楽焼  らくやき

 一般に、ろくろをもちいず、手づくね、あるいは型造(かたづくり)によって成形され、内窯(うちがま)とよばれる屋内の小規模な窯で比較的低火度で焼成された軟質陶器をさす。桃山時代、おそらく天正年間(1573〜92)に千利休の趣向を反映して京都の長次郎がはじめたといわれ、はじめは聚楽(じゅらく)焼とよばれた。

製品には、茶碗のほか、香炉、香合、水指(みずさし)、向付(むこうづけ)などの茶陶が多く、赤楽、黒楽、長石による白楽などのほか、素焼きのもの、中国の交趾(こうち)焼のような緑釉(ゆう)、黄釉をもちいたものなどさまざまである。とくに深い味わいのある黒や赤の、こんもりとした筒型茶碗は楽茶碗として知られ、侘茶(→ 茶の湯)の世界で「一楽、二萩、三唐津」(→ 萩焼:唐津焼)として評価が高い。

長次郎を初代とする楽家は楽焼を代々家業とし、以後、常慶(じょうけい)、道入(俗称のんこう)、一入(いちにゅう)、宗入、左入、長入、得入、了入、旦入(たんにゅう)、慶入、弘入、惺入(せいにゅう)、覚入、吉左衛門と15代つづき、現在にいたっている。初代の長次郎の代には、宗慶、宗味などの存在も知られているが、この楽家代々の系統を本窯という。

これに対し、楽焼の作陶法をうけついだ別系統の脇窯や、直接の系譜はないが同種の楽焼とみなされる別窯がある。脇窯には、3代道入の子が山城国綴喜(つづき)郡玉水(たまみず)で開いた玉水焼や、道入の弟、道楽の道楽焼、4代一入の弟子大樋(おおひ)長左衛門が金沢の卯辰(うたつ)山麓(さんろく)に開いた大樋焼などがあり、別窯には、本阿弥光悦、光甫(こうほ)の作品などがふくまれる。

そのほか、小規模な京都の窯や各地の御庭焼(おにわやき:大名などの自家の窯)などで焼かれた軟質陶器も、楽焼とよばれることがある。また、楽しみの焼物というような意味で、専門の陶工以外の手になる趣味的な作品も楽焼とよぶことがある。

長谷川等伯『利休像』 重要文化財 初代 長次郎『赤楽茶碗 無一物』
初代 長次郎 『黒楽茶碗 面影』 二代 常慶『黒楽平茶碗』
本阿弥光悦『黒楽茶碗 村雲』 三代 道入『赤楽茶碗 禿(かむろ)』
四代 一入『赤楽一重口水指』 五代 宗入『黒楽茶碗 比良暮雪』
十四代 覚入『白楽茶碗 山居』 十四代 覚入『色絵流水文赤楽平茶碗 采衣』
十五代 吉左衛門『焼貫黒楽茶碗 白暁』 十五代 吉左衛門『焼貫黒楽茶碗 天阿』