ロクロ谷の木地屋足跡
 ロクロ谷は細見谷の支流であり入口から小さな滝が5、6ケ所連続しており、最後の小滝を過ぎると緩やかな谷となる。この谷には長者原林道から尾根筋に登って鉄塔作業道を超えて笹薮を下っていくとロクロ谷の上流部にいたる。谷筋の両側には緩やかな傾斜のある平坦地がところどころにあり、ここで木地屋が稼業していたものと思われるのである。
 蛭谷氏子駈帳をみると寛文10年(1670)に六ろたに木地屋として市郎左衛門、忠左衛門、新兵衛の名前がみえ10名前後で稼業していたものとみられる。これ以外にはロクロ谷としての記載はみられない。
 ロクロ谷入口から小さな滝が5、6ケ所連続しており最後のこの小滝を過ぎると緩やかな谷となり、ここら周辺でで木地屋は稼業していたものとみられる。 
 最後の小滝を過ぎた最初の緩やかな傾斜のある平坦地には木地屋の積石墓が残されている。積石墓は一見すると自然石がごろごろしているように見えるがよく見ると自然石を集めていることがわかるのである。
 ここで木地屋の足跡を証明する遺物が積石墓周辺の腐植土の中から採集できたのである。遺物は磁器の小片(長辺4p、短辺1.6p)でありこのような深山で採集できるのは全くの偶然で、磁器が持てる生活をしていた木地屋の足跡がロクロ谷にあったことがわかったのである。
よしわ地区点描        中国新聞 緑地帯掲載 木地屋の足跡を追って