宮川甲斐守腹切岩
  天文23年(1554)厳島合戦の前哨戦として行なわれた明石口(折敷畑山)合戦は、陶方宮川甲斐守房長を大将とした大軍が当市明石口および折敷畑山に布陣し、これに対した毛利方は数手に分かれてこれらを攻撃をした。毛利方が大勝して陶方の大将宮川甲斐守は敗死し、地元の人はこれを哀れんで東谷に甲斐守社を祀りこの大きな岩を腹切岩と呼ぶようになった。
  明治7年(1874)に宮川甲斐守房長を祀った甲斐守社は八坂神社に合祀された。
  宮川甲斐守を祀った甲斐神社の天保2年(1831)の再建棟札と嘉永3年(1850)の遷座棟札が残されている。
| はつかいち点描 |