【 四十六の歌 】
「 由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え 行方も知らぬ 恋の道かな
」
由良の門を・・・・・ゆらのとを
渡る舟人・・・・・・わたるふなびと
かぢを絶え・・・・・かぢ(じ)をたえ
行方も知らぬ・・・・ゆくへ(え)もしらぬ
恋の道かな・・・・・・こひ(い)のみちかな
作者: 曽禰好忠(そねのよしただ)
丹後の国の下級役人として終わり、ついに出世できなかった。
人々は彼のことを、曽禰と丹後をとって曾丹(ソタン)とよんでいたが、
彼はそうよばれるのがいやでならなかった。
変わり者で身分が低かったので、愛称というよりも軽侮をひびかせた
呼び名だったのです。
好忠自身も偏屈で自尊心の強い性格だったようです。
歌風も一風変わっていたが、新鮮なうつくしさが死んでから評価された。
<歌の背景、意味>
・・・好忠は身分の低い役人で、しかも変わり者で評判だったため いつも「ソタン、ソタン」とみんなにばかにされていました。
(仲間)おいソタン、おまえも歌をつくるそうだが、どんな歌か見せて見ろよ。
(好忠)(くそ!、おれは曽禰好忠だ。ソタンじゃないぞ。
おれがいつまでも出世できないからってばかにしやがって・・
いまに見ておれ、すばらしい歌をつくってみんなをあっといわせてやるからな・・・)
・・・その頃好忠には好きな女性がいました。しかし身分が低いためなかなか結婚できませんでした。
(好忠)(あの人とはもうずっと会っていない。わたしたちの恋のゆくえはどうなるのだろうか・・・)
そんな恋の不安な気持ちを詠んだのが、この歌です。
由良に、ゆらゆらをひびかせ、恋の不安感を美しくうたいあげています。
「由良の門を」・・・丹後(京都府)の由良川の河口。
「かぢを絶え」・・・かじがなくなり。