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千葉都市モノレールについて

佐藤信之

 

記事:『鉄道ジャーナル』平成116月号掲載

注:入稿後の修正については反映しておりません。また、図・表も省略しています。 

 3月24日千葉−県庁前間を開業して,千葉都市モノレールは特許路線のすべてを完成する。

 もともと意欲的なプロジェクトであったが,不幸にも計画途中での利害関係者の思惑や,折りからの国の財政難によって,大きく計画が歪められることになった。折衷ではなくスッキリした路線網であったなら,また都心部の収益区間から開業していたなら,現在のような経営難に苦しむこともなかったかもしれない。

 なお,計画の経緯については,拙著『東京圏鉄道プロジェクト 都市鉄道整備の展開』電気車研究会,1995年,73,74頁に詳しいので参照していただきたい。 

路線計画の策定

 昭和52年5月県は学識経験者に委嘱して千葉都市モノレール対策協議会を発足させて,モノレールの路線網について検討を行った。この議論の中で,国鉄の千葉駅周辺で営業するデパートが千葉駅を中心とする放射路線を主張したのに対して,旧市街地の商店街は環状路線を強く要求した。いずれも自分たちの商圏拡大のためにモノレールを利用しようという考えであった。昭和52年9月27日に路線案が答申されることになるが,その路線は両者の主張を折衷したものとなった。千葉駅を中心とする3方向へ向かう放射路線を構成するが,旧市街地の主張した郊外の団地を結んで旧市街へと買い物客を送り込むことになる環状ルートも用意された。ただ,環状ルートとしては不完全で途中栄町での乗り換えが必要であった。

 この協議会の答申を受けて,県は,40kmに及ぶマスタープランの全容と,第1期区間として中央港−星久喜間と国鉄千葉駅−千城台間の2路線を建設することを決定した。答申では,都心部で葭川と都川の上空を利用することになっていたが,葭川については,幅員が5〜8mと狭く,また両岸が都市計画道路であることから問題なしとされたが,都川については幅員22mの河川の中央部に2km余りにわたって敷設されることになるため,近接する街路上に変更された。また,千葉駅近辺には至近距離に2駅の設置が盛り込まれていた。千葉駅から千城台方面と星久喜方面の路線は隣駅の栄町まで複線を共用し,栄町で分岐する計画であった。しかし,旧市街地の商店街からの要望で若干商店街側に移動したため,分岐駅の設置は取り止めにして千葉駅から別線で建設されることになり一部複々線の構造となった(分岐構造が複雑で高価になるために変更したという説明もあった)。また千葉駅の位置は国鉄の駅正面を検討していたが,国鉄,京成への乗り換えを円滑にするために,駅位置を外房線の上空に変更して,合わせて新町に当時構想中であった再開発ビルへのアプローチを用意するものとなった。さらに,将来の稲毛方面への分岐線の建設に対応するために穴川駅を新しく設定した。

 そして,県は,路線を整備するに当たって,バスなど他の交通機関との結節点の整備,中心市街地の歩行者動線の整備,モノレールと建築物の空間の立体的開発などの整備方針を示した。

 これはいずれも,都市再開発の上で意欲的な考え方であった。すなわち,千葉駅での国鉄や京成電鉄との乗り換えや駅前広場でのバスとの結節を図ること。中心部から放射状に伸びる国道16,51,126号線に対してバスとの連絡を図るために交通広場を整備し,バスの路線を再編成すること。千葉駅を中心として5001,000mの範囲内にあたる復興土地区画整理地区の外周部に環状道路を整備し,その内側に歩行者動線(プロムナード)を整備すること。さらに,都市モノレールの走行空間に区分地上権を設定して,建築物の上空にかかわらず軌道を建設することで路線整備を容易にすることなどである。(『都市モノレール計画』57,昭和5411月1日) 

建設計画の概要

 当初計画では,中央港−星久喜間と国鉄千葉駅−千城台間の2路線を昭和54年度に工事に着手して61年度に整備を終えることとし,そのうち都心部の路線を昭和58年度に部分開業させるというものであった。

 昭和53年当時の物価で,モノレールの全体事業費は約850億円,このうち公共事業分として約382億円,会社事業費分として約468億円と見積もられた。さらに,自治体の実施する関連街路事業費等として約160億円が予定された。これに対して,会社は,授権資本60億円,日本開発銀行からの融資と民間資金あわせて408億円の資金が充当され,償却後損益で単年度黒字に転換するのが9年後,累積欠損が無くなるのが14年後という見通しであった。

 一方,輸送見通しは,昭和5312月現在,部分開業する昭和59年に1日当たり旅客数が83,000人,全線開業する昭和61年に158,000人,さらに65年(平成2年)に167,000人,85年(平成22年)191,000人が見込まれた。これに対して,中央港−星久喜間は4両編成の列車をピーク時6分,昼間10分,早朝深夜15分の間隔で,千葉駅−千城台間は同じく4両編成の列車をピーク時4分10秒,昼間10分,早朝深夜15分の間隔で運転する計画をたてた。(安原弘雄「千葉県採用の懸垂型モノレール」『モノレール』40号,1980

 昭和53112417.5kmの路線の特許を軌道法に基づき申請。のちに千葉大学との用地取得が不調となったことから,県庁前〜星久喜間2.2kmが一時棚上げとされて昭和55年9月18日に特許の追加申請を実施した。そして,昭和56年3月に千葉〜千城台間,中央港−県庁前間の特許を取得することになる。 

建設着手から開業まで

 昭和531120日千葉都市モノレール発起人会が開かれ,昭和54年3月に会社が設立された。

 昭和57年1月29日起工式が執り行われ,スポーツセンター〜みつわ台間で工事を開始した。当初予定した都心部の収益路線からの開業の目論見は崩れ,郊外部分から整備が進められることになった。また,公共事業は単年度予算主義であるため,折りからの国の財政難から,確保された予算に応じてその都度事業年度計画を修正する必要が出てきた。この段階で昭和62年度の全線開業は難しくなった。

 また,昭和61年,需要予測を部分開業時15,000人,全線開業時67,000人に大幅に下方修正。この見直しにともなって編成両数も4両から2両に変更された。

 昭和63年3月28日にスポーツセンター〜千城台間を開業したが,平成元年3月10日までの間の1日当たり旅客数は平均9,000人にとどまった。さらに平成元年度には,千城台地区に新しく大学が開校したこともあって定期旅客が前年に比べて37%と大幅に増加。1日当たり旅客数は13,566人となって,修正後の見通しに近い数字を達成することになる。

 その後,平成3年6月スポーツセンター〜千葉(仮)間の開業で1日当たり31,000人に増加。平成7年8月1日千葉みなと(中央港)〜千葉間(千葉駅の仮駅からの移転)の開業で,平成8年度は1日平均乗客数45,700人へと伸ばした。

 一方で,資本費の圧迫で経営は難しい状況を続けていることから,積極的に経費節減策を講じていった。すなわち,中間駅には駅員1名を配置していたが,徐々に無人駅化を実施。夜間人が足で軌道桁内部の点検をしていたのを,車両に監視カメラを設置して営業中にモニターで点検ができるように改めた。また,メンテナンス周期の適正化と一部外注などを実施した。 

1号線千葉−県庁前間開業

 1号線千葉〜星久喜間は,都川上のルートが断念されたことで,代案として近接道路上にルートを変更したが,ここで千葉大学の用地の取得が必要となった。そこで,昭和56年以来県,市,大学の三者協議会が開催されたが,合意に達しないまま58年5月には一時中断するこことなった。平成2年7月沼田知事は県議会で,用地割譲の合意が得られないため従来ルートを断念する意向を示したことから,最終的な意見調整を図るために,同年11月に三者協議会を再開した。平成3年3月に,工事施行認可申請の期限切れが迫っていた。この段階で,千葉大学は代替運動施設の確保,公務員宿舎の建替えなどを現物補償の形で提供することを条件として提示した。最終的に,県と市は代替地の確保は難しいと判断して,この千葉大ルートを正式に断念することになった。

 とりあえず平成3年12月千葉〜葭川公園間の工事に着手。県庁前までのルートについては,同年9月に千葉都市モノレール路線計画検討委員会を設置して検討されることになった。運輸省からは工事施行認可申請の期限を平成5年3月まで延期することの承認を得た。そして,その期限までに,大和橋付近を予定していた県庁前駅を末広街道の長洲交差点に変更して,葭川公園−県庁前間の工事に着手した。

 平成10年には工事は完成し,10月9日に入線試験が実施された。平成11年3月24日に開業を迎えることになる。

 なお,同時に競合路線を経営する路線バス各社は,短距離区間に対して100円のワンコイン運賃を半年間だけ試験的に実施することを発表した。会社は,今度の路線延長で1日当たり旅客数は6,000人の増加が見込むが,既存区間の旅客のバスへの逸走も予想され,状況は厳しい。また,星久喜までの予定が中途半端な部分開業となったため,1km100億円の建設費をかけたのに,地方ローカル線並みの旅客しか見込めない路線となってしまった。 

建設財源

 1号線千葉みなと−県庁前間と2号線千葉−千城台間の第1期工事の総事業費は,平成8年現在の数値で,約1,537億円で,この内自治体が道路事業として実施するインフラ部が約1,026億円である。実際のインフラ率は66.75%となる。また第三セクターの担当するインフラ外部の工事費は約511億円。さらに,その他都市計画道路等の整備費として約829億円が見込まれた。

 関連道路事業費を除くと,路線1km当たり工事費は,約100億円となると予想されるが,正確な数字は開業後に発表されることになっている。

 平成9年度千葉都市モノレールは,当期損失11億4千万円を計上して累積欠損が135億円に達することになった。資本金100億円で,利益準備金など内部留保資金がゼロであるので,債務超過の状態を意味する。

 平成9年度は,千葉−県庁前間の開業にあたって更新される設備の減価償却を前倒しで実施したため,営業費が5億4千万円増加して,41億4千万円になったという。それに対して営業収入は前年より7千万円減の32億4千万円にとどまった。(『千葉日報』平成10年7月8日)

 平成8年度の数字で償却前営業収支率は52%と,大手民鉄以上の収益を上げていることが分かるが,償却前の営業収支で黒字を計上したからといって,減価償却費は建設費として借り入れた資金の元金の償還に充当されるものであるので,現状の深刻さを薄めることにはならない。その他に,金利分として営業外費用に10億円余りが計上されている。

 もともと,都市モノレールの工事は,インフラ部は道路整備の一環として自治体が実施することになる。駅や車庫,電車線,信号設備といったインフラ外が会社の負担となる。そして,インフラ部工事費に対しては国による道路整備と同率の補助が行われる。しかし,このインフラ補助については,総工事費に対して一定率をインフラ率として,この範囲内で実施されることになっているため,現実にはインフラ工事分の一部が会社の負担となってしまう。千葉都市モノレールの場合には,これに対しても県単独の道路整備事業と位置づけて会社は負担を免れた。 

公的助成

 第1期工事の総事業費約1,537億円のうち,会社の負担額はその3分の1の約511億円にとどまり,路線1km当たり33億円程度に過ぎない。このように手厚い助成策が用意されていることから,会社の資本費負担は,実際の資本費の3分の1に軽減されている。それにも関わらず減価償却費などの資本費負担が経営を圧迫するということは,もともとこれだけの規模の投資を正当化する路線ではなかったということができる。

 このような状況に対して,県と市は,開業当初より無利子融資や利子補給を実施してきた。平成8年度固定負債として支配株主借入金166億円余りが計上されているのがこれに当たる。こまかな数字は分からないが,千葉市は平成9年度経営安定対策費として7億3千万円を計上しており,県と合わせるとかなりの金額が投入されているようである。

 なお,この経営安定対策費には,橋脚や橋桁の再塗装費への補助が含まれる。再塗装費は年間3億円を要するが,インフラを管理する市が1億円負担し残り2億円が会社の負担となる。しかし,この2億円についても県と市が2対1の割合で補助することになった。また,耐震補強工事費として,建設区間に3億5千万円,開業区間に7億5千万円を投入する予定であるが,建設区間については県と市が折半で,開業区間は市と会社が2分の1ずつを負担することとし,さらに会社負担分を県と市が出資比率に応じて2分の1ずつ補助することで合意した。(『千葉日報』平成9年1114日,平成10年2月15日)

 『読売新聞』平成11年3月19日地方版によれば,平成1011月「千葉都市モノレール経営検討協議会」が開かれ,平成11年度から返済が始まる県と市からの約69億円にのぼる無利子借入金の猶予の申し入れがあったという。この記事によるとその他にも会社に対して38億円余りの利子補給が実施されてきたことが示されている。 

県庁前−星久喜間延長

 県庁前までの開業で,いよいよ星久喜までの路線延長が課題となる。千葉大ルートの断念で,通過ルートが白紙にもどされていた。そこで,県は,千葉都市モノレール路線計画検討委員会を設置して議論が続けられていたが,平成6年度に県庁前〜末広街道〜千葉急行千葉寺駅〜青葉の森公園〜星久喜間約4kmのルートが提案された。そして,県は,平成7年6月このルート案を正式に発表することになる。

 平成9年度に特許取得と都市計画決定を目指すとしていたが,千葉県は,公園脇を北上して千葉市立病院,県立中央博物館付近を通過するルートに変更して,平成9年1112日県庁前以遠ルートを正式に決定した。この変更で路線キロが延び,事業費が30億円程度増えることになるという。平成22年度の開業を目指す。(『千葉日報』平成9年1110日)

 ルート変更で新たに旅客を獲得することに繋がるが,一方で都心までの所要時分が伸びることになり,自家用車などの競合交通手段に対する競争力を損ねることになりかねない。公共主体は,計画立案者の論理に基づいて都市構造のあるべき姿を追求して路線計画を策定するが,しかし,都市交通市場は現実には競争市場であるということに配慮しなければ,実際には見込みとおりの需要は期待できない。県庁前−星久喜間のルートは千葉寺駅で京成電鉄千原台線に接続するために大きく迂回し,その上見直しで再度路線キロが伸びた。表定速度が26km/hと低速なモノレールでは,他の交通機関に対して不利な条件となるであろう。また,運賃率についても,キロ当たり賃率では下回っていても都心に直行するバスに比べて割高になりかねない。


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