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大阪高速鉄道大阪モノレールについて

                      佐藤信之

 

記事:『鉄道ジャーナル』平成115月号掲載

注:入稿後の修正については反映しておりません。また、図・表も省略しています。 

 大阪モノレールは,平成1010月に彩都線が部分開業して千葉都市モノレールに続いて2路線目が開業することになった。モノレールの路線長ではダントツの1位を誇り,さらに今後も路線の延長が予定されている。本稿では,この大阪高速鉄道大阪モノレールについて紹介する。 

環状モノレール建設の経緯

・計画の起源

 大阪府は,中央部に政令指定都市の大阪市が位置するために,その管轄地域は大阪市の周辺をドーナッツ型に広がっている。そのような郊外部に,大阪府は千里中央,東大阪,堺の副都心の開発を計画したが,既存の鉄道路線は都心から放射状に伸びているため,それらを結ぶ新たな鉄・軌道の整備が必要とされた。

 このような中央環状線沿いの鉄軌道整備は,まず1966年に万博のアクセスとして提案された。そして翌年大阪府の策定した広域圏の総合交通体系の基本構想の中に,早期整備へ向けての検討の必要性が示され,これを反映する形で1971年大阪圏の鉄軌道整備に関する都市交通審議会13号答申に,豊中市あるいは新大阪から中央環状道路に沿って堺市に至る環状鉄軌道の新設の検討が盛り込まれることになる。そして,大阪府は,道路空間に建設が可能で需要規模にマッチした,都市モノレールの導入が検討されることになった。

・大阪高速鉄道の設立

 環状モノレールは,1980年建設省の国庫補助事業に採択され,大阪府では同年9月に「モノレール室」を設けて,運営方法などについて検討を開始した。建設省のインフラ補助の対象事業では,大阪市のニュートラムのように公営方式を取るものや,民間との共同出資による第三セクターによるものがあった。また免許申請についても,自治体が申請して会社に譲渡する方法,自治体が発起人会を設立させてこれに申請させる方法,あるいは会社設立後に会社が申請する方法などが考えられた。

 最終的に,まず会社を設立して会社に特許を申請させる方式をとることが決められ,昭和56(1981)年度国家予算の大蔵省原案(例年12月下期)の内示前に会社を設立することになった。   198012月第三セクター「大阪高速鉄道」は設立された。創立時の資本金は授権資本58億円に対して14.5億円で,52.0%を大阪府が出資し,関西電力,阪急電鉄,京阪電気鉄道,近畿日本鉄道,南海電気鉄道,大和銀行,三和銀行,住友銀行が4.8%ずつ,大阪瓦斯4.7%,阪神電気鉄道,北大阪急行電鉄がそれぞれ2.4%ずつを負担した。(のちに豊中市,茨木市,吹田市,摂津市,守口市,門真市が出資して,公共出資比率は54.09%となった。)

 創立時に選出された役員は,社長に関西経済連合会からの推薦者が,また常勤の専務取締役には元大阪府の土木部長,同じく常務には府の現職の部長クラスの出向者が就任した。府の知事や副知事が役員に入らなかったのは,地方自治法で,自治体の長が請負業者の役員への就任を禁止しているためである。府の行うインフラ部の工事を第三セクターが委託を受けて実施する場合が想定されたのであろう。平成3年には,副知事の任期を終えた西村壮一氏が社長に就任している。

・環状モノレール事業の概要

 現在,大阪空港と門真市の間が開業しているが,このうち大阪空港−南茨木間が第1期事業で,南茨木−門真市間が第2期事業として整備された。さらに,第1期事業についても,千里中央−南茨木間が第1期区間,大阪国際空港−千里中央間が第2期区間に分けられた。

 まず,大阪高速鉄道は,1982年3月に大阪国際空港−南茨木間について軌道法による特許を取得。同年10月に第1次工事施行認可を受けて,1117日に起工式を開催した。

 また,インフラを担当する大阪府は,19825月に空港−南茨木間の都市計画決定の告示を受けて,7月には千里中央−南茨木間のモノレール専用道の事業認可を得た。12月には同区間の関係街路の事業認可も取得した。このインフラ工事は,1988年末までにほぼ完成することになる。

 当初1985年春に千里中央−万博公園間を部分開業させる予定であったが,後に国の財政難から工事が遅れ,1990年3月に千里中央−南茨木間とあわせて開業することに変更した。これは鶴見緑地で開かれる花の万博へのアクセスルートとして開会に間に合わせようという目論見であったが,結局は同年6月1日まで遅れることになった。なお,花の万博会場へは南茨木からアクセス・バスが用意される予定であった。

 さらに,第2期区間の大阪国際空港−千里中央間については,198712月大阪高速鉄道が軌道工事施行認可を取得。大阪府も,同年2月大阪国際空港−千里中央間の関連街路,8月に柴原町−千里中央間のモノレール専用道の事業認可を得て,12月に工事に着手した。

 なお,大阪国際空港−柴原町間の事業認可は,平成元年2月まで遅れることになるが,これは住民の反対運動があったためである。

 環状モノレールの事業区間の大半は,中国縦貫自動車道の側道として整備された府道中央環状線に付設されたが,阪急電鉄の蛍池から大阪国際空港までの計画路線の一部が既成市街地を通過していた。そのため民間用地の買収が必要になったが,これに対して1982年8月住民約100人が都市計画決定の取り消しを求めて提訴。198810月に最高裁で住民側の敗訴が確定した。

 当初1991年の開業を目指したが,結局1994年9月に柴原−千里中央間を部分開業。大阪国際空港までは,1994年7月に蛍池地区の住民との和解が成立したことで工事が全区間で進められ,1997年4月に開業を迎えることになる。

 なお,千里中央−南茨木間の工事費は,インフラ外264億円,インフラ部334億円で総工事費は598億円(1km当たり91億円)である。

 続いて,1991年度からは第2期事業として南茨木−門真市間のプロジェクトが始まる。

 大阪高速鉄道は1990年7月に南茨木−門真市間の軌道事業特許の交付を受け,大阪府は1991年1月都市計画決定,3月関連街路とモノレール専用道の事業認可を取得した。既存路線とおなじく府道中央環状線に付設され,当初1998年春の開業を予定したが,大阪国体夏季大会に間に合わせるために工事を急ぎ,1997年8月に開業することになる。

・工事費の内容

 環状モノレール(大阪国際空港−門真市間)の総工事費は2,241億円で,その内大阪府が担当するインフラ部が1,571億円(70.1),第三セタクーが担当するインフラ外部が670億円(29.9)となる。その他に,道路拡幅や歩道橋の建設費がかかった。

 大阪府の実施するインフラ部の工事に対しては,建設費に対する国庫負担の制度が適用されているが,大阪モノレールが補助事業に採択された1980年度の場合,総工事費の44.9%をインフラ率とし,その内の23が国庫負担となっている。しかし,現実のインフラ率は70.1%であるので,インフラ率から外れる25.2%については大阪府の単独事業として全額府の負担となる。

 一方,大阪高速鉄道が事業主体となるインフラ外部については,総工事費の29.9%にあたり,このうち20%が出資金で充当されたが,大阪高速鉄道の場合そのうち52%が府の出資で,さらにその9割について府は出資債として都市高速債の起債を行って調達した。この出資債の元利償還金に対しては30%が普通交付税措置が適用される。また残り80%は借入金で,37.5%が府から,62.5%が日本開発銀行からの融資である。府は転貸債として都市高速債を発行した。

 なお,大阪モノレールでは,区間開業の際に,全線開業時の需要に基づいた,コストに対して割安な運賃を設定したことから,赤字経営がつづくことになった。そのため,大阪府は,近年単年度に38億円の運営資金の貸付を行っている。 

国際文化公園都市線計画の概要

・国際文化公園都市

 現在,国際文化学園都市への支線の建設が進められているが,その国際文化公園都市とは,大阪府の北部,茨木市から箕面市にまたがる,全体面積約742ha,計画居住人口50,000人の大規模ニュータウンである。昭和6111月大阪府「国際文化公園都市構想」では,国際的な学術・文化施設の立地,緑豊かな「公園都市」の形成,民間活力を生かした新市街地の形成を主な方針として掲げた。とくに軌道系新線の導入を当初から想定しているのも特徴で,千里まで伸びる阪急千里線などの既存鉄道の延長も検討されたが,地域内の高低差が280mに達すること,また人口規模から見て中量輸送機関が適当と判断して,モノレールの方式が採用されることになった。

 国際文化公園都市は,1992年5月に計画地区が市街化区域に編入され,土地区画整理事業をはじめ関連する都市計画の決定が行われた。また同時に土地区画整理促進区域に指定されて,この土地区画整理事業は「特定土地区画整理事業」に位置づけられることになる。これは,農業経営を集約して「集合農地区」を設け,一方で良好な住宅環境を持つ「共同住宅区」を設置して両者の調整を行うというものである。さらに,公共施設の整備に国の助成策が用意された。(1975年「大都市地域における住宅地等の供給の促進に関する特別措置法」に基づく)

 住宅・都市整備公団が事業主体として,建設大臣に対して特定土地区画整理事業の事業計画と施行規定の認可を申請。1994年9月には認可を受けて事業に着手した。

・モノレール計画

 大阪モノレール環状線の万博記念公園で分岐して,国際文化公園都市まで約9kmの路線が建設されることになった。1989年5月の運輸政策審議会10号答申では,そのうち万博記念公園−阪大病院前間が2005年までに整備すべき路線として示めされるが,これは当時沿線に移転を計画していた大阪大学医学部と付属病院からの要望に添ったものである。この移転は1990年に始められて1993年に完了した。残り阪大病院前−国際文化公園都市間についても2005年までに整備に着手すべき路線として盛り込まれた。

 万博記念公園−阪大病院前が第1期事業区間として事業が先行することになるが,まずインフラ外を整備する大阪高速鉄道が1993年1月軌道事業の特許を取得。いっぽうインフラ部の整備を担当する大阪府も1994年2月にモノレール専用道の事業認可を得て,3月に事業に着手した。

 第1期路線は,万博記念公園,万博東口,阪大病院前間の2駅間2.6kmの路線である。

 総工費は222億円(当初計画)で,そのうち大阪高速鉄道が担当するインフラ外部の工事費は52億円である。またその23に住都公団,阪急ほか6社の大口地権者による開発者負担金が充当された。

 万博記念公園−阪大病院前間は新たに彩都線と名づけられ,199810月1日に開業した(当初1997年4月の開業を予定していた)。全線の所要時分は6分で,平日には2030分間隔で1日上下計84本が折り返し運転を行う。万博記念公園は,環状線への直通運転も可能な構造である。

 引き続き阪大病院前−東センター間の第2期事業が進められている。大阪高速鉄道は1995年9月に同区間の特許を取得するが,ニュータウン造成の進捗にあわせてまず阪大病院前−西センター間を第1期区間として完成させることとし,大阪府は1997年2月にモノレール専用道の事業認可を得て,事業に着手した。

 延長区間には阪大病院前側から豊川・西センターの2駅が設置される。2004年の開業を予定し,開業時23,000人の利用者を見込む。その後,中部・東センターの2駅間さらに路線が延長される計画である。 

おわりに

 大阪高速鉄道は,京阪電気鉄道京阪本線,阪急電鉄京都線,千里線,宝塚線,北大阪急行電鉄,大阪市営地下鉄谷町線と接続する,大阪都市圏でほとんど唯一の環状路線である。しかし,JR東海道本線との接続はなく,また阪急南茨木は優等列車は停車せず,蛍池にも特急は停車しないため,現状では十分環状線としてのメリットが発揮できないでいるという指摘がある。そのためもあって,環状モノレールの第1期事業の完成時の需要予測として1日10万人が挙げられていたが,その後7万人に修正されたものの,実際には平成9年4月には4万5千人と約6割強に止まった。

 需要予測の誤りと工事の遅れ,また急速な路線延伸による資本費用の増加で,経営状態は悪化しており,平成8年度末に累積赤字は173億円に達している。それに対して資本金は87億円余りで,法定準備金の積立はない。


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