【 八の歌 】

「 我が庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり 」


  我が庵は・・・・・・・・わがいほ(お)は

   都のたつみ・・・・・・・みやこのたつみ

    しかぞすむ・・・・・・・・しかぞすむ
     
     世をうぢ山と・・・・・・・よをうじやまと

      人はいふなり・・・・・・・ひとはいうなり




作者:喜撰法師(きせんほうし) 六歌仙のひとりとされるものの、作品として確かなのは、この 一首だけという、不思議な坊さん。 宇治山にかくれて仙人になって飛び去ったという伝説的な人です。

< 歌の意味 > −−喜撰法師の姿が、突然都からみえなくなったので、仲間たち は失恋して宇治あたりに身を隠しているのだろうと噂しています。

● 都では、あなたが失恋されてこんな所に隠れ住んでいると 噂さがありますよ。
○ ふん! 都の人は勝手なことを言うものだ。 よし、この歌を都の人に届けてくれ。
○ わしは失恋なんぞしとらんぞ・・・。 みなさん、さらばじゃ。

「 わしの庵(いおり)は、都の東南、宇治山にあり、そこで こんなに心静かに住んでいるのに、世の人は、私が世を憂しと ここに隠れこもっているかのようにいうのです。」

・ 都のたつみ・・・たつみは、十二支の方位でいうと、東南(辰巳)。 宇治は、まさに京都の東南に当たります。
・ しかぞすむ・・・然(しか)ぞ住む(このように住む)。 又、鹿の意を示していると言われている。
・ 世をうぢ山と・・・「うぢ」は、「憂し」と「宇治」の掛詞。

―― この歌は、十二支の遊びという解釈もあります。 つまり、宇治の「卯」、それに「辰」「巳」、つぎには「午」と つづくべきところ、「鹿」を持ってきた。 これは、中国の故事ーー「鹿をさして馬となす」を意識して、「うま」 というところを「しか」とやった・・・という説。 この「鹿をさして馬となす」は、間違ったことを押し付けて人を陥れる ことをいいます。