西国街道-四十八坂
 大野地区の西部は経小屋山麓に平地が少なく海が迫っているために西国街道は山の中腹に設けられた。このために坂道が多く四十八坂と呼ばれる交通の難所であった。山の中腹にあったために開発から免れて街道の一部は当時の面影を残している。

 四十八坂の東側上り口である向原にある石畳で、発掘調査の後保存措置を講じて、その上に簡易舗装され通行の用に供されている。
 四十八坂の向原の石畳を少し過ぎた位置にあるつづら折れで小水路を越える西国街道。
 四十八坂の残念社東の山中に残る西国街道。
おおの地区点描