東葉高速鉄道の開業について 佐藤信之 『鉄道ピクトリアル』46巻8号、1996年8月号掲載 平成8年4月27日,東葉高速鉄道西船橋〜東葉勝田台間を開業 した. 昭和46年都市交通審議会第15号答申では有楽町線,半蔵門線の 延伸や南北線の新設などとともに5号線の勝田台までの延伸が盛 り込まれた.その中で東西線の延伸,勝田台線の手続きが最も先 行した. もともと東西線の延伸については千葉県が積極的に立ち回り, 都市交通審議会での整備路線としての設定には千葉県の働きかけ が功を奏したものであった.昭和48年5月には千葉県と船橋市と 八千代市が「営団地下鉄東西線建設促進協議会」し,営団の反応 が鈍いと感ずると千葉県は独自に千葉県営鉄道計画を打ち上げて 牽制した.その効果があって,営団は昭和49年申請,昭和51年着 工,昭和54年完成を目指すことになった. 営団の免許申請にともない,千葉県,船橋市,八千代市は早々 に都市計画決定の手続きを開始したが,運輸省は京成電鉄の強硬 な反対を受けて,審査を慎重に進めることになった.また営団の 既存路線網から大きく逸脱する路線ということで,経営主体につ いても検討を要することになってしまった.当時成田空港の建設 が進み,成田新幹線計画が不調なことから,脇役として登場した 京成の空港線が唯一のアクセス鉄道として整備が進められていた. ところが,巨額の投資をした新線が成田空港の用地問題から長く 打ち捨てられることになってしまった.これも1つの原因となっ て,京成電鉄は経営が悪化し,空港問題の原因を作った運輸省に すがりついた. 昭和52年に運輸省はこの路線を京成に移管する案を示すが,こ れにたいして沿線自治体が強硬に反対.運輸省は,55年に京成も 資本参加する第3セクターが建設,京成が運営を受託するという 調整案を提示,これにより翌年,「東葉高速鉄道」が設立された. 東葉高速鉄道は,運輸省の京成電鉄の保護という思惑から,最 初の苦汁をなめることになった.昭和49年の営団の申請どおりに 事業が進められたならば,成田空港問題とは無縁に,その後の経 過は相当に違ったものになったことが予想される.事業主体につ いて問題にするのであるならば,京成問題とは別に第3セクター を設立すれば良かったし,千葉県が自営の鉄道を設けるというも のでも構わなかったであろう. <中略> そして,東葉高速鉄道は昭和57年3月免許を取得,59年7月工 事に着手した.ここで2つ目の障害に直面することになる. 船橋という土地は,昔から多くの鉄道計画が持ち上がり,実現 しなかった計画も多い.それらがいずれも用地買収で苦労させら れた.京成電鉄の路線が大きくカーブしているのは,カーブの内 側に広がる地区での用地取得がかなわなかったからである.また, 昭和初期の総武本線の複々線化計画でも,沿線地主からは強硬に 反対された.国道14号線が乗り越える陸橋がもともと複々線用に 建設され,現在もそのままの形で利用されているが,これがこの 複々線計画の唯一の名残といえるであろう. 昭和54年,日本鉄道建設公団の直轄工事として,工事に着手. 1991年3月西船橋〜八千代間,1993年3月八千代〜勝田台間の開 業を目指すことになった.翌年1月には沿線700人の地権者を対 象に交渉を開始したが,1期区間の開業を予定していた平成3年 3月にいたっても以前72人の地権者との契約が済ませられず,全 線の開業を1993年3月に変更した.そしてこの1993年3月の段階 でも未契約の地権者が8人残り,完成予定をさらに1995年3月に 変更した. 用地買収が難航したのは,西船橋〜東海神間のトンネル部,東 海神〜飯山満間のトンネルから地上へ出る部分,飯山満駅部分, 八千代市萱田地区である.東海神〜飯山満間は,沿線対策からト ンネル区間を延長したが,さらにそれを延長することが要求され た.また八千代市内については代替地についての調整が手間取っ たという.飯山満駅については,駅自体については決着を見たも のの,周辺の土地区画整理事業にたいしては依然として反対運動 が続いている. 用地買収が難航した原因としてもっとも問題とされるべきは, 買収価格で折り合いがつかなかったことである.当時報道された ところによると,鉄道が建設されると沿線の地価が上昇し,その 地主が利益を上げられるのに,鉄道用地として提供する地主は, その利益を享受できないことを理由に反対しているということで あった.もともとこのような鉄道建設では沿線にたいしてさまざ まな利益を与えることになる.しかし,この利益は鉄道が建設さ れて初めて実現されるものであり,当然鉄道の建設に還元されて しかるべきものである.現在,このような開発利益の還元に関す る制度が未整備なために沿線地主に大きな利益を認めているので あるが,これを理由に鉄道建設が滞るという現実は,将来の制度 改革に大きな教訓を与えたといえよう. ところで,現在3番目の問題を抱えている.鉄道公団からの譲 渡価格は2,812億円,25年間で元利均等償還されるが,その間の 利子額を含めると,総償還額は4,960億円にのぼり,年200億円ず つ公団に支払わなければならない計算である.それにたいして, 1日15万人の乗客数を見込んだ上で,年間収入が150億円と見積 もられ,公団への償還額を下回ることになる.だいたい,1日15 万人というのも,現状ではクリアするのは難しいようである.22 年目に単年度黒字,29年目に累積欠損をなくすこを見込むが,は たして思惑どおりになるものか,大いに疑問とされる.だいたい, 当事者自体,そう楽観はしていないようである. 平成7年には,開業にあたり不足する資金を補填するため,26 億円を増資して資本金を80億円から106億円に増額した.この増 資部はは千葉県が14億円,船橋市が8億円,八千代市が4億円を 引き受け,その結果3自治体から成る公共部門の出資比率は50% に達することになった.いっぽう京成と営団は約11億円ずつ出資 して筆頭株主であったが,今回千葉県にその地位を渡すことになっ た.平成7年4月からは千葉県OBの中山總之助が社長に就任し ている. しかしながら今回の増資だけで経営難が切り抜けられることは なく,今後も増資と関係自治体による無利子貸付けなど,継続的 な支援が必要になるであろう.もともと鉄道の開業により沿線の 地価は上昇し,また住民が増加すれば住民税の増収につながるわ けで,このような沿線の開発利益を鉄道の建設費用に還元するの は当然のことであろう.また,これに加えて,鉄道公団たいして も,5年間元金償還の繰り延べを要望.すなわち,当初5年間は 利子分の負担に止めたいという希望を表明している.これにより 約300億円支出を切り詰めることができるという.しかし,これ は支出を先延べするだけであり,5年間で経営を軌道に乗せられ なかった場合には,一層経営を困難にしかねない.