【 四十五の歌 】
「
あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな 」
あはれとも・・・・・あは(わ)れとも
いふべき人は・・・・いふ(う)べきひとは
思ほえで・・・・・・おもほ(お)えで
身のいたづらに・・・・みのいたづ(ず)らに
なりぬべきかな・・・・・なりぬべきかな
作者: 謙徳公(けんとくこう)。
藤原伊尹(ふじわらのこれただ)のことで、謙徳公は、死後おくられた名前
(おくり名)。
同じようなおくり名では、26の歌(小倉山〜)の作者、貞信公(ていしんこう
:藤原忠平)がありました。
伊尹は、その貞信公の孫で、右大臣師輔(もろすけ)の長男。
娘の産んだ皇子が天皇(花山帝)になったおかげで摂政太政大臣になる。
太政大臣は、国の最高機関である太政官のトップ(長官)で、位は正一位。
いまの総理大臣より大きな権力を握っていたようです。
摂政は、天皇に代わって政治を行う人。
平安時代は、藤原氏が摂政の地位を独占していました。
<歌の背景、意味>
・・・・伊尹は若いときから美男で鳴らし、しかも多くの幸運を与えられ、思い通りにならないものは無いと思われていましたが・・・・
(召使)これたださま、お手紙が。
(伊尹)彼女からの手紙か・・・。
「 二度とお会いするつもりはありません。もうお手紙をくださらないように・・・。」
なぜだ、なぜ会ってくれないのだ!。
このわたしの気持ちをあわれと思ってくれる人はもういやしない。
君に捨てられたいまは、このままむなしく死んでいく日をただ待っているだけなのだ・・・。
「身のいたづらに」・・・自分の身がむだになるということで、死んでしまうこと。
「思ほえで」・・・思われないで(自分の死に感動してくれる人はいない)
女性から捨てられた男の傷心の歌ですが、それにしても、会ってくれなければ死んでしまうと女の同情をひくとは、
なんと女々しい、やさ男ではありませんか。
男のプライドも面目もかなぐり捨てた「あわれ」な歌に思えてしかたありません。
「源氏物語」で光源氏の正妻「女三の宮」を横恋慕する「柏木」の姿が浮かんできます。
不義を犯した罪におののきながら、「身のいたづらに」もだえ死んだ柏木の物語。