広島洋画界の先達小林千古
  広島洋画界の先達である小林千古は明治3年(1870)地御前村(現在地御前小学校の地)で生れた。明治21年(1888)にアメリカに渡って働きながら語学を学び、カリフォルニア州立大学付属美術学校で美術の才能を開花させた。
  明治31年(1898)に帰国するが、美術研究のためにハワイやニューヨークを経由してパリに遊学し黒田清輝、岡田三郎助、中村不折等と親交している。明治36年(1903)帰国後日本洋画壇に登場し、明治40年(1907)に東京府勧業博覧会に「誘惑」を出品し注目され期待されたが明治44年(1911)41歳の若さで病没した。(「幻の洋画家小林千古」より)












「誘惑」
 はつかいち点描