愛知環状鉄道の輸送力増強について
佐藤信之
今回は、愛知環状鉄道の輸送力増強工事について紹介する。平成17年に開催が予定されている愛知万博では観客輸送の中心となって活躍することが期待されている。しかし、愛知環状鉄道は、名古屋市を取り巻く新興都市圏を横断する鉄道として、重要性が増しており、かつてのローカル鉄道から都市鉄道への転換を図るプロジェクトという意味合いも持ちあわせている。
岡多線の建設から三セク化まで
現在の愛知環状鉄道のルートは、岡崎〜多治見間を結ぶことを目指した岡多線の岡崎〜瀬戸間と、瀬戸から高蔵寺を経て現在の城北線を経由して枇杷島に至る瀬戸線から構成されている.
昭和32年4月の鉄道建設審議会で予算不足から,重点的に工事を進める線区として16線が選定されたが、これに岡多線、瀬戸線も含まれていた.そして、昭和37年5月に工事に着手した.岡崎〜瀬戸間は、甲線規格の複線・電化路線、瀬戸〜高蔵寺間は丙線規格の単線・非電化路線で、もともと東海道線と中央線を結ぶ貨物主体の外郭環状路線になるはずであった。東京でいえば、武蔵野線に相当するのであろう。その後、昭和39年に日本鉄道建設公団が設立されると、工事は公団に引き継がれた.
岡多線は、まず、トヨタ自動車などからの要請で、昭和45年10月岡崎〜北野桝塚間8.7kmで貨物営業を開始した。北岡崎にはユニチカ、北野桝塚にはトヨタ自動車への引き込み線が設けられ、後の数字であるが、岡崎〜北岡崎間には18本、北岡崎〜北野桝塚間には14本の貨物列車が運行された。
この岡多線が開業する以前、岡崎と豊田を結んで名古屋鉄道が挙母線と岡崎市内線が走っていたが,昭和37年に福岡町〜岡崎駅前〜岡崎井田〜大樹寺間を廃止して、それ以後、名鉄三河線の上挙母と大樹寺の間だけを残す形となっていた.営業赤字に耐え切れなくなっての廃止であるが、大樹寺からはユニチカ岡崎工場への引込み線が伸びており、貨物列車が1日2往復していたことから廃止できなかったというのが真実らしい。岡多線の暫定開業で新たな輸送ルートが生まれたことで、昭和48年3月4日 名鉄挙母線上挙母〜大樹寺間は廃止となり、完全に姿を消した.
その後、昭和51年4月26日北野桝塚〜新豊田間を延長して,岡崎〜新豊田間の旅客営業を開始して、70系電車の4両編成が1日に14往復することになった。しかし、沿線の市街地化がすすんでいなかったこと、路線が大都市の名古屋に対して反対方向に向うなど、不利な要因が重なって,輸送人員は伸びなかった。結局、昭和61年6月、第3次特定地方交通線として運輸大臣の承認を受け、愛知県は、第三セクター鉄道による転換を選択した。
昭和61年9月19日愛知県(出資比率40%)、岡崎市、瀬戸市、春日井市、豊田市のほか、民間企業や沿線の私立大学19校が出資して、第三セクター「愛知環状鉄道」は設立された。そして、JR東海に引き継がれていた岡多線岡崎〜新豊田間と、建設が進められていた新豊田〜高蔵寺間の経営をすることになった。
国鉄時代特定地方交通線の選定基準となった輸送密度は2,783人であったが、三セク化後、平成3年度には4,384人にまで増加して、累積赤字を解消した。
輸送力増強工事
愛知環状鉄道は、名古屋の外郭都市を結ぶ環状鉄道として、順調に旅客を伸ばした。それに伴って,輸送力増強のための複線化について検討を始めることになる。平成3年5月に発生した信楽高原鉄道での列車正面衝突を契機に、第三セクター鉄道の安全対策が求められていた時期でもある。愛知県は、平成4年度、1,000万円を計上して、複線化について鉄道公団に調査を依頼した。
また、平成14年のサッカー・ワールドカップでは豊田市の会場が名乗りをあげており,また、万国博覧会の誘致についてもすでに国内外に表明していた。誘致に成功したならば、この愛知環状鉄道が観客輸送に動員されることが予想された.
愛知万博は、平成17年に開催が予定されており、半年間の開催中に2,500万人の入場者数を見込んでいるが、そのうち、1,000万人が鉄道系、1,500万人が道路系利用者であると想定されている。
その他、愛知環状鉄道の途中で分岐して、中部国際空港までの鉄道が検討されてたことがある。平成8年8月「三河・知多新空港交通対策協議会」は、愛知環状鉄道の三河上郷を分岐して、東海道新幹線の三河安城を経て名鉄の常滑市に至るルートを想定し、事業費を2,600億円から3,200億円と試算した。ただし、その後の進展はない。
さらに、愛知環状鉄道の沿線各地で「あいち学術研究ゾーン」の開発計画が推進されており、その交通手段として、愛知環状鉄道の輸送力増強が不可欠とされた。「あいち学術研究ゾーン」とは、犬山東部地区、小牧東部・春日井頭部地区、志段見地区、国際博覧会会場地・周辺地区、愛知池周辺地区、豊田北東部地区、岡崎東部地区の7地区から成る広域開発計画で、その中核となるのが、万博会場周辺地区で、交流未来都市と呼ばれている.平成10年3月現在のパンフレットでは、瀬戸市、豊田市、長久手町にまたがる約2,000ヘクタールを開発し,居住人口3万3千人を想定していた。
愛知環状鉄道は、現在全線単線で、ピーク1時間あたり2両ないし3両編成の電車3本の運行が限界であり、輸送力が不足することが見こまれた.
そこで、愛知県は、JR中央線の高蔵寺駅と万博駅の間を複線化するとともに万博駅と岡崎間についても部分線増を実施することとし、総事業費は300億円から400億円と見こまれた.また、高蔵寺駅での中央線との直通運転については、事業費の約50億円と想定され、JR東海に対して応分の負担を求めたが、平成9年6月になってJR東海は、要請者負担を原則とすることを主張して、費用負担に難色を示した。万博協会との間でも万博駅の費用負担について調整が難航した。万博駅を仮設駅として建設する場合は万博協会が負担するが、万博閉幕後もニュータウンの中心駅として存続する構想であるため、万博協会は支出に難色を示したものである。
愛知県は、万博開幕に間に合わせるために、とりあえず平成10年度予算に、複線化の調査・設計に対して補助金を盛り込んだ。さらに、運輸省は、平成10年度第三次補正予算で幹線鉄道等活性化事業費補助事業として愛知環状鉄道の輸送力増強工事を新規に採択した。要望段階での工事内容は、北野桝塚〜三河上郷間2km、中岡崎〜北岡崎間1.9kmの複線化と三河上郷、中岡崎での行き違い施設の新設である。
しかし、愛知県は折からの財政難で、平成10年度は1,350億円の歳入不足が見こまれた。それに加えて、JR東海が増資に応じることを拒否するに及んで、工事の内容を大きく縮小する必要が生じた。
平成11年1月2日、愛知県は、高蔵寺〜万博駅間約15kmの全線複線化を断念し、愛知環状鉄道と博覧会協会の間で、部分複線化について検討することを明らかにした。
平成11年2月8日に公表された整備計画では、運行本数を1時間に4両編成を4本運行することとし、高蔵寺・岡崎間を現在72分要しているのを約62分に短縮するとしている。
複線化するのは、中岡崎〜北岡崎間1.9km(当初計画1.4km)、 北野桝塚〜三河上郷間2.0km、瀬戸市〜中水野間2.8km(当初計画3.2km)の3区間で、その他篠原駅で行き違い施設を新設する。また、部分複線化に関連して北岡崎駅構内を2線化、 北野桝塚の車両基地の拡張を実施する.さらに、岡崎駅の手前370kmが東海道本線の上り線と共用しているため、輸送力増強のネックとなることから、愛知環状鉄道が東海道本線の北方に専用の単線を新設することになり、JR東海に委託して工事が進められることになる。
これらの工事費は、総額約195億円と見積もられ、財源は、増資によって75億円、補助金55億円、市中銀行からの借入金65億円が充当される。
なお、増資分は全て県と沿線市町村が負担し、従来出資比率で分担する。また、補助金は、国と自治体がそれぞれ工事費の20%を支出し、さらに県と沿線4市の間の分担率についても出資比率に決められた.ちなみに、出資比率は、愛知県40.0%,岡崎市8.8%,豊田市19.2%,春日井市2.8%,瀬戸市9.2%,民間20.0%である。
この部分複線化についてのプロジェクトは、平成11年2月に鉄道事業法にもとづいて事業基本計画変更認可、鉄道施設変更認可の手続きを終了し、同年3月には工事を着手した。今後は、平成16年9月に工事を完了して、17年3月には開業を予定する。
ただし、八草〜山口間に設けられる万博駅については、費用負担などについていまだ決着を見ていない。
また、JR東海との費用分担で難航した高蔵寺駅での直通化工事についても、平成12年度運輸省当初予算で、鉄道駅総合改善事業費補助の対象工事として新規に計上された。1億円が概算要求されたが、結局3400万円が復活折衝で認められるにとどまった.総建設費は35億円で、平成12年度に工事に着手して、16年度に完成する計画である。補助率は、国2割、県と沿線4市があわせて2割である。
工事内容は、現在行き止まりの愛知環状鉄道の線路を中央線の上り線に接続するとともに、中央線をアンダークロスして6番線に入る線路を新設して、下り線への直通ルートとする計画である.
愛知万博の現状
愛知万博は、昭和63年10月、当時の鈴木愛知県知事の万博誘致の表明に始まる。中部財界を中心に「21世紀万国博覧会誘致準備委員会が組織され、当時名古屋鉄道の会長職にあった竹田弘太郎名古屋商工会議所会頭が会長に就任した.そして、同年12月には、通産省と駐仏日本大使館は、博覧会国際事務局(BIE)総会の場で万博を愛知県で開催する用意のあることを表明することになる.
その後、平成7年に閣議了解を得てBIEに正式に立候補。9年には、BIE総会で、カナダを破って開催権を獲得した。平成17年3月25日から半年間の予定で開催されることがほぼ確定した。
当初、トヨタ自動車など製造業の盛んな中京圏の特徴を全面に出して、産業技術をテーマに据えることを検討したが,次第に自然破壊に対する自然保護グループの反対が大きくなるに及んで、最終的に「自然の叡智」をメインテーマに設定することになった。
また、平成6年基本構想では、会場は「海上の森」の650ヘクタールとされたが、予定地でシデコブシなど希少植物の群生を確認したことから、翌年には環境庁の指導を受けて海上面積を540ヘクタールに縮小した.観客数の目標値も4,000万人から2,500万人に大きく変更した。しかし、それだれでは済まなかった.平成11年5月「海上の森」でオオタカの巣を確認。愛知県は、愛知青少年公園を新たに会場に含めて、分散開催とすることに決定した。
さらに、平成11年11月当時のBIE議長と事務局長が来日した際、会場整備と跡地利用を兼ねる新住宅市街地開発事業を批判した。新住事業とは、大規模な住宅開発を促進するため、基盤施設の整備に対して、個別の補助制度とは別枠で補助金が支出される制度である。この制度を活用して、海上の森に6,000人が居住する研究施設を伴う学術研究都市を建設しようという計画であった。そして、万博に先行して造成して、平成17年まで万博協会に貸出すとしていた。
また、総建設費を1,800億円と計画していたが、次第に施設の規模が拡大して、予算を大幅に超過することが予想された。費用を分担する財界は、平成11年11月計画の縮小を要求し、一方の愛知県も財政難から追加の負担は困難となっていた。これを受けて、会場作りの基準となる計画基準日の入場者数を1日25万7000人から、18万人に削減することになる。ただし、開催期間中の入場者数は2,500万人のままとした。
平成12年1月には、メインホールの建設を中止。二階建てデッキも原則として建設を止めた。メインホールは、愛知青少年公園に、開閉会式などの式典や国際祭事を行う3,000人から5,000人を収容できる施設である。また、屋内展示場も全て平屋建てにして、面積を全体で15%減らした。
愛知万博では、大阪万博や筑波博のようなテーマ館の建設は行わないことになっており、さらに、平成11年9月には、青少年公園に検討していた「100メートル盆シアター」の建設も中止することを表明していた.
本年5月に予定していた万博開催の登録は延期される公算が強まっており,今年のハノーバー万博の場を利用しての各国への出展要請も不可能となりそうである。新住事業自体の見直しをほのめかす発言も見られ,今後も紆余曲折が予想される。