【 十一の歌 】

「 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人のつり船」


  わたの原・・・・・・・わたのはら

  八十島かけて・・・・・やそしまかけて

    漕ぎ出でぬと・・・・・こぎいでぬと

     人には告げよ・・・・・ひとにはつげよ

       海人のつり船・・・・・・あまのつりびと





作者: 「参議 篁」(さんぎたかむら) 小野 篁(おののたかむら)のこと。
 平安時代初期の学者。 漢詩や学問にすぐれ、36歳のとき遣唐副使に選ばれます。 ある時、遣唐大使(藤原常嗣)の船が破損したため、篁の乗る 船と取り替えることとなりました。 それに怒った篁は、仮病を使って乗船しなかったため、官位を 剥奪され、隠岐の島へ流されてしまいます。
この時の気持ちを詠ったのが、この歌です 詩才を惜しまれ、2年後に許されて都へ帰り、その後は順調に 出世して、参議にまですすみました。 (参議は、今でいう閣僚クラス) ちなみに、篁の遠い祖先には、遣随使「小野妹子」がいて、 書道家の「小野道風」は篁の甥、小野小町もその一族だといわれ ています。


< 歌の意味 >

○ 大使が、乗る船をかわってくれと?・・・ なぜだ!
● 大使がお乗りになる予定の船が、こわれて沈没のおそれ があるためだそうです。
○ な、なんだと!。わしは、そんな船にはぜったいに乗らんぞ。
● とうとう篁さまは、船にお乗りにならにかったな・・・ ただではすまないぞ・・・・・。
□ なに、篁が仮病を使って遣唐船にのらなかった? 命令にそむくとはけしからん。 隠岐へ流罪にせよ!。

――― 「 海人の釣り船よ、篁は、海原はるかに、数え切れないほどの島々を めぐって(隠岐をめざして)漕ぎだしていったと、都の人たちに 伝えておくれ・・・・」 ――――

・ わたの原 ・・・ 海原。「わた」は海の意。
・ 八十島かけて ・・・ 「八十 」は、数の多いことを表わす。 かけては、目指して。
・ 人には告げよ ・・・ 「人」は、自分を知る都の人全部を表わす。
・ 海人のつり舟 ・・・ 「告げよ」と呼びかける相手が、人ではなく 「釣り舟」である点が、 いかにも孤独な呼びかけである。


流人の歌です。 死刑のなかった当時、流罪は極刑。覚悟はしていたものの、見送る人 もなく、海上は島々と釣り舟ばかり。 生きて京へ帰れるかどうか・・・。
普通の人だったら、これで終わりだったかも知れないが、 どっこい 篁は、大使の命令を蹴るほどの、スジの通らぬ曲がったこと の大嫌いな男。 その気負いが、多情多感な詩心に火をつけ、2年後に都へ還されます。
またまた、最近の警察の不祥事を思いだし、なんともなさけなく思えて 仕方ない。篁のような、骨のある人はいないのか・・・・。