なつかしい水車
 昭和57年(1982)に川末で見られた水車(当時可動はしていなかった)であり、旧市域内で残存していたものでは最後のものであったのではなかろうか。宮内村では明治44年(1911)ころ水車場が8ケ所と僧都が9ケ所あった。また、平良村で大正15年(1926)ころ水車が10数ケ所あり精米や製粉に使用されていたのである。
 僧都は「ししおどし」や「唐うす」と同じようなものであり作業効率はよくないものである。また一文字型や十文字型の先端に水受箱を取付けた箱水車なども見たことがある。
 母親の生家では大型の水車があり精米をしたり、その動力を綱ベルトで作業場に伝え発電機を回して電気を起こしたり製材機で製材をしていたのを記憶している。
はつかいち点描