「百人一首」とは・・・・ 古くから正月のかるた遊びとして広く親しまれてきた百人一首・・・。

この百人一首は、藤原定家(さだいえ)が、当時の歌人100人の 秀歌を一人一首ずつ集めたもので、のちに定家の子為家(ためいえ) が、各歌の配列を年代順に整え、室町中期に現在の形になったと いわれています。


【 一の歌 】

「 秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ 」

 秋の田の・・・・・・・・・・あきのたの
  仮庵の庵の・・・かりほのいほ(イオ)の
   苫をあらみ・・・・・・・・とまをあらみ
    我が衣手は・・・・・・・わがころもでは
     露にぬれつつ・・・・・・つゆにぬれつつ







(ある日、天皇は秋の草花の咲く御所の庭を歩いていました)
○ 今年は稲のみのりがいいのう。豊作のようだな。
○ あれは何の小屋だ?
● 刈り取った稲を納める小屋です。 農民たちは、夜あの小屋に泊まって稲の番をいたします。
○ あんなそまつな仮小屋では、雨や夜露がふせげまいに・・・。
○ おおこんなに夜露が。農民たちも夜露に冷たく濡れているのか・・
(そまつな仮小屋の中で、露にぬれて夜をすごす農民たちの心に なってよんだ歌)
「百人一首」の巻頭の歌として名高い。
・仮庵・・・仮に作った小屋
・苫をあらみ・・・苫の編み目が粗いので。 苫(とま)は、菅(すげ)や萱(かや)などで編んだ 菰(こも)。あらは、粗(あら)い。
・ 衣手・・・袖のこと。
・ 露にぬれつつ・・・「つつ」は、同じ動作の反復や継続を表わす語法
・ 天智天皇(626〜671年)の作とされていますが、そうではない とする説もあります。
・ 万葉集巻十に、詠み人知らずとして 「秋田かる 仮庵を作り わが居れば 衣手さむく 露ぞおきにける」 というのがあり、これがいつか天智天皇作になった・・・と。
・ ここでは、素直に 天智天皇が農民の苦労を思いやった歌と理解 しておきたいと思います。