享保の大飢饉−飢民供養塔
  江戸時代の農業は現在に比べて脆弱であり、自然条件により凶作から飢饉となって人々に襲いかかったのである。江戸中期、享保17年(1732)の夏には西日本一帯にウンカが異常発生し、田畑の収穫は壊滅的な打撃を受けた。このためこの年は大凶作となり、翌18年(1733)にかけて大飢饉となって多くの犠牲者が出た。
  現在霊峯苑にあるこの供養塔は、大飢饉から三十三回忌にあたる宝暦14年(1764)9月に、飢民の霊を弔うために廿日市の町人衆によって建立されたものである。
はつかいち点描