広島牡蠣をささえる地御前漁港
 地御前は当市南部の沿海部に位置し漁業の盛んな地であり、江戸時代から昭和の中頃まで「地御前いりこ」が特産品で、戦後からはこれに代わって「地御前かき」が良く知られている。幕末頃の漁船数は50〜60隻を数えたが、しかし、港は干潟に船つなぎの場所がある程度のものであった。
  明治30年(1897)に山陽鉄道の敷設に伴なって波止場が新設されたが、明治44年(1911)に新波止場を築調して港の拡張をするよう出願されており、以降5工区に分けて新開や波止場、防波堤、雁木などが順次築造されている。
  地御前港周辺の整備は全体計画のもとに段階的に工事がされており、人口の割に平地の少ない地御前村に新開地を宅地として供給し、近代的な繋船施設の整備を兼ねた特色のある開発事業であった。なお、現在地御前漁港周辺では30数軒のかき養殖業者が「地御前かき」の水揚げ出荷作業をしている。
地御前漁港については「広島県の近代化遺産」に詳述しているので参照して下さい。
廿日市の近代化遺産    はつかいち点描