元家納喜酒造
家納喜酒造の前身は、明治34年(1901)に丸亀小六が酒造業を始めており、大正3年(1914)10月の絵地図をみると西浜町の浜小路に面して丸亀酒造場がみられる。この頃であろうか丸亀酒場と称して家納喜正宗の清酒を醸造していたようである。
広島県会社要覧(昭和15年度版)によると大正7年(1918)10月に合資会社丸亀商店を設立しており、大正9年(1920)8月に建立された天満神社の玉垣に合資会社丸亀商店とある。
前掲の要覧によると大正9年(1920)6月に家納喜酒造株式会社を設立しており、昭和3年(1928)頃には銘酒家納喜を醸造している。
何時の時代かは不明であるが、旧国道(西国街道)沿いにあった八田銀行跡を買収して家納喜酒造は旧国道沿いまでの広大な酒造場となった。しかし、火災が遠因で平成12年(2000)に残念ながら廃業された。
丸亀小六は大正7年(1818)に中国酒類醸造合資会社(現中国醸造)をも創業している。醸造年不明の清酒家納喜正宗のラベル 昭和10年(1935)ころ家納喜の広告 丸亀醸とあるので上欄の丸亀商店時代に使用された家納喜の磁器製酒樽(O家所蔵) 吉和地区にまだある家納喜の看板(平成17年4月) 吉和地区にまだある家納喜の看板(平成17年4月) はつかいち点描 廿日市の近代化遺産