勅諚問題、安政の大獄、桜田門事変、斉昭の死去と非常の事態が相次いで起こるにつれて、藩の動揺分裂が激しくなり、1864年(元治元年)の春には、藤田小四郎等が筑波山に兵を挙げるに至った。はじめは、小四郎に自重を薦めたが幕府諸藩の攻勢が強まると、同情に堪えかねてともに戦い、ついには那珂湊の戦場から小四郎等約1000名を率いて京に上り、朝廷に志を訴えようとした。しかし、一行は、幕藩の兵に阻止され飢寒に悩まされて加賀藩に降伏し、1865年2月4日敦賀において、幕府のために340余名の同士とともに断罪に処せられた。