18

結婚相手2009.4.15

なぜ結婚制度はあるのか2009.2.21

恋愛と宗教は似ている2007.10.23

子供がほしいという感情2006.6.8

恋愛のコツ三箇条2006.5.23

自由の勘違い2006.4.26

悩み相談室(浮気編)2006.4.25

苦しまない恋愛のコツ十箇条2006.3.9

恋は病気2005.10.28

離婚のすすめ2005.3.16

恋愛のプロセス2004.7.27

プライド2004.7.16

独占欲と嫉妬心2004.5.29

恋愛感情の推移2003.12.28

愛と恋と性欲2003.8.6

結婚について2003.1.31

この人しかいないと思うことの是と非2001.1.27

愛と欲2000.4.13

恋愛感情が性欲と切り離せない理由2000.4.10

恋愛、この大いなる勘違い

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結婚はした方がよいと思うか

ZOZOの前澤社長が、結婚には興味がないと発言されたことから、結婚はした方がよいと思うか、みたいなアンケートがあったらしい。結果、若い層は、しなくてもよいと思う人が多かったそうな。

前澤さんは結婚経験もあるし、お子さんも居り、今でもお子さんたちとつながりを持っておられる。また、10年くらい前に拙著『お金のいらない国』シリーズは読まれたそうで、多少、その影響もあるかもしれない。

私としては、この結婚制度のある社会では、結婚はしようとしまいと、どちらでもよいと思っている。ただ、この社会においては、経済的には結婚していた方が有利になる面はあるかもしれない。

いずれにしても、私が問いたいのは、結婚制度がない社会だったら、人はどのような生き方をするかということだ。その世界には貨幣制度もないから、経済的な面は関係ない。お金に縛られることなく、単純に、誰といつまでどのように暮らしたいのかということになる。

この社会における判断とは大分違うものになるように思う。

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不倫について

芸能人の不倫が巷でよく話題になっています。社会では一般的に、少なくとも結婚した男女はそれぞれが他の異性とあまり深く付き合うことはよしとしないようです。しかし、そもそも結婚は人間が作った制度であり、本来、男女がどのようにあるべきかを誰が決められるのでしょうか。

たしかに人間には独占欲や嫉妬心があり、結婚した男女が相手以外には目もくれなければ問題は起きないかもしれません。しかし、それが可能ならなぜ人間社会では大昔からたくさんの不倫や浮気が行われ続けているのでしょうか。

ここで問題点を整理しておきますが、不倫が問題になるのは肉体関係だと思います。好きだの何だのという感情ははっきりしたことはわからず、それによって自分との離婚に発展するようなら放ってはおけないかもしれませんが、自分のパートナーがいつどこで誰と会っていようと大した問題ではない気がします。

不倫がきっかけで離婚だ、略奪婚だとなるなら、それはまた別の問題で、それぞれがどうしたいのかは当事者の間で話し合えばいいことだと思います。ですから、不倫の問題はあくまでも結婚は成立している上での他の人との肉体関係、性交渉にあると考えます。

そもそも恋愛感情、いわゆる「恋」などというものは時間の長短はあるにしても永続性のあるものではなく、突き詰めれば性欲から発していると私は考えます。「愛」は恋とは違い、その気になれば万物に与えられるものですが、恋は対象が限られる、肉体に依存するものだと思います。

性欲には非常に個人差があり、性交渉が結婚した相手とうまく行くとは限りません。また、男女差や、年齢によるずれも起き、長年の間、結婚した二人が肉体的に求め合うものが一致するというのもなかなか難しいことだと思います。

本来、性交渉は子供を儲けるために行うものかもしれませんが、性欲は子供ができてもなくなるものではありませんから、男女を問わず、肉体関係が夫婦間で満足できなければ他の異性に求めても何も不自然なことではないと思います。

もちろん、それがあからさまにわかってしまえば問題にせざるを得ない場合もあるかもしれませんが、相手との関係を壊したくなければ、目をつぶる、深くは追及しないという選択も賢明かもしれません。結婚するほど信頼した相手ならば、その人のしたいようにしてもらえばよいと思えたら、たいていのことは問題にはならない気がします。

そもそも、不倫や浮気くらいで離婚したくなるような相手に対しては、もともと大した愛情もなかったのではないでしょうか。いい年をして相手の浮気が許せないから離婚するなどというのは、単なる自分のプライドで腹を立てているか、内心は相手の不手際で離婚の理由ができ、慰謝料までもらって別れられることをこれ幸いと思っているかもしれません。

芸能人の不倫や浮気が発覚すると、たいていの場合当人が何らかの形で謝るようです。このご時世、表向きにはそうせざるを得ないのでしょうが、本心では悪いと思っていない人もいる気がするし、もっと明確な持論を打ち立てる人がいてもいいのではないかと思います。

また、不倫した芸能人に対するバッシングは、ありきたりの正義感を振りかざしているか、半分羨ましい気持ちの逆恨みでいじめに走っていると思えます。芸能人の場合、売名行為もあるかもしれませんが、いずれにしても当事者たちの問題であり、外部にはあまり関係のないことだと思います。

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お金のいらない国2の世界

私は拙著「お金のいらない国2」で、結婚制度のない社会を書きました。お金のいらない国ですから、もちろん貨幣制度もありません。結婚制度がないということに関しては反対意見も多く、お金のいらない国シリーズの中では一番の問題作かもしれません。

現在の日本や先進国などでは一夫一婦制が導入されており、結婚は一人の人としかできないことになっています。しかし、結婚は認められないにしても、いいか悪いかは別として、物理的に複数の人と付き合ったり、子供を作ったりすることは可能です。

私が考えるお金のいらない国では結婚制度がありません。しかしそれは、皆が複数の人と付き合ったり、子供を作ったり、また、自分の相手がそうすることを許さなければいけないということでもありません。

要するに何の決まりもなく自由なので、1対1でいたい人は、1対1でいたいという人と一緒にいればいいし、そうでない人は別の形で生きればいい。すべて自分の意志、判断で行動し、自分が関わる人との関係もすべて自分が責任を持つという世界なのです。そこでうまくいこうと、トラブルが起きようと、すべて自分で対処するということです。

今の社会で、結婚制度や一夫一婦制がなければ不安になるような気がするのは、経済的な理由も大きいのではないかと思います。生計を共にする夫婦や家族はお金によって縛られていますから、収入のある人にいなくなられては困るからです。お金のいらない国ではお金が存在しませんから、そういう心配はいりません。

貨幣制度も結婚制度も人間が作ったもので、初めからあったわけではありません。私は、それがあることによって皆が幸せになるならあってもいいけれども、不幸になるようなら、ない方がいいと思います。私は今の結婚制度では幸せになっている人より、不自由や不幸を感じている人の方が多い気がします。

私は、結婚制度がなければ一緒にいられないような夫婦はさっさと別れた方がいいと思うし、また、現在、幸せを感じている人は、結婚制度などなくなっても今と同じ形で生きればいいわけですから、何の問題もないと思っています。

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恋愛感情の種類

恋愛感情を簡単な図にしてみました。

Aは誰かのことが大好きという感情です。これに性欲が加わるとBになります。また、その上に独占したいという気持ちが起きたのがCです。

私は、恋愛感情は性欲がベースにあると思うので、Aは性欲がないのであれば恋愛とは言えない気がします。純粋なファン心理などがここに属し、同性に向けられることもあると思います(同性愛ではありません)。

BとCは恋愛感情になると思いますが、多くの場合、現在の社会ではCが一般的に恋愛の常識と考えられているように思います。恋愛を扱った映画やドラマでも、独占欲による葛藤を描いたものが多いのではないでしょうか。

人それぞれの感情の問題ですからどれがいいというものでもないと思いますが、私は独占欲が苦しみを生むと思っています。例えばファン心理でも、独占欲まで行ってしまうと苦しみになります。

極端な話が、独占欲が高じれば、自分のものにならないのなら殺してやるというような感情も生まれるわけです。ですから、私は図のBまでで満足できるくらいの恋愛が理想なのではないかと思います。

たとえ相手の気持ちが自分に向かないとしても、相手が好きなようにして幸せになってくれることが自分の喜びでもあるくらいの大きな気持ちを持てれば、人間としても成長したことになるのではないでしょうか。

 

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一夫一婦制をやめると

一夫一婦制をやめ、結婚制度を廃止すると、特定の人に人気が集中して、不平等になるのではないかという意見があります。たしかにそうかもしれません。しかし、だからといってカップルの数が減るわけではないのではないでしょうか。

図では、ブルーの四角が男性を、ピンクの丸が女性を表しています。男女を逆にしていただいてもかまいません。

図1は、結婚制度がない状態です。人気のあるAさんは、5人の男性とカップルになっています。他の女性には相手がいません。

図2は、一夫一婦制で、5組のカップルができています。これはある意味、理想なのでしょうか。しかし、図3も一夫一婦制です。Aさんには相手がいますが、他にはカップルができていません。

カップルの数だけを見れば、図1と図2は同じです。また、図3のように一夫一婦制だからといって、相手ができるとは限りません。

独占欲や嫉妬心を持たなければ、AさんがOKなら、図1では5人の男性は理想の女性とカップルになれます。もちろん、制度がどうであろうと自然に図2のような形になるなら、一番多くの人が満足できるかもしれませんが、そううまく収まるとも思えません。一夫一婦制の今の世の中でも、好きでない人とカップルにはなりたくないでしょうし、図3のような現象も現実には起こっているでしょう。

結局、制度によって人を縛っても良くなることはないのではないかと思います。制度を作ったことによって、本来、持たなくてもいい感情や、余計なトラブルを作り出している気がしてなりません。人は、自分の責任の持てる範囲で、自由に生きるのが自然なのではないでしょうか。

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結婚相手

あなたは結婚に対してどんな意識をお持ちでしょうか。独身の人、結婚している人、離婚した人、再婚した人など、経験によっても人によっても見解はいろいろでしょうね。

独身の人は、結婚したいと思っているか、したくないと思っているか。結婚している人は、してよかったと思っているか、するんじゃなかったと思っているか。離婚した人は、またしたいと思っているか、もう二度とするもんかと思っているか。再婚した人は前回よりよかったと思っているか、また離婚しようと思っているか。

結婚は、好きな相手と、末永く一緒に幸せに暮らしたいと思ってする場合が多いと思います。でも、人の心というのは変化するもので、離婚する夫婦が結構いるところを見ても、何十年も一人の相手だけをずっと好きでいるというのもなかなか難しいことのようです。

また、「恋愛感情の推移」の項に書いたとおり、熱愛期というのはそう続くものではありません。それがずっと続くと信じて熱愛期に結婚した人は、その時期が過ぎ、他の人と熱愛関係になったような場合は、離婚して新しい人と結婚したくなるでしょう。そして、それに気づくまでは何度も結婚、離婚を繰り返すのではないかと思います。

結婚の経験のない人は、結婚したら一緒にいられる時間が増えると思われるかもしれませんが、そうとも言えません。もちろんその人の生活環境にもよりますが、平日は仕事や付き合いで帰りが遅く、帰ったら寝るだけだったり、休日も片方が用事で出かけてしまえば一緒にいられる時間はそうはありません。

趣味ややりたいことが夫婦で一致していればいいかもしれませんが、お互い別のことがやりたいとなれば休日、あるいは平日の夜も、別の人と関わり、別のことをするようになるでしょう。そうなると一緒にいられる時間はほとんどなくなります。

結婚前から趣味などが一致しているのがわかっていればいいですが、人が興味を持つことややりたいことは変化するでしょうし、やりたいことが合わなくなったからといってその度に離婚するのもまたたいへんです。

そもそも特定の異性と契約を結ぶということ自体、おかしな制度だとは思いますが、この社会、一人よりは複数で暮らした方が効率はいいでしょうし、今の社会において、とりあえず結婚という道を選ぶなら、では、どういう相手とどんな関係にいるのが望ましいでしょうか。

もちろん、嫌いな相手とは一緒にいたくないし、わざわざ結婚する必要もないでしょう。「恋愛感情の推移」の項で言えば、熱愛期が過ぎた後は、円熟なら全くもって結構でしょうし、最低でも友愛くらいの感情は持っていたいものです。そして、相手の生き方がたとえ理解できなくともお互いが尊重し合い、できるなら協力し、少なくとも邪魔をしたり足を引っ張ったりしないことが必要でしょう。

私は、結婚に踏み切るなら、そのくらいの割り切りと心構えをしておいた方がいいと思っています。ちなみに私は、結婚して25年あまり。現在20歳の息子が一人居ります。

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なぜ結婚制度はあるのか

お金と同じく、制度も人間が作り出したものであり、はじめからあったわけではない。ということは、それがなければ人が生きていけないということはないはずだ。お金にしろ制度にしろ、あることによって社会がうまくいくならあってもいいかもしれないが、かえって問題が起きるようなら、ない方がいいだろう。

結婚制度はどうだろう。

人は、一人より複数で暮らす方がいろいろな意味で効率がいいとは思う。だから、一緒に暮らしたいと思った男女は暮らせばいいし、子供ができたら育てればいい。

一緒にいたくなくなったら、離れればいい。子供も、大人になったら親から離れていくのが自然であり、いつまでも親と関わりを持つ必要はない。

それだけのことなのに、結婚という契約が必要になるのは、この社会ではお金が絡むからだろう。生活費、子供の養育費、教育費。お金は家族という単位の束縛を生む。

結婚制度のある社会では、夫婦、家族という名前の関係が生まれ、それがさも大事なことのように扱われる。今の世の中では、家族と他人を分け、何かにつけ家族を最優先することがよしとされる傾向がある。

それで、自分や、家族や、周囲の人たちみなが幸せなら問題はないかもしれない。しかし、お金や制度に縛られ、離婚に踏み切れない夫婦、依存や束縛をし合っている親子も相当数いるのではないか。

また、結婚という制度によって、余計な独占欲、嫉妬心が生まれているように思う。お互いの自由を奪い合うことになるくらいなら、結婚などしないほうがよい。

制度とは支配者の都合で作られたものであって、人々が平等であろうとする社会に必要とは思えない。お金も制度もなければ、人は何にも束縛されることなく、自由に生きていけるのではないだろうか。

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恋愛と宗教は似ている

恋愛と宗教は似ていると思いました。

ひとたび惚れ込むと、その人に関する全てがよく見える。「あばたもえくぼ」なんて言葉もありますが、短所でも長所に見えてしまったりする。短所イコール長所ということもありますし、「蓼(たで)食う虫も好きずき」という言葉のように人それぞれ好みもあるでしょうから、よく見えることがいけないわけではないと思いますが、あまり盲目的になるのもいかがなものでしょうか。

盲目的になるとその人しか見えなくなる。一途になる人ほど他の人は目に入らなくなる。恋愛は一人の人としかしてはいけない、それが健全な恋愛というものだという概念の上では理想的かもしれませんが、私の経験から考えますと、どうも一人に固執するということ自体が、さまざまな弊害を生む気がして心配になります。

宗教でも、妄信すると他は邪教だということになる。しかし、まともな宗教なら本質的に言っていることはどれも同じはず。教義や戒律の違いなどは本質とは関係なく、そういった上辺のものを必要以上に大事にし、信者を縛るような宗教はその時点で問題があると思います。

また、恋愛も宗教も、激しく傾倒すればするほど、ひとたび嫌いになると全てが嫌になるように思います。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の言葉のように、その人に関することは全部嫌いになってしまう。盲目的に好きになった後だから、反動で徹底的に嫌いになるのかもしれません。

これは個人の性格もあるでしょうし、また、そもそも恋愛などというものは、盲目的になれている間がよければいいのかもしれません。しかし、一時的なものにせず、愛し続けたいと思うなら、あまり盲目的にならず、長所も短所も冷静に判断し、全てを受けとめておいた方がいいように思います。

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子供がほしいという感情

子供がほしいという言葉をよく耳にします。子供がほしいという感情はなぜ生まれるんでしょう。

生物学的には、子供を作ろうとするのは動物が自分のDNAを受け継がせていくための本能であるといえます。しかし、人が子供をほしいと思う理由は、そればかりではないでしょう。

赤ちゃんがかわいいから。抱きたいから。育てたいから。血筋や、家の跡継ぎを残したいから……。そこには、自分の五感を満足させるためや、社会的な事情がからんでいます。

しかし、たとえば赤ちゃんを目にしたことがなかったら、子供をほしいと思うでしょうか。かわいいのか、柔らかいのかわかりません。育つということもわかりません。子供というものを知らなければ、子供をほしいとは思いようがないでしょう。

まして、血筋、家系などは人間の作ったシステムに過ぎませんから、自然の状態では、それが子供をほしいと思う理由になるはずがありません。

子供というものを知らなくても、性交をしたいと思うのは本能でしょう。ですから本来は、子供をほしいからではなく、本能で性交をし、そこにただ子供が生まれてくるというのが自然でしょう。

子供は産んでみて初めてかわいいことがわかるのであり、産む前にそれを知っていて、ほしいと思うのは順番がおかしいのです。子供がほしいという感情は、人間社会特有のものなのではないかと思います。

子供はできたら産み、できなければ産まないだけ。そこに個人的な願望や、人間社会の不自然な都合をさしはさむと、苦しみを生むだけです。

また、産んだ子供は自分のものという考えも、所有意識が高まると危険です。子供が生まれたら、育てられる人がみんなで協力して育てればよい。個人も社会も、所有という概念に縛られているから、自分の子供ができないことを嘆いたり、一人で育てなければならない状況になって苦しんだりするのです。

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恋愛のコツ三箇条

恋愛のコツ十箇条をシンプルにしてみました。

一.関係に名前をつけない
二.独占や嫉妬をしない
三.過去や未来にこだわらない

●関係に名前をつけない

人と人にはさまざまな関係があります。親子、兄弟、夫婦、恋人、友だち、上司・部下……。しかし、これらは人間がつけた名前であって、結局のところ、そこにはただ複数の人が存在しているというだけのことです。血縁のある親子ですら別々の人間なのであり、ただの男女の関係などというのは非常に曖昧なものです。夫婦の間には血縁もなく、ましてや恋人関係には何の契約も保証もありません。

夫・妻にしろ、カレシ・カノジョにしろ、しょせん他人である二人がその間柄に名前をつけ、特別な関係であろうとしているに過ぎません。それが楽しいうちはいいかもしれませんが、それによって依存や甘え、束縛などが生まれるとすれば、名前にはこだわらず、原点に返って考えることが必要でしょう。

●独占や嫉妬をしない

人が人を所有することはできません。誰かを自分の思い通りに考えさせよう、動かそうという発想は危険であり、トラブルの元です。そこには洗脳、脅迫、相手の自由を奪う何らかの圧力が生まれるでしょう。

男女の場合でも、独占を求めたり、嫉妬したりするのは我欲の表れです。関係を保ちたいのであれば、お互いの自由を認め、相手の考えを尊重し、行動を受け入れ、また過ぎた干渉は避ける必要があるでしょう。

●過去や未来にこだわらない

自分がいるのは現在です。今どうしたいのか、どうするかが重要なのであり、過ぎ去ったことにとらわれたり、未来を案じて取り越し苦労をしたりすることはマイナスにしかなりません。

男女でも、それまでの関係がどうだったとか、この先どうなるかなどということにとらわれず、今その瞬間、共に過ごせることに幸せを感じ、そこに意味を見出すことが大事なのではないでしょうか。例えば、結婚などの形式にこだわったり、別れを恐れたりしていると、せっかくの今が地獄と化してしまいます。

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自由の勘違い

「お金のいらない国には結婚制度がないんでしょ?法律もないんでしょ?じゃあ、誰と暮らしても、誰と子どもを作ってもいいんですよね」
「いいですよ。あなたが関わろうとするすべての相手がそれを認めてくれるなら」
「ええ?何をしてもいいわけじゃないの?」
「いいも悪いも、何も決まりはありませんよ」
「トラブルが起きたらどうするんですか?」
「自分が起こした問題なら、自分で解決するしかないでしょ」
「それじゃ、この世と変わらなくないですか?」
「法律や制度がないですから、それに反したなどと、他者からとがめられることはありませんよ」
「でもなんか、よけい勝手なことはできない感じですね」
「自分の行いが招くことのすべては自分に返ってきます。自由とはそういうものです」

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悩み相談室(浮気編)

「どうされました?」
「主人が浮気をしたんです、ううっ、うっ」
「どうして泣いているんですか?」
「だって、く、くやしくって」
「なぜ、くやしいんですか?」
「だって、わたしという妻がありながら……」
「結婚しても他の人を好きになることもあるんじゃないんですか?」
「あるかもしれませんけど、していいことと悪いことがあります」
「でも、ご主人はそうしたかったんでしょう?」
「わたしはしてほしくないです」
「あなたがしてほしくないと思っても、ご主人はそうしたかったからしたんですよね」
「いやです、そんなの」
「ご主人を愛しておられますか?」
「はい」
「愛する人がしたいようにすることがいやなんですか?」
「だってわたしはしてほしくないんです」
「でも、ご主人がどうするかはご主人の自由ですよね」
「わたしは浮気なんかしません」
「それもあなたの自由です」
「だって結婚しているんですから、勝手なことは許されないでしょう」
「誰に許されないんですか?」
「そんなの常識でしょう」
「そうでしょうか」
「そんなこと、誰だってだめだっていいますよ」
「許せる人はいるかもしれません」
「わたしは許せないんです」
「結婚していなかったらどうですか?」
「別れるかもしれません」
「じゃあ、別れたら?」
「結婚しているんですから、別れられません」
「でも、ご主人を許せないなら別れたほうがいいんじゃないでしょうか」
「いやです」
「なぜですか?」
「愛していますから」
「愛しているなら、すべてを受け入れるしかないんじゃないでしょうか」
「……」
「あなたが許せばすむことではないですか?」
「……」
「自分の行動は自分の考え次第ですが、他人の行動はその人の考え次第です。他人の行動を自分の思い通りにしようとするからトラブルや苦しみが生まれるんです。愛しているなら、その人の思い通りにさせてあげることが愛だと思いませんか?あなたにそういう愛があれば、ご主人も他の人のことは求めなくなるかもしれませんよ」

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苦しまない恋愛のコツ十箇条

苦しまない恋愛のコツ十箇条を考えてみました。

一、独占を求めない
二、嫉妬しない
三、束縛しない
四、相手に期待しない
五、必要以上に相手の行動を知ろうとしない
六、関係に名前をつけない
七、先のことは気にしない
八、関係を続けることにこだわらない
九、違いを認める
十、すべてを受け入れる

どうですか?この上で、結婚しようと、どんな関係でいようと自由です。

これでは恋愛とは言えない、つまらないと思う人は、まだ、傷つけあい、苦しむ恋愛をする必要があるのかもしれません。

またこれは、恋愛に限らず、すべての人間関係の基本ではないでしょうか。

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恋は病気

昔から、恋の病(やまい)なんて言葉がありますが、確かに恋は一種の病気だと思います。少なくともピーク時は。

会いたくてしかたがない、片時も忘れられない、勉強が、仕事が手につかない。これが正常で永続するとしたら、精神も肉体ももたないでしょう。

病気であるなら治るのは当たり前です。人間の体は治ろうとするものです。ずっと病気でいることは本来望まれないはずだし、不治の病になりたい人はあまりいないでしょう。

恋人や結婚相手と、恋のピークを持続させたいと願うのは、ずっと病気でいたいと思っているのと同じですから、無理があるのです。ピークが過ぎることは、恐れる必要も、悲しむ必要もありません。それは正常に戻るということです。

ピークを過ぎてもお互いを必要と思えるとしたら、その後の付き合い方を考える必要があると思います。ピーク時は束縛し合ってもある程度はうまくいくかもしれませんが、少なくともそれ以降は、お互いの自由を尊重し、相手の思いも行動も全て受け入れるくらいの寛容さが必要でしょう。

ピークを過ぎた時点で、必要なくなるような相手とは、それだけの縁だったということでしょうが、そういった関係も、ピーク時には必要だったのですから、それはそれで十分意味のあることだと思います。べつに続けばいいというものではないし、続けなければいけないと無理する必要もありません。

そもそも不自然なのは、現在の社会では、付き合うとか別れるとか、恋人関係とか結婚とか、特定の異性を特別扱いし、関係を続けることが幸せといった概念があることです。そんなことを気にしなければ、男女はもっと自由に、その時どきの自分の気持ちに素直に生きて行けるのではないでしょうか。

二人の人間の間には、他にはない1対1の関係が生まれます。それは誰に対しても同じこと。ある人との関係が、他の人との関係に影響を及ぼすようなことがあってはおかしいと思います。あらゆる人とのつながりは、それぞれに貴重なものです。

※ピーク時とは、『恋愛感情の推移』の項の「熱愛」期にあたる部分です。

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離婚のすすめ

結婚制度の問題点に関しては、このホームページ内「こんなものいらない」編『結婚なんていらない』で触れましたが、ここでは、現在の結婚に対する認識を通して、離婚について考えてみましょう。

現在、日本及び地球上の多くの国における結婚は、適齢期を迎えた男女が契約を交わし、多くの場合、その後の生活を共にするというものです。世間は、一度結婚したら生涯連れ添うことを良しとするようで、離婚はなかなかしづらいのが現状です。

しかしです。20歳や30歳で決めたことを、その後何十年も守れということ自体、無理があるのではないでしょうか。人間の考えや価値観はさまざまに変化するもので、人生のどの時点に於いても、最良のパートナーが常に同じ人であるべきという理屈は少々乱暴な気がします。

世間では、離婚すると、その結婚は失敗であったかのように言われますが、私はそうは思いません。一度でも結婚するほどの間柄はそれなりの縁があるのだと思うし、少なくとも結婚した時点ではその相手を必要とし、また、後に離婚したとしても、その経験が双方にとって必要だったのだと考えられるからです。

結婚した後で相手との間に耐え難い問題が生じる、或いは自分の必要とするパートナーはその人ではないと感じることは間々あると思います。私は、夫婦に修復不可能な亀裂の入ったまま、その後の人生を我慢して共に過ごすより、離婚した方がお互いのためだと思うし、離婚という選択肢がもう少し気楽に選べる世の中であってもいいと思います。

さて、とはいえ離婚はしなくて済めばその方がいいかもしれません。場合によっては、結婚、或いは結婚相手に何を、どういう関係を求めるかで、判断は変わってくるかと思います。

例えば、自分が相手の考え方や行動を気に入らないと思った場合。その原因がお互いの価値観の相違によるのであれば、相手の価値観を、受け入れられないまでも許すことはできないか。相手に対する期待度を下げることで、ストレスは減らせるかもしれません。

また、相手よりも好きだと思う異性が現れた場合。これは相手を一人に絞らなければならないとすれば、どちらと別れるかという二者択一なってしまいますが、現在の相手も嫌いになったわけではなく、単なる新しい相手との比較であるなら、離婚という選択は自分も含めた複数の人を傷つける結果になるかと思います。

何を求めるかにもよりますが、結婚という制度を型どおりでなく幅広く解釈すれば、さまざまな人間関係を保つことは可能だと思うし、そこで徒に人を傷つけることなく、いかに多くの幸せを作り出して行くかも人生修行かもしれません。

人間は、一人で生きるも二人で生きるも自由だと思います。ただ、男女二人で生活を共にすることは、いろんな意味で効率的ではあります。結婚という制度にあまりとらわれず、柔軟な発想の元にうまく利用できれば、縁あってパートナーになった人ともいい関係を保ちながら暮らして行けるかもしれません。

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恋愛のプロセス

「恋愛感情の推移」の項では、感情の種類と変化を考えてみましたが、恋愛は二人でするものなので、この項ではそれを応用して、一つの典型的なパターンをグラフにしてみました。

AくんとBさんは出会い、恋人関係になりました。熱愛期は幸せそのものでしたが、ある時、Aくんの恋愛感情が冷めてしまいました。Bさんの恋心はその後も続いていたので、Aくんとの間に感情のギャップが生まれ、二人の間にはよくトラブルが起きるようになりました。AくんはBさんに正直な気持ちを伝え、Bさんも納得して冷却期間を置くことにしました。やがてBさんの恋心も収まり、二人は友だちに戻りました。

これは非常に単純化してありますが、多くの恋愛は、期間の長い短いはあるにしても、だいたいこのようなパターンを辿るのではないでしょうか。勿論、友だちに戻れるとは限りませんし、友だち以上の関係でいられる場合もあるでしょうし、複雑化はいくらでもできます。

二人の感情にギャップが生まれた時、恋愛はこじれます。なぜ片方の恋愛感情が冷めたかにもよるでしょうが、この時期に二人がいかにお互いを思いやり、正直な気持ちをタイミングよく伝え合ってうまく対処するかが、心の傷の深さや、その後の関係に影響するようです。

結婚するしないにかかわらず、熱愛期が永遠に続くことはまずあり得ず、恋愛のピークはいつか終わる時が来ます。それは悲しむべきことではなく、次へのステップであり、言ってみれば当然の成り行きです。熱愛期が終わった時、それで二人の関係を終わりにするのか、その後も新たな関係としてお互いを必要とするのかは、二人の縁次第でしょう。

恋が終わった時から、本当の愛の力が発揮されるのかもしれません。

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プライド

恋愛に限ったことではありませんが、苦しみを作り出す原因の大きなものの一つに、プライドがあると思います。それは、誇り、自尊心ですから一概に悪いものではないのですが、ややもすると、うぬぼれ、思い上がりにつながり、気づかぬうちに自分の首を絞めてしまいます。

例えば思いを寄せる人に対し、なぜ自分を好きになってくれない、なぜ自分から離れて行ってしまった、なぜ自分より他の人の方がいいのだ、と思うような気持ち。こういった感情の裏には、自分はこんなに素晴らしいのに、というプライドが隠れています。

プライドが高くなければ、思うようにならなくても仕方ないと考えられ、うまくことが運んだ時には大きな喜びを感じられるかもしれません。しかし、プライドが高いと、うまくいって当然と考えてしまい、思うようにならなかった場合は落胆し、相手に対して怒りや憎しみを抱くことにもなるかと思います。

人間の感情、特に恋愛感情は変化しやすいものです。相手の感情は自分の自由にはならないし、お互いの立場、諸事情によっても思うような関係が成り立ちにくい、或いは存続しにくい場合もあるでしょう。苦しまないためには、あまりプライドを高く持たず、多くを望まず、柔軟に流れに任せることが必要かもしれません。

そしてこの人生に於いては、恋愛に限らずどんな場合でも、プライドの持ち方によって生き易くも生きにくくもなる気がします。

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独占欲と嫉妬心

恋をすると多くの人は、相手を自分だけのものにしておきたいと思うようです。自分だけを好きでいてほしい、自分だけが独占したい。片思いの場合は、まず好きになった人をこちらに振り向かせることが先決でしょうが、相思相愛になるとなおさら独占欲は強くなるでしょう。

結婚しているしていないに関わらず、お互いが相手以外には目もくれず、ずっとそのままの状態でいられるなら幸せかもしれません。現在の多くの国では、一夫一婦制が採用されていますが、これは、少なくとも結婚した男女はそういった関係であることが望ましいとした上で作られた制度です。

しかし、世の中なかなかそう簡単にも行かないようです。長いこと付き合ったり、一緒に暮らしたりすれば、恋愛感情も変化し、他の人に目が向くこともあるでしょう。三角関係、或いは公には認められない関係、いわゆる不倫などは、人類の歴史と共に続いてきたようで、昔から歌や芝居の格好の題材になっています。

確かに、世に言う倫理的、或いはある種の宗教的観点からすれば男女は1対1であることが原則かもしれません。しかし歴史的に考えても、社会によっては少なくとも一夫多妻制などもあったわけだし、1対1という縛りによって多くの苦しみや矛盾が生まれるとすれば、もっと柔軟に考えてみてもいいかもしれません。

恋人という信頼関係を結ぶ、或いは結婚という契約をしている男女が、お互いの相手以外の異性と何らかの関係を持つことによってどういう弊害が起きるか。立場はさまざまであっても、それは精神的には、独占欲から来る嫉妬による苦しみでしょう。それを克服できれば、別の価値観が生まれるかもしれません。

人が人を所有することはできません。人間は本来、生まれながらにして自由であり、その行動は他の人間が束縛できるものでも、していいものでもないでしょう。謙虚に考えれば、自分という一人の人間が、あらゆる面で相手の求める全てに満足を与えることなど不可能な気がします。

また、自分だけが相手を独占する、或いは自分を相手に独占させることが、当人同士をはじめ、世間の人全てにとって本当に幸せかと考えると、それも無理がある気がします。独占欲に固執するより、相手を大きな愛で包み、お互いが自由に行動することを喜びと思えたら、社会にとっても有益かもしれません。

独占欲も嫉妬心も持たなくてすめば、世の男女の関係はもっと明るく幸福なものになるような気がします。一夫一婦制の世の中では受け入れられにくいことでしょうし、私も何が正しいかはわかりませんが、理想的なのは、人それぞれが自分の心に素直に向き合い、相手のことも気遣いながら、責任を持った上で満足の行くように行動することかと思います。

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恋愛感情の推移

恋愛感情の推移を図にしてみました。

「熱愛」は、会いたくて仕方がない、片時も離れていたくないといった感情です。この状態は、いわゆる恋愛感情のピークですが、半永久的に持続することはないと考えられます。

「円熟」は、燃えるような感情は収まり、余裕を持てる時期。一緒にいると幸せだけれども、離れていても大丈夫みたいな感覚。この状態が保てれば、例えば夫婦関係などは理想的だと思います。

「友愛」は友だちに対する愛情。友だち関係は同性でも成り立つわけで、男女の間でも恋愛と呼べるかどうか微妙なところです。夫婦関係を保てる最低ラインかもしれません。

「嫌悪」は文字通り、嫌いになってしまう感情。この状態で付き合うことは難しく、結婚生活を続けようとすれば不幸を感じてしまうでしょう。

(A)(B)(C)のラインは、同じように出会って恋が芽生え、「熱愛」の段階になっても、その後、辿る道の違いを表しています。「熱愛」の段階では先がどうなるかは読めませんので、この時期に結婚するのは賭けになりそうです。

というわけで、(A)パターンは結婚にも最適な理想的な恋愛。(B)パターンは夫婦、恋人の限界か、友だちに戻った関係。(C)は存続の難しいパターンということになります。

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愛と恋と性欲

愛と恋と性欲の関係について考えてみました。

「愛」とは分け隔てのないもの。太陽の光のように、誰も、何も差別することなく、全てに平等に与えることのできるもの。また、その量には限界がなく、泉のようにいくらでも湧いてくる。だから、その気になれば、全ての人間に、動物に、植物に、自然に、宇宙に、全てに限りなく与えることができる。

「性欲」とは肉体から発するもの。子孫を残すという動物の本能が、異性との肉体的交わりを求める。視覚、聴覚、嗅覚、触覚などを刺激され、動物は性的欲求を覚える。性欲は肉体に依存するものであるから、永続性はない。また、特に雄にとっては排泄という意味合いも強く、一時的なものと言える。また、性欲は、愛とは離れた状態で存在できると思う。(図A参照)

愛と性欲の交わったところに生まれるのが「恋」だと思う。だから、恋をした男女は多くの場合、肉体的接触を求めるし、そこに子供が生まれるのも自然の流れである。また、性交渉を持つ、子供を作るのは恋愛関係にある男女であることが望ましいし、本来そうあるべきものだと思う。金銭その他の理由で、恋をしていない男女が肉体関係を持つことは、そういう意味では間違っている。(図B参照)

「恋」は、愛と違って無尽蔵ではないし、誰にでも平等に与えられるものではない。それどころか独占欲がついて回るので、同時に二人以上に恋をすると、何かと問題を起こしやすい。そもそも二人以上に恋をすることが可能かどうかも微妙な問題ではある。個人差もあると思うが、恋の相手は100か0かで推移する場合もあるだろうし、私が思うには、恋は全体量に限りがあって、気持ちが複数に向く場合というのは、一定量の中でのバランスが変わっているということなのではないかと思う。

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結婚について

結婚とは何か。一夫一婦制の場合、一組の男女を社会的に夫婦として認めさせる契約。手続きとしては、役所に婚姻届という書類を提出することにより、戸籍が書き換えられる。人間そのものは何ら変わるわけではないので、物理的に考えると、結婚とは、一枚の紙切れを提出し、戸籍を移動させるというだけのことである。

結婚すると多くの場合、夫婦は同じ家に住み、性交渉をもって子供をもうける。夫婦間に子供が生まれても誰も不思議がる者はいず、多くの場合、誰かに喜ばれる。しかし、夫婦でなくても性交渉は持てるから、夫婦でない男女の間に子供ができることもある。こちらの場合はいろいろと問題が起きることが多い。子供ができたから結婚するというケースもよくある。

子供ができるという事実は同じなのに、夫婦間では喜ばれ、夫婦でないと問題になりやすい。ということは、結婚というのは、例外はあるとしても、子供をもうけることを前提とした契約であると言える。また、夫婦になるつもりのない男女の場合は、子供ができたとしても、ほとんどの場合、作る気はなかったと考えられる。

性交渉は、本来は子供を作るための行為であるから、子供ができた場合は、夫婦でなくとも産み、育てることが望ましいと私は考える。結婚、離婚は人間の作った制度であり、紙切れ一枚のことに過ぎないが、子供ができることの意味は、肉体的にも霊的にも大きい。よってその生命を人間の都合で左右することは望ましくない。

また、子供をほしいほしくないに関わらず、結婚したからといってすべての夫婦が子供を授かるわけではない。霊的に見れば、子供に恵まれない夫婦は、子供のいない結婚生活の経験が必要なのだと考えられる。そこでなお子供を作ろうと努力するもよし、あきらめるもよしである。思うようになるならないはまた別の話。その結果からも人間は学ぶことがあるはずである。

物理的に考えた場合、結婚の目的は子供をもうけることと、人間が効率よく暮らすためではないかと私は考える。一概には言えないが、一組の男女のうち、どちらか一人が外で働き、一人が家で働くというのが、合理的な生活の仕方のように私には思える。勿論、二人が外に出て働かねば生活できない場合もあるだろうし、二人共が外で必要とされるなら、二人が外で働けばよい。しかし、その場合は家の仕事も二分しないと不公平になる。また、外で働く方が偉いということは全くないし、外からの収入はどちらかが独占すべきものではない。

結婚の目的のひとつが子供をもうけることであると考えると、結婚に踏み切る場合、恋愛感情、言い換えれば性欲を感じられる相手を選ぶことが必要になると思う。ただ、夫婦関係は性欲が無くなったら終わりというものではないので、結婚相手を決める場合は異性として見る以前に、人間としてよく見極めたいところである。

霊的に考えると、夫婦とはこの世で修行をするパートナーである。夫婦になればなったで、いろいろな困難に出会う。結婚は自分と最も遠い存在とするようになっているという説もある。それならば、いかなる困難も自分に必要な試練と受け止め、成長の糧としたいものである。私は、離婚という選択肢も否定するものではないが、すべての人が、相手選びを含めたあらゆる場面において、自分の選んだ道を悔いなく生きてほしいものだと思う。

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この人しかいないと思うことの是と非

人は、ひとたび異性を本気で好きになってしまうと、自分にはこの人しかいない、この人が必要だ、その人にも自分を好きになってほしいと思うようです。そして、その思いが通じない、思うようにことが運ばない場合は、傷つき、落胆します。もっと打算的な場合や、目的が違う場合は、傷つけることはあっても傷つくことはないかもしれませんが、ここでは純粋に人を好きになった場合を考えてみましょう。

自分が一生のうちに出会う、恋愛対象になる可能性のある異性はどのくらいいるでしょう。私の場合はかなり小さい頃から熱烈な恋愛感情を持っていた記憶がありますが、結婚適齢期と考えると大学生くらいからでしょうか。幼なじみもあるでしょうが、結婚相手になる可能性として高いのは、同じ学校になる、同じ会社になる、その友だち関係、周辺の会社関係などかと思います。しかし、その中で出会う異性の数はたかが知れたものでしょう。見合いという手段もありますが、いずれにしても、自分がこの人しかいないと思った異性は、その少ない選択肢の中から選んだ人だということです。

その人は、この人類の歴史の中のほんの一時代、それも自分が生きている、長くて100年以内の中の一時期、自分の狭い行動範囲の中で選んだ人ということになります。その少ない数の中から選んだことを考えますと、自分にその人しかいないなんてことはあり得ない、その人に固執することはナンセンスと考えられます。他の時代、他の場所に生まれれば、必ず他の人を好きになったはずです。ですから、自分がこの人しかいないと思った相手とうまくいかなかった場合は、無理に追いかけたり、落ち込んだりする必要もないでしょう。粘ってうまくいく可能性があるなら頑張る価値もあるかもしれませんが、少なくとも相手の迷惑にはならないよう気をつけるべきですね。

また、私の場合、過去を振り返りますと、その少ない選択肢の中からでも少なくとも、この人しかいないと思った異性は複数いる。置かれた状況に応じて、その中から一人は好きになろうという本能が働いていたようにも思います。ということは、相手の気持ちはともかくとして、誰を選ぼうと私にとってその人しかいなかったわけではないわけで、「この人しかいない」と考えることは単なる思い込みだったと言えると思います。そして、私は決して例外ではないのではないでしょうか。

勿論、少ない選択肢の中で出会ったのだから逃したくないという理屈もあるでしょう。ただ、こういったことは相手の気持ちも尊重せねばいけませんし、自分だけの思うようにはなりません。また、弱味につけ込んだ詐欺などもあるようですから、一時の感情に惑わされず、相手の選択にはよほど注意すべきでしょう。

逆に考えますと、その同時代、同じ場所に生きるという、非常に低い確率の中での出会いは奇跡に近く、とても貴重とも言えます。うまくことが運んで、幸か不幸か縁のできた人のことは大切にし、仲良くやっていければその方が人生も楽しいと思われます。一度選んでしまったからといって、無理に嫌な人と一緒にいることはないと思いますが、私の場合など、この人しかいないと思える人が探せば複数いるという割り切りがあるからこそ、別に他の人である必要もないわけで、現状を受け入れ、それに満足できる気持ちを大切にしたいと思っています。

いずれにしても、出会いはあるがままに受け入れ、成り行きに任せるしかないでしょう。自分だけの感情や人生設計に無理に合わせようとしても、人や自分を傷つけたり、形だけのものになったりするのではないでしょうか。異性との関わりは、常に冷静な判断をしつつ、楽しくありたいものです。

霊的に考えますと、この世で夫婦になる、親子になるような関係の霊は、前世からも深いつながりがあるようです。偶然の積み重ねで成り立っているように見える人生も、原因が生みだした結果と考えると必然であるし、スピリチュアリズムではそれを「偶然はない」と表現するようです。しかし、人間はロボットではありませんし、はじめから全部決まっていたのではこの世に生まれてきた意味もありません。その人のその時どきの選択によっては違った人生を歩み、違った人と出会う可能性もあると私は考えます。どんな人生を歩むかはその選択によって無数に変わると思いますが、この世での一生を終わって振り返れば自分の道は1本であり、他の人生はあり得なかったということになるわけです。その選択や行動が正しかったかどうかは生まれる前と比べての霊性で判断されると思います。

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愛と欲

純粋な愛とは、太陽の光のように分け隔てなく、与えきりの、見返りを求めないものである。とすれば、世の中に存在するさまざまな愛と、それとは何が違うのか。

私はこの世で愛と呼ばれているものには、欲が絡んでいると思うのです。別にそれは悪いことではなく、本能だったり、種族保存のための性欲だったりするわけで、肉体を持った人間らしい部分なのですが、純粋な愛に欲を加えたものが、この世で一般に愛と呼ばれているものだと私は考えます。

図では、親、子、友人、ペットに対する愛、そして恋愛感情の場合、そこに絡む欲にどういう差が出るかを表してみました。勿論、年齢や性別、個人によっても違ってくるでしょうが、この世の愛には、さまざまな種類の欲が、いろいろな強さで絡んでいると思います。

子を思う母の愛は美しいですが、それが自分の子に対してだけであったり、子供を自分の思い通りにしたいという気持ちがあれば、それは欲だと思います。かわいがりたい、甘えさせたい、頼りにしてほしいと思う気持ちも、自分の存在を相手に認めさせようと思っているわけで、私は欲に分類します。

そして、恋愛感情はこれらの欲が最も大きく膨らんだもので、だから人は恋をすると多くの場合、理性も利かず、感情のコントロールもできなくなってしまうのではないかと思うのです。男女間で恋愛感情が薄れた時、もし、そこに愛もなくなっていたとすれば、それはただ欲に踊らされていたということになるのではないでしょうか。本当の愛は、欲が薄れたときに見えてくるものかもしれません。

欲は人間的ではありますが、それが大きいうちはトラブルの元にもなるでしょう。昔から、肉体的欲から脱することが悟りを得るための修行のひとつになっているようです。しかし、この世で肉体を持っているうちは、欲から離れることは至難の技ですし、所詮、人間には無理な相談で、その必要もないのかもしれません。食べることも欲があればこそできるわけで、全くなくなっては肉体を維持することもできなくなってしまいます。欲も程々に利用できれば楽しみのひとつにもなるでしょう。しかし、少なくとも欲に溺れて破滅するような事態は避けたいものです。

欲の絡まない、純粋な愛とは、まさしく太陽の光のように万象万物に平等に与えられる愛です。自分への見返りは一切求めず、自分の存在すら知らせようとせず、恋人も家族も、敵も味方も、善人も悪人も、全てに一切偏ることなく、無尽蔵の愛の宝庫からただひたすら与え続ける愛。ここまでくると、人間的な感情は入る余地がなく、神の愛そのものになりましょう。極大から極小に至るまで、ありとあらゆるものを包み込み、存在させている偉大なる力です。

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恋愛感情が性欲と切り離せない理由

恋愛感情は、性欲がベースになったものであるということの理由を考えてみましょう。

まず、対象。例外はあるにせよ、恋愛感情を感じる可能性のある対象の条件は、
1.異性であること
2.自分の親や子、兄弟姉妹でないこと
3.自分が、相手として許せる範囲の年齢であること
が挙げられると思います。これは性欲を感じる可能性のある対象と一致します。同性愛、近親相姦なども、病気か趣味かは別として存在するようですが、これはあからさまに性欲が絡んでいます。

恋愛は愛の要素を含んではいますが、純粋な愛とは違います。親子、兄弟姉妹の間では、例外を除いて恋愛は成立しませんが、愛が存在することは否めないでしょう。また、同性の友人の間でも愛は生まれます。しかし、それらの愛は恋愛とは違う、親子愛、兄弟愛、友愛といったものでしょう。どこが違うかというと性欲が絡まないのです。恋愛感情を持つ可能性のある相手は、性欲を感じられる相手に限られるということになり、恋愛感情の存在する第一の目的は子孫を残すことであると私は分析します。ですから、恋愛感情に伴って性欲が湧くというのは自然の流れと言えます。また、男女でも、友愛で結婚した夫婦は性欲が薄くなりやすいという話も聞いたことがあります。

しかし、性欲は一人歩きする場合があります。殊に男性にとって、性交は一種の排泄、生理現象であるという見方もできます。よって、恋愛感情のないところにも性欲は存在します。私個人の意見としては、性欲は、恋愛感情を持った相手、できれば子どもができても困らない関係の相手に向けるのが望ましいと思っています。ですから、程度問題かもしれませんが、性欲を金儲けの手段にしたり、単に肉体的快楽を得るためだけに利用することは余程の注意が必要と思われるのです。

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恋愛、この大いなる勘違い

この世には男と女がいるので、楽しかったり、苦しかったり大変です。異性を好きになる感情というのは非常に激しくなりやすいもので、世の中の小説や映画や、歌なんかのネタにもたくさん使われています。そして愛し合う男女の愛こそがこの世で最も美しい愛、純粋な愛、なあんて思ってしまう。でも、それははっきり言って間違い。男女の愛って、愛の中では一番レベルの低いものかもしれないんです。

そもそも本当の愛というのは与えるだけのもの。見返りを求めるものではないし、分け隔てするものでもありません。太陽から降り注ぐ光は誰にでも平等に与えられ、後で料金の請求が来たりしませんよね。最も美しい愛のカタチを具体的に表していると思います。

男女の恋愛の場合はどうでしょう。自分が誰か異性を好きになった時、その相手に自分の気持ちを伝えたいと思いますね。そして、相手も自分を好きであってほしい、或いはこれから好きになってほしいと思います。明らかに見返りを求めているわけです。それがないと、相思相愛は成立しない。太陽の光とは違いますね。片想いで満足できる愛の方が純粋と言えるかもしれません。

また、男女の恋愛の場合、愛していいのは一人だけ。普通ならお互いにそれを望むはずです。そうでなければ健全な関係は成立しないし、トラブルの元になるでしょう。男女の恋愛の場合、独占欲がすごく大きな力を持つのです。相手を自分だけのものにしたいという感情。でも、一人にしか向けてはいけない愛というのは太陽の光とは違いますね。

そして、なぜ男女が引かれ合うのか。これは動物の本能です。男と女は肉体を交えることにより、子孫を残す。これが男女の恋愛が存在する最も大きな理由だと思います。要するに、男女の恋愛は、性欲に裏打ちされたもの。もちろん、その必要があってそのように作られているわけで、何も悪いことではないのですが、恋愛感情こそ最高の愛などと思っているのは、大きな誤解と言えます。

ですから、肉体的には本来は子供を作ることを許された男女が交わるべきであって、それ以外の関係の男女が交わりを持つことは、単なる性欲、動物的な感情が先に立ったものということになります。欲望をコントロールできるのが人間と他の動物との違い。そこら辺をしっかり認識しておかないと、霊界へ行ってからも後悔することになると思いますよ。

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