【 四十四の歌 】

「
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし 」
逢ふことの・・・・・あふ(う)ことの
絶えてしなくは・・・たえてしなくは
なかなかに・・・・・なかなかに
人をも身をも・・・・ひとをもみをも
恨みざらまし・・・・うらみざらまし
作者: 中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)。藤原朝忠。 910〜966年
三十六歌仙のひとり。
右大臣藤原定方(25番の歌「さねかづら」の歌の作者)の息子。
和歌や漢文にすぐれ、笙の名手であったともいわれる。
百人一首の作者の中には、中納言、参議、権中納言などの肩書きを持った人がたくさん出てきます。
今でいう国家公務員の肩書きのようなもので、たとえば当時の国の最高機関ともいえる太政官の
トップが太政大臣で、以下、左右大臣と内大臣、大納言、中納言、参議と続きます。
それぞれに位があって、太政大臣は正(従)一位、左右大臣と内大臣は正(従)二位、大納言は正三位、
中納言は従三位、参議は正四位です。
参議以上を公卿(くぎょう)といい、国政の審議、決定に与っていました。 大納言、中納言には、権大納言、
権中納言という権官がおかれていました。
公卿の人数は、十五人程度といわれています。
この歌の朝忠は中納言ですから、トップから四番目の位の人ということになります。
源氏物語は、こういった公卿層や天皇の世界を中心に語った物語ですが、光源氏の位を例にとりますと
明石から帰京したとき中納言に復帰し、まもなく権大納言に昇進、翌年 冷泉帝の即位に伴って内大臣にと、
わずか半年の間に急激な昇進をしています。いろいろわけあってのことです。
源氏物語は、恋や愛を語る一方で、王権や政治人事の物語でもあります。
---朝忠は女性に人気がありました。
しかし朝忠が恋しているのはひとりだけ・・・・
(朝忠) 恋しい・・・。逢いたい・・・。
しかしどうしても逢えない。 <人目を忍ぶ恋なのです>
全く逢わなかったならば、この人を恨んだりこんなに苦しんだりすることもなかったろうに・・・。
逢ってしまったばかりに、こんな苦しみを味わうなんて・・・。
・ 前の43番とよく似た歌です。
・ 王朝の恋のパターン・・・「忍ぶ恋」「未だ逢わざる恋」それに「逢うて逢わざる恋」。
この歌は「忍ぶ恋」ゆえの「逢うて逢わざる恋」といえます。
「絶えてしなくは」・・・まったくないのなら
「なかなかに」・・・かえって、むしろ。
「恨みざらまし」・・・うらまないだろうに。