【 二十四の歌 】 

 
  「 このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに 」

    


         このたびは・・・・・・このたびは
           幣もとりあへず・・・・ぬさもとりあへ(え)ず
             手向山・・・・・・・・たむけやま
               紅葉の錦・・・・・・・もみぢ(じ)のにしき
                 神のまにまに・・・・・・かみのまにまに
   



    

 
    作者: 「菅家」(かんけ) 845〜903年
         
     菅家というのは、菅原道真(すがわらのみちざね)の尊称。
          平安時代の初期の学者で、学問の神さまとして尊敬された人。
          学者として最高の地位、文章博士(もんじょうはかせ)となり、宇多天皇にも信頼されて右大臣に抜擢されるが、
     政界に足を踏み入れることで道真の運命が大きく変る。
    
          左大臣藤原時平らの陰謀で、太宰府(福岡)に流され、無実の罪を晴らすすべなく、そこで寂しく死ぬ。59歳。
          この道真の怨霊が、時平一族を若死にさせ、雷を宮中に落としたという話が伝えられている。

          この怨霊を鎮めるため、京の北野に道真をまつったのが天神さまの由来とか。(北野天満宮)
     
    


   < 歌の意味 >
         
    −−898年の秋、宇多天皇のおともをして吉野へ行く途中のこと−−

   (天皇) この旅は急だったので、峠の神におそなえする「ぬさ」を用意してこなかった。
            道真、なにかいい考えはないか・・・・。

   (道真) このみごとな美しい紅葉を枝をぬさとしておそなえしてはいかがでしょうか。

   (天皇) それは名案だ。歌もいっしょにおそなえせよ・・・。
       


     「 こんどのたびは、いそいで出発したので「ぬさ」を用意することができませんでした。この手向山の美しい紅葉を
   ぬさとしておそなえ しますので、おうけとりくださいますように・・・。」
           


    ・ このたび・・・「この度」の意で、「この旅」もかけている。
    ・ ぬさ・・・神への捧げ物。木綿や錦の切れ端でつくったもの。
    ・ とりあへず・・・「とる」は、ぬさをささげる意。
    ・ 神のまにまに・・・神の御心のままに。