瑞龍山


 徳川家康公11男であった水戸藩初代頼房公は、寛文元年(1661)59歳で没されると、威公と謚され、遺志を汲んだ世子光圀公により瑞龍山に葬られました。その後、光圀公の命により伯父の武田信吉、母靖定夫人の墓が瑞龍山に改葬され、以降この地が水戸徳川家の墓所となりました。
 約15万平方メートルの墓域に散在する墓は、ち首亀跌(ちしゅきふ・亀の胴体に龍の首がついた台石)に墓石が乗り、背後には藩主に馬りょう封、夫人には馬蹄封という儒教の影響を受けた独特の様式で、我が国最大の儒式墓地であるばかりか、歴代藩主夫妻の墓が一対となって同一墓域に永眠されている希有な大名家の墓地です。
祭礼の法は儒礼に基づき光圀公が制定された独自のものであり、現在も尚水戸家の墓地として当主による墓参の礼が続けられています。


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光圀の墓 光圀の墓
朱舜水の墓 朱舜水の碑(西山荘)

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