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東葉高速鉄道に対する

経営支援策について

佐藤信之

 

記事:『鉄道ジャーナル』平成121月号掲載。

注:入稿後の修正については反映しておりません。また、図・表も省略しています。

  東葉高速鉄道は平成84月に開業したが、用地買収が難航して予定より大きく遅れた。この間の物価の上昇などによる工事費の上昇と、建設期間が長引いたことによる建中利子の増加で、建設を担当した日本鉄道建設公団からの譲渡価格が大きく膨らむことになった。これが原因で、運賃率は全国的にみても最も高い方にランクされることになった。高運賃が沿線の住宅開発を阻害し、利用者も思ったようには伸びない。経営状態も一向に改善する様子はみられず、県や沿線市による度重なる財政支援策が講じられてきた。 

営団勝田台線

 東京圏の鉄道網の整備に関する昭和47年の都市交通審議会第15号答申で、県の要望を受けて地下鉄東西線の延長が盛り込まれた.しかし,事業主体となろべき当の帝都高速度交通営団は、すでに昭和37年に申請を出した7号線の工事を先行する方針として消極的であった.そこで,友納知事は自ら県営地下鉄の整備計画を発表して営団にプレッシャーをかけたところ,それが功を奏して営団は昭和49年3月30日に勝田台線西船橋〜勝田台間16.3kmの免許申請を提出した.

 しかし,その後都市計画決定と地下鉄建設のインフラ補助の地方負担分をどのように県市町村で配分するかについて調整が難航して計画は宙に浮いたままとなった.財政難から八千代市と船橋市が負担に難色をしめしたためで、最終的に県が大半を負担することで決着を見て,都市計画決定に向けて活動を開始した.

 そのような時、昭和52年秋頃から運輸省内でこの新線を京成に移管する動きが出てきた.京成は,当時成田に建設中の国際空港まで新線を建設し,車両を購入ずみであるにもかかわらず,当の空港の開港が見通し立たずということで,大きな犠牲を被っていた.京成は国に補償を求めていたが,この東西線延長線の移管はそのような京成の置かれた状況に配慮してのことであった.八千代市,船橋市はもとより沿線の住民はこの移管に反対,運輸省と地元の対立は深刻化しそうな気配があった.

東葉高速鉄道の設立

 運輸省は昭和55年7月19日に次のような最終調整案を提示した.

1 建設主体は第三セクターとし,地元自治体,金融機関,関係鉄道事業者がこれに出資する.

2 運営は京成電鉄に委託する.

3 東西線と接続し,相互直通運転を行う.

4 工事の施行は,日本鉄道建設公団が行う.

5 工事は,2段階に分けて施行する.

昭和5511月7日に関係者会議が開催されて,その場でこの調整案が合意された.これを受けて昭和56年9月1日に「東葉高速鉄道」が設立された.

 創業時払込資本金は10億円で,千葉県、船橋市,八千代市など地元自治体と金融機関が30%ずつ,残りを帝都高速度交通営団,京成電鉄,東武鉄道,新京成電鉄の関連鉄道事業者が出資した。中でも営団は、15.0%を出資して筆頭株主の地位に付き、初代代表取締役こそ沼田千葉県知事が就いたが、その後任には営団の菅川薫が就任した。

 営団が東西線の延長路線として建設をしたらなば,比較的高率の建設費補助が支給されるケースであるが,東葉高速鉄道については鉄道公団P線・地下鉄直通路線に認定され,5%を超える建設利子に対する国・自治体による補給金の交付が適用された.

 事業の進展に応じて、昭和6011月、昭和634月、平成22月、平成211月に増資が行われたが,第1次と第2次増資では自治体の負担分を大きくしたことから、営団の出資比率は11.25%まで低下。第3次増資分は全額自治体が負担となり、第4次については自治体、鉄道事業者、金融機関がそれぞれ出資したが、これで、平成2年3月現在、出資率の大きい方から帝都高速度交通営団12.9%、京成電鉄12.9%、千葉県11.9%、船橋市11.7%、八千代市11.7%の順となり、自治体の出資率が上昇していった。(『営団地下鉄五十年史』平成3年、433435頁)

東葉高速鉄道の建設

 東葉高速鉄道は、昭和56年9月3日に西船橋〜勝田台間の免許を申請,営団は、翌年2月15日に,同一区間の申請を取り下げた.

 昭和57年3月19日に免許を取得して,公団P線対象工事として昭和59年7月27日に工事に着手した.しかし,船橋市内の高架区間について、住民からの地下化の要求が強く,用地買収が難航した.そこで、当初海神トンネルは東海神駅を越えた船橋市夏見地区ところで高架となる計画であったが、トンネルを延長して、夏見地区約1.1キロの高架区間を地下に変更することを約束した.これで一部地権者については地下へ計画を変更することで同意を得ることができたが,依然として高架のまま残る区間では、用地買収に対して強硬な反対に遭遇した。当初見込んでいた第1期工事区間西船橋〜八千代間の平成3年4月開業は実現できず.第2期工事区間の八千代〜勝田台間の平成5年4月の開業も延期を余儀なくされた.

 また,日大理工学部からの要望を受け入れて船橋市坪井地区(北習志野〜西八千代間)に駅を設置することをを決めた.新駅周辺では,住宅・都市整備公団による約66ヘクタールの土地区画整理事業が実施され,日大理工学部のキャンパスの地下を通過する習志野台トンネル途中に地下駅構造の船橋日大前駅が設けられた。

 平成3年3月に夏見地区490メートルの地下化を決定して,8月28日にトンネル工事に着手した.しかし,平成3年10月当時,まだ約30人の地権者が買収に応じない状況で,平成4年5月12日には,船橋市選出の自民党県議らが夏見地区の地権者6人の自宅を訪問して協力を要請したり,沿線住民による署名活動などが展開された.

 一部地権者は,公団の提示する価格の3倍を要求しているというケースも見られるという.昭和63年以来,千葉県は県収容委員会が成田闘争に関連して機能していないため,強権が発動できないことへの恨みがあった.

 用地買収が難航したのは,海神トンネルの出口にあたる夏見地区のほか,飯山満駅,八千代市萱田地区である.八千代市内については代替地についての調整が手間取ったという.飯山満駅については,鉄道が開業したあとも周辺の区画整理事業について反対運動が続いた.

 用地買収が最後まで難航した原因としてもっとも問題とされるべきは,買収価格で折り合いがつかなかったことである.当時報道されたところによると,鉄道が建設されると沿線の地価が上昇し,その地主が利益を上げられるのに,鉄道用地として提供する地主は,その利益を享受できないことを理由に反対しているということであった.もともとこのような鉄道建設では沿線にたいしてさまざまな利益を与えることになる.しかし,この利益は鉄道が建設されて初めて実現されるものであり,当然鉄道の建設に還元されてしかるべきものである.現在,このような開発利益の還元に関する制度が未整備なために沿線地主に大きな利益を認めているのであるが,これを理由に鉄道建設が滞るという現実は,将来の制度改革に大きな教訓を与えたといえよう.

東葉高速鉄道の開業

 平成8年4月27日,東葉高速鉄道西船橋〜東葉勝田台間は開業した.

 平成8年度には、2,522万人の利用があったので、1日にすると約7万人となり、当初見込んだ151300人には大きく及ばなかった.利用者のうち、72%までが定期旅客であり、とくに通勤定期の比率の大きいことが目立つ。企業は通勤手当として割安な代替ルート分しか支払わず、東葉高速鉄道を使う場合にはその差額を自前で負担しなければならないケースが多かったと聞くが、それでも全額自己負担となる通学利用に比べて高運賃率のインパクトが小さかったのであろう。平成9年度には、1日当たり旅客数は9万人を超えたが、初乗り目当ての利用が減ったことでさらに定期旅客比率が上昇し、全旅客の4分の3までが定期券客ということになった。平成10年度には、1日あたり旅客数は約10万人へと着実に増加を続けている。

 一方、経営状況を見ると、平成8年度の営業損益は、14億円余りの赤字であったが、9年度には4億円程度に縮まり、10年度には5800万円の黒字となった。しかし、これで投資の元本の償還に充当される減価償却費(正確に一致するわけではないが)は賄えるようになったものの、利払い費を含めた経常損益では、平成8年度147億円の赤字、9年度156億円の赤字、10年度153億円の赤字と、依然として経営の深刻さは変わっていない。

 平成11427日、開業3周年を迎えた。会社は、船橋市の花「サザンカ」と八千代市の花「バラ」のシールを電車に飾って祝った。そして、5月には乗客の累計が1億人を突破することになった。

平成7年支援策

 開業時見通しとして、鉄道公団からの譲渡価格は2,812億円となり,25年間の元利均等償還であるのでその間の利子額を含めると,総償還額は4,960億円にのぼり,年200億円ずつ公団に支払わなければならないという計算であった.それにたいして,1日15万人の乗客数を見込んだ上で,年間収入が150億円と見積もられ,公団への償還額を下回ることになるとされた.22年目に単年度黒字,29年目に累積欠損をなくすことを見込んだが,大いに疑問とされた.だいたい,当事者自体も,そう楽観はしていなかった.

 平成7年度には,開業にあたり不足する資金を補填するため,26億円を増資して資本金を80億円から106億円に増額した.この増資分は、千葉県が14億円,船橋市が8億円,八千代市が4億円を引き受け,その結果3自治体から成る公共部門の出資比率は50%に達することになった.いっぽうそれまで京成と営団は約11億円ずつを出資して筆頭株主の地位にあったが,これで千葉県にその地位を渡すことになった.平成7年4月からは千葉県OBの中山總之助が社長に就任している.

しかしながらこの増資だけで経営難が切り抜けられることはなく,今後も増資と関係自治体による無利子貸付けなど,継続的な支援が必要になることが予想された。そのため、鉄道公団たいしても,5年間元金償還の繰り延べを要望.すなわち,当初5年間は利子分の負担に止めたいという希望を表明した.これにより約300億円支出を切り詰めることができるとした.

今回支援策

 東葉高速鉄道の深刻な経営状況は続いており、平成1171日までにリストラ策を決定した。営業費用を3年間で3億円圧縮するとし、今年8月現在船橋市内の賃貸ビルに置いている本社を八千代市の八千代緑ヶ丘駅近くの高架下のプレハブに移転した。貸しビルの賃貸料として年約6,000万円が節約されることになるという。また、今年度から5ヵ年間で、職員数を現在の306人から本社部門15人、現業部門23人減らして268人にする。また、出向社員についても、出向元と協議のうえ若返りを図り、給与水準を抑える。その他に、常勤役員を1人減らして4人にするなど、役員報酬も年間合計で約600万円削減。人件費は、5年間で55千万円削減することが可能という。

 さらに増収策として、124日に開業後初の大規模なダイヤ改正を実施する。朝夕ラッシュ時を中心に平日27本、土曜・休日20本を増発するとともに、始発時間の繰り上げと終電時間の繰り下げを行う。また、初めて線内を快速運転する「東葉快速」を新設し、途中北習志野と八千代緑が丘以外は通過する。朝の上り2本と夕方の下り2本の運転で、西船橋〜東葉勝田台間を5分短縮することになる。その他にも、施設や高架下の賃貸しなどを行うという。

 会社側の経営努力に加えて、平成91月千葉県、船橋市、八千代市、営団の3者は、220億円の増資と、80億円の無利子貸し付けを10年間にわたり実施する支援策を策定した.すでに県と両市は利子分(平成10年度は2,300万円余り)を支出した。さらに、平成111月には、株主に運輸省を加えた経営検討委員会で、日本鉄道建設公団に対する建設費の償還期間を30年間から60年間への延長を決定した(『読売新聞』平成1172日京葉版).これで、単年度の負担は減少するが、利払い費の増加で償還総額は5,900億円余りに膨らむことになる(『朝日新聞』平成11429日千葉版)。

 また、東葉高速鉄道には、四街道延長問題が懸案となっていたが、今年末までに予定される運輸政策審議会地方交通部会答申の検討路線に上らなかった.佐倉市はルートを市内に引き込もうと延伸促進期成同盟を作って誘致活動を行っていたが、最近は手控えているという。延伸に伴って同市に負担が求められることを懸念したのであろう。しかし、一方で、四街道市は、現在も県、運輸省に対して延伸を強く求めている(『朝日新聞』平成11429日千葉版)。

※「東葉高速鉄道の開業について」『鉄道ピクトリアル』 408号、19968月。『都市鉄道整備の展開』電気車研究会、平成7年、5658頁参照。


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