種箆沙論(へらサロンと呼びます)

  種箆は廿日市市平良付近の古地名で、承平年間(931〜937)に編纂された「倭名類聚抄」に種箆郷、平安初期の律令の施行細則である「延喜式」に種箆駅がみられる。記載順からみていくと種箆が平良に転化したものとみられ、種箆は平良を中心とする地であるとの諸説は一致している。下平良には駅家に関連するとみられる馬ヤガ迫の地名がみられるがまだ古代官道跡や駅家(うまや)跡などは確認されていない。
  また、上平良に馬ヤガイチの地名がみられこれも駅家関連のものとして多くの刊行物で発表されている。しかし、この地名については厳島文書に平良御厩垣内、御馬やしゅうり田(平良村に有)、御馬屋修理免などとみられ、これは中世の厳島社御厩に関連するものとみられ古代官道とは関係のない地名であることがわかるのである。
  読み方については諸説があり「へら」「うへら」「うえへら」「たねへら」などがある。このロマンある古地名『種箆』をとつてライフワークネーム『へらサロン』と名付けた。
 種箆文庫 1  桜尾城とその時代
 種箆文庫 2  安芸国鋳物師の鋳造活動
 種箆文庫 3  厳島を描いた木版画
 種箆文庫 4  速田神社・平楽寺

front page