廿日市上水道草創期の遺構
廿日市町の飲料水はすべて井戸水に頼っていたが、西半部は水質が悪かったため大正10年(1921)に須賀町の有志が発起人となって須賀簡易水道が設けられた。水源地は下平良村砂走りの谷間に第一水源坑道(長72m)、第二水源坑道(61m)の2ヶ所掘って、そこからの湧水を貯水池に集水して須賀町の20戸(給水人口240人)に給水していた。現在も砂走りの谷間にはレンガ積みの第一、第二水源坑道口や貯水池の跡が残されている。 はつかいち点描 廿日市の近代化遺産