東京都地下鉄建設株式会社
地下鉄12号線環状部
新交通日暮里・舎人線
記事:『鉄道ジャーナル』平成10年10月号掲載
注:入稿後の修正については反映しておりません。また、図・表も省略しています。
1.東京都地下鉄建設について
東京都地下鉄建設は当初地下鉄 12号線の環状部の建設主体として設立された。東京都交通局は,地下鉄10号線(新宿線)の完成後,次期建設路線を12号線と決定したが,折りからの都の財政難から,簡単には事業着手には至らなかった。そこで,1986年学識経験者を委嘱して「東京都地下鉄建設・経営調査会」を設置して検討を進めた結果,リニア方式によるミニ地下鉄の採用,路線を極力公道地下に設置することで工事費を圧縮。さらに,全線同時開業することで初期の需要を確保することが提言された。そして,全線を同時に工事を進めるためには交通局だけでは財源や要員が不足するため,12号線の建設のみを担当する第3セクターが設けられることになった。完成後交通局に譲渡され,交通局自身が工事を担当する放射部と一体的に経営されることになる。
1988年7月第3セクター「東京都地下鉄建設」が設立された。設立時の資本金は60億円で,東京都が66.7%,日本開発銀行が13.3%,富士銀行など都市銀行4行が5%ずつ計20%を出資した。当時の鈴木都知事が取締役会長に就任したほか,各役員とも都の出身者が占めることになった。
2.地下鉄12号線環状部
概要
地下鉄12号線は,光が丘−練馬−新宿間の放射部12.9kmと途中都庁前で分岐して飯田橋,上野広小路,両国,汐留から放射部の終点である新宿に至る環状部40.7kmから成っている。環状部とはいうものの,新宿と北新宿の間は繋がっておらず,歪んだ6の字形の路線形態となった。
1974年8月30日に東京都は放射部・環状部全線について地方鉄道法により免許を取得した。しかし,折りからの都の財政事情が逼迫していたことから,新規事業が凍結され,12号線事業の着手も見送られることになった。事業が前進するのは,新宿線が全線開業した1980年以後のことである。
1987年の東京都地下鉄建設・経営調査会の報告では,もともと20m車10両編成の通常断面の地下鉄を計画していたのを,リニア方式による小断面のミニ地下鉄に変更。建設主体についても,放射部は都が自身で行うが,環状部は第3セクターを設立して資金調達と工事の施工を行わせることを決定した。
都交通局が工事を実施する放射部は,旧グランドハイツ跡地に造成された光が丘団地のアクセス交通として,光が丘−練馬間の工事を先行することになり,1986年6月に工事に着手,1991年12月10日に開業した。続いて,練馬−新宿間についても1994年の開業を目指して1990年8月に工事に着手。都市高速道路との間連工事の調整に手間取ったものの,結局1997年には開業となった。
一方,本題の環状部は,もともと東京都交通局が第1種免許を持っていたが,建設主体として第3セクターが設立されることになったため,運輸省は一旦免許の返納を求めたが,最終的に東京都は基本計画の変更認可を申請することで落ち着いた。1993年5月31日東京都地下鉄建設は第3種鉄道事業者の免許を取得した。
当初計画では,環状部は1996年度末の開業を予定していたが,現在のところ3年余り遅れて2000年中の開業を目指しているところである。
都はこの遅れについて,北新宿,六本木などの繁華街の中での工事のために作業時間が夜間の短時間に制約されたこと。飯田橋,青山一丁目,上野広小路など,既存地下鉄との交差部の工事に手間取ったことを原因として挙げている。(『朝日新聞』1995年10月6日)12号線環状部の路線は,工事費を抑制するために極力公道の地下を通過するように計画されたことから,都市圏の鉄道建設で障害となる用地問題はおこらなかった。その分,工事は順調に進むはずであったが,しかし,都心部での公道下の工事には,ライフラインや既存の地下鉄など,多くの障害物が埋設されており,この処理が大きな障害となった。
工事の現状は,大部分の駅で構築工事を中心とした土木工事を実施。また駅間のシールド部については全30シールドの内17シールドの掘進が完了,7シールドで掘進中,6シールドで発進準備中となっている。木場車庫についても工事は進捗しており,1998年度に工事を完了する予定である。(同社)
運行計画
開業後は,光が丘−都庁前−汐留−元浅草−西新宿間の運行を基本とし,途中汐留,清澄,元浅草に折り返し設備を設けて,光が丘−汐留間・清澄,西新宿−元浅草間の区間運転を実施するという。ラッシュ時用の運転系統として考えているのであろう。なお,清澄は木場車庫への引込線が併設されているため,出入庫の列車が発着することになる。
混雑率は最大180%を超えないこと,終日の乗車効率を40%程度とすることを基準にして,全線5分以内の運転間隔とし,朝夕ラッシュ時には3〜4分間隔での運転を計画している。また,環状運転も可能な施設が計画されているというが,その場合都庁前で進行方向が変わる変則環状運転である。
工事費と財源
12号線は,もともと放射部を交通局,環状部を第3セクターに分担させることで工事の速成を図り,鉄道建設で問題となる,部分開業による立ち上がりでの需要不足を回避して,順調に借入金の返済を図る目論見であった。しかし,実際には1991年12月の光が丘−練馬間の開業の後,新宿まで延長されるのは1997年,環状部は2000年まで待たされることになった。
1987年6月の時点で,環状部建設費を5,850億円と見積もったが,その後の建設費の上昇により,東京都地下鉄建設の免許申請時には,6,826億円にまで膨らむことになった.それが,開業の遅れにより,工事費の上昇に加えてこの間の金利の増加で,1996年夏の段階で総工費が1兆円に達する見通しが示された。これに対して都は建設費の8700億円までの圧縮を要求したという。現在もなお,総工事費について精査中であり,また内容が固まっていない状況という。(同社)
建設財源は,日本開発銀行と民間金融機関からの借入4,826億円と,2,000億円の都の一般会計からの無利子貸付けを充当する。そして一般会計からの無利子融資を条件にして,国による地下鉄建設費補助の対象路線として採択された.完成後は,交通局が譲り受けて経営するが,第3セクターに対して有償借入分4,826億円を20年分割で支払い,その後無償借入分2,000億円を10年分割で支払う取り決めである.
地下鉄建設費補助金は対象工事費の70%を国と自治体が折半で補助する制度である。20年分割の有償借入金の支払額を各年度の建設費と見なして,採択時点の53年ルールに従って10年分割で交付される。
工事費を当初計画の6,800億円と見積もると交通局は年に190億円支払うことになる。一方,工事費を1兆円とすると年の支払額は340億円余りに増加する。当初の買い取り計画どおり,とりあえず6,800億円で譲渡を受けた上で,残額を賃貸料として支払うという方法もあるが,これを12号線環状部だけの旅客に新線加算運賃として負担させるとすると,12号線環状部の開業後の総旅客数は100万人と見込まれるので,一人40円程度の負担を求めなければならないことになる。結局は,12号線建設費は,全線の運賃水準を引上げることは必至と思われ,営団との運賃格差が拡大して,結果として利用者を減少させることになりかねない。
3.新交通システム 日暮里・舎人線
概要
日暮里・舎人線の沿線は,東武鉄道伊勢崎線と埼玉高速鉄道の計画路線とに挟まれた軌道系交通機関の空白地域である。足立区はこの地域を南北に縦貫する軌道系交通機関の建設を計画した。そして1985年の運輸政策審議会答申で初めて日暮里〜舎人間への新交通システムの導入が盛り込まれ、1986年の第2次東京都長期計画で計画事業として認知されることになった。
インフラは道路管理者である都が国庫補助事業として整備するが、インフラ外については、建設省のインフラ補助の適用基準に即して、東京都が主として出資する第3セクター「東京都地下鉄建設」が建設にあたり、完成後は東京都交通局が運営することになる。1991年7月国庫補助事業として採択され,1995年末には、日暮里・舎人線日暮里〜見沼代親水公園間9.7kmの新交通システムの軌道特許を取得した。
採択当初の建設費の見込み額は,総額1,170億円,うちインフラ部630億円,インフラ外540億円であった。(『道路鉄道交差及び新交通・地下鉄等に関する事務要覧』第3次改訂版,平成7年,ぎょうせい)現在では1,600億円程度(同社)とされるが,手元の最新の数字では,総工事費約1,548億円の見込みで,そのうち都が施行するインフラ部が810億円,第3セクターが実施するインフラ外部が738億円であるという。(岩崎貞二(東京都計画局)「東京都の新線計画について」『モノレール』89号,1997年)
採択された平成3年時点での新交通システムに対する補助制度は,将来投資を含む総事業費に対するインフラ率を54.4%とし,その55%が建設省の道路整備特別会計から補助金として支出されるというもの。
工事の現状
1997年12月,街路整備として都の建設局が実施するインフラ部の工事が始まった。現在は,舎人駅付近の基礎工事が進められている。
当初は1999年の開業を計画していたが,1997年の段階で2003年の開業予定に変更された。遅れの理由として,日暮里駅へのJRとの接続方法についてJRとの協議を要したこと。車両基地を設ける舎人公園の造成のための用地買収が必要であったこと。途中荒川をわたる部分では扇大橋の下流側に橋脚を立てることになるが,この取り付け部で用地の取得が必要となったことが挙げられる。